「うずのしゅげ通信」

 2024年2月号
【近つ飛鳥博物館にて】
今月の特集

『俳句の向こうに昭和が見える』

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私俳句「ブラジルの月」(pdf)
私家版句集「雛の前」(pdf)
2024.2.1
『俳句の向こうに昭和が見える』


坪内稔典さんの著書『俳句の向こうに昭和が見える』を読んでいます。
八月十五日の玉音放送を聞いてということで、以下のような句が引用されています。

新しき猿股ほしや百日紅        渡辺白泉

  (詔勅を拝し奉り――小諸にて)
秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ      高浜虚子

  (八月十五日、終戦の大詔を拝す)
烈日の光と涙降りそそぐ       中村草田男

忍べとのらす御声のくらし蝉しぐれ   臼田亞浪

二日月神州狭くなりにけり       渡辺水巴

玉音のまぎれがちなり汗冷ゆる     日野草城

一本の鶏頭燃えて戦終る        加藤楸邨

寒燈の一つ一つよ国破れ        西東三鬼

それぞれを句を読んでいくと、その句のもとになっているのは

秋蝉、蓑虫→泣く
涙 → 降りそそぐ
御声 →くらし
二日月 →狭く
玉音→汗冷ゆる
鶏頭燃えて →戦終る
寒燈→国破れ

単純な連想ばかりです。

あなたは勝つものと思つてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ  土岐善麿

八月十五日のの衝撃を受け止める深さにおいて、自省の強さにおいて土岐善麿のこの歌に匹敵する発想を持った句はないのでしょうか。
むしろそういう発想において渡辺白泉の句の方が生活にねざした希望があって、輝いているような気がします。


2024.2.1
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〈2024年1月27日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

顔狙ふ街頭カメラ寒鴉

行く先々に顔識別の寒鴉

春風などどこふく風や古希過ぎの

侍従方に義理チョコ配つて大丈夫?

サンパウロ地の日矢の刺す九月の機窓

一月は、病院の検査、小手術などいろいろとありました。検査は一つひっかかってしまい、気がかりを抱えたままもうすぐ春です。 そんなこんなで、俳句も雑駁なものになってしまいました。
詠み直しがあったり、季節も冬、春、秋とまじっていたり、大丈夫(?)と聞きたいくらいですね。好き勝手に詠んだ結果です。 四句、最近よく耳にする「大丈夫」という言葉を遣ってみました。

〈2024年1月31日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

  (豆撒きはテトラパックの炒り豆で)
どうころんでも角立つ戦テトラ豆

芹の水古地図にはただ水とのみ

  (能登は……)
土までもやさしと聞くや蕗の薹

蕗の薹父晩年の焚火跡

機窓を射ぬく地の日矢九月サンパウロ

チューリップの芽が出始めました。これからが楽しみです。
蕗の薹もそろそろ顔を出す時期ですね。以前に住んでいた地所は新しい家が建って、 もう蕗の薹など残っていないかもしれません。
そんなことを考えていたら、以前に詠んだ句を見つけました(四句目)。 引っ越しするかなり前、父がよく焚き火をしていたところに蕗の薹が芽を出しているのを見つけたのです。
(五句目、私俳句「ブラジルの月」の中の一句)」


2024.2.1
俳句


〈2024年1月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

去年今年空に罅(ひび)なす紫木蓮

窓の曇りはいつも下半に去年今年

  (億劫(おくくふ)三句)
風花の地に墓碑銘の崩れゐて

風花は天の羽衣墓碑を刷(は)く

風花や億劫(おくくふ)の墓碑の一刷(は)き

  (入院の朝、いつも思ふこと)
いつか来るつひの入院帰り花

藁しべもひかる冬日や日向ぼこ

  (壺井八幡宮の千年の楠)
北風(きた)千年の森の風音楠大樹

ピン札二枚捌けぬ老いや大晦日

内視鏡の下剤に四日あはれなる

亡き父の気も佇ちまじる淑気かな

市民を撮るカメラ位置なら寒鴉

選挙立会亀鳴く話昼またぎ

わが古希を春風などと言はせない

春風などどこふく風や古希過ぎて

顔狙ふ街頭カメラ寒鴉

行く先々に顔識別の寒鴉

春風などどこふく風や古希過ぎの

侍従方に義理チョコ配つて大丈夫?

サンパウロ地の日矢の刺す九月の機窓

  (豆撒きはテトラパックの炒り豆で)
どうころんでも角立つ戦テトラ豆

芹の水古地図にはただ水とのみ

  (能登は……)
土までもやさしと聞くや蕗の薹

蕗の薹父晩年の焚火跡

機窓を射ぬく地の日矢九月サンパウロ



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