「うずのしゅげ通信」

 2022年1月号
【近つ飛鳥博物館にて】
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2022.1.1.
年賀

新年あけましておめでとうございます。
旧年中は、「うずのしゅげ通信」をご愛顧いただき、ありがとうございました。

昨年も、内容が、フェイスブックの投稿に重なることが多くなっていること、申し訳なく思っています。
フェイスブックの内容は短文ながらそれなりに考えて投稿しておりますので、それ以外にあらたに 稿を起こすのがつい億劫になってしまう、というのが実情です。これが歳をとるということかと痛感しております。

俳句とは、日常生活の「異化」だと考えています。「異化」は芸術の手法ですが、何も考えなければ通り過ぎてしまう 日常生活の細部に拘り、それを異化することで新たな面を発見し、詩の言葉で表現することによって、 惰性に流れがちな日常に違った感覚を導き入れ、 「生の感覚」を活性化する、そんな手法です。
俳句は小さい器であるだけに、体力的にむりなく創作できるということもあり、老人にはなじみやすい文学だと思います。
この歳になってなお創作の喜びを持つためには、まさに俳句しかありません。この十年ばかり、俳句に打ち込んできたのは その喜びがあるためでもあります。
そういう訳でこの「うずのしゅげ通信」、どうしてもフェイスブックに投稿した記事の再掲載という形になってしまいます。 ご容赦ください。

昨年と同じような年賀の挨拶になってしまいました。
今年こそは、あらたに稿を起こしてオリジナルの文章も載せたいと思いますので、何卒よろしくお願いいたします。


2022.1.1.
フェイスブック
〈2021年12月6日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

  (戦時中の「子供の科學」、二句)
開戦日ヤフオクに「子供の科學」

「子供の科學」といふといへども開戦日

ビニル傘を垣根に挿して師走かな

隠れんぼの像に掌を置き息白し

  (宝塚音楽学校生)
プラットホームの端に予科生十二月

  (十二月三日、妻と出かけた帰りの虹、二句)
時雨虹たちまち消えて夕茜

けふのこのあといくたびの時雨虹

師走といっても、今年は正月準備もそんなにしなくていいので、少しは気が楽というか気が抜けたような気分です。
「子供の科学」は小学生の頃、愛読していました。しかし、調べてみると、 「子供の科學」にも戦争中にくらい過去があったのです。Wikipediaによると、 「戦時色が強まるにつれ兵器関係の記事が増え、 海外との科学力の優劣比較などのナショナリスティックな記事も増えていった。」 「戦中は戦車や飛行機などの戦争に関係あるものを扱って発行を続けた。」とあります。
子供雑誌もまた、いわゆる翼賛体制の中に組み込まれていったのです。
三句目、散歩途中で見かけた家、生垣にビニール傘がさしてあります。
理由はわかりませんが、奇妙に心に残ったので詠んでみました。
六句、七句、夕方、少し時雨れたあと東の方に半円のみごとな虹を見ました。
雨が止んで虹はすぐに消えましたが、振り返ると西の空はあざやかな茜色。」

〈2021年12月13日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

似非仁丹の銀の甘さもクリスマス

狐火の闇聖夜となりし少年期

時雨去りたまりの水をはなれぬ子

木瓜の紅白思ひのままと言ふさうな

クリスマスをタブーにしたる教師われ

タマゴッチ育てるようにクリスマス

リベンジ消費今年ばかりはポインセチア

  (草田男の句「遥かに秋声父母として泣く父母の前」)
秋声遠し師への電話に夫人の嗚咽

クリスマスの思い出をいくつか詠んでみました。
何歳くらいのころかはっきりとは覚えていませんが、狐火を見た覚えがあります。
場所も狐火の様子もはっきりと覚えています。その狐火がいつのまにか消えていったのです。 言うまでもなく電灯の普及が一番の原因です。門灯や街灯がつきだすと狐火などはすぐに追いやられてしまうからです。 電気が普及するにつれて、村にクリスマスの風習が徐々に入り込んできました。
ラジオやテレビの影響が大きかったと思います。私が小学生の頃です。特にテレビの出始めは、 テレビのある家自体が珍しく、NHKの相撲放送を観るために、近所の老人が集まっていたのを覚えています。 テレビの影響力は大変なものでした。クリスマスはサラリーマンが増えるにつれてゆっくりとですが年末の行事にくりこまれてゆきました。 こんなふうにして、私の育った村からいつのまにか狐火が消えてしまい、 入れ替わるようにクリスマスが定着していったのです。昭和三十年代のことです。
一句目、三句目、以前の句を詠みなおしたものです。
八句、私の心覚えの句です。」


2022.1.1.
俳句


〈2021年12月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

  (戦時中の「子供の科學」、二句)
開戦日ヤフオクに「子供の科學」

「子供の科學」といふといへども開戦日

ビニル傘を垣根に挿して師走かな

隠れんぼの像に掌を置き息白し

  (宝塚音楽学校生)
プラットホームの端に予科生十二月

  (十二月三日、妻と出かけた帰りの虹、二句)
時雨虹たちまち消えて夕茜

けふのこのあといくたびの時雨虹

似非仁丹の銀の甘さもクリスマス

狐火の闇聖夜となりし少年期

時雨去りたまりの水をはなれぬ子

木瓜の紅白思ひのままと言ふさうな

クリスマスをタブーにしたる教師われ

タマゴッチ育てるようにクリスマス

リベンジ消費今年ばかりはポインセチア

  (草田男の句「遥かに秋声父母として泣く父母の前」)
秋声遠し師への電話に夫人の嗚咽

七こ数へて父の柚子湯の仕舞風呂

賭場囲むごとき子どもら夕落葉

「はい」されて手鞠わが手にさあどうしやう

大縄をまづくぐり抜け子がころぶ

  (元の家の跡地)
毀たれし更地の隅の龍の玉

  (少年時代の自分に問いかけるつもりで)
君の抽斗に北斗を指す独楽はあるか

旗日消え極月過ぐる軽さかな

旗日遷(うつ)りて八日底荷に十二月

歌声喫茶の相伴強ふるクリスマス

野水仙に乗り捨てられし竹ばうき

  (少年のころ、父と山に入り)
冬木立笹生に寝(い)ねて風遠し



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