■■■Diary ■■■
切手b8.SEP.Wed.

勝利の女神の祝日
本日のスケジュール
午前



聖パウロ難破教会〜ロウワー・
バラッカ・ガーデン〜騎士団病院跡
マルタ・エクスペリエンス
午後 昼食
レガッタ観戦
聖カテリーヌ教会〜イタリーの
オーベルジュ〜外務省〜首相官邸
夕食
Castille Hotel(Valletta)泊
=内部見学 / =外観のみ 
※ これは旅行前の計画で、実際の
行動とは異なっています。

毎日毎日、この話から始めるのも飽きてきたけど、今朝も起き抜けの一仕事はコンピューターの接続。ホテルが変わって(しかも星が一つ減って)ドキドキしていた。モジュラージャックがないから受話器をはずして繋ぐという初めての方法、設定もいろいろ変更しなければ‥‥。そうして同僚から届いたメールは内輪受けのエピソード。「やっだあぁーー (うっ)!!」 思わず発した大声を途中で呑み込んだ。息を殺して耳を澄ますが廊下に人の気配はなさそう。ホッ‥‥。
妹のメールではアテネ大地震のニュースを知った。『そっちは揺れなかった?』 "ギリシャとマルタはけっこう離れてるのよ〜" 心の中でつぶやいてはみたものの、ふと "ここは何処!? 会社や家の様子が分かって、まるで東京にいるみたい" とも感じた。まあ、そのお陰でこれから1日心おきなく非日常に浸かれるんだけど‥‥。モバイルの功罪を知るってところかしら。数通の返事を書いて送信し、ニュースをチェック。確かにアテネの地震はWebでもTVでも大きく取り上げられていた。
気が付けばはや7時になろうとしている(起きたのは何時だったんだ〜?)。シャワーを浴び、支度をして8時半前には部屋を出た。

エレベーターで最上階の5階へ向かう。扉を一歩出ると、増築の、三方をガラスで囲われたレストランの中。朝食は簡単なビュッフェ形式だった。マルタパンHobz(大きなものをスライスしたのと、小さいの丸々)、バター(アイルランド製)、ハチミツ(マルタ産)、ミックスフルーツ(自家製。バナナ、ピーチ、ネクタリン‥‥)、コーヒー(温かいミルクを半分注いでカフェ・ラッテにした。朝はコレでしょ !?)に、ピーチジュースをチョイス。
実は昨日のチェックイン後、フロントのおじさんと私と私のスーツケースであらかたイッパイのエレベーターに、マルタ・パンをたくさん抱えた女の子が「すいませ〜ん、一緒に乗せて〜」 と駆け込んできた。このレストランに運び込むところだったのだ。焼きたてのパンの香りがエレベーター中に広がった。その空気を思いっきり吸い込み「んーー とめいっぱい目を見開いて微笑みかけると、彼女も「いい香りでしょう? 美味しいわよー」 と自慢げにニッコリ。確かにマルタ・パンはどこで食べても噛めば噛むほど深〜い、素朴な、パン本来の味がして美味しい。
それからマルタ名産のハチミツ。こっちはちょっとクセがある。メープルシロップのような、木の香りもするような‥‥説明するのは難しい。きっと好き嫌いがハッキリ別れるだろうな。少なくとも、ハーブや一癖ある味が好きな私は、とっても気に入った。お土産に買おーっと!
ルーフ
トップ
テラス
にて

