「うずのしゅげ通信」

 2016年3月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

大西巨人「春秋の花」

私俳句「ブラジルの月」(pdf版)

俳句

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2016.3.1
大西巨人「春秋の花」

俳句はふしぎな文芸だと思うときがあります。以前にもある方が書いておられましたが、 ちょっと調子を崩すとまったく詠めなくなってしまうことがあります。
私の場合、これをすると必ず俳句が詠めなくなるという鬼門があります。
大西巨人というすでに亡くなられた小説家(そうです、あの「神聖喜劇」の作家です)、彼がこれぞと思う詩歌を集めて解説されている 「春秋の花」という本があります。要するに、大西巨人という個性的な小説家が、 己の嗜好にしたがって集めた詩歌のアンソロジーです。
この本を読むと、かならず俳句の詠み方が分からなくなってしまうのです。
取り上げられている俳句はそんなに多くないのですが、いくつかを挙げるとつぎのような句です。

宮城野や乳房にひびく威銃(おどしづつ)  岩永佐保

剃毛の音も命もかそけし秋  西東三鬼

佐保神の陰覗かする尊さよ  金子兜太

春の夜は馴れにし妻も羞ぢにける  日野草城

山焼けば鬼形の雲の天に在り  水原秋桜子


普段俳句を読み慣れておられる方は、これらの句の主題やリズムに 独特の灰汁の強さを感じられると思います。
集められているすべての詩歌について、そういった傾向が見られます。 そこがまた、この本の魅力にもなっているのですが。
しかし、平凡な感性しか持ち合わせていない私のようなものが、 大西巨人という強烈な個性によって篩にかけられた俳句、短歌、詩などを読むことによって、 知らず知らずのうちに普段の俳句の感覚が揺さぶられ、俳句の器がかき乱されるのだと思います。 いつもこの本を読んだ後は、しばらく俳句を詠むことができなくなって、 途方に暮れてしまうのです。


2016.3.1
私俳句「ブラジルの月」(pdf版)

この「うずのしゅげ通信」に、以前にも掲載したことのある 私俳句「ブラジルの月」をpdf版に しました。これからもこの俳句作品を大切にしてゆきたくて、そうしました。 pdf版は、縦書きできれいなので、読みやすいはずです。
興味のある方はお読みいただけたらと思います。

私俳句「ブラジルの月」(pdf版)
      −俳句によるレクイエム−



なお、従来のhtml版はこちらで読むことができます。

私俳句「ブラジルの月」
      −俳句によるレクイエム−



2016.3.1
俳句


フェイスブックに投稿した文章の一部です。

〈2月2日〉
今日の拙句です。

すでにして霙暗峠(くらがりとうげ)越え

人嫌ひとばかりは言へぬ龍の玉

鴉声(あせい)今まねびし君に春立ちぬ


一句目、暗峠は、大阪から奈良に抜ける生駒越えの峠。
三句目、今日の散歩途中、近つ飛鳥博物館屋上の石段でS君と話していて 、帰ろうとしたとき高圧線から奇妙な鴉の声が降ってきたのです。 S君はその声を真似ながら仕事に戻ってゆきました。

ということで、今日は霙(みぞれ)の句。

ふるさとは霙の中に人の声  多田裕計

中島みゆきさんに「霙の音」という歌があります。その歌詞の中に、次のフレーズがあります。
「ねぇ 霙って音がするのね 雨とも違う窓の音」
「ねぇ 霙って音がするのね 雪より寒い夜の音」
私も、以前から霙のときは、雨とも雪とも違う音がすると信じてきました。
そんなかすかな霙の音から浮き出るように故郷訛りの人の声がする、そういうことでしょうか。

