「うずのしゅげ通信」

 2019年3月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2019.3.1
カムパネルラの父

一月と二月に一句ずつ、十数年前に亡くした息子をカムパネルラになずらえた句を作りました。

  (ブラジルに逝きし人)
冬銀河カムパネルラは帰らざる

カムパネルラの父にはなれず冴え返る

一句目の句意は分かりやすいと思います。カムパネルラが銀河鉄道の終点あたりで消えてしまい、帰らなかったという、それだけの句です。
しかし、私の思いとしては、カムパネルラのように、息子もまた、銀河鉄道の終点である南十字星のあたりで消えてしまったのか、帰ってこなかった。南十字星のあたりというのは、私にとっては、南十字星が頭上に見えるブラジルのことと考えていました。そして、この帰ってこなかったという事実が、カムパネルラの家族と同じように私の家族が耐えなければならない事実でした。だからこの句は、カムパネルラになずらえて、息子を詠んだ句であり、十数年遅れの追悼句のつもりでもあったのです。

二句目、自分はカムパネルラの父にはなれない、というだけのことで、むずかしくありません。しかし、このカムパネルラの父については、少し説明が要るかもしれません。
「銀河鉄道の夜」を読んだ方はカムパネルラの父のことを覚えておられるでしょうか。物語の最後にちょっとだけ登場するのですが、彼の性格は際立っています。では、銀河鉄道の夜において、賢治はカムパネルラの父をいったいどういう人として描いているのでしょうか。
彼が登場する場面を見てみます。ジョバンニが銀河鉄道の旅から帰ってきて、出発の前にもらえなかったお母さんの牛乳を受け取りに牛舎に立ち寄り、それからケンタウル祭で賑わっている町に帰り着きます。すると人々があちこちで集まって何かひそひそと話している光景を目にします。
「何かあったのですか」と聞くと「こどもが水へ落ちたんですよ」という返事。
ジョバンニは胸騒ぎがして、急いで灯籠流しをする河にやってきます。
以下、その場面です。

−−−河原のいちばん下流の方へ州のようになって出たところに人の集りがくっきりまっ黒に立ってゐました。ジョバンニはどんどんそっちへ走りました。(中略)
マルソがジョバンニに走り寄ってきました。
「ジョバンニ、カムパネルラが川へはひったよ。」
「どうして、いつ。」
「ザネリがね、舟の上から烏うりのあかりを水の流れる方へ押してやらうとしたんだ。そのとき舟がゆれたもんだから水へ落っこったらう。するとカムパネルラがすぐ飛びこんだんだ。そしてザネリを舟の方へ押してよこした。ザネリはカトウにつかまった。けれどもあとカムパネルラが見えないんだ。」
「みんな探してるんだろう。」
「あ丶すぐみんな来た。カムパネルラのお父さんも来た。けれども見附からないんだ。ザネリはうちへ連れられてった。」
ジョバンニはみんなの居るそっちの方へ行きました。そこに学生たち町の人たちに囲まれて青じろい尖ったあごをしたカムパネルラのお父さんが黒い服を着てまっすぐに立って右手に持った時計をじっと見つめてゐたのです。
みんなもじっと河を見てゐました。誰も一言も物を云ふ人もありませんでした。ジョバンニはわくわくわくわく足がふるへました。(中略)
俄にカムパネルラのお父さんがきっぱり云ひました。
「もう駄目です。落ちてから四十五分たちましたから。」
ジョバンニは思わずかけよって博士の前に立って、ぼくはカムパネルラの行った方を知ってゐます。ぼくはカムパネルラといっしょに歩いてゐたのですと云はうとしましたがもうのどがつまって何とも云へませんでした。
(中略)
「あなたはジョバンニさんでしたね。どうも今晩はありがたう。」と叮ねいに云ひました。
ジョバンニは何も云へずにただおじぎをしました。−−−

宮沢賢治のこの場面におけるカムパネルラの父の描き方にはどうしても納得できない思いがあります。
決して冷たいというのではありません。あまりに理性的だと思うのです。
いくら博士と呼ばれる学者肌の父であっても、息子の生死を父親が時計によって判断する。そのことに対して私の中の何かが拒絶反応を示すのです。
宮沢賢治の若さがはからずも露呈したのかと。
もちろん「時計をじっと見つめている」カムパネルラの父の悲壮感はわかりつつ、ジョバンニに対する話しぶりなどやはり違和感が残ってしまうのです。
そういう思いがあって、上のような句を詠むことになりました。