photo-RooftopTerrace


ガラス窓の外にはテラス席がある。だけど朝は閉まっていた。ウェイターのおじさんに、外に出てハーバーを観てもいいかと尋ねてみる。「ええ、どうぞ。そのドアから出られますから」 との返事。もう時刻が遅いのだろうか、いつの間にか私の他には背後のテーブルで書類を広げてコーヒーを飲んでいる女性だけになっていた。彼女は仕事で滞在しているといった様子。私はこの日記をつけているノートやガイドブックをテーブルに残したまま、バッグを持って外へ出た。清々しい朝の空気を胸一杯に吸い込んで席に戻ると、その女性が「階段を上がるともっと綺麗よ。今日はレガッタも見れるわ。もしその時間ここが閉まっていたら下のどこでも見れるけどね」 と教えてくれた。そこでお礼を言って、コーヒーをひとすすり、荷物をまとめて外の螺旋階段を上がってみる。
上はちょっとしたサンテラスになっていた。アッパー・バラッカ・ガーデンをも下に見る絶景!!! この辺りは高台なので、周辺の建物とか、そこから頭一つ飛び出すクーポラや鐘楼なども見晴らすことができる。それはそれは気持ちいい〜〜。ここで日がな日光浴というのも悪くはないわねぇ‥‥でも今日も既にかなり暑くなりそうな気配‥‥それにレガッタの時はさぞかし混みあうに違いない。
今日はナショナル・ホリデー。
勝利の女神の祝日 (Our Lady of Victories) 1565年9月8日はトルコ軍が大包囲を解除、撤退した日。それに1800年・仏軍からの解放、1943年・第二次世界大戦での枢軸軍降伏による包囲終結を加え、マルタの勝利をまとめて祝う祭日になっている。
ルーペ forMap
VALLETTA
MAP
首相官邸、警察署前を経てリパブリック通りへ出た。"どこかにパレードの気配はないか‥‥" そう期待して通りを歩く。両側には国旗が並び、銅像には花輪が置かれ‥‥でもパレードの準備は見つけられなかった。騎士団長の宮殿の先まで行って、坂の下を一瞥して踵を返す。9時まであと少し。では聖ヨハネ大聖堂 (St.John's Co-Cathedral) でも見てこよう。
大聖堂の正面は脇道のSt.John's Streetに面していた。向かいの小さな広場にはロープが張られていたので、その横や後方から全景をカメラに収めようとウロチョロ。すると日曜・祭日は閉まっているとばかり思っていた教会に見学者らしき人たちが入っていく。"あれ?今日はいいの?" そうこうしているうちに警官やら教会関係者やらがやってきて入場者を締め出しはじめた。"ん? ひょっとしてココで何かある!!" 同じように目星をつけたらしい観光客が4〜5人、思い思いの場所に陣取って成り行きを見守った。
9:15、鐘が鳴り、司祭がバタバタ出たり入ったり。警官も増え、スチールカメラマン、新聞記者、TVクルー(カメラマン、マイク、レポーター)、正装の軍人‥‥挨拶と打ち合わせが繰り返される。観光客や地元の人々も続々と集まってきた。広場のロープ内にいた人は出るように注意されるようになった。そしておめかしした招待客が車で乗りつけては大聖堂内へと消える。どの程度のおめかしか? ご婦人方は膝丈のスーツやワンピースにフェミニンなつば付きお帽子。イタリアなんかで見かける、ごく一般的な昼間の結婚式に参列するようないでたちとでも言えばいいかな。
セレモニー
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DoorToPhotoPage
そしてもう、見物人が道から溢れんばかりになったころ、リパブリック通りから突然大きなマーチが聞こえたかとおもうと軍楽隊がこちらに向かって行進してきた。彼らは広場に、続く兵士たちは手前の歩道に整列。そこへ黒塗りの車が到着した。現れたのは将軍(かな?)。閲兵をして、大聖堂前にしつらえられた壇上に上がる。軍楽隊の吹奏する国歌(おそらく。知るわけないもん‥‥)を聞き、将軍は壇を下りた。続いてまた黒塗りの車。ドアが開くと群衆から拍手がわき起こった。どよめきの中に「プレジデント!」 という声が2,3聞こえる。夫人もご一緒だ。出迎えた将軍に案内されての閲兵後、壇上で国歌を聞く。そして将軍と大統領夫妻は大聖堂へ入っていった。兵士たちは来たときと同様に軍楽隊のマーチと共に去った。
"あれあれ〜? みんな入って行くぞ? えっ? いいの?" 目の前の状況が良く掴めない。確かに一般人が大聖堂の中へ、しかも先程、要人たちが入っていった正面入口から入っている。あわてて通りを渡って後に続いた。
私はギリギリ入場できた。というか「もうだめ」と制止されたとき、背中を押されたのだ。振り返ると外で隣にいた老人。「へーき、へーき」 とばかりにつぶやき頷きながら、横手から私を押し込んでくれた。パレードの時からずーっと独りごとを言い国歌(?)を歌っていて、"ちょっと脳軟化ぎみの愛国主義者か?" と思っていた。道にはみ出して立っていた彼が警官に注意されたので、私は確保していた角地を少々譲ってあげたのだった。それを覚えていてくれたのかしら‥‥。
photo-PULIZIJA
公開に耐えない部分にモザイクを入れさせていただきました。
このほうが可愛いので、本人、気に入っております(^_^;)


