■■■Diary ■■■
切手5.SEP.Sun.

街がまるごと世界遺産の

    ヴァレッタ (前編)
本日のスケジュール
午前 定期フェリーでヴァレッタへ




国立美術館〜国立考古学博物館〜
オペラ座跡〜勝利の女神教会
午後 中心街でランチ〜聖エルモ砦〜軍事博物館〜
聖パウロ教会〜アラゴンの オーベルジュ〜
大司教の家〜カーマライト教会〜マノエル劇場
カフェで休憩〜周辺で軽い夕食
   または、定期フェリーでスリーマへ戻り、
   ホテルで夕食後、バスで再びヴァレッタへ
PM 8:00〜9:00 騎士団のパレード
バス or タクシーでホテルへ
Hotel Fortina(Sliema)泊
=内部見学 / =外観のみ 
※ これは旅行前の計画で、
実際の行動とは異なっています。

目が覚めたら 2:40。ちょっと休憩のつもりで6時間以上も爆睡していた。でも正直言ってハナからそんな予感はしてたんだ。もうすっきり朝モードになっている。到着後に徹夜したせいで時差ボケというより完璧にズレている。でも日本時間でもなさそうだなー。4時間早いとすると‥‥インド辺りまでは来ているって感じ?
はっメール!! とにかく家にはまだ生きてることを報告せねば。
ところがいざ接続してみると "POPサーバーが見つかりません" だとぉ〜。色々いじくっているうちに東京のAPに繋がってしまったときは特に焦った。国際通話だもの‥‥。そうこうするうち、先にインターネットを見てからでないとメールが送受信できないことが判明。ド素人の私には理由も解らない。昨日や出発前のテストでは偶然その手順だったのかなー。何はともあれ、プールサイドで書いたメールと家への報告メールはなんとか巣立って行ってくれた。ふーっ。
冷蔵庫から赤ワインの1/2ボトルを出した。軽口だし気温が高いので赤ワインも冷えたほうが美味しい(それにしてもこんなに酒びたりでいいのかぁー???)。すっかりリゾート気分を取り戻して、他の友人知人へのメールを書いた。再び接続して、朝日新聞、マルタの天気予報、行きつけの掲示板、ひととおりチェックしてからメールを送信。いやー、カンタン、カンタン
シャワーを浴び、コーヒーを飲む。インド・タイムの私が好きなときにワインもコーヒーも飲めるのは素晴らしい。

photo-Breakfast 8時近くなって昨晩と同じメイン・レストランへ。窓際の席に案内された。プールサイドにはもう燦々と日が射している。朝食は普通のバイキングで、品数は多いほうだ。結局、スクランブルエッグ、ベーコン、焼きトマト‥‥と定番っぽく落ち着いてしまったけど。パンを乗せると電熱器を一周する間に焼き上がるという安っぽいトースターで遊んでみたくて、パンはトーストにしてみました〜。
食事をしながら今日の計画を検討。メモによればマルタの中心、ヴァレッタ観光になっている。やっぱりここから始めるべきでしょう。それに砦が公開されるのは土・日だけなのだ。だから日曜(今日)、祭日(イベントがある)、日・祭日休館の所を見る日、と3日間はヴァレッタに費やすつもりだった。スリーマ→ヴァレッタのフェリーにも乗ってみたい。昨日フロントで見つけたフェリーの時刻表にも "The fastest, coolest and most convenient way to travel between Valletta and Sliema" って書いてあるし。7:30、8:00、9:00、10:00‥‥それ以降は30分ごとに出発。今なら9時発のフェリーに余裕で乗れそうだ。ではそろそろ出かけるとしよう。

