「うずのしゅげ通信」

 2024年1月号
【近つ飛鳥博物館にて】
今月の特集

新年のご挨拶、「甲種と言われ」

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俳句

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私俳句「ブラジルの月」(pdf)
私家版句集「雛の前」(pdf)
2024.1.1
新年のご挨拶、「甲種と言われ」
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は「賢治先生がやってきた」を応援していただきありがとうございました。
本年もよろしくお願い致します。

〈2023年12月9日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

  (戦後生まれですが、幼い頃言はれた記憶が)
世が世なら甲種と言はれ開戦日

世が世ならずも甲種はいやや開戦日

  (昭和の大阪高島屋前)
年末商戦ロケットがあり赤紙も

  (甲種合格)
褒め言葉でありし甲種や開戦日

開戦日の句を考えていて幼い頃のことを思い出して。
最初の句、幼い頃体が大きかったからか、「甲種合格やな」と言われた記憶があります。戦後しばらくまでは褒め言葉だったのでしょうか。
三句目、ちょっとローカルな句になってしまいましたが、今日の新聞に「大阪母親大会連絡会」によって大阪高島屋の前で赤紙が 配られたという記事があり、私も以前にそこで十二月八日に赤紙をもらったことを思い出しました。まだロケットが立っていたころです。」

2024.1.1
フェイスブック


〈2023年12月18日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

火の誘ひ火の粉かきたて年惜しむ

  (狐に化かされる話も1965年頃まで)
団塊世代が見し狐火を掉尾(とうび)とし

年年歳歳年相似たり冬至風呂

出土鏡は磨かぬ定め冬満月

吹き抜けに痩躯のアリアポインセチア

気温が急に下がって、やっと少し年の暮れらしい寒さになってきました。
二句、内山節さんの本(『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』)によると、 日本人は1965年ごろを境に狐にだまされなくなったというのです。小学生の私が狐火を見たのは50年代、
村で噂される狐に化かされたという話も、そのころから現実味のない伝承になっていったように思います。」


2024.1.1
俳句


〈2024年12月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

わが老いのなほの謀反気檸檬冷ゆ

  (鬼の子は蓑虫の別名)
停戦の難(かた)さや鬼の子も泣くか

ひと葉散りひと刻みする時計もがも

椿の額のありか訊かれし冬夜かな

千切大根干して子の部屋匂ひけり

  (大東亜戦史)
戦史読みゐし父の思ひや開戦日

吹き抜けに一人の聖歌寒々し

息白し老いの濁りといふもなく

内子座の奈落を下る開戦日

冷蔵庫の余命さびしき霜夜かな

  (戦後生まれですが、幼い頃言はれた記憶が)
世が世なら甲種と言はれ開戦日

世が世ならずも甲種はいやや開戦日

  (昭和の大阪高島屋前)
年末商戦ロケットがあり赤紙も

  (甲種合格)
褒め言葉でありし甲種や開戦日

火の誘ひ火の粉かきたて年惜しむ

  (狐に化かされる話も1965年頃まで)
団塊世代が見し狐火を掉尾(とうび)とし

年年歳歳年相似たり冬至風呂

出土鏡は磨かぬ定め冬満月

吹き抜けに痩躯のアリアポインセチア

  (十二月二十一日)
私事のやうに初雪つかのまに

影くきやかに冬の花芽の紫木蓮

停戦にまだきはあるか一陽来復

木匙ふくめば熱湧くごとき葛湯かな

クリスマス・イブとガザとの距離愁ふ

宇(そら)の眼力よき幼子や冬星座

作業所のカレンダーまた去年今年

木匙ふくめば熱あらたなる葛湯かな

風花も父母の墓前に花あふる

昼の月しばしとどめて小晦日(こつごもり)



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