「うずのしゅげ通信」
2019年6月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2019.6.1
寛容の精神
これは、2014.11.1の「うずのしゅげ通信」の載せた記事です。
今の世の中、不寛容がますますはびこりつつあるように思われます。
日本だけではなく、アメリカもヨーロッパもアジアでも同様の傾向が見られます。
この文章に登場するE.M.フォースターの故郷であるイギリスでもまた、難民に対する不寛容が噴き出して
います。
そういうこともあって、何の力にもなりませんが、私なりの考え方を鮮明にするために、この
記事をもういちど載せることにしました。興味のある方は読んでみてください。
「最近の風潮を見ていると、世の中に不寛容がはびこっているように思われます。
領土問題に端を発する嫌中、嫌韓の風潮、ヘイトスピーチのデモ、
あるいは従軍慰安婦問題や原発事故の吉田調書にかかわる朝日新聞の誤謬をあげつらい、執拗な批判を
繰り返す朝日たたき、元記者の勤務する大学への脅迫等々、
まさに不寛容が瀰漫しているとしかいえない様相です。
もちろんそういった批判にはそれなりの理由があるのでしょう。しかし、程度を超えているとしか
思われない執拗さがあります。不寛容が世の中を覆いつくしている感があります。
どうして、そんなことになったのでしょうか。不寛容が醸成されるのは、庶民の生活に
余裕がなくなったからだとも考えられます。派遣労働が全労働者の三分の一以上を占めるようになり、
若者の生活が苦しくなっていることもたしかです。また、いろんな災害が頻発して、
不安を醸しだしています。そういった傾向は温暖化が進むにつれてますます酷くなるかもしれません。
また東西冷戦構造が崩れたあと、
世界は無秩序の様相を強めているかにみえます。宗教が火種になって、世界をかく乱しているかのようです。
そういった種種の原因がもたらす不安が暗雲のように頭上に垂れ込め、閉塞感をもたらしているようです。
人々は不安に追い詰められています。そんな雰囲気の中で、人々に寛容な気持を
求めるのはむりなのかもしれません。寛容な気持を持つ余裕がなくなっているのです。
しかし、ここが踏ん張りどころではないでしょうか。ここで不寛容に流されてしまうと、
世の中がますます不安定になっていくように思われます。
そんなふうなことを考えていて、思い出すのは、E.M.フォースター(1879〜1970)のことです。
これまでにも、「うずのしゅげ通信」で何度か触れたことがあります。
フォースターはイギリスの保守的な小説家、思想家ですが、多くの学ぶべき文章を残しています。
大学の教養課程で英語の教材として学んで以来、私は、E.M.フォースターの
思想の真髄とでも言うべきものを、ことあるごとに思い出し頼ってきました。
彼の著作で手に入りやすいものとして、岩波文庫に「フォースター評論集」(小野寺健編訳)があります。
その中に、「寛容の精神」という文章が収められています。そこから少し引用してみます。
「寛容という美徳は、まことに冴えません。たしかに、おもしろみはなく、愛とちがって昔から
マスコミには人気がありません。これは消極的な美徳なのです。要するにどんな相手でもがまんする、
何事にもがまん、という精神なのですから。
寛容を讃える詩を書いた人は誰もいませんし、記念碑を建てた者もいません。ところが、これこそ
(第二次世界大戦の〈筆者注〉)戦後にもっとも必要な美徳なのです。
これこそ、われわれの求めている健全な
精神状態なのです。各種各様の民族を、階級を、企業を、一致して再建にあたらせることができる
力は、これ以外にありません。」
「寛容の精神は,街頭でも会社でも工場でも必要ですし、階級間、人種間、国家間では、
とくに必要です。冴えない美徳ではあります。しかし、これには想像力がぜったいに必要なのです。
たえず、他人の立場に立ってみなければならないのですから。それは精神にとって好ましい
訓練になります。」
とくに、民族、国家の軋轢に際して、寛容の精神が肝要だと言います。国家同士が国境線を接して、
つねにつばぜりあいを繰り返してきたヨーロッパにおいて、
永い歴史から抽出されてきた知恵なのでしょう。
そうでなくてはやってこれなかったという確信が、この文章から読み取れます。
E.M.フォースターは、また、それが「民主国家のとる方法」だと断言しています。
「ある民族が嫌いでも、なるべくがまんするのです。愛そうとしてはいけない。そんなことはできませんから
無理が生じます。ただ、寛容の精神でがまんするように努力する」ことが必要だと断じています。
上述のような現状にさらされている現代の日本人に求められているのは、まさに
こういった寛容の精神なのではないでしょうか。われわれ日本人ははじめて対等に隣人と付き合わなければ
ならない状況に、歴史上はじめて置かれるようになったのですから。
寛容の精神をおのれの信条とするフォースターの徒が増えてほしいと願うばかりです。」
2019.6.1
フェイスブック
〈2019年5月12日にフェイスブックに投稿したものです。〉
「今日は「古墳群」の句会でした。
以下、拙句です。
木の床に革靴響く聖五月
老病棟に母は眠りて葉桜に
栃ノ心に医療用蛭田植時
仏前にたけのこ行儀悪きこと
(大阪芸大の薔薇園)
芸大の薔薇はアリアを聴いてゐる
(叡福寺の塔)
街道は塔にますぐや鯉のぼり
改元やスーパーで買ふ祭鱧
下の二句は席題の句です。席題は鯉幟と改元(平成、令和)でした。
選句をしていて類句がたくさんあることに気が付きました。特に葉桜の句など、三、四句、類想の句があり驚きました。こういった季題の場合、もう少し発想を飛ばしてもいいのかと思います。
結果は悪くなかったのですが、いろいろと考えさせられた句会でした。
2019.6.1
俳句
〈2019年5月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉
(子どもが小さい頃、庭木を利用して手作りぶらんこ)
子ら喜々とわがふらここのひねり癖
(孫三人が来て、二句)
三人子ひとりはふらここのあはひ
まず姉が冠りて飾り兜かな
(憲法記念日二句)
憲法記念日官報號外紙魚喰ふて
清志郎の君が代憲法記念の日
ふらここを立ちこぎて見る昭和かな
孫の名を忘れし友や揚雲雀
木の床に革靴響く聖五月
老病棟に母は眠りて葉桜に
栃ノ心に医療用蛭田植時
仏前にたけのこ行儀悪きこと
(大阪芸大の薔薇園)
芸大の薔薇はアリアを聴いてゐる
(叡福寺の塔)
街道は塔にますぐや鯉のぼり
改元やスーパーで買ふ祭鱧
水切りのアンダースロー夏来る
はつ夏のひかりを仕舞ふ金屏風
手のひらで切る危ふさも冷奴
(原民喜詩碑)
ぼうたんを崩るる花と思ひけり
女性客の頭越しなる氷水
筍茹でて犀の角犀の皺
更衣風をまとふは足裏まで
点滴の母の青あざ花菖蒲
緑蔭を斬りて絵筆の水払ふ
夕薄暑尾のなき蜥蜴前をゆく
火鋏にはさみ毛虫に緑の火
二行書きのHAIKU転々さくらんぼ
明易や亡き子のえにし夢に接ぎ
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