「うずのしゅげ通信」

 2019年7月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

脚本の自作、自演出ということ

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「賢治先生がやってきた」には、 こちらからどうぞ

2019.7.1
脚本の自作、自演出ということ

このホームページ「賢治先生がやってきた」には約30本の脚本が公開されています。
それらの脚本はすべて私が書いたものですが、そのうち自分が演出をして上演したものは三本です。
(他にも「男はつらいよ ー寅次郎と実習生ー」、「モモ」という自作、自演出の脚本が二本ありますが、公開はしていません。)

「賢治先生がやってきた」  (1997)

吉本風新狂言「ぼくたちはざしきぼっこ」 (1999)

「ぼくたちに赤紙が来た」 (2005)


自作、自演出は、そんなに多くないのですが、実のところ、自作、自演出は脚本にとってとても 大切なこと、というより脚本を完成させるための必須の条件のように考えています。
それはもう少し詳細に言えばつぎのような理由があるからです。
たとえば、私が、高等養護学校の生徒を想定して書いた最初の脚本、「賢治先生がやってきた」について考えてみます。
対象の生徒は高等部二年生五十人ばかりです。私は、一人に最低一つのセリフ、を原則としたいと 考えていました。たくさんのセリフを覚えることができる生徒もいるにはいました。 自閉的傾向のある生徒の中には、一人でほとんどのセリフを覚えることができる生徒もいます。 一つのセリフもむずかしいかもしれない生徒もいました。セリフを覚えることができても、みんなの 前で大きな声でセリフとして発声できるかどうかという問題もあったのです。 そういった場合、道具方か背景の色を塗るかかりとかに回すというやり方はあるのですが、 私はそれはいやだと思いました。 だから、一人に一つのセリフを絶対の原則にしました。何人かで声を合わすのもダメ、一人にその生徒だけの一つのセリフ。だから脚本の配役にはずらっと生徒名が並ぶことに なります。(後日のことですが、「モモ」を上演した学年には緘黙の生徒がいたのですが、彼は自分のセリフを吹き出しに書いて掲げることにしました。)
そんなふうにして、「賢治先生がやってきた」の脚本をかきあげて、練習に入りました。
しかし、実際に舞台で体を動かして、セリフをしゃべってもらうと、不都合なこともいろいろ出てきます。 途中で書き換えると、生徒が混乱するのですが、一部書き換えたセリフもあります。そのセリフに関しては関係するのは本人一人だけですが、他のものにも変更を知っておいてもらうために、 休憩時間、みんなに脚本を書き換えてもらったりしました。
そんなふうにして上演にこぎつけたのです。中には声が小さい生徒もいましたが、そこはしかたありません。とにもかくにも一人に一つのセリフを、生徒たちは、自分のセリフとして舞台で叫んだのです。
何年かして、卒業生にあったとき、自分のセリフをまだ覚えていて、驚いたことがあります。そういうことから考えても一人一セリフは意味があったのです。
ともかくそんなふうにしてやっと上演したものの、練習の途中で書き直したい箇所がいくつか出てきました。しかし、途中で筋を変更すると混乱をきたすので、我慢していたのです。終わってからそれらの箇所を手直ししました。 そんなふうにして、最終的に今の脚本にしあげていったのです。
単なる書下ろしではなく、練習の過程で書き直し、また上演した後で書き直ししてできあがった脚本なのです。
だから、自分が書いて、演出、上演した脚本は、たしかに上演可能だと自信をもって言うことができます。また、それなりに完成度もあるはずです。
(ホームページでこの脚本を公開すると、小学校からも上演の希望が寄せられたのですが、そんな場合は、一クラスの人数に合わせて、一人が二つのセリフを言うことにすれば、何人にでも対応できるわけです)
それに対して描き下ろしただけの脚本は、舞台を想像して書いただけなので、セリフのやりとりにも不自然さがあるかもしれません。また舞台の動きがぎくしゃくしているかもしれません。実際に演者の動きを見た上で手直しした脚本とはやはり違うと思います。
だから、そういった書き下ろしの脚本の場合、練習の過程で手を入れることを躊躇しないでほしいのです。
指導、演出していただく先生が、自分なりにどうもそぐわないと思えば、遠慮なく変えていただいてもけっこうなのです。自分もそうしてきたので、敢えて書かせていただきました。


