「うずのしゅげ通信」

 2024年7月号
【近つ飛鳥博物館にて】
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私俳句「ブラジルの月」(pdf)
私家版句集「雛の前」(pdf)
2024.7.1
看板

最近、読む本のほとんどは図書館で借りて読むようにしています。引っ越しに際して、 家にあった本の99.9%を処分してきたので、いまさら本を買う気がしないからです。
市立図書館の蔵書だけで、ほぼ間に合っているのです。
先日井上ひさしの脚本を借りて読みました。読んでいるうちにむずむずしてきて、 これはまずいのではないかという気がしてきました。このホームページで公開している脚本で、 まだこれでいいと納得していない脚本があるからです。
最初の脚本である『賢治先生がやってきた』は、自分で演出して上演もした脚本なので、 一応完成稿と考えています。そこから派生した脚本群もほとんどどこかで上演されていて、 また短くて目を通しやすいということもあって、そんなに瑕疵はないと思います。
「賢治先生もの」の他にもう一つ、力をいれて書いた脚本群があります。私は「原爆・原発三部作」と呼んでいます。
下の三作です。

「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)

朗読劇「竃猫にも被爆手帳を」

落語台本「地獄八景亡者戯もどき」

まず、一番力をこめたのが二人芝居「地球でクラムボンが二度ひかったよ」という脚本です。(現在は公開していません)
賢治先生(じつは車掌)が銀河鉄道のとある駅から望遠鏡で地球のあるあたりを見ていて、 ふだんは暗黒にまぎれている地球がピカッと光を発するのに気づきます。それを発端にはじまる劇なのです。 そのピカを究明することからストーリーが展開していきます。さまざまの情報からそのピカは原爆の閃光ではないかという 結論にいたります。地球の閃光が今ここに到着したのです。 しかし、その後の展開がどうしてもうまくいきません。最初の設定に無理があって、矛盾が乗り越えられないのです。
これまでは、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を読む鷹揚さでクラムボンを観てもらっていたと思うのです。 その鷹揚さが通用しない矛盾があらわになってしまったのです。 そこのところで、私はこの脚本を投げ出して、数年前、別に少し設定を変えた(改訂版)の脚本を書くことにしました。 二人芝居ではなく、数人で演じる普通の作りにしました。ストーリーも矛盾しないように変えました。 まさに彌縫策(びほうさく)で、自分を納得させていたのです。 しかし挑戦する意欲はありました。今回、私はもうこれが最後と心を決めて(二人芝居)に手を入れてみました。 が、やはりどうしてもうまくいきません。 ストーリーに矛盾するところがあって、訂正できないのです。結局もう捨てるしかないとあきらめました。 (二人芝居)を捨てて、つかえるところはつかって、(改訂版)に合体することにしました。 「地球でクラムボンが二度ひかったよ」の脚本を完成させるためにはそれしかありませんでした。 それで今回の版はどうにか納得できる脚本になったと思います。
朗読劇「竃猫にも被爆手帳を」、落語台本「地獄八景亡者戯もどき」の二つの長い脚本も、 この際だからと、気になっていた箇所を思い切って削ったりしました。書き換えたところもあります。 クラムボンも竈猫も上演されたことがあるのですが、作者としてはまだまだ不満があったのです。 落語台本もすこしだけ手をいれました。(なお、落語台本を漫才リレーに仕立て直した劇の脚本が別にあります)
そんなこんなで四、五日集中して、 目が疲れ、頭も疲れ、ふらふらになって、やっと修正をおえました。体力も知力もおとろえてきていることをまざまざと 思い知らされました。
これ以上さらに修正するのは無理だと思います。
ということで、ホームページの最初に、看板として掲げることにしました。



2024.7.1
フェイスブック


〈2024年6月25日ににフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

収まり悪き日時計の独楽夏至の雨

  (体育館に狂言一座)
太郎冠者が踏板渡る半夏生

  (慰霊の日の仲間友佑さんの詩)
梅雨明け梅雨入り(ついり)沖縄の青年の詩よ

田舎の小学校でしたが、狂言の一座がやってきたことがあります。私が5,6年生のころですから 、昭和34,5年のはずです。学校にそんな余裕があったということが不思議な気がします。
体育館の渡り廊下を歩いてゆく狂言役者を見た記憶があるだけで、演目が何であったのかなどまったく覚えていません。
三句目、今年の沖縄の梅雨明けは二十日、近畿の梅雨入りは二十一日、そして慰霊の日が二十三日、 ちょうどおなじころになりました。その慰霊の日の追悼式で朗読された仲間友佑さんの詩は聞くものを圧倒する迫力がありました。」

〈2024年6月27日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

生家跡白雨の幕を見て帰る

雷小さく雲を灯すや衛星ライブ

茜ほのかに梔子の花染まりをり

  (『夜と霧』のあのときの夕焼けを……)
ガザ越しにアウシュビッツの夕焼くる

この歳になると何が起こるかわからないから、詠めるうちに詠んでおこうと、このところせっせと作句しています。
できないときはどうしてもできないので、できるときにという思いもあります。
ただ上滑りしないように、それには気をつけているのですが、他人がみれば上滑りしているかもしれません。
俳句をやっていなければ思い出しもしないような小学校のころのこと、 あるいは父母の思い出などを記憶のかなたから引っ張り出してきて一句にできたときは、しみじみと俳句に感謝したくなります。」


2024.7.1
俳句


〈2024年6月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

  (紫陽花、五句)
雨の紫陽花花葉(はなは)の立つる音聴くや

雨の四葩(よひら)五線に書けぬ楽奏づ

四葩に雨教授に聞かすための楽

額の花の電子ピアノも楽しからんに

をさならがちぎるもがくのはなやさし

  (山椒の老木に)
木の股にかたつむりゐて斜め半跏坐

木の股にかたつむりゐて落つる夢

  (パラパラ漫画)
ゼノンの矢ぱらぱらぱらと霞的

草矢必中ぱらぱら漫画の霞的

鉄線の金色の蕊供花ならず

  (ギター部の女子高生ふたり)
夏服や自転車に背のギター立て

三次元プリンターまず柿の花

  (生家の窓際に蜜柑の木)
外闇の網戸に匂ふ花蜜柑

  (寝転んで)
昼の星見たくて顔に麦稈帽

怖がらせるもてのひらで切る冷奴

  (ギター部の女子高生ふたり)
夏服や自転車に背のギター立て

三次元プリンターまず柿の花

  (生家の窓際に蜜柑の木)
外闇の網戸に匂ふ花蜜柑

  (寝転んで)
昼の星見たくて顔に麦稈帽

怖がらせるもてのひらで切る冷奴

  (時々お茶を購入する茶園から)
鉄筆風略字も新茶だよりかな

空梅雨や足蹴に開ける手術室

  (生家)
十薬の生ふる家なり住み古す

書道部で買ひし団扇の「盡」の意味

  (2017年8月永観堂に)
たどり着きたる見返り阿弥陀扇風機

サイダー飲んで母は気鬱を払ひけり

近つ飛鳥の夏鶯に遠孔雀

収まり悪き日時計の独楽夏至の雨

  (体育館に狂言一座)
太郎冠者が踏板渡る半夏生

  (慰霊の日の仲間友佑さんの詩)
梅雨明け梅雨入り(ついり)沖縄の青年の詩よ

生家跡白雨の幕を見て帰る

雷小さく雲を灯すや衛星ライブ

茜ほのかに梔子の花染まりをり

  (『夜と霧』のあのときの夕焼けを……)
ガザ越しにアウシュビッツの夕焼くる



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