〈2月5日〉
今日の拙句です。

玻璃内は欠伸の世界春浅し

立春に電波時計の遅れをり

息をとめてと声降り来たり冴返る

息をとめてと目を瞑り聞く涅槃西風

妻のチョコ遺影に映ゆる余寒かな


一句目、近つ飛鳥博物館のロビーに座って、ガラス越しに外を見ていると周りで欠伸、欠伸。
三句目、四句目、今日、CT検査を受けてきました。細いベッドに寝転んで、 CTの声の命じるまま「息を吸って」、「はい、楽にして」と。
五句目、バレンタインがらみの句。去年はつぎの二句を作りました。

バレンタイン遺影に映る赤リボン

夫婦してチョコのお下がり春障子


今年の句も発想が似てしまいました。

ということで、今日は「春浅し」の句。

春浅し死にゆく人を笑はせて  一條友子

いったい「死にゆく人」を本当に笑わせることなどできるものなのでしょうか。 もしできるとすれば、それは例えば幼い子どものしぐさ。「死にゆく人」を慰めるためには、 何らかのかたちで命の芽吹きの力を借りるしかないということを、 この「春浅し」は遠まわしに表現しているように思うのですが。



二月にフェイスブックに投稿した句です。

叱咤する声も降り来る冬日向

早梅や病ひ抜けして呆くるも

石階(いしばし)に片手袋の凍ててあり

水仙の丈が遺影に適ひけり

すでにして霙暗峠(くらがりとうげ)越え

人嫌ひとばかりは言へぬ龍の玉

鴉声(あせい)今まねびし君に春立ちぬ

節分の陽(ひ)の斑(ふ)の淡し鰯喰ふ

吹きぬけに銅鐸打つや春立ちぬ


      (近つ博物館にて)
置く霜の葉末縁取る草生(くさふ)かな

末(うら)枯れて末に霜おく草生かな

玻璃内は欠伸の世界春浅し

立春に電波時計の遅れをり

CTの声降り来たり寒鴉

CTの声言ふがまま寒鴉

妻のチョコ遺影に映ゆる余寒かな

冬木立鵙の気迫を支へけり

古塚に梅の香を聞く閑けさや

薄氷や漣光る片辺(かたほとり)

息白し肺腑画像の深宇宙

雨だれの中に梅の芽鎮座して

薄氷や貫く葦に動かざる

噛み切れぬ海鼠にあたる迷い箸

約(つづ)めれば裸木烟(けぶ)る美しさ

甘噛みのごと罵りてクロッカス

「息とめて」声降り来たり冴返る

「息とめて」目を瞑り聞く涅槃西風

裸木や末(うれ)まで日向日陰あり

啄ばまれ冬の金柑地に匂ふ

息をとめてと声降り来たり冴返る

息をとめてと目を瞑り聞く涅槃西風

蕗の薹傷みやすきを惜しみけり

蕗味噌に荒微塵の青残りをり

啄ばみし金柑匂ふ霜崩れ

薄氷や漣光る片辺(かたほとり)

誘ひて座敷の試歩や春時雨

春浅し妻を同士にこの十年(ととせ)

俳句にもボケとツッコミクロッカス

使徒マタイのごとき吏員や納税す

西行の袈裟の背広し春一番

梅の香を幾度も妻に尋ねけり

風花やわれにゆくへの知れぬ人

甘噛みのごと罵りていぬふぐり

母の試歩座敷に誘なふ春時雨

背(せな)広き袈裟の西行春一番

老農の法螺一抱への売り水菜

侘助や光るは群葉ばかりなり

近つ飛鳥に雨水の校舎丹の門扉

蕗の薹研ぎ細りの鎌匂ひけり

人待てば梅も香り来風溜まり

ひとつ影胸に抱ふる雨水かな

春昼やひとつとぼれる雛の灯

はたはたと爆音降れる梅の雲

いとけなきものの手触り蕗の薹


 (弘川寺の桜を想い)
西行桜もふふむ寒さのきのふけふ

車椅子の手邪険にミモザ払ひけり

靴先で踏む薄氷に軋むもの

西行桜も竦む寒さのきのふけふ




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