「うずのしゅげ通信」

 2018年10月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2018.10.1
寛容の精神
2014年11月の投稿したものです。

「最近の風潮を見ていると、世の中に不寛容がはびこっているように思われます。 領土問題に端を発する嫌中、嫌韓の風潮、ヘイトスピーチのデモ、 あるいは従軍慰安婦問題や原発事故の吉田調書にかかわる朝日新聞の誤謬をあげつらい、執拗な批判を 繰り返す朝日たたき、元記者の勤務する大学への脅迫等々、 まさに不寛容が瀰漫しているとしかいえない様相です。
もちろんそういった批判にはそれなりの理由があるのでしょう。しかし、程度を超えているとしか 思われない執拗さがあります。不寛容が世の中を覆いつくしている感があります。 どうして、そんなことになったのでしょうか。不寛容が醸成されるのは、庶民の生活に 余裕がなくなったからだとも考えられます。派遣労働が全労働者の三分の一以上を占めるようになり、 若者の生活が苦しくなっていることもたしかです。また、いろんな災害が頻発して、 不安を醸しだしています。そういった傾向は温暖化が進むにつれてますます酷くなるかもしれません。 また東西冷戦構造が崩れたあと、 世界は無秩序の様相を強めているかにみえます。宗教が火種になって、世界をかく乱しているかのようです。 そういった種種の原因がもたらす不安が暗雲のように頭上に垂れ込め、閉塞感をもたらしているようです。 人々は不安に追い詰められています。そんな雰囲気の中で、人々に寛容な気持を 求めるのはむりなのかもしれません。寛容な気持を持つ余裕がなくなっているのです。
しかし、ここが踏ん張りどころではないでしょうか。ここで不寛容に流されてしまうと、 世の中がますます不安定になっていくように思われます。

そんなふうなことを考えていて、思い出すのは、E.M.フォースター(1879〜1970)のことです。
これまでにも、「うずのしゅげ通信」で何度か触れたことがあります。
フォースターはイギリスの保守的な小説家、思想家ですが、多くの学ぶべき文章を残しています。
大学の教養課程で英語の教材として学んで以来、私は、E.M.フォースターの 思想の真髄とでも言うべきものを、ことあるごとに思い出し頼ってきました。
彼の著作で手に入りやすいものとして、岩波文庫に「フォースター評論集」(小野寺健編訳)があります。 その中に、「寛容の精神」という文章が収められています。そこから少し引用してみます。

「寛容という美徳は、まことに冴えません。たしかに、おもしろみはなく、愛とちがって昔から マスコミには人気がありません。これは消極的な美徳なのです。要するにどんな相手でもがまんする、 何事にもがまん、という精神なのですから。
寛容を讃える詩を書いた人は誰もいませんし、記念碑を建てた者もいません。ところが、これこそ (第二次世界大戦の〈筆者注〉)戦後にもっとも必要な美徳なのです。 これこそ、われわれの求めている健全な 精神状態なのです。各種各様の民族を、階級を、企業を、一致して再建にあたらせることができる 力は、これ以外にありません。」

「寛容の精神は,街頭でも会社でも工場でも必要ですし、階級間、人種間、国家間では、 とくに必要です。冴えない美徳ではあります。しかし、これには想像力がぜったいに必要なのです。 たえず、他人の立場に立ってみなければならないのですから。それは精神にとって好ましい 訓練になります。」

とくに、民族、国家の軋轢に際して、寛容の精神が肝要だと言います。国家同士が国境線を接して、 つねにつばぜりあいを繰り返してきたヨーロッパにおいて、 永い歴史から抽出されてきた知恵なのでしょう。 そうでなくてはやってこれなかったという確信が、この文章から読み取れます。
E.M.フォースターは、また、それが「民主国家のとる方法」だと断言しています。

「ある民族が嫌いでも、なるべくがまんするのです。愛そうとしてはいけない。そんなことはできませんから 無理が生じます。ただ、寛容の精神でがまんするように努力する」ことが必要だと断じています。

上述のような現状にさらされている現代の日本人に求められているのは、まさに こういった寛容の精神なのではないでしょうか。われわれ日本人ははじめて対等に隣人と付き合わなければ ならない状況に、歴史上はじめて置かれるようになったのですから。
寛容の精神をおのれの信条とするフォースターの徒が増えてほしいと願うばかりです。」


2018.10.1
フェイスブック

〈9月2日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

麦とろや写真のカフカ眉毛濃き

古鏡研ぐ手触り硯洗ひけり

秋の蚊の相撲取るまでいつ太る

  (原爆開発を促す大統領宛の手紙)
八月のアインシュタイン悔いて老ゆ

水抜きに蛇の垂(た)り尾のふためける

蛇聡し半ば過ぎゐて引き返す

雲の峯賢治に蟇(ひき)の雲見あり

いよいよ九月、今回はいつもと傾向の違う句を、夏の句帳から拾い集めてみました。
一句目、以前カフカにのめり込んでいた時期がありましたが、結局身についたものは少なかったように思います。
三句目、狂言「蚊相撲」。
四句目、アインシュタインは、ルーズベルト大統領への原爆開発を促す手紙にサインしたことを悔やんでいると、晩年友人に打ち明けたそうです。
ということで、今日はとろろの句。

大食の子規の日記やとろろ汁  角川春樹

サラメシというNHKの番組を楽しんでいます。その中に「あの人が愛した昼メシ」のコーナーがあります。故人が愛した昼メシを当の料理屋さんが作られるのですが、そこでもし正岡子規が取り上げられたとすれば、いったい何の料理が出てくるのでしょうか。まあ、彼は悲しいことに晩年は出かけることもままならなかったので、行きつけの料理屋さんなどなかったでしょうから、好んで食べた食べ物ということになりますが。」


〈9月24日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

水澄みてジョバンニの指屈折ス

あかときに日ごと色えて曼珠沙華

空蝉の縦一文字阿修羅の背

  (十三回忌 三句)
子の忌日また賢治の忌良夜かな

無花果のぽとりと映る遺影かな

一泊五日桔梗の夜暗(やあん)遺灰抱へ

近つ飛鳥風土記の丘をよく散歩するのですが、公園の中には澄んだ湧き水が流れているところがあります。手を浸すと、かなりの冷たさです。
「銀河鉄道の夜」にジョバンニとカンパネルラが銀河の水に手を浸す場面があり、その描写が心に残っています。
下の三句は、心覚えの私俳句です。今晩は月はおぼろにしか見えませんが、昨日は雲がなく、煌々と輝く月を眺めることができました。
ということで、今日は水澄むの句。

まいにち水を飲み水ばかりの身ぬち澄みわたる 種田山頭火

これ、命終の極意かもしれませんね。」


2018.10.1
俳句

〈9月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


麦とろや写真のカフカ眉毛濃き

古鏡研ぐ手触り硯洗ひけり

秋の蚊の相撲取るまでいつ太る

  (原爆開発を促す大統領宛の手紙)
八月のアインシュタイン悔いて老ゆ

水抜きに蛇の垂(た)り尾のふためける

蛇聡し半ば過ぎゐて引き返す

雲の峯賢治に蟇(ひき)の雲見あり

鬼灯の色して今夜(こぞ)の火星かな

翁面の髭煤けをり竹の春

秋扇病衣の腕のバーコード

闇底に火打石打つ鉦叩

市上人の口より出でし葛の花

台風親しかつて雨戸を押し合ひし

人思ふ壺はむらさき思ひ草

梯子降り屋根屋が見入る曼珠沙華

まむしかと彼岸花踏み声に寄る

  (だんじり祭りの掛け声)
「チョーサジャ」の声ほむらだつ彼岸花

障子貼る母の霧吹き口で吹く

いのち詠むべし病棟に見る細き月

虫の闇病百床の電子音

広島の絵地図鬼灯一つづつ

水澄みてジョバンニの指屈折ス

あかときに日ごと色えて曼珠沙華

空蝉の縦一文字阿修羅の背

  (十三回忌 三句)
子の忌日また賢治の忌良夜かな

無花果のぽとりと映る遺影かな

一泊五日桔梗の夜暗(やあん)遺灰抱へ

盗人萩咲きて萩咲き友逝けり

金木犀ひかりの粒のごとく降り

軍事機密の風でありしよ秋桜

ものぐさになりて老いゆく地蔵盆



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