「うずのしゅげ通信」
2018年9月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2018.9.1
上演二つ
夏休み中に、ホームページで公開している脚本を上演したいという申し入れが二校からありました。
一つは九州の中学校からで、「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)の脚本を上演したいと連絡をいただきました。原爆をテーマにした劇です。原爆は1945年の出来事ですから、中学生にとっては、彼らの祖父あるいは曽祖父の時代の事件で、すでにして歴史そのものです。歴史の教科書で学ぶ内容です。
そんな彼らの今現在と73年前の原爆投下とを何とか繋ぐことができないかというのが、この脚本の狙いです。
それが成功しているかどうかはわかりませんが、彼らがそんな脚本に興味を持ってくれたことを
大変嬉しく思います。この上演が彼らに原爆について考える切っ掛けとなってくれればと願っています。
もう一つは東北の小学校から「ぼくたちはざしきぼっこ」を上演したいという申し入れがありました。
宮沢賢治に馴染みの深い東北の小学五年生が取り組んでくれるというので、これも嬉しい話です。
環境問題をテーマにした劇なのですが、内容は小学五年生でも十分理解できるはずです。
この脚本は、25年も前に書いたものです。最初は、私が勤めていた奈良の高等養護学校の生徒50人くらいで上演しました。その後、他の高等養護学校2校で上演していただきました。また、詳しく数えたことはありませんが、小学校や中学校でもいくつか上演されています。最初の上演から四半世紀もたっているので、部分的に古くなっているところもあるでしょうが、
そこはご指導いただく先生方が適当にアレンジしてくださるだろうと思います。どのような劇に仕上がるのか、観にいくことはできませんが、想像するだけでわくわくします。
以上二つ、夏休みの嬉しい出来事でした。
2018.9.1
フェイスブック
〈8月9日にフェイスブックに投稿したものです。〉
「今日の拙句です。
ミニトマト点して枯るる原爆忌
かまけゐて夕かなかなに黙祷ス
今日は長崎原爆の日。
家の庭のミニトマトの一本が赤くなりかけた実を数個付けたまま枯れ始めています。枯れてもおかしくない時期ではあるのですが、例年に比べて少し早めかなと思います。今年は夕立がほとんどなかったので水不足が枯れを早めたのかもしれません。
検査の影響があってやめていた散歩をまた再開しました。夕方歩いているとかなかなが聞こえます。ツクツクボウシも鳴きはじめました。
私の脚本「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)を秋の文化祭で上演したいという申し入れがありました。自己宣伝はどうかと思うのですが、この脚本は原爆をテーマにしたものなのでちょっと触れさせていただくことにしました。今の若い生徒たちに、原爆投下という七十年以前の出来事を、彼らにとってすでに歴史の抽斗にしまわれた出来事を、何とか身近なものとして感じ取ってもらいたいという思いがあって、そのために現代とのつながりに仕掛けを凝らした劇になっています。現代っ子の生徒たちがそれをどんなふうに演じるのか、また劇を観た生徒がどのような感想を持つのか楽しみです。
〈8月13日にフェイスブックに投稿したものです。〉
「今日の拙句です。
(八月十五日大仏殿の観相窓開く)
大仏の窓開かるる涼新た
白湯で飲む薬や母のすりりんご
(ブラジルに逝きし人)
天の川の果てで封する遺灰証明
リトルボーイがファットマンとや秋立つ間
「オーマイガッ」とたやすく云ふな原爆忌
法師蝉も参戦したる長崎忌
原爆忌雲遠ざけて昼の月
上の三句はお盆の句。
後ろの四句は、原爆を詠んだ句から拾い集めてきたものです。
大仏の句。東大寺大仏殿では、大仏さまの顔の前の窓が八月十五日に開かれるそうです。
六句目、検査入院をしたので、散歩を控えていたのですが、立秋のころからまた歩きはじめました。ツクツクボウシも鳴きはじめ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、それに朝夕は蜩も鳴きますから、にぎやかなものです。
三句目、天の川の句。外国から遺骨を持って帰ろうとすると、公的機関の遺灰証明がいります。ブラジルだと元の証明書はポルトガル語で書かれていて、アメリカ経由となると然るべき弁護士に英訳してもらった英語版も添える必要があります。
ということで、今日は新涼の句。
新涼の沼へかたむく電車かな 古沢太穂
沼に沿ってカーブをきる時、たしかに電車は「沼へかたむ」きます。体が傾きはっとする瞬間、そのはっとが新涼のはっとと照応しているような気がします。
2018.9.1
俳句
〈8月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉
(入院 五句)
癌病室歩く夜店のもくずがに
端居して老病名主の遠目かな
看護婦をはやも手なづけ遠花火
古参兵のごとき患者や夏の風邪
バーコードの腕輪外され草いきれ
(近つ飛鳥博物館特別展「慈雲尊者と高貴寺」を観て)
「打月」と云ふ墨蹟ありし慈雲展
けっきょくは布袋の軸で夏を越す
台風親しかつて雨戸を押し合ひし
噴水の見捨てらるるも哀れかな
(原爆二句)
掛け値なしに田水沸きたるかの日かな
手団扇で消すらふそくの蕊光る
ミニトマト点して枯るる原爆忌
かまけゐて夕かなかなに黙祷ス
(八月十五日大仏殿の観相窓開く)
大仏の窓開かるる涼新た
白湯で飲む薬や母のすりりんご
(ブラジルに逝きし人)
天の川の果てで封する遺灰証明
リトルボーイがファットマンとや秋立つ間
「オーマイガッ」とたやすく云ふな原爆忌
法師蝉も参戦したる長崎忌
原爆忌雲遠ざけて昼の月
われの一世に踊りの司会したること
きつねのかみそり一発芸はそれかぎり
玉音をきっかけに劇動き出す
手花火に飽きて焼くもの探しをり
(ろう学校の教師と)
遠花火手話のつぶやき見逃さず
(ブラジル往復)
一泊五日さかしまに着く月の帰路
(大腸内視鏡検査)
孟秋の大腸カメラ持つ異形
(永観堂)
扇風機みかえり阿弥陀御前に
蚊遣香瓦斯に灯せる父を見き
十薬のごと指さして父逝けり
赤猫餅を母の臼取り半夏生
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