本堂(?)に入る内扉のあたりで肩を叩かれた。"やっぱりダメ?" と振り向くと、今度は教会の人が布を差しだしている。"あ、袖無しのワンピを着ていたんだっけ!" 上着は持っていたけど、急なことだったので受け取った布をガバッと肩から羽織った。汗臭くはないがホコリくさ〜い。なんだか服に匂いが移りそうだわぁ〜(ゲッ)。
先に入った人々は着席していた。彼らはパレード前に入ったのだろう。私と同じ立ち見客の中には何人か、教会に入る予定じゃなかったらしい人たちが布にくるまっていた。それから10分ほどはこの式典を見学していたが、退屈な流れを立って見ているのも辛くなってきて、同じ考えの観光客に混じってそーっと外へ出ることにした。

リパブリック通りへ戻ると、さきほど警備を指揮していた(というより通るたびに警官たちが敬礼していた)お偉いサンを中心に4人の警察官が道のどまん中でおしゃべりに熱中していた。要人たちが出てくるまでヒマなのだろうが、若手ならいざ知らず地位の有りそうなお方が制服姿で(しかも東京なら銀座4丁目のような場所で)まったく無防備にくつろいでいるじゃないの。これは何とかなる?! と勇気をふりしぼってその輪に割り込んだ。その一番偉いとおぼしき人物に「すみません、ご迷惑でなければ一緒に写真をとらせていただけないでしょうか」 と。部下たちは上官の顔色を窺っていた。やっぱり厚顔無恥な頼みよねぇ‥‥。すると上官は「構いませんよ。二人で?それとも彼らも一緒に?」 と上品に微笑みながら応えてくれた。「皆さん、ご一緒に‥‥」 部下たちも、おしゃべりしていた時の表情に戻った。
上官「では彼に撮らせましょう。カメラは彼が一番得意ですから。そうだったな?(ニコニコ)
右端の警官「はい、彼はグッド・フォトグラファーです(ニヤ〜ッ)
国は違えど階級社会、最も下っ端らしい警官がその任にあたることとなった。できあがった写真を見ると、左端の警官なんて「なーんだ、バカヤロー」とでも言いたげだしヤケにみんな澄まし顔。その前後の彼らとのギャップに吹き出したくなる。でもこの時の私はただただ恐縮するのみで、全員にお礼を言ってそそくさとその場を離れたのだった。
まっすぐ通りを下って砦へ向かう。目指すはその右端にあるマルタ・エクスペリエンス (Malta Experience)
open:月〜金 11:00am〜4:00pm毎時スタート/土・日・祭日11:00am〜1:00pm(10〜6月は2:00pmもある)毎時スタート。
祭日に開いているということでこの日の予定には入れていたけど、パレードを見ていたため、順序を変更して11時の初回を見ることにした。まだ30分ほど時間がある。入口手前のオープンカフェを見たら、にわかにずっと立ち通しだったことを思い出しちゃった。建物の中にある売店でコーラ(¢35)を注文。パラソルがあるテーブルに陣取り、コーラを一口すすって、ようやくホッとした。それから他のテーブルのお客さんがこちらを向いていないのを幸いに、デジカメのレンズを自分に向けてアングル調整。が!そこへレジのお兄さんが通りかかってしまった! 私はちょっと照れ笑い。彼のほうは真顔で興味津々といった様子。そして、くるりと向きを変えて店の中へ消えたかと思うと、ウェイトレスを呼んできた。二人は距離をおいて、近くで見ていいものかどうか‥‥と躊躇している。マルタの人たちってほんと、シャイ。「見る?」 という私の言葉に、ようやく恥じらいながら寄ってきた。「自分を撮ってたの‥‥」 デジカメを手渡して簡単に説明する。「撮ってあげようか?」 と申し出ると、二人は大喜びで壁の前に並んだ。そして撮れた画像を液晶画面で見て、満足そうに「Thank you」 と店内に戻っていった。‥‥ん?住所を教えてくれないの?教えてくれたらプリントして送ってあげたのに‥‥。
さほど大勢の入場者がいる気配もなかったので、開演5分前にマルタ・エクスペリエンスの入口へ向かった。階段を下り、トンネルのような通路を抜けるとお土産コーナー。そのレジでチケット(ML2.5)を買い、奥のシアター入口で待つ。ほどなく係員が扉を開放すると、30人にも満たないかと思われる入場者たちは余裕の足取りで思い思いの席についた。私は中央、前から3列目。肘掛けには解説の言語を選ぶチャンネルが付いている。ヘッドホンを手に取り [日の丸] に合わせた。斜め前の若者(イタリア人)2人が「ジャッポネーゼまであるぜ〜! すっげー!」 と驚いていた(イタリア語なんだけど、そういう口調だった)。
場内が暗くなって、フィルムがスタートした。シチリアと陸続きだったころ、古代人の暮らし、その後に移住してきた人々、騎士時代、第2次世界大戦下のマルタ、現代の産業・文化‥‥と時代を追って分かりやすく解説してくれる。少々教科書チックではあるけれど簡単にマルタ史を学ぶには良いと思う。古代〜中世もさることながら、近年の、コンピュータ等を積極的に取り入れて列強に遅れまいとしている小国の姿が印象深かった。
そのフィルムを見終えて土産コーナーをウロウロ。結局、何も買わずに外へ出た。