ヴァレッタ行きのフェリーを探しながら海沿いを歩いた。たくさんの船が係留されているけど、それらしき船が見あたらない。かなり歩いたなあ。とうに中心は過ぎているはず‥‥。そしてやっと見逃したのだと気付いた。引き返そう。今度は船だけでなく乗り場の表示も見落とさないようにしなきゃ。
思った通りだ。ほぼ中央にフェリーの立て看板(時刻表)が出ていた。先程は見かけなかったフェリーが停泊している。そうか! 船がヴァレッタから戻ってくる前に通り過ぎちゃったんだ! 20分ほど無駄に歩いたけど、まだ出発15分前。朝のお散歩をしたと思えば損はない。料金は大人、片道¢35(約\100)。乗り場に立っているおじさんに払ってチケットをもらい、船に乗り込んだ。
フェリー
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既に先客が数人乗っていた。それほど大きくない船はそれから数分の間にほぼ満席になった。皆、観光客のようだ。
9時。いよいよ出航。朝の光を浴びたスリーマのホテル群がどんどん遠ざかっていく。そしてヴァレッタの教会のドームが、砂色の建物が、ぐいぐい接近してくる。そして近づくほどに高い壁がさらに高くなって、その上の建物は見えなくなる。まさに城塞の街‥‥。10分弱の船旅でお手軽なクルーズ気分を味わえた。
下船して、さて何処へ行けばいいの?と辺りを見回した。とにかく上の道まで出なければ。フェリーで着いた人たちの多くは砦を目指すのか、左手の道を上っていく。私は街の南西にある美術館から始めたかったので、正面から右手のトンネルを抜ける坂道を上ることにした。地図を頼りにその先右の階段をさらに上る。同じルートをとった数人もバラバラになり、私一人きりになった。辺りはシーンと静まり返って、まるでタイムスリップでもしたような気分になる。左に折れると美術館があるサウス・ストリート(旧・宮殿通り)だ。かつてはこの通りにフランスのホテルが並んでいたらしいが第二次世界大戦で破壊されたそうだ。そうはいっても狭い通りには立派な建物が並んでいる。
ルーペ forMap
VALLETTA
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"最悪、閉館時間(美術館と博物館は2時、砦は5時)の前にその3つを回ればいい" と思っていた。それで夕方までほとんど時計を見なかったから、この後はどこでどれだけ時間を費やしたか、よく分からない。

★国立美術館 / 旧・海軍総督邸 (National Museum of Fine Arts)
open:夏期6/16-9/30は毎日7:45am−2:00pm(冬期は月〜土8:15am−5:00pm/日8:15am−4:15pmだそうだ)。祭日は休館。
建物は聖ヨハネ騎士団によって建てられたバロック様式の宮殿のひとつ。1571年建築、1761年から数年をかけて富裕な高官のために改築され、現在の外観となる。フランス占領下時代には司教の養成学校だったがその後、紆余曲折を経て、1821年からはイギリス艦隊、地中海総督の公邸となった。1962年にマルタ政府に返還された後に完全に復元され、1974年、国立美術館として公開された。
確かに立派な建物だけど派手な看板が出ているわけでもないので入口を前にしてやっとそれと判った。その上に掲げられたマルタの国旗が国立の建物であるという目印かな。暑いなか坂道を上がってきたから、涼しい屋内に入るとドッと汗が噴き出した。エントランス・ホールにはオジサンが一人受付に座っているだけ。汗を拭き吹き「おはようございます。外は暑いですね」 と挨拶すると、「あ、そ」 という程度の素っ気ないリアクション。どうもイタリアとは勝手が違うなあ。オジサンに入場料、ML1を払ってチケットをもらう。上のフロアーを左から回るように言われ、パラッツォの面影を残す優雅な階段を上がった。
ヴァレッタ南西
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2階(First Floor)は14〜17世紀のイタリアやマルタ、ドイツの絵画が展示されている。これといった著名な作品があるわけでもないけど、バラエティーに富んでいて意外と見応えがある。なにより国立の美術館を独り占めしてると思うと気持ちのいいことここだから出来ることじゃない? ゆっくり一巡りして階段を下りる。さっきのオジサンが次はこっちだよ、と奥を指さした。
1階(Ground Floor)は18〜20世紀の作品。最初の第14室には騎士団長たちのポートレートや上流社会の家族を描いたものが並んでいる。オジサンがやってきて描かれている人物を解説してくれた。無愛想だけど親切なのだ。ただ申し訳ないことに、せっかく教えてもらったことは右から左に抜けてしまった。マルタ史はガイドブックを流し読みしただけでほとんど頭に残ってないから、騎士団長を一人一人紹介されてもピンとこなかったのよ(そもそも単語の意味も解らなかったりするしねぇ)。オジサン、ごめんなさい。その部屋をひととおり説明して彼は持ち場に戻っていった。その先のフランス、イタリア、マルタの絵画も見て回る。
最後は地下。中庭の真下が広場になっていて誰かの個展をやっていた。画家の知り合いだろうか、何人か地元の人がその個展を見に来ていた。周囲の部屋は教会、病院、軍隊、政府などに分類され、銀器、陶器などが展示されている(常設)。
帰りがけに受付でこの美術館の画集を買った。価格は‥‥メモってないので不明(ほら、もういい加減)。オジサンにもう一度「解説をありがとう」 と言って美術館を出た。

