大空を翔る夢 Flight Simulator




 Flight Simulator 98 から Flight Simulator 2000

 昭和9年生まれの私は、昭和16年4月に戦時体制の下で国民学校と改称された小学校の一期生として入学し、その年の12月8日には日本は真珠湾攻撃の華々しい火蓋を切って大東亜戦争(第2次世界大戦)に突入しました。 当時の子供に与えられた夢は、ゼロ戦を駆って大空を駆け巡り、敵を殲滅する少年航空兵の姿でした。
 Microsoft の Flight Simulator 98 は、パソコン上で少年時代の夢であった大空を翔る飛行機を現実に近い形で操縦できる驚きのソフトでした。 その後、Flight Simulator 2000がより現実性を帯びた機体やシーナリーでフライトテクニックを楽しめるものに格段に進化した形で登場して、ソフト開発の飛躍的な進歩に驚かされたものでした。 これに応えて操縦感覚をより現実に近付けるために、CH社製のCH  FlightSim Yoke と Pro Pedals を購入し、応接セットの椅子を流用して左の写真のようなコックピットを製作しました。 





 Flight Simulator 2004 とパソコン自作の終焉

  お陰様でFlight Simulator 2000 の自家用操縦士の免許も無事取得して、墜落して機体が大破しても絶対に怪我をしない安全なフライトを世界中で自由に楽しむ事が出来ました。
 21世紀に入って、パソコンの高速化とソフトの厖大化はお互いに譲ることなしに際限なく進み、2001年6月には FlightSimulator 2000 の円滑なパーフォーマンスを狙ってAthlon 1.33GHz パソコンを自作することとなりました。 さらに、2004年1月には「Flight Simulator 2004 ACentury of Flight」のブリキ缶に入った「航空史100周年記念 初回限定パッケージ」を入手するチャンスにめぐまれました。 ところが折角 FS専用に組み立てた Athlon1.33GHz パソコンが FS 2004 の作動環境条件であるMicrosoftのDirect X9.0a以上を満たしていないということで再び 更なる高速パソコンを製作する必要に迫られることとなりました。 この4年半の間に製作した3台のパソコンのパーツの性能と価格の推移をご覧頂くとその驚異的な進歩と低価格化がお判り頂けるものと思います。 既にこの時点で、同じレベルの仕様でDELL Dimension 8300 はWindows XP と 17inchTFT込で15万円で入手でき、パソコンを自作する価格的なメリットは全く消滅し、趣味の領域のものとなりました。