次は、騎士団施療院跡 (Sacra Infirmeria) へ行こう。
open:月〜金 9:30am〜4:00pm/土・日・祭日9:30am〜1:00pm。入場料:ML1.4
病院跡 etc.
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大包囲戦のヴァレットから2代後の騎士団長、Jean l'Evaque de la Cassiare(フランス人/在位1572-1581)時代に建てられ、建築家は不詳。グランドハーバーの船から病人や負傷者を運び込みやすいように、正面玄関は海沿いの道に面しているのだそうだ。英国統治下では軍病院として、のちに警察本部として使われたが、第二次大戦で大きなダメージを受けた。再建後、1979年からは地中海会議センターとなっていて、一部は騎士団時代の病院を再現して公開されている。その入口は裏側、マルタ・エクスペリエンスからは通りを隔てた目の前にある。
建物に入ると受付デスクがあった。座っていたオジサンに「係りはすぐ戻るよ」 と言われて待つこと1〜2分、やってきた別のオジサンからチケットを買う。いかにもマルタ、のんびりしている。その先の階段を下りると、洞窟のような、しかし真新しい通路に、蝋人形(この国はホントに蝋人形好き!)が並び、当時の治療の様子がわかるようになっていた。展示物を見ながら奥へ進むと、洞穴状の小部屋が並ぶ、怪しげな一角に辿り着く。英語の解説を流し読みしながら、それぞれの房室を見て回った。伝染病患者などの隔離病棟なのだが、戦時中にはシェルターとして大変重要な役割を果たしたのだそうだ。
ケガ人の蝋人形などもあったが、イムディーナの土牢ほどグロテスクなシーンはなかった。夏の太陽を避けて涼を求めるには丁度いい(恐いからというより、実際に涼しい)。
リパブリック通りへ出ると小雨がぱらつきだした。そろそろランチを‥‥と思っていたのでリパブリック広場の老舗カフェ、コルディナ (Cordina) のパラソルの下に避難した。店内の席は3日前に利用したから。
そろそろパスティッツィ (Pastizzi) を食べてみたかった。これはマルタのお菓子でリコッタチーズ入りのパイ。シチリアを旅行したときは毎日しっかり食事をして、とうとうお菓子にまで手が出なかった。だから今回は食事の代わりにしてでも、ゼヒお菓子を食べようと思っていたのだ。ところがメニューにあったパスティッツィは、Cheese(プレーン)もPea(豆入り)も両方とも切れていると言われてしまった。「じゃあ、カンノーリ (Cannoli Ricotta)は?」 と、シチリアにもある同じくリコッタチーズを使ったお菓子のほうを聞いてみたが、これもダメ。しかたなく "スパゲッティ・ウィズ・オクトパス"(ML2)とミネラルウォーターをグラスで(ML0.3)注文した。
運ばれてきた皿は予想通り、かなりのボリューム!! タコは酢付けしてあって柔らかい。オリーブも沢山入っている。だけどこれがスパゲッティ?と思うほどプツンプツンと切れている上、アルデンテとはお世辞にも言えない‥‥パンに挟んだナポリタンとでも言えば想像がつくだろうか。マズイってほどでもないけど、イタリアのワケにはいかない。頑張ってはみたものの、結局、半分近く残してしまった。ウェイターを呼び「ごめんなさい、でも私には多すぎたの」 と言い訳しながら料金を払って席を立った。小雨はもう跡形もなく止んでいた。