美術館前のサウス・ストリートをさらに進むと、ひときわ賑やかな通りと交差する。メインストリート、リパブリック通り (Triq Ir-Repubblika) だ。交差点の角で斜め前方のオペラ座跡 (Royal Opera) の写真を撮った。私の背後でお友達とおしゃべりしていたお爺ちゃんが、「撮ってあげようか?」 と声をかけてくれた。願ってもないことだったので「ええ!お願いしますぅ〜!」 とカメラを手渡した。するとお爺ちゃん、「私がこのままコレを持って逃げたらどうするんだい?」 と駆け出す真似をしながら、いたずらっ子のような目で言う。"こんな人通りが多いところで?それにいくら運動不足の私でもこのお爺ちゃんを追いかけるのはそう難しくないでしょー" そう思いつつ、ものすごーく困った顔をしたらお爺ちゃんは満足そうに大笑い。若い者(彼にしてみれば)をからかって喜んでいるのね。そして私に立ち位置までアレコレ指示して写真を撮ってくれた。我ながら大げさと思える調子でお礼を言いながら、もちろんカメラは返してもらった。‥‥日本ではもっと大人しいのに(?)ここ数年の私は海外に出るとイタリア人に変身するのだ。









photo-Our Lady of Victories教会
リパブリック通りを渡ってまっすぐ進む。左手に警察署があった。"さっきの交差点で騒げば聞こえそうな距離じゃん" なーんて思ってしまった。その先、右手に目指す教会が見える。
勝利の女神教会 (Our Lady of Victories Church / Ta Vittoria)
某有名ガイドブックには<開10:00-12:00>と書いてあったので入口の階段を上がってドアを押したり引いたりしてみたが、閉まっていた。
この教会はマルタ史上最も重要な出来事、1565年のグレートシージ勝利を記念して、翌1566年ヴァレッタ最初の建造物として建設された。現在の形は1617年に完成。正面ファサードには法王インノチェンツォ11世の胸像が飾られている。彼は1690年、騎士団長の要請で司教と修道院長の口論を仲裁した。教会脇には第2次大戦後、初の労働党首相の像がある。
この後何度も前を通過したが時間が合わず、内部を見るチャンスはなかった。
注: グレートシージ(Great Siege/大包囲戦) ロードス島から撤退した聖ヨハネ騎士団が最後の拠点としたマルタを、1565年5月オスマントルコ軍は4万の兵からなる大船団で包囲。迎え撃つマルタ側の兵は9千人。4ヶ月に及ぶ壮絶な戦いののち、9月7日、騎士団側が1万人というシチリアの援軍を得ると、翌9月8日、すでに3万の犠牲者を出していたトルコ軍は撤退した。
この勝利を機に城塞都市ヴァレッタの建設が始まった(それ以前は砦だけだった)。ちなみにヴァレッタの名前はグレートシージで指揮を執った騎士団長、ジャン・パリゾ・ド・ラ・ヴァレット (Jean Parisot de la Valette/フランス人/在任1557-1568) に由来する。


勝利の女神教会の向かいはイタリア聖カテリーナ教会 (Church of St.Catherine of Italy)。その隣り、広場に面して建つのが首相官邸 / 旧・カスティーリャ、レオン、ポルトガルのオーベルジュ (Auberge de Castille Leon et Portugal) だ。オーベルジュとは騎士団宿舎のこと。ここについては後日(9/8ホテル周辺photoで)触れる。そして首相官邸の向こう隣りには私が9/7から4泊することにしている Castille Hotel がある。名家の邸宅だったという16世紀の建物。"そうだ! 通りかかったついでにリコンファームをしておこう!" 入口は首相官邸との間の道に面していた。中にはいると期待通り、由緒を感じるロビーだフロントのおじさんはとても愛想のいい人だけど、英語はかなりのマルタ訛り(=アラブ風)だった。予約を確認をしてもらい、「7日に会いましょう!」 と言ってホテルを出た。