2019.7.1
フェイスブック

〈2019年6月26日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

  (沖縄全戦没者追悼式)
噴水や摩文仁の丘に火炉支ふ

  (詩の朗読)
噴水に火を入るる日や命どぅ宝(ぬちどぅたから)

  (玉手山遊園)
遊具なき遊園跡に合歓の花

試歩に暮れ夕焼け河をのぼりくる

水無月の燕はたれもふりむかず

  (二上山からささゆりが咲いているとのメール)
ささゆりのメール弟背(いろせ)と呼びし山

水落つる音を尽くして滝の涼


ぼちぼちと三十分くらいの散歩をしています。家の近くからはじめて、車ででかけて近つ飛鳥博物館の周りを歩くこともあります。博物館の散歩は木陰があるのが魅力です。
一句、二句は、6月23日の「慰霊の日」に行われた沖縄全戦没者追悼式を詠んだものです。当然のことに、NHKのニュース7でも放映されていましたが、その中に、言葉は聞き取れませんでしたが安倍首相に対するヤジの場面もあって、NHKではめったにないことなのでおどろきでした。
五句目、近つ飛鳥博物館の外壁には燕の巣が数個あって、たくさんの燕が飛び回っています。今年二度目の子育て中とのことです。
六句目、妻の友達より二上山からメール。ささゆりが咲いているとのこと。大津皇子のことを思い浮かべて。
ということで、今日は噴水の句。

噴水を真中に夜が拡がりぬ  有馬朗人

噴水の水のように噴水から夜が拡がってゆくというイメージが魅力的です。」


2019.7.1
俳句

〈2019年6月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


  (入院十句)

水無月のいくたびを手にバーコード

  (手術室)
異装の国へわたげのごとき夏帽子

手術室は花のなき国滴れり

大和撫子も足蹴に開く手術室

立ち尽くす真昼の走馬灯の中

  (水道トラブル)
生きてゐる蛇口は滴りの途中

  (病室風景)
妻のトマト夕食になほ冷えてをり

病室のカーテンの襞走り梅雨

帰り来て蚊柱のこと苗のこと

仏壇に香きく思ひ梅雨に入る

  (入院の朝、額紫陽花が咲きはじめていました)
がくあじさい左手で音探りをり

カーテンの襞読む無聊走り梅雨

  (私の手術について医者と話していて)
笑いのツボにはまりし妻やさみだるる

  (病室で天安門の日のニュースを聴いて)
鍬形の幼虫じゃなかった天安門の日

口で吹く母の霧吹き虹新た

  (風外木高「涅槃図」が2019.4.9の朝日新聞に)
涅槃図をファイルに挟む孔雀ゐて

薄塩も塩のうまさの鮎の皮

たまさかに尻こちらむけ枇杷ふたつ

初蛍当つる子なりき真先(まさき)ゆく

白芍薬捨てらるるまで身を立つる

百合の蕊ティッシュにくるみ透かし見ゆ

  (2019.6.9香港で大規模デモ)
一国二制度と云ふ危ふさに額紫陽花

  (雨傘運動)
踏みしだかれてデモの雨傘七変化

さくらんぼマーク丸に柄七句選

あはれみもまた父子の情すもも酸し

  (さる人の思い出)
かひなきを枇杷うまかりきとのみ偲ぶ

LGBT側側迫る栗の花

  (沖縄全戦没者追悼式)
噴水や摩文仁の丘に火炉支ふ

  (詩の朗読)
噴水に火を入るる日や命どぅ宝(ぬちどぅたから)

  (玉手山遊園)
遊具なき遊園跡に合歓の花

試歩に暮れ夕焼け河をのぼりくる

水無月の燕はたれもふりむかず

  (二上山からささゆりが咲いているとのメール)
ささゆりのメール弟背(いろせ)と呼びし山

水落つる音を尽くして滝の涼



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