1:50、そろそろレガッタが始まる時刻。そこでまっすぐグランド・ハーバー側へ向かうことにした。リパブリック通りから一歩横に折れると人の往来はぷっつり途絶え、途中から階段になっていたり、ひょっこりお祖父さんと孫らしき二人連れが現れたり、何でもない町並みにもなかなか風情がある。海沿いの道に出て、どこでレガッタを見物しようか‥‥と考えながら南へ歩く。観光客たちが腰ぐらいの高さのコンクリート塀に座っていた。"ここにしよう! もう1段下に本当の海沿いの道があるけど、そこより居心地が良さそうだし" ‥‥そして優に二人は割り込めそうなスペースを見つけ、ワンピース姿でありながら "よいしょ!" とばかりによじ登った。
レガッタ
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向かい側がスリーシティー。そのヴィットリオーザとセングレアの間は小船を連ねて通行止めになっている。クリーク内の船はグランド・ハーバーに出てこられないわけだ。
しばらくすると大砲の音が鳴り響いた。レガッタ開始の合図らしい。2時を少々まわっていた。こういうこともアバウトなようだ。さらに大砲が鳴って、いよいよレースが始まる。でも私の所からはスタート地点が見えなくて、最初は対岸のセングレアに陣取った人たちの声援しか聞こえなかった。しばらくすると前後がピュンと跳ね上がったベネツィアのゴンドラのような形のボートが右手に現れた。あれだ!そして2番手、3番手。ゴール付近になって対岸はさらに盛り上がっているが、こちら側は観光客ばかりで皆、静かに見守るのみ。誰かを応援するわけでもないので、こういうものか〜という感じだった。そして何度もスタート〜ゴールが繰り返された。予選なのかなあ。でもゴンドラ型でないボートのレースもあるなあ‥‥。後から知ったことなのだが、Dahajsas というオール式(手漕ぎ)タクシーボートのレースも含まれていたらしい。どれがDahajsasだったのかは定かでないけど、その華やかな色使いはBC800年ごろのフェニキア時代が起源と言われているとか。とにかく、何パターンかのレースがあったわけだ。
もう何レース見ただろう。ぼつぼつ引き揚げる人も多くなってきた。じゃあ私も帰ろうかな。歩きながらスタートの大砲を聞くうち、足はアッパー・バラッカ・ガーデンに向いていた。帰る人と逆行してテラスへ出ると、観客の間には隙間ができていた。ここからはスタート地点も見えるし、足下付近の桟橋にレースを終えた舟が着くので、喜びの風景なども見られる。右下に楽隊がいるのも僅かに確認できた。表彰式をするみたい。ただ、立ち見なのが難点で、2,3レース観戦してホテルに戻った。
30分ほど部屋で休んだだろうか。そろそろ午前中に行きそびれた聖パウロ難破教会に出掛けよう。でもその前にどこかでお茶したいな。リパブリック通りは祭日で商店が閉まっているにも関わらず観光客がウロウロしている。脇道に入ると小さなパブがあった。イギリスに統治されていただけに、マルタにはパブが沢山あるのだそうだ。だから一度は入ってみたいと思っていた。ここにしよう!店内には初老のマスター、マダムと、若い男性客が2人。排他的な雰囲気ではなかったことにホッとして、窓際のテーブル席についた。そして当然、お茶ではなくマルタ・ビールを注文。でも銘柄も値段も忘れちゃった。