次は博物館へ行こう。来た道を戻るのも芸がないので一本先の道からリパブリック通りへ出た。博物館は目の前。入口もこの通りに面していた。
★★国立考古学博物館 / 旧・プロヴァンスのオーベルジュ (National Museum of Archaeology / Auberge de Provence)
open:国立美術館に同じ。入館料:LM1。館内は撮影禁止。
プロヴァンス出身者の騎士団宿舎として、マルタの建築家 Gerolamo Cassar(ジェローラモ・カッサール/1520-1586/ヴァレッタを設計したフランチェスカ・ラファエルの後を受けて街を完成させた)設計により、1571〜1576年に建てられた。正面は18世紀初頭に改築されている。玄関部分は対になった柱が突き出ている。1824〜1954年にはイギリス人の集会所として使われていた。
B.C.5000年頃は人が住んでいたというマルタ。世界遺産に指定されている「巨石神殿」の文明はB.C.3000年以前、エジプトのピラミッドより古いそうだ。博物館の収蔵品のほとんどは、これらマルタ全土の神殿から出土した陶器、ジュエリー、石器、石灰石の彫像(供物)、テラコッタ‥‥。リニューアルされて間がないらしいエントランス・ホールには、いきなり石が置かれている。ハジャー・イム遺跡(12日に行く)の支柱つき祭壇だ。その先のメイン・ホールは先史時代ギャラリー。年代順にマルタの古代史を説明している。観光客に混じって地元の高校生(?)たちがパネルを熱心に読んでいた。私はよく解らない説明文をすっとばし、もっぱら図や模型から内容を推察した。
その奥がタルシーン遺跡の部屋。一番気に入ったのは、ばかでかいスカート姿の石像だ。ウエストから上がなく、スカートと大根足(それも桜島大根クラス!!)のみ。めっちゃ愛嬌がある像なのよ〜heart 。これは10日に訪れるタルシーン神殿に実物大のコピーが置かれているので、写真はその時に。古代マルタでは豊穣を象徴するふくよかな‥‥もとい‥‥Konishiki も負けそうな巨体の女神を信仰していたのだ。多くの女神像は頭(差込式)が消失しているが、別の展示室にある 『眠れる女神像』 は、頭部も残っているしポーズも悩ましげ(?)で珍しいものだった。
その後のフェニキア、カルタゴ、ローマ時代の展示があるはずの2階は改装中。それもあってか決して大きいとは言えない博物館だけど、なかなか面白い。

