「うずのしゅげ通信」

 2017年10月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2017.10.1
『賢治先生がやってきた』の授業

今年の2月、東京学芸大学附属特別支援学校の学習発表会で『賢治先生がやってきた』が 高等部3年生によって上演されました。
そのときの取り組み、授業内容が、「先生のための授業に役立つ学校図書館活用データベース」 に掲載された、という連絡をいただきました。
そのデータベースを覗いてみると、事前の総合学習の授業はもちろん、図書室との協力 なども含めて、しっかりと取り組んでいただけたことが わかります。2月の公演に向けて、廊下に宮沢賢治コーナーを作ったりして、劇に関係する賢治の童話を 紹介したり、その続きとして、冬休みには、インターネットで動画を見せたり、賢治の本の感想文を 書かせたり、様々な試みをしていただいたようです。 課題図書としては絵本を選ぶ生徒が多かったようですが、賢治の言葉のリズムを楽しむ生徒もいたとのことです。総合学習で劇の取り組みをして、学習発表会に臨んでいただいたようです。
学習発表会の詳細はわかりませんが、 司書の先生がつぎのような感想を書いておられます。

「賢治役の男子生徒はシルエットがそっくりでした。
星めぐりの歌を歌った女子はとてもきれいな声で、 全員のアメニモマケズの詩の暗唱もとてもよかったです。
練習風景の生徒の一生懸命な姿もとてもすばらしくて、 映像や写真での提供が出来ずに残念に思うほどです。」

この感想からも、上演の楽しさが伝わってきます。
私としては、何ヶ月にも渡るこれらの取り組み、そして上演の仕上げなど、 どれだけご苦労いただいたかと想像を めぐらして、感謝するしかありません。


2017.10.1
フェイスブック

〈9月7日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

俳句なぞ詠んでるときです朱い月

  (あべのハルカスにて)
エレベーターに黒革のチェロ月の友

石鏃を見せびらかす子いちじく爆(は)ず

玉音の正午空蝉の傷ますぐ

夏痩せや句集まるごと追悼句


世の雲行きを眺めていると、こんなときに俳句を詠んでいていいのだろうかと考えてしまいます。でもそんな思いは吹き飛ばして、どんどん俳句を詠んでいればいいのだ、という思いが最初の一句。
三句目、無花果は私が住んでいる河内の特産。そしてこのあたりの田んぼでは石鏃を拾うこともまれではありません。
四句、五句は句帳から拾ったもので、夏の句です。
ということで、今日は月の句。

月の人のひとりとならむ車椅子 角川源義」


〈9月20日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

人の灯明わが火に継がず曼珠沙華

  (村のお墓)
彼岸花供華に隣りて供華ならず

彼岸花の畦の蝮に農走る

地に口づけることなき国の曼珠沙華

母か妻かの車椅子押し萩の花

数年前、四国八十八ヶ所一番札所の霊山寺にお参りして灯明を上げた時に、傍にいた人が教えてくれたこと、他人の蝋燭から火を点けると、その人の「業」を貰ってしまうと言われているそうです。
四句目、『罪と罰』のソーニャ。
ということで、今日は彼岸花の句。

老の矜持たもつは難し彼岸花 滝川あい子

たしかに、たしかに・・・。」


〈9月28日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

忌の朝(あした)金木犀の花ほとり

残り雨木犀の香に辺(ほとり)せむ

風の子の風持ち来たり花芒

木の又に縅銃(おどしづつ)聞く子でありき

吾(あ)を生きるいのちや真夜の虫しぐれ

汝(な)を生きしいのち遺影の紫苑かな

庭の金木犀が咲き始めました。今日の雨、明け方は一時強い降りでしたが、今は残り雨程度。
四句目、私の子供時代。
五句、六句、先日の朝日新聞「折々のことば」(鷲田清一)に「今、いのちがあなたを生きている」(真宗大谷派東本願寺)ということばが取り上げられていました。これまでも耳にしていたことばですが、あらためて考えさせられました。
「2011年に催された親鸞上人の七百五十回遠忌のテーマ。私が自らのいのちを生きるのではなく、いのちが私を生きていると考えるように呼びかけた。」(鷲田清一)とあります。この考え方は、たとえば「山寺」のホームページで有国智光さんのエッセーなどで馴染んできたもので、私もそんなふうに考えたいと思っています。
ということで、今日は金木犀の句。

妻あらずとおもふ木犀にほひけり  森澄雄

哀悼の思いに寄り添うように金木犀の香り。」


2017.10.1
俳句

〈9月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


 (『賢治先生がやってきた』の公演で)
天の川舞台の壁に風孕む

 (近つ飛鳥から)
山むかふ遠つ飛鳥も良夜かな

月光に菊の挿し木の傾きて

喰らふ浄土喰はるる浄土枯蟷螂

俳句なぞ詠んでるときです朱い月

  (あべのハルカスにて)
エレベーターに黒革のチェロ月の友

石鏃を見せびらかす子いちじく爆(は)ず

玉音の正午空蝉の傷ますぐ

夏痩せや句集まるごと追悼句

河内野に頭(づ)大き仏良夜かな

風鎮の見つからぬまま秋思かな

いじられキャラの戦闘モード子蟷螂

宵闇やくっつきむしが裾につく

甲斐犬と駆くる老骨葛の道

登高や定点カメラに友の妻

鶏頭や山襞見ゆる父母の墓

蜩のはや鳴きをさめ悔い残る

阿修羅像もCT撮る世のとろろ汁

老いてなほ繊細なぞと曼珠沙華

第二芸術半ばは噛めぬとろろ飯

 (昭和十三年十月ヒトラーユーゲントが千早城跡に)
ヒットラーユーゲントの道曼珠沙華

人の灯明わが火に継がず曼珠沙華

  (村のお墓)
彼岸花供華に隣りて供華ならず

彼岸花の畦の蝮に農走る

地に口づけることなき国の曼珠沙華

母か妻かの車椅子押し萩の花

雀蜂巣を響(とよ)もして月朱く

晩年の隠れ煙草や月の暈(かさ)

 (得生寺の丈六阿弥陀仏は伏し目がち)
丈六の伏目に高き紫苑かな

 (明和七年九月オーロラを見た記録)
秋桜オーロラ見たる京の禰宜

忌の朝(あした)金木犀の花ほとり

残り雨木犀の香に辺(ほとり)せむ

風の子の風持ち来たり花芒

木の又に縅銃(おどしづつ)聞く子でありき

吾(あ)を生きるいのちや真夜の虫しぐれ

汝(な)を生きしいのち遺影の紫苑かな



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