「うずのしゅげ通信」

 2018年6月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2018.6.1
賢治劇もおおぐま座

この記事は、「うずのしゅげ通信」2004.1.1号に掲載したものです。「賢治先生がやってきた」のホームページを 開設して四年目の正月です。


「 「賢治先生がやってきた」も開店して4周年を迎えました。 おかげさまで、思いがけずたくさんの人に来ていただいて感謝しております。
このホームページ「賢治先生がやってきた」は、開店当初は脚本が5つで、 星座にたとえるとWの形をしたカシオペアのようなものだったのです。 それがいつのまにか星が増えて、ついにおおぐま座になってしまいました。
河合隼雄さんは、「コンステレーションを読む」というふうなことを言われています。 コンステレーションというのは、星座ですね。人のこころを星座のイメージで 考えておられるのです。いろんなこころの発露がありますが、 それらを一つの星のようにクローズアップして考えるのではなく、 こころ全体の中で捉える必要がある、つまり一つの星を考えるとき、 常に星座を念頭に、その中の一つの星であるというふうに読みとらないといけない、 ということでしょうか。
これは納得できる考えだと思います。
たとえば、養護学校の教師に一番向いているのはだれだろうかと考えて宮沢賢治という 結論をえました。その考えをもとに「賢治先生がやってきた」という劇を書きました。 これが一つの星です。つぎにざしきわらしの話をもとに環境問題について考えて 「ぼくたちはざしきぼっこ」という劇を書きました。これも一つの星。 また高等養護学校の性教育について考えたことを「イーハトーブへ、ようこそ」という 劇にしました。これも一つの星。そんなふうにして、 「養護学校生とのための宮沢賢治」という劇群ができました。 星が6つなのでカシオペア座。ところがそれではすまなくて、 おなじように賢治先生が登場するのですが、養護学校では上演できないような劇、 さらに手話劇まで書いてしまったのです。……そんなふうに書き継いでいるうちに、 何と星は14ばかりになって、おおぐま座ができてしまったのです。
それぞれの劇は、一つのテーマにそって考えたもので、それなりのメッセージを 込めたつもりです。しかし、わたしとしては、 賢治劇の「コンステレーションを読み」とってほしいという気持ちもあるのです。 現実問題としてはむり難題ですね。それはわかっているのです。 上演する脚本探しのためばかりではなく、脚本を読むという楽しみ方もありますよ、 ということを言いたいのです。(一度舞台を想像しながら読んでみてください。 脚本もけっこうおもしろいものですよ。)
それはともかく、賢治先生ものの脚本はこれで完結ということにします。 自分なりに星座ができあがり、もうこれ以上は書くことがない、という思いがあるからです。 昨年末、北の空のおおぐま座を眺めながら、そんなふうに決意しました。
では、これからこのホームページをどうするか、どのように進化させていくか、 それはまた考えていきます。何かアイデアがあればメールをください。お待ちしています。」


2018.6.1
フェイスブック

〈5月8日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

 (CT検査)
むらぎもの影を濃くする立夏かな

葉桜や落し文など妻の云ふ

 (朝日新聞阪神支局襲撃事件)
五月の雹散弾白きネガフィルム

 (ETV特集「わが不知火はひかり凪」の石牟礼道子)
遺書書けぬ死者もをります草の笛

なじめぬものまずは古里豆の花

 (散歩道で)
喜寿過ぎの迷彩服の薄暑かな

 (朋来る)
抗癌剤の間(あひ)か筍たづさへて

句帳から雑に分類されるような句ばかりを拾い集めました。
まずは今日のCT検査の句。
二年前に腎臓の摘出手術をしてからは、なかなか体調がもどりません。まあ手術すればそんなものなのでしょう。それは仕方ないとして、医者からは術後十年はフォローしますと言われていて、 その結果病院通いがめっきり増えました。人生にはそういう時期もあって、それを乗り越えるとまた平穏な生活がもどるかもしれないと、できるだけ楽観的に考えてしのいでいます。
三句目、以前に詠んだ句の詠み直しです。
ということで、今日は立夏の句。

今日立夏湯呑み茶碗を薄手にし  久染康子

夏が立つということは単なる気候の移ろいというだけではなく、生活のしつらえがそこで変わるということを改めて認識させてくれる句です。日本人はそんなふうにして生活ぐるみで季節を 創り上げてきたのでしょうね。」


〈5月19日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

  (目の手術 二句)
目の手術その前日のおほでまり

瞼焼くレーザーメスの薄暑かな

  (唐招提寺、普段はお身代り像ですが、六月に鑑真和上像の開扉があります)
お身代わりも鑑真和上も薄暑かな

 (賢治に「父よ父よなどて舎監の前にしてかのとき銀の時計を捲きし」 の歌あり)
父の日や賢治の父の銀時計

豆の花村の女も鬱を病む

エレベーター開く薄暑の屋上階

今週は目の手術のことがあってあまり散歩することができませんでした。目の方、見かけはかなり酷い状態ですが、徐々に回復しています。
四句目、いつの時代も父親と息子の関係は一筋縄ではゆきませんね。
五句、六句は以前の句を詠み直したものです。
ということで、今日は薄暑の句。

満目の草木汚さず薄暑来る  飯田龍太

頭でこねくり回した句ではなく、ほんとうの詩人の発想とはこういうものかと、おのずと脱帽してしまいました。」


2018.6.1
俳句

〈5月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


 (座敷に兜を飾る)
新樹光に飾り金屏立てにけり

燻し銀御陵の谷の野藤かな

春昼のわが経いまはの耳で聞く

芍薬や二十歳の母を訝(いぶか)しむ

 (父か母が遺しておいた昭和二十一年の官報号外)
憲法の官報号外雲母虫(きらら)かな

 (CT検査)
むらぎもの影を濃くする立夏かな

葉桜や落し文など妻の云ふ

 (朝日新聞阪神支局襲撃事件)
五月の雹散弾白きネガフィルム

 (ETV特集「わが不知火はひかり凪」の石牟礼道子)
遺書書けぬ死者もをります草の笛

なじめぬものまずは古里豆の花

 (散歩道で)
喜寿過ぎの迷彩服の薄暑かな

 (朋来る)
抗癌剤の間(あひ)か筍たづさへて

貧乏の味伝はらず麦の飯

ナイターや黄色き野次も河内ぶり

エレベーター開く薄暑の御堂筋

玻璃窓に新樹のいぶき残りけり

生意気のさかりも吹けぬ草の笛

石楠花や村の女も鬱を病む

ホーと叫び賢治も跳ぬる清和かな

濃紫陽花村の女も鬱を病む

  (目の手術 二句)
目の手術その前日のおほでまり

瞼焼くレーザーメスの薄暑かな

  (唐招提寺、普段はお身代り像ですが、六月に鑑真和上像の開扉があります)
お身代わりも鑑真和上も薄暑かな

 (賢治に「父よ父よなどて舎監の前にしてかのとき銀の時計を捲きし」 の歌あり)
父の日や賢治の父の銀時計

豆の花村の女も鬱を病む

エレベーター開く薄暑の屋上階

腫れ目して蝮しとめし手柄聞く

長靴の一声漏らす植田隅

帰り来れば向日葵五体投地して

蚊遣香紫煙の皿を回しけり

ナイターやノアの方舟人で溢れ



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