「うずのしゅげ通信」
2017年12月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2017.12.1
ショートSF「救世主」
最近、分子生物学からその応用としての遺伝子工学が進んで、ゲノム解析、ゲノム編集とかも
できるようになりました。
ゲノム編集技術で受精卵に改変を加えて、病気の可能性を封じたり、自分の理想とする子どもを作る、といったこともできる時代に入ろうとしています。
これでいいのでしょうか。これこそ神をも恐れぬ仕業なのではないでしょうか。
人間の浅はかな知恵によって、人類そのもののありようを変えようとしている、私には
そんなふうに見えます。
良寛さんに「死ぬる時節には死ぬがよく候」ということばがあります。死ぬる時節を何かに、たとえば
それを天と言ってもいいかもしれませんが、天に任せているわけです。
人間の生そのもの、生のありようも、天に任せるといった謙虚さが必要なのではないでしょうか。
それを、ゲノム編集技術で、自分の思い通りの自分、あるいは子どもを作る、そんなことをすれば、
それこそ天罰が下ることは必定だと思います。
良寛さんのことばをお借りして「滅びる時節には滅びるがよく候」とも考えますが、あまりにも
未来世代が不憫な気がします。
ゲノム編集技術の問題はこれまでも障害をもって生まれてきた人の親にとっては他人事ではない重要な
問題でした。障害をいまさら消去できないことはもちろんですが、障害そのものをどのように
考えるかによって現に障害を持っている自分の子どもをあらためて精神的に殺してしまいかねないほどの
重大問題だったのです。
そういった問題を考えるために、私は以前にショートショートと銘打って、短いSF小説のような
ものを書きました。
「救世主」という題名で、考える素材にはなるかと思います。
興味がお有りの方は読んでみてください。
ショートSF「救世主」
−健人くんと賢治先生の時間を駆ける二人旅
2009.12.1
2017.12.1
フェイスブック
〈11月8日にフェイスブックに投稿したものです。〉
「今日の拙句です。
(近鉄電車で古市から橿原神宮前へ)
二上(ふたかみ)の女男(めを)入れ替わる山紅葉
(天平乾漆群像展)
阿修羅秋愁母の祈りの臍(ほぞ)ひとつ
秋の声失せて阿修羅と直(ただ)にをり
南京黄櫨の紅葉阿修羅の顔に映ゆ
右手失する緊那羅(きんなら)の弾く秋の楽
(なら仏像館)
百体の仏楽しき花野かな
(奈良公園)
飛火野に角なき鹿の夜寒かな
遠二上(にじょう)鹿わらび餅二月堂
今日は雨、降り籠められて俳句を案じています。
昨日は奈良に行って、天平乾漆群像展と正倉院展を観てきました。
興福寺の天平乾漆群像展、やはり阿修羅像がすばらしかった。
こうして数メートルの距離で直にながめると一気に親しみが湧いてきます。
その後奈良町をあるいて、ゆっくりと昼食を食べ、正倉院展に。
平日ということで空いているかと思いきやかなりの人出。
仔細に観るどころではなく後ろから覗くのがやっとで、興味あるものだけを覗き見して、
早々に切り上げることに。さらに地下通路から仏像館に。
一目見て印象深い仏様の前で立ち止まっただけですが、
仏像百体となると最後にはさすがに疲れ果ててしまいました。
観ることよりも人に疲れてしまったようです。
それで、後は人混みをさけてゆっくりと奈良公園を散策することに。飛火野から二月堂まで歩き、
こちらにきたときは恒例にしている蕨餅をいただきました。
とろっとしてほんのりあたたかい甘みがあって、疲れた体に沁みるようでした。」
〈11月16日にフェイスブックに投稿したものです。〉
「今日の拙句です。
枯葉逝く音聞くために耳空ける
無愛想な神ばかりなり神の留守
腹腔鏡の痕凹みをり穴惑ひ
(天平乾漆群像展 三句)
秋の声失せて阿修羅に直向きに
秋愁ひ皇后(はは)の祈りの臍(ほぞ)ひとつ
半券の阿修羅も眩し秋日向
はじめの三句、いつもとはちょっと違う傾向のものを詠んでみました。
後ろの三句は先日奈良に行った時の阿修羅を詠んだ句。
(四句、五句は先日の句の詠み直しです。)
皇后に「はは」とルビをふるのは、阿修羅を作らせたと言われる光明皇后を念頭にしてのことですが、
そんなことが許されるのかどうか。どちらにしてもきわどい詠み方だと思います。
秋愁ひ母の祈りの臍(ほぞ)ひとつ
これでもいいのですが、阿修羅のことであると言いたくて皇后としたのです。
最初に詞書があるので母だけでもいいかもしれません。
ということで、今日は枯葉の句。
一大樹枯葉の円となりをはる 平井照敏
いま古墳公園を歩いていると、櫟が盛んに落葉しています。
私は、櫟の大樹が好きなのですが、その下を見ると、
まさにこの句にあるように落葉が円をなしています。」
2017.12.1
俳句
〈11月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉
新喜劇跳ねて時雨に開く傘
時雨るるや彼の居ぬ間の犬のこと
レコードに針落とす音ちちろ鳴く
「Hello Goodbye」が耳を外(はづ)れて雪婆
老いの死にいつしか淡し栗ご飯
現し世は前立ち拝む石蕗の花
エレベーターの静寂(しじま)かぼそき虫の声
(得生寺の丈六阿弥陀佛)
玻璃の影に丈六透けて秋の雲
身に入むや写真の裏に母の筆
冷まじや末路哀れも芸の内
だんぢりの小車(をぐるま)木の実ひろひかな
(近鉄電車で古市から橿原神宮前へ)
二上(ふたかみ)の女男(めを)入れ替わる山紅葉
(天平乾漆群像展)
阿修羅秋愁母の祈りの臍(ほぞ)ひとつ
秋の声失せて阿修羅と直(ただ)にをり
南京黄櫨の紅葉阿修羅の顔に映ゆ
右手失する緊那羅(きんなら)の弾く秋の楽
(なら仏像館)
百体の仏楽しき花野かな
(奈良公園)
飛火野に角なき鹿の夜寒かな
遠二上(にじょう)鹿わらび餅二月堂
散歩杖葎にあづけ翁の忌
葛井寺厨子開かぬ日の石蕗の花
時雨るるや父憐れみし父の歳
綿虫や老老が肩押して添ふ
河内野にべっぴんさんの大根かな
灯明田と代々呼ばれ冬耕す
ぎこちなき柏手に散る紅葉かな
枯葉逝く音聞くために耳空ける
無愛想な神ばかりなり神の留守
腹腔鏡の痕凹みをり穴惑ひ
(天平乾漆群像展 三句)
秋の声失せて阿修羅に直向きに
秋愁ひ皇后(はは)の祈りの臍(ほぞ)ひとつ
半券の阿修羅も眩し秋日向
犬出汁にして彼の不安を冬めきぬ
父の胼マタモ負ケタカ八連隊
曇りガラスを下から拭けば風邪の鼻
ジャグリング芸大祭に間に合はず
養護校の子らの手かりんにほひけり
セーターをかぶり三面六臂かな
ロボットの握手優しき芋煮フェス
犬出しに彼も不安の息白し
(「祝南京占領」の幟とかぼちゃ神輿)
「祝占領」のかぼちゃ神輿に銃後の母
着ぶくれて業者泣かせの仏の手
逆しか会へぬエスカレーター日短か
老いの訃にいつしか淡し神無月
河内野に初雪にして一夜雪
しづり雪エスカレーター降り立てば
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