王は、伍奢(ごしゃ)の二人の息子に使者を出しました。
この口上が、きたないというか、いやらしいというか、せこい。
「お前たちの父は忠臣である。故に無罪放免することにした。私は、お前たち親子にすまなく思っている。そこで、奢(伍奢)を宰相に任じ、お前たちにもそれなりの地位を与えたいと思う。奢はお前たちのことを憂えるあまり、心が疲れておるのでこうして王である私が使者を出したしだいである。父はお前たちに会いたがっているぞ。早く王城に来て、父を安心させてやるがよい」
なぜ、父である伍奢から使いが来なかったか、という理由がかなり苦しい。伍奢が息子を呼び出すことを拒否したため、王や費無忌は、けっこう苦労したようです。
伍子尚(ごししょう)と伍子胥(ごししょ)兄弟は、腰を落ち着け、ゆっくり話し合うことにしました。
ちょっと退屈な話になりますが、伍子胥、という人は、姓が伍、名は員(いん? うん?)で字(あざな)が子胥です。伍子尚も、おそらく字が子尚だと思われます(確認できず)。伍奢も、字が奢なのでしょうか。申し訳ありませんが、わかりません。
「父上が無罪放免されたというのだ、私は行く」
こう言ったのは、兄の子尚です。これに対して弟の子胥は、
「これは罠に間違いありません。のこのこ出かけていけば、三人そろって首が飛びますぞ」
と、兄に反対しました。伍奢の予測したとおりの、二人の反応です。
「それは私にもわかっている」
子尚はそう言い、さらに続けます。
「だが、父上が私たちに会いたがっているのだ。それに、私たちが王城に行かねば父上は間違いなく殺される」
「俺たちが行っても、どうせ殺されます」
「だからといって、父上を見捨てることは私にはできない。私は殺されることを覚悟で行く」
兄の子尚の心中は、最初から決まっていたのです。
「俺は反対です。いつか父上の仇を討つため逃げるべきです」
弟の子胥はそう言い放ちました。
二人とも、さすがに優れていると噂される人物です。王や費無忌の策などにだまされはしません。
「仇を討つとお前は言うが、仇を討てる保証などどこにもない。もし出来なかったら、皆の笑い者だ。だが、子胥よ、お前は逃げるがよい。逃げて、父上と私の仇を討ってくれ」
ここで「兄上・・・」なんて、伍子胥は言いません。何も言わずにうなずいて兄と別れました。
伍子胥は逃亡して、国を出ました。
王城へ行った子尚は、父の伍奢とともに、死刑になりました。
殺される前、伍奢は言いました。
「子胥が逃げたのなら、やがてこの国は危険にさらされるであろう」
予想は、ドンピシャリ当たります。
後の世、この国の人々は、伍奢の言葉を嫌というほど思い知ることになるのです。
前半(第六回)で、伍奢は、兄の子尚は来るが、弟の子胥は来ない、と予想して見事的中させましたが、なぜ、そう思うのか尋ねられるとこう答えました。
「兄の子尚は心根の優しい子でございます。たとえ、殺されるとわかっていても私を見捨てきれずやって来るでしょう。弟の子胥は、肝の座った強い子でございます。大きな目的のためならば、一時の恥などなんとも思いません。ですから、先を見越してやって来ますまい」
先、とは伍子胥が自分の仇を討つことを意味していたのでしょう。
先の見える伍奢のことです。すでに、自分の死を確信していたはずです。なのに、まるで他人のことを語っているようなもの言いは、すごいとしか言いようがありません。
伍奢は、有能な家臣としてこの国の行く末を読み、親として二人の息子の性格、そして行動までも読んでいたのです。
本当に、よく子を知る親です。
時は、春秋時代。
この国の名は楚(そ)というのですが、この後、最終的に伍子胥が逃げ込んだ呉(ご。第四回の最後に出てきた呉です)によって、首都が陥落し、あわや滅亡の危機に陥りました。その時には、伍奢と伍子尚を殺した王様──平王(へいおう)も、あの費無忌もすでに故人でした。ですが伍子胥は諦めません。平王の墓をあばき、死体を三百回むち打ったということです。伍子胥は、人生の全てが凄まじい。その最たるは死のときです。壮絶な死に様でした。
ちなみに、太子の奥様になるはずだった姫君は、秦(しん)の国のお姫様で、楚の国が滅亡の危機にさらされたとき、救援に来たのが秦でした。この秦は約二百八十年後、始皇帝(しこうてい)が出て初の統一王朝となる秦です。