まだランチには早い‥‥でも歩き疲れたからどこかで休憩しよう。そう思いながら砦に向かって歩いた。リパブリック広場にカフェのパラソルが並んでいる。よく見ると2件。ガイドブックに出ていた Cafe Cordina は開店したばかりらしい。賑わっている Eddie's Cafe のほうに座った。そしてメニューを開くと "ローカル・ビール" に目が止まってしまった。¢50(\150 弱)だって!! ジュースやコーヒーより安い ヨーロッパでは夏のオープン・カフェでも熱いコーヒーを飲めるのが嬉しいことなんだけど、今日はビールに決〜めたっと。ウェイターが広場横の店内から注文を受けに来た。‥‥「ローカル・ビールのどれにします?」 も一度メニューに目を落として「うーん、どれがいいの?」 「では適当なのを選んできましょう」 「ええ、そうして。あっ、1/2パイントね」
ジョッキなので銘柄は判らずじまい。普通のラガー・ビールだった。マルタのカフェではチップをシビアに考えなくて良いみたいだけど、一人でテーブルを占拠していることだし¢10足して¢60払った。それからボーッとしたり昨日の日記を書いたりしながら1時間以上も粘ってしまった。
そろそろ出かけようかな。リパブリック通りをさらに北東へ歩く。騎士団長の宮殿を過ぎると下り坂になって、歩道は緩やかな階段に変わった。そこからは突き当たりの砦まで見通せる。
★★聖エルモ砦 (Fort St. Elmo)
open:土1:00pm-5:00pm/日9:00am-5:00pm
この戦略的に重要な地点は古くはフェニキアの時代から要塞で、古代ローマにも引き継がれた。14〜15世紀には船乗りの守護聖人、聖エルモの小さなチャペルがあった。騎士団が砦を建設したのは1552年。差し迫ったオスマン・トルコの侵略に備えて両サイドの港をガードするのが目的だ。しかし1565年のグレートシージで1ヶ月の壮絶な戦いの末、オスマン・トルコ軍に占拠される。奪還後、街が築かれるととともに再建、17世紀には周囲をさらに強化。1798〜1800年はフランスの支配となり、その後はイギリスの手に渡って兵舎として使われた。マルタが最初に第2次世界大戦で爆撃を受けて犠牲者を出したのもこの砦。イタリアが宣戦布告した1940年6月11日の翌日のことだ。翌年7月、イタリアのEボート(高速魚雷艇)にグランドハーバーに着いたばかりの護衛船を奇襲されて砦は再び表舞台に立つ。大戦中はイタリアの潜水艦を撃退するための重要拠点だった。緊張の日々が終わった現在、マルタ警察学校が砦の上部を使用している(だから土日のみ公開なのだろう)。下部では映画 『ミッドナイト・エクスプレス』で射殺シーンが撮影された。
こういう敷地の広い名所は入口探しで一苦労するものと覚悟していたのに、突き当たってちょっと右、客待ちしている観光馬車の向こうに入口があった。渇水状態の堀らしきものを渡る。[本日20時よりイン・ガーディア] という立て看板が出ていた。月2回、ここで騎士団のパレードがあるのだ。開催日が今日だというのはネットで調べてあったけど、これで確実。塁壁内部の薄暗い空間に受付があった。入場料¢50を払う。入場券はマルタ最古の砦、聖アンジェロ砦(ヴィットリオーザという町にある)のものと2枚綴り。通路を抜けると中央の広場に出る。目の前の階段から一番高そうな所を目指して上がってみた。もちろん見晴らしは良い。他の場所へは一旦、広場に下りてからでないと上れない。4つの角がある星形をした砦だからシンプルな構造かと思いきや、さすがに複雑だ。それにカンカン照り。一番暑い時間帯だ。数少ない日陰で休憩しながら片っ端から行ける場所に行って、海側、街側、砲台‥‥と写真を撮った。ガイドブックを見ると、入口でマップがもらえると書いてある。受付へ戻ってマップを下さいと言って渡されたのはコピー1枚。それでもないよりずっとマシ。広場を兵舎やチャペルが囲んでいるのが解ったのでチャペルの中も見学した。

砦を出て壁づたいに歩くと国立軍事博物館 (National War Museum) がある。
open:国立美術館、博物館と同じ。入館料:LM1
ヴァレッタ北東
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砦の一部を使って1975年にオープンした19〜20世紀の武器、軍の装備を展示している博物館。特にマルタにとっての"Second Siege(第2次包囲戦)"、第二次世界大戦の資料が多い。大戦で最もヘビーに爆撃を受けたのがマルタなのだ。中央にイタリアのEボートが置かれているのがひときわ目を引く。その奥に大砲やジープ。戦闘機 "Faith" もある。"Faith" はマルタに3機しかなかった第二次大戦初期の防空戦闘機のひとつだ。それを取り囲むショーケースやメインホール周辺の小部屋には細々としたものが所狭しと詰め込まれている。軍服、兵器類、ガスマスク、ヘルメット、写真、パスポート、手紙や書類‥‥。そういう小さなものが当時を物語っているようで興味深かった。でもこの博物館で一番有名なのは1942年に英国国王ジョージ6世からマルタの人々の勇敢な戦いぶりを讃えて贈られたGeorge Cross(十字勲章)だ。"Heroism and a Devotion that will long be famous in History" か‥‥。なんだか悲しいよね。最後に公式ガイドブックを買った。