喉も潤い、昼間からちょっぴりいい気分になったところで、バチ当たり(?)にも聖パウロ難破教会 (Church of St.Paul's Shipwrecked) へ。
open:月〜金12:15〜12:45, 4:00〜6:00pm/土11:00am〜12:00noon, 4:00〜6:00pm/日4:00〜6:00pm。
え?ここが教会? 確かにドアの上に聖人像があるし、教会入口でよく見かける掲示板もある。看板に教会名まで書いてある。それでも半信半疑で中に入った。まずは売店、そしてその右手が身廊だった。一歩足を踏み入れてビックリ。なかなかゴージャスじゃないの!! 祭壇の燭台や聖人像の台座は銀製だった。でもそれはマルタでは随分見ていたため少々マヒしている。一番印象に残ったのは、パウロの生涯を描いたという天井画。そして売店の壁と見紛うほど大きな古めかしい木製棚。
ヴァレッタ南
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パウロがマルタで難破したというのは伝説に過ぎないらしい(詳しくは9/6 ラバト photo"聖パウロの洞窟"で)。でもここは長年史実とされてきた難破を記念した教会。建物はまずジェローラモ・カッサール(ヴァレッタの主要な建物の多くを手がけた建築家)によって建てられたものを、ロレンツォ・ガッファ(ラバトの聖パウロ教会、イムディーナの大聖堂を手がけた建築家)が改造、1629年に完成した。ただ現在の正面(ファサード)は19世紀終わりのものなのだそうだ。帰りがけに売店でこの教会の写真を3枚買った(価格はメモってないので不明)。そして横にあった芳名帳をパラパラめくってみると、日本人の名前も幾つかあるじゃない! 私もモチ、書いて来ましたよ〜ん

そしてホテルまで、これまでゆっくり見ていなかった周辺の建物を外観だけ見て歩くことにして、リパブリック通りと平行するマーチャント通り(Triq Il-Merkanti /Merchants St.) を南西に向かった。
Castellania 1748年建造の騎士団裁判所。現在は厚生省として使われている。
聖ヤコブ教会 (St.James's Church) Castellaniaの斜め前にあるカスティリア(スペイン)語系の教会。前身の教会(1612年建造)の地に1710年に建てられた。
その先がイタリアのオーベルジュ (Auberge d'Italie)パリシオ宮殿 (Pallazzo Parisio)
さらに行くとSouth St.(Triq Nofs In-Nhar) に出る。
イタリア語系の教会、イタリア聖カテリーヌ教会 (Church of St.Catherine of Italy) と、向かいには勝利の女神教会(写真はDiary 9/6に)がある。
左(南)のCastille Placeというスペースに面して建つのが首相官邸 / 旧・カスティーリャ、レオン、ポルトガルのオーベルジュ (Auberge de Castille Leon et Portugal)だ。
シティーゲートの方までブラブラしてから、ホテルに帰った。
ホテル周辺
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8時を回って、ホテルの最上階のレストランへ出かけた。遅かったからか、ほぼ満席。1つだけ空いていたテーブルに案内される。マルタ料理とイタリア料理のメニューを検討しているうち、すっご〜くお腹が空いてきて、白ワイン(1/2ボトル)、プリモ(第1皿)、セコンド(第2皿)を注文してしまった。ワインはChardonnay Superiore1998年(マルタのEmmanuel Delicata社製)、プリモはムラサキ貝(Mussles/小さなムール貝)のホワイトソース。貝だけかと思いきや、ライスと貝が半々のドリアだった。美味しかったけど分量がねー。日本だったらこれだけで軽く1食分以上ある。気が大きくなっていたことを後悔しつつ、なんとか食べきったころ「テラス席が空きましたが移りますか?」 と言われた。もちろん断るわけがない。
テラス席では左隣も女性一人(どこの国の人かは不明)だった。なんだかとってもイライラしている。デザートがなかなか来ないからだ。私のセコンドも随分待たされたけど、移ったばかりだったので夜風と夜景に時を忘れていられた。しばらくして本日の魚のフリット、トマトソースが運ばれてきた。食べ始めた頃、私の少し後に右隣に移ってきたオランダ人の男性が話しかけてきた。仕事でマルタに来ているという。日本人のお友達がいるので日本語を勉強してビックリさせたいのだそうだ。挨拶ぐらいしか知らないようだったが、なかなか鋭い質問をする。『どうも』の意味や『〜ね』はどんな時に使うのか‥‥。英語力のなさに加えてそろそろ就寝時刻の私にはキツイよぉ〜。魚のほうはもう味も分からず、半分ぐらい残ってしまった。それを見た彼は「僕が質問すると食べていられない? だったら食べ終わってからお茶でもしない?」 と言う。でも「もうお腹がいっぱいなの。それに、家に電話をしないといけない時刻だから」 と授業終了にさせてもらった。家に電話なんてしないんだけどね‥‥。

食事はツケにしてもらい、あくびをかみ殺しながら部屋へ戻った。



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