「うずのしゅげ通信」

 2022年11月号
【近つ飛鳥博物館にて】
今月の特集

証城寺の狸囃子

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俳句

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2022.11.1
証城寺の狸囃子

引っ越しを機に写真の整理をしていて、右のような写真を見つけました。
小学校三年か四年の頃ではないでしょうか。
クラスで「証城寺の狸囃子」の劇をしたのです。劇というより歌とコントだったようです。
担任は伊藤先生。おそらく台本も伊藤先生が書かれたのだと思います。
劇の内容もセリフもどんな内容だったかもまったく覚えていません。
写真を見て、「そういえば『証城寺の狸囃子』の劇をしたなあ」とうっすらと思い出したのです。
それ以外のことは何も浮かんできません。
写真は、学芸会が終わって、学校の庭で先生に撮ってもらったのでしょうか。
どんな劇だったのか、セリフはどんなだったのかなど、すべて忘れているのですが、私にとって はじめて劇というものに触れた経験でした。
こころの底にこの経験が残っていて劇に興味を持つことになったのかもしれません。

教師になってからは、高校では演劇部のために、また養護学校でも文化祭での劇のために脚本を書き続けました。
とくに養護学校では、各生徒にかならず一つのセリフを舞台で言ってもらうという方針でやっていました。
生徒の中には卒業してからも、その一言を覚えていて、文化祭の話がでるとそのセリフを口にするものもいました。 養護学校の劇を作り上げるということは、それだけの重みのあることなのだと思い知らされました。


2022.11.1
フェイスブック

〈2022年10月20日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

  (幼稚園の園児の散歩、二句)
徴兵制のなき世をさなら木の実踏み

をさなければヌスビトハギを上着にも

昼はいつも妻が見つくる眉の月

菊月の心経滞(なづ)む母の忌に

いつものコースを歩いていると、幼稚園の園児たちの散歩によく出会います。」

〈2022年10月26日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

栗ごはん母の手剥きの残り渋

桔梗(きちかう)の庭老夫婦口少な

子は子なりに生死(しやうじ)はぐくむ秋薊

酔芙蓉の色の変わるも一日(ひとひ)かな

母は生栗を買ってくると、まず包丁で殻を剥がし、さらに包丁で渋皮を剥いていたようです。
だから少し渋皮の残った栗ご飯が炊きあがります。
でも、それが美味しかったのです。渋皮の味が栗ご飯に風味を添えていたのではないでしょうか。」


2022.11.1
俳句


〈2022年10月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

  (鏃を持つ少年)
芒切るためにも石の鏃かな

カーバイドの欠けととっかへ石榴の実

子蜥蜴もオーバーランするつづら折れ

金木犀のつぼむばかりに匂ひけり

夜も散りつぐや金木犀の花の暈

寝袋に夜は星見るか蓑虫も

  (肺炎で死にかけた話)
友の言ふいまはのひかり秋桜

終活は見果てぬ夢や黄落期

  (幼稚園の園児の散歩、二句)
徴兵制のなき世をさなら木の実踏み

をさなければヌスビトハギを上着にも

昼はいつも妻が見つくる眉の月

菊月の心経滞(なづ)む母の忌に

栗ごはん母の手剥きの残り渋

桔梗(きちかう)の庭老夫婦口少な

子は子なりに生死(しやうじ)はぐくむ秋薊

酔芙蓉の色の変わるも一日(ひとひ)かな



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