「うずのしゅげ通信」

 2023年5月号
【近つ飛鳥博物館にて】
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私俳句「ブラジルの月」(pdf)
私家版句集「雛の前」(pdf)
2023.5.1
タイパ


生きるというのは、ある感覚を持って耐えている状態だと思います。たとえば、身体感覚がそうです。
人は常に身体感覚を持して、それに耐えて生きている。身体感覚が無くなることは、すなわち死ということではないでしょうか。
しかし、人が生きているとき、持して耐えているのは身体感覚だけではありません。
他に耐えているものの一つに時間感覚というものもあります。時間感覚を持して、それに耐えながら生きているのが人というものの存在だと思います。
その時間感覚は、幼い頃から生活の中でやしなわれてきたものです。
農民には農民の、狩猟民には狩猟民の、現代人には現代人の時間感覚があり、その耐え方があります。それを身につけるのもまた それぞれ時代、環境によって違っている。
人の成長というのは、その耐性を身につけてゆく過程でもあるのではないでしょうか。
みんなが集まっている場面でも、人はそこに居ること、居るという時間感覚に耐えることを徐々に身につけてゆきます。
狩猟民が獲物をじっと待っている時間感覚も似たようなものでしょうか。幼いうちはじっとしておれなかったのが、いつの間にか父親のように 獲物を待つ時間感覚が身についてゆくのでしょう。
もう少し時間を拡張すれば、農民が毎日苗の成長を見守る時間感覚、それにも人は耐えなければなりません。
子供もまた、おのずからそのような時間感覚にも耐えるようになってゆきます。

映画を早送りで観る人が増えているようです。
タイパ(タイムパフォーマンス)というらしいのですが、映画を倍速で観て済ますというのです。
それでは入念に作られた映画を味わい尽くせなくてもったいないではないですか。
おなじようなことが、小説や思想書にもあるようです。小説はダイジェスト版で筋をなぞる。思想は要約したもので済ませる。

いったい何を求めて、小説や映画、あるいは思想書を読むのかと、ふしぎな思いがします。

小説や映画の登場人物に心を通わせる、ストーリーに自分を委ねて2時間ないし3時間のあいだ映画に没頭する。
その間は時間の損得勘定からも自由、また、自分からも解き放たれているはずです。
(彼にとってその自由感は少し不安を感じさせる時間感覚です。だから没頭する状態は、 その時間感覚に耐えている状態と言い換えることもできそうです。)
そんなふうにしてエンドロールまで登場人物に心を添わせるには 、つまり没頭するには、あるいはその時間感覚に耐えるには、もしかしたらある種の訓練が必要なのかもしれません。

タイパに拘る人物というのは、そんなふうな時間感覚にたいする耐性が弱ってきているのではないかと私は疑っているわけです。
もしかしたら、耐性が弱っているというだけではなく、成長の過程で、耐性が十分に身についていないのかもしれないという恐れもあります。


2023.5.1
フェイスブック


〈2023年4月25日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

春よ春浮遊写真にみな浮きて

蛇腹折りに春昼の影階(きだ)下る

「もういいよ」とほどよき遠さ春夕焼

失礼してとたんぽぽの苞(はう)和洋いづれ

訪ふて帰るさ鷲家口(わしかぐち)なる春の闇

最初の句、以前、近つ飛鳥博物館の広い階段のところで台湾かららしい一団に浮遊写真を撮ってと頼まれたことがあります。
気安く引き受けたものの、しかしこれがなかなかむずかしかったのです。
ジャンプが揃わないのとスマホのシャッターのタイミングが合わないので、みんなが浮いているように撮れないのです。
何度も撮り直したあげく、やっと撮れたときには、彼らの息がちょっと上がっていました。
二句は詠み直しです。
以前の句は、

蛇腹折りに春愁の影階(きだ)降る

というものでした。
階段の自分の影が蛇腹折りになっている、という写生句なのですが、 春愁と合わすには少しむりがあるかなということで春昼に変えました。意味はすっきりしたと思います。
・・・でも、先の句の方がおもしろいかもしれませんね。」


2023.5.1
俳句


〈2023年4月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

きのふよりけふのももいろはなのくも

花の塵風に毳(けば)立つ命なほ

散るよろこびの頬色にして花の塵

落花の道に轍ともなき筋二本

裏返る刹那に消ゆる花ひとひら

色あせて花や仔細に花蘇芳

  (小学校の藤棚に花)
いづれの御時(おほんとき)にも校長室に藤の花

  (河内から見る二上山)
二上山(ふたかみ)の悲劇裏から紫木蓮

アメリカを恨まぬふしぎ花水木

子供のころは老いてもかなし葱坊主

毳(けば)だちやすき老い困りもの花水木

  (テーブルに狐の置物)
蕨と灰も狐奏づるレストラン

立ち枯れの薊の棘の深さかな

  (近つ飛鳥古墳公園)
金の耳輪の出でし古塚山躑躅

  (雄岳、雌岳)
二上山(ふたかみ)の雌雄岳(めをだけ)巻きて桜道

  (先日の夜の雷)
春雷や起きゐることもたえてなく

「たんぽぽ、いた」とをさなが指せりほんにいる

春よ春浮遊写真にみな浮きて

蛇腹折りに春昼の影階(きだ)下る

「もういいよ」とほどよき遠さ春夕焼

失礼してとたんぽぽの苞(はう)和洋いづれ

訪ふて帰るさ鷲家口(わしかぐち)なる春の闇



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