「うずのしゅげ通信」
2023年7月号
【近つ飛鳥博物館にて】
今月の特集
高橋順子著『夫・車谷長吉』
フェイスブック
俳句
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
2023.7.1
高橋順子著『夫・車谷長吉』
〈2023年6月13日にフェイスブックに投稿したものです〉
時々図書館に立ち寄って本を借りてきます。俳句の本のときもありますが、それ以外の本も読みます。
選択の基準は興味に沿った活字の大きい本です。
先日、高橋順子著『夫・車谷長吉』という本を借りてきました。(写真)
車谷長吉さんの本はこれまでにも何冊か読んだことがあります。
妻の高橋順子さん(詩人)と二人の掛け合いで俳句も詠まれます。
二人の馴れ初めから、車谷長吉さんの死までを年を追って、エピソードを繋ぐようにして書いておられるのですが、
これがおもしろくて、目に負担をかけないために、一日に三十頁ときめて読み始めたのですが、なかなか止まらないほどでした。
長吉さんのエピソードにも惹かれるものがありますが、高橋順子さんのあしらいも描写も、
詩人の目があって、すばらしいですね。べたべたしていないところも。
2023.7.1
フェイスブック
〈2023年6月6日にフェイスブックに投稿したものです〉
「今日の拙句です。
たまさかに蛇も流るる螢川
蛍火や汀の闇に蛇もゐて
石垣の奥の蛍火蛇の闇
河内野にほうたるを狩る竹箒
汀より落ちし蛍の疾さかな
蛍這はせふと思惟像のごとき指
蛍籠数となる死のなほ軽し
蛇の闇しろばなほたるぶくろかな
幼い頃の蛍狩りを回想した句です。以前の句を詠み直したものもあります。
家の側を小川が流れていて、少し上の草葎の堤のあたりに、この季節になるとある夜ホタルが飛びはじめ、しばらくは楽しませてくれました。
その小川を流れてくるのか、時々家の庭に蛇が出ました。蝮がいたこともあります。
息子たちは蛍狩りを経験していますが、いまでは蛍はまったく見かけなくなりました。いつごろからそうなったのかははっきりとは覚えていません。
そのこともあって、七十年前の子どもたちは、どんなふうにして、
どんな思いをもって蛍狩りをしていたのかを詠むのも意味があるかと思い、蛍の句を集めてみました。
四句、蛍狩りというと竹箒をもってでかけました。箒で草の蛍を絡め取ったり、汀の蛍を掃いて川に落として、竹箒で掬ったりしていました。」
2023.7.1
俳句
〈2023年6月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉
(得生寺の丈六阿弥陀如来坐像)
座像八尺立つや泰山木の花
百の名の雨に打たるる濃紫陽花
鍵盤に指とどき紫陽花に雨
生死(しょうじ)に染まず木の又にゐてかたつむり
擂り小鉢に青山椒の残んの香
たまさかに蛇も流るる螢川
蛍火や汀の闇に蛇もゐて
石垣の奥の蛍火蛇の闇
河内野にほうたるを狩る竹箒
汀より落ちし蛍の疾さかな
蛍這はせふと思惟像のごとき指
蛍籠数となる死のなほ軽し
蛇の闇しろばなほたるぶくろかな
犬に笑ひかけられたとか梅雨晴間
(引越に)
井戸祓了へて覗くや夏の空
手移しの祖母のほうたる匂ひけり
(野菜畑の鴉よけ)
機械仕掛けの鴉の悲鳴栗の花
いつまで新参危なつかしくて端居なぞ
芸大の噴水色を塗り重ね
噴水に小一時間の虚ろかな
十薬生ふる原子野はどんなにほひや
原子野にまぎれず十薬匂ひしか
梅のへたほじくるもまた余生かな
頭から突つ込んで無事濃紫陽花
(「末路哀れは覚悟の前」は、桂米朝『落語と私』より)
末路哀れは覚悟の手前七変化
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