「うずのしゅげ通信」

 2024年11月号
【近つ飛鳥博物館にて】
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2024.11.1
原爆劇

(長いので興味のない方はスルーしてください)

原爆劇―ふたたび

被団協のノーベル賞受賞のニュースを聞いて、久しぶりに心からの感激を覚えました。
被団協は、原爆を絶対悪として捉えておられます。原爆の被爆死がとても人間的な死と言えるものではなかったからです。
私もそう思います。普通の戦死とは違う死だと思います。
私は原爆を扱った脚本をいくつか書いています。
その中の一つ『地球でクラムボンが二度ひかったよ』(初稿)で、その問題を劇化して考えています。
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』(初稿)は、『賢治先生がやってきた』という本を自費出版したとき、 そこに載せました。脚本サイトでも公開していました。
しかし、この『地球でクラムボンが二度ひかったよ』(初稿)には、根本的な欠陥がありました。
この脚本は『銀河鉄道の夜』を踏まえたストーリーになっています。
『銀河鉄道の夜』の作者である宮沢賢治は、銀河鉄道の車掌さんとして登場します。
登場人物の殆どは賢治童話の登場人物です。彼らは作者である賢治に敬意を表して車掌さんとは呼ばないで、 賢治先生と呼んでいます。
その賢治先生が銀河鉄道のとある駅から望遠鏡で地球の位置する空間を覗いていたとき、 地球がピカッと光るのを目にするのです。賢治先生が、気になってその原因を調べてゆくと、 その光は、広島にとてつもない爆弾が落とされた閃光ではないかという結論に辿り着きます。
その閃光が79年を掛けて、地球からこの銀河鉄道の駅に今到着したのではないかというのです。
そこから物語がはじまるのですが、興味のある方は覗いてみてください。
そこで、賢治先生は、地球から光を追いかけてきた電波で、 その閃光の原因が新型爆弾(原爆)ではないかということを知ります。
彼は地球に戻ろうと決意します。どうしても、そのままにしておくことができないからです。
しかし、今から光の速さで戻っても、79年後の2103年の地球ということになります。
つまり、原爆が投下された広島に駆けつけようとすれば、タイムマシーンにでも乗るしかありません。
そんな矛盾があるために、最初の脚本は、どうしてもうまく仕上げることができませんでした。
タイムマシーン問題や歴史問題など、自分の中の矛盾を解決していなかったために、 ところどころに根本的な矛盾を抱え込んだ脚本になっていたのです。 そのあたりを厳しく指摘する感想も寄せられたりしました。
それで、脚本の公開を長い期間中止していました。つまりは、その脚本を一度は捨て去ろうとしたのです。
しかし、賢治先生が銀河鉄道のとある駅で原爆の閃光を目にするという 最初のイメージを捨て去るのはあまりに惜しい気がしていました。
そういった思いから、数ヶ月前、奮起して書き直すことを決意しました。 自分の年令から考えて最後の機会だという思いもありました。
その結果が現在の『地球でクラムボンが二度ひかったよ』(最終稿)です。
最終稿を書き上げて、あらためて考えてみると、たしかに最終稿は初稿にあった矛盾はかなり克服されてはいます。
それはそれでよかったとは思うのですが、被団協がノーベル賞を受けるというニュースを知って改めて、読み返してみると やはり不満が残ります。なにかというと、最終稿の中ではストーリーの矛盾を避けるために 非合理な死を死ななければならなかった被爆死者に対する思いは 十分に書かれていないように思えるのです。 矛盾をかかえながらも 『賢治先生がやってきた』の本に載せた初稿の方がそのことについては詳しく書かれていると思うのです。
矛盾はあってもその事実に対する憤りは強く感じることができるはずです。
最終稿でも、その人間的な死を死ねなかった死者にたいする鎮魂の思いに少し触れた箇所もあることはあります。
賢治先生と大学士との対話がそれです。この星に届いた原爆のピカが光の化石と化しているのを いつか掘り出したいと大学士に打ち明けている場面です。
しかし、その鎮魂の思いが十分読み取れるかどうかはわかりません。
ストーリーの矛盾を取り除くために、非人間的な死を告発する場面を割愛したからです。 全体を矛盾なく流すためにそれは仕方ないことでした。
あらためて本に載せた初稿を振り返ってみると、 様々な矛盾を詰め込んだ中に被爆死を告発する私の強い思いも込められていたのです。その一点において、 捨てたはずの『地球でクラムボンが二度ひかったよ』(初稿)にも存在の意味があったのではないかと思えます。
原型は捨ててしまって本以外では読むことのできない未熟な初稿ですが、今では幾分かの愛着を感じています。


2024.11.1
フェイスブック

〈2024年10月22日ににフェイスブックに投稿したものです)

「今日の拙句です。

かをりの暈(うん)散り花の暈(くま)金木犀

〈推敲前〉かをりの暈(うん)散り花の暈(かさ)金木犀

  (柿を取る竿は「はさんばり」と)
一折りに甘渋五分の柿三つ

  (栗の木に雀蜂の巣)
栗落ちてバベルの塔の蜂騒ぐ

遅れていた金木犀、やっと咲いたと思ったら、もう散ってしまいました。
散り花が木のまわりに丸い暈(くま)のように残っているばかりです。
二句目、生家には甘渋両方の柿がなる木がありました。
百歳以上の古い木で甘渋ともにツヤツヤとして見かけはほとんど同じですから、素人目には見分けることができません。
しかし、慣れると、6,70%の確率で当たるようになったのです。
その柿、年を経てだんだんと渋の率が高くなってきました。ぼくたちは先祖がえりと言っていましたが、 理由はわかりません。引っ越す頃には甘が1割以下になっていたように思います。
三句目、近つ飛鳥博物館の駐車場に至る道の途中に栗畑があり、一本の栗の木に雀蜂が大きな巣を作ったことがありました。」


2024.11.1
俳句


〈2024年10月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

二度咲きの秋の桔梗の色ぞ濃き

暇つぶしと言ふも余生や秋の雲

産土(うぶすな)の味はこんなか零余子飯

  (何年か前、芸大の駐輪場にて)
レモンの木に少女ら群るる芸大祭

一字の遺言(いごん)残せしのみと蚯蚓鳴く

  (生家の古い金木犀、二句)
金木犀の中にゐて花浴びし罪

金木犀の中より花を見たる罪

夏風邪の咳吹つ切れぬ九月尽

  (高校の通学路に紫苑)
背にギター立つる自転車紫苑咲く

きつねのかみそり芭蕉の知らぬ西行墓

鬼灯が笛なればこれ唯一無二

をんなはうずゐをとこは風の紫苑かな

提灯をつけぬだんじり夕茜

明日開く金木犀の匂ひをり

それでもイエスと金木犀の匂ふかな

蜘蛛の糸金木犀の花いくつ

渋柿の渋味熟して透きとほる

蓑虫の木への愛着つまみかね

かをりの暈(うん)散り花の暈(くま)金木犀

〈推敲前〉かをりの暈(うん)散り花の暈(かさ)金木犀

  (柿を取る竿は「はさんばり」と)
一折りに甘渋五分の柿三つ

  (栗の木に雀蜂の巣)
栗落ちてバベルの塔の蜂騒ぐ

月の地平に露の地球を見しからは

葡萄一房呉音漢音飲む如く

白桔梗紫桔梗無愛想

  (カムパネルラ「何だか苹果(りんご)の匂(におひ)がする」)
苹果(りんご)のにほひ凹み具合も宇宙的

だんじりも迷ふ街場の秋桜



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