しばらくスリーマを望む景色を楽しみながら海沿いを歩き、途中から中心部に戻ることにする。
リパブリック広場のもう一つのカフェ、コルディナ (Cordina) でちょっと遅めのランチにしよう。通りの向かいにある店内に入った。
Hobz biz-zejt(ホブスビゼイト。マルタパンにトマト、オリーブ、ケッパー、ガーリック、ペッパーのディップをのせたもの)¢95、フレッシュオレンジジュース¢65、ガス入りミネラルウォーター(グラス)¢30 を注文。まるで南イタリアにいるみたーい!! おいしぃ〜 VATが¢25 で計ML1.90。チップ込みでML2を払った。
午後
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隣のパレス広場(騎士団長の宮殿前)に観光馬車が3〜4台たむろしている。衝動的に乗ってみたくなってお兄さんに声をかけた。「料金はいくら?」 「ひとり?」 「ええ」 「じゃあ‥‥12ポンド(ML)でいいよ」 高いぼってる!! 「えー、何分で?」 「30分。ヴァレッタを一周して好きなところで降りて観光できるよ」 交渉の末、ML10にまけさせた。ほんとはもっと安くなるんだろうか‥‥。旅行を終えて振り返ってみれば、タクシー代や馬車は観光客向け相場というものがあって、それ以上はまけないように思える。仲間の中で先発が決まっているらしく、おじさんの馬車に乗ることになった。
騎士団長の宮殿脇を通ってグランド・ハーバー側へ出る。御者のおじさんが「下りてみるかい? いい眺めだよ」 と言うので下りることにした。展望スペースがあって、おじさんが指さしながら説明してくれる。グランドハーバーの向こうにはヴァレッタより古いスリー・シティー。真下はフィッシュ・マーケット。今日は日曜でお休みだそうだ。「馬車に乗ってる写真をとる?」 と聞かれた。もちろんお願いすると御者台に座らせてくれた。「この先の公園も行きたかったらどうぞ。私はここで待っているから」 それでローワー・バラッカ・ガーデン (Lower Barracca Gardens) にも入ってみた。
再び馬車に乗って、海沿いに砦の方へ。おじさんは病院跡や砦を教えてくれる。「砦はもう行ったかい?」 「ええ、今朝」 「今朝ならパレードは見た?」 「いいえ、パレードは今晩8時って書いてあったわ」 「そうか、夜になったのか。そりゃ知らなかった」 冬は日中パレードがあるのだ。さらにマルサイムシェット・ハーバー沿いを私がさっき歩いたよりもっと先まで進んで、町中へと戻る。町中の道はどこも坂道。上りも下りも馬が可哀想になる。ヨーロッパの人が2〜3人乗ったらさぞかしタイヘンだろうなあ。
所要時間は言われたとおりほぼ30分だった。「ありがとう、面白かったわ」 と言って約束のML10を払った。

リパブリック通りのみやげ物屋に入ってみた。日曜日に開いている数少ない店のひとつだ。しかもそろそろ店じまいの様子。時計を見ると3時を回っていた。とりあえず、絵ハガキや絵地図を買った。ML1.59
さあ、予定していたヴァレッタの北西側を見てこよう。静まり返った横道に入る。日曜の午後、ウロウロしているのは観光客。しかもリパブリック通りだけに集中しているのだ。まず近いところでマノエル劇場 (Manoel Theatre / Teatro Manoel)。1731年に造られ現存するヨーロッパの劇場の中で3番目に古いそうだが、爆撃で破壊されたので外観は新しい石造りの建物だった。ガイド付きツアーがあるらしい(日曜は休み)。
その先はカーマライト教会 (Carmerite Church)。私の部屋からも良く見える大クーポラはこの教会のもの。1570年にカッサール(前出)の設計で建てられたが、これまた第二次大戦の被害を受け、1958年に再建。中で一番目を引いたのは聖母マリア像だった。その前でショルダーバッグとカメラをさげたイタリア人観光客(珍しいことにオジサン4人組、出張のオフ日かしら‥‥)が真剣にお祈りを合唱していた。彼らが去るのを待ってマリア像をじっくり拝見。

ヴァレッタ北西
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その先に聖パウロ教会 (St.Paul Anglican Cathedral) がある。英国国教会で、内部は質実剛健というか、いたってシンプルだ。さっきのイタリアおじさん4人組も来ていた。
この教会裏(表?)の広場 (Independence Square) をはさんで向こう側はアラゴンのオーベルジュ (Auberge d'Aragon) だ。1571年建造。カッサールによって建てられた7つのオーベルジュの中でも最古のものだった。プロヴァンスのオーベルジュ以外では唯一オリジナルのコンディションを維持しているとガイドブックには書いてあったが、現在は政府機関が使っているからか外観は新しそうに見えた。
そのオーベルジュ前から騎士団長の宮殿方向へ行くと次のブロックが大司教の家 (Archbishop's Palace)。ここも公開されていないので外観だけ見て引き返した。

アラゴンのオーベルジュの脇にある階段を下りて海沿いに出た。そろそろスリーマに戻ろう。



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