「うずのしゅげ通信」

 2019年1月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2019.1.1
年賀状+α

        謹賀新年

 本年もよろしくお願いいたします。

 今や古来まれでも何でもない古希を、それで
もありがたく迎えることができて、喜寿に向
かってさらなる一歩を踏み出せたことに感謝し
ております。

 お大師さんも踏みし石段ひなたぼこ
              (叡福寺)
皆様のご健康とご多幸をお祈り申しあげます。

               2019年 元旦

昨年は、「賢治先生がやってきた」の脚本が八本上演されました。
そういう意味では大変充実した年であったと思います。
しかし、上演は短い脚本に偏っているようです。以前にも書いたことがありますが、最近は学習時間の確保 ということで、文化祭や学習発表会の準備の日程が圧縮されていると聞きます。また、当日の プログラムも混み合っていて、一つの劇に与えられる時間が15分くらいに制限されていて、 長い劇は上演できなくなってきているのです。
学校劇は、準備段階でも、本番でも、そういった窮屈な条件の中で上演されているのです。
私がかつて勤めていた支援学校(高等養護学校)では、もう少し余裕があったように思います。 去年、東京学芸大学附属特別支援学校で「賢治先生がやってきた」を上演していただきましたが、支援学校にはまだそれだけの時間枠があるということでしょうか。
中学校や高等学校の演劇部の上演となると、少しは時間的な余裕がありそうですが、部員が少ないとか、指導できる先生がおられないなどの問題がありそうです。
それは残念なことなのですが、それはそれでしかたなく、そんな中で上演してもらうためには、そういった条件にそった脚本を書くしかありません。
しかし、上演時間が短いからといって内容が希薄になってはどうしようもありません。 登場人物の数に限りがあるからといって、内容がつまらなくてはなんにもなりません。 時間が短くても、人物が少なくても、劇としては内容の充実したものを、と願わざるをえません。
そういう意味で、今年は何とか短くても内容のある脚本を一本書けたらと考えています。 どういったものになるかはわかりませんが、ともかく年頭にあたり宣言をしておくことで、 自分に課題を一つ課しておきたいと思うのです。自分に対する励ましでもあります。
体調の関係もありますので、実現できるかどうかはわかりませんが、取りあえずは乞うご期待、ということにしておきます。
本年も時々は、このホームページ「賢治先生がやってきた」、あるいは「うずのしゅげ通信」を覗きに来ていただけたらと願っております。


2019.1.1
フェイスブック

〈2018年12月17日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

天の川の川湯に柚子の一夜かな

  (愚陀仏庵の漱石)
子規の咳二階に聞くも地獄かな

  (聖徳太子御廟叡福寺)
お大師さんも踏みし石段ひなたぼこ

母の霧吹き障子に昼の天の川

今年の冬至は12月22日。もうすぐですが、それもあってか柚子をいただいたのです。
その柚子を眺めながら「柚子湯もいいなあ」と考えていて、ふと浮んだ句です。
天の川に川湯があるならば、そこで柚子湯に入るのもいいだろうと。
二句目、子規が漱石の下宿に転げ込んで。
三句目、先日の句会の句を少し変えてみました。
四句目、母がまだ若い頃、自分で障子張りをしていました。貼りおえると、 シワを伸ばしてピンと張るために霧吹きで霧を吹きかけます。それがおもしろそうで、 母にせがんでやらせてもらったこともあります。
  ということで、今日は柚子湯の句。

古稀迎へけふの柚子湯のやさしけれ  小川昭江

「古希迎えけふの柚子湯」という一節、私にぴったりで引用させていただきました。とは言うものの私の場合は、古希を迎えてもう十ヶ月ばかり経っていますが。」


〈2018年12月24日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

吾子聞きし聖夜の鈴を孫も言ふ

  (手術の予後)
夜二回起きるも聖夜の鈴聞かず

ほぼあふむきに聖樹見あぐる車椅子

吹き抜けの聖樹見おろす老いの席

村一軒のクリスマスケーキかもしれず

今日はクリスマスの句ばかりです。
一句目、息子が幼い頃のクリスマスの朝、夜中に目が覚めて鈴の音を聞いたと真顔で話していたのを覚えています。そして、去年、孫がおなじように鈴を聞いたと話す場面に出くわしました。
二句目、手術の後遺症からなかなか開放されません。
三句目、昨年のことです。十二月になると、近くのイオンモールの吹き抜けに大きなクリスマスツリーが飾られます。三階に本屋があって、そこから見下ろしていると、一階のツリーのすそのあたりにほとんど仰向きの車椅子が押されて現れたのです。見上げている人の表情ははっきりとは見えませんでしたが、そのときの光景はいまでも記憶に残っています。

ということで、今日はクリスマスの句。

ここに酸素湧く泉ありクリスマス  石田波郷

手術後酸素吸入をしていたので、この句、一入心に染みます。」


〈2018年12月28日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

半減期を帰れぬ民や去年今年

クリスマス休戦もテト休戦もなく父よ

武器としての性暴力とや鎌鼬

今年最後ということで、句帳から破天荒な句ばかりを抜き出してみました。たまにはこういったやぶれかぶれもしてみたくなります。
ということで、今日は去年今年の句。

なまけものぶらさがり見る去年今年  有馬朗人

さて、今年もまた、世界は、帰還できない人々、戦争におののく人たち、性暴力の犠牲者たちをそのままに新年を迎えようとしています。なまけもののようにさかしまに見ると、それらがどのように違って見えるのでしょうか。」


2019.1.1
俳句

〈2018年12月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


義母の酢海鼠噛み切れぬもの噛めるもの

水琴窟に青い目集(たか)る開戦日

引きこもる少年の窓山眠る

自ずから落葉する気の色残し

社会鍋離れて一人ビッグイシュー

笛好きで煽る北風恐るる子

墓じまひの話など出て燗熱く

  (聖徳太子廟叡福寺)
一遍も踏みし石段日向ぼこ

老鶯に手術してけふ笹子鳴く

水仙や薬の白湯ににほひけり

谺して聞き取れぬ声開戦日

墓じまひの話など出て薬缶酒

初霜や白の輪郭と云ふ技法

賀状一筆白湯(さゆ)冷めてゆく手暗がり

  (捨て子の風習、吾もまた)
かりそめの「捨て子」の吾か着膨れて

湯豆腐や掌の上で切るたなごころ

病棟に時雨を知らず妻に聞く

天の川の川湯に柚子の一夜かな

  (愚陀仏庵の漱石)
子規の咳二階に聞くも地獄かな

  (聖徳太子御廟叡福寺)
お大師さんも踏みし石段ひなたぼこ

母の霧吹き障子に昼の天の川

吾子聞きし聖夜の鈴を孫も言ふ

  (手術の予後)
夜二回起きるも聖夜の鈴聞かず

ほぼあふむきに聖樹見あぐる車椅子

吹き抜けの聖樹見おろす老いの席

村一軒のクリスマスケーキかもしれず

半減期を帰れぬ民や去年今年

クリスマス休戦もテト休戦もなく父よ

武器としての性暴力とや鎌鼬


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