「うずのしゅげ通信」

 2016年4月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

震災忌の句

私家版句集「風の蝶」

俳句

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2016.4.1
震災忌の句

今年の3.11(東日本大震災の震災忌)は、家族や友人、知己を亡くされた人にとっては六回忌ということになります。
大切な人を亡くされた方は、その大切な人のいないことがまだまだ納得できていなくて、ふと自分がいまどこにいるのか、とふしぎな感覚にとらわれることもあるのではないでしょうか。 家族を亡くして五年を経た頃の自分を思い出して、そんなふうに想像しています。
また、悲しみはいまだに心の底に蹲っていて、ふとしたきっかけで噴出してきたりします。 しかし、当初の悲しみとはちょっと違うように思われるのです。滲み出てきた悲しみは、 悲しみのままで無性に懐かしいものとして、心を暖めてくれるような気もするのです。 六回忌の頃というのは、そんな時期なのではないでしょうか。

ということで、私は、フェイスブックに震災関連の句をいくつか投稿しました。
希望を込めてできるだけ明るい句を、と心がけました。以下投稿句を推敲した拙句です。

ひと亡くてふしぎのくにの春障子

ひと亡くてふしぎのくにの四温光

六回忌ふしぎのくにの春座敷

悲しみのまま懐かしく四温光

われもまた魂呼びしこと春の凪

年々に白木蓮の白まさる



一句目、春障子は、春を感じさせる明るい障子。
二句目、四温は、三寒四温の四温で冬の季語ですが、最近は、初春で遣うこともあるようです。 その四温の春めいた光が四温光。
すべての句が、身内を亡くした自分の経験を踏