ちなみに、「冴え返る」という季語は、ちょうど今のような季節、寒さが戻ってくることをいうものです。
「再びの寒気で心身の澄み渡るような感覚が呼び覚まされる。」と、角川の俳句歳時記には添え書きがあります。


2019.3.1
フェイスブック

〈2019年2月14日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

書皮にもならぬバレンタインの包装紙

しだれうめをさなはにほひひきよせて

サウイフモノニ ワタシハナレナイ 古希の春

春泥に刺せ縄紋の尖り土器

良寛もふくろふ聞くか雪明り

  (道明寺)
十一面は厨子に朧の観世音

今日はバレンタインデーということで、最初の句。
もともとは、

本カバーにもならぬバレンタインの包装紙

と詠んだのですが、調べてみると「書皮(しょひ)」ということばを発見して遣ってみました。
二句目、先日、近つ飛鳥風土記の丘を散歩していると、保母さん二人に連れられて2、3歳の子どもたち数人が梅林を散歩していました。
四句目、縄文土器に底の尖ったものがあります。尖底土器と呼ばれ、調理に使ったと言われています。底が尖っているので、置くわけにはゆかず、穴を掘って立てて、そのまわりで焚火をしたらしいのです。
ということで、今日はバレンタインデーの句。

老教師菓子受くバレンタインデー  村尾香苗

現役の頃を思い出して……? でも、こんないいことなかったですが。」


〈2019年2月19日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

  (叡福寺聖徳太子廟)
太子廟に香煙ひくき雨水かな

  (法隆寺)
春は夢殿さしでたまはる笑まひかな

ウインドヤッケに音立ち初むる春時雨

如月やどん底いつもずれてゐる

カムパネルラの父にはなれず冴え返る

遺灰まだよう納めずにけふ雨水

今日は雨水。
一句目、叡福寺の境内からもうひとつ石段を登ったところにある聖徳太子御廟の前には、大きな香炉が設えられていて、参拝者は線香を手向けることができます。
二句目、以前、春季特別開扉で見た救世観音の微笑が忘れられません。
ということで、今日は雨水の句。

地に降りて雀濡れゐる雨水かな 池田秀水

スーパーの駐車場で妻の買い物を待っているとき、雀や鶺鴒などが地面でエサを啄んでいるのを見かけることがあります。句にあるような景をみることも。」


2019.3.1
俳句

〈2019年2月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


須弥壇に触れぬがゆかし日脚伸ぶ

雪明りいまに忘れぬ妻をさな

われは狐火つま雪明りの季重なり

  (賢治の妹のトシ)
トシニフヰンステイダイビヤウヰンハヤリカゼ

煮こごりを喰ひそびれたる波郷かな

旗凍つる日や兵たりし父の靴

寒夜ひとりパソコンのごみ吸引ス

  (広隆寺の弥勒菩薩像)
春立つやなにつかむとなき仏の手

傘巻くは尾を巻くに似て時雨過ぐ

叉銃してどこに父ゐる寒牡丹

如月の雲速くして月速し

枝垂るるは花のみならず春時雨

  (風土記の丘の古墳群)
残雪や塚盗人の靴の跡

バレンタインデー村のをなごも鬱を病む

いぬふぐりほどなと漱石詠まざりき

法華寺は枝垂紅梅迎へけり

蔑(なみ)するなかれ不忘の碑の句春の風邪

書皮にもならぬバレンタインの包装紙

しだれうめをさなはにほひひきよせて

サウイフモノニ ワタシハナレナイ 古希の春

春泥に刺せ縄紋の尖り土器

良寛もふくろふ聞くか雪明り

  (道明寺)
十一面は厨子に朧の観世音

  (叡福寺聖徳太子廟)
太子廟に香煙ひくき雨水かな

  (法隆寺)
春は夢殿さしでたまはる笑まひかな

ウインドヤッケに音立ち初むる春時雨

如月やどん底いつもずれてゐる

カムパネルラの父にはなれず冴え返る

遺灰まだよう納めずにけふ雨水

葦つらぬきて薄氷の動かざる

水温む底に花粉は層をなし

象徴のあるべきかたち牡丹雪

  (辺野古の賛否を問う住民投票)
オキナワに蜂巣となりし山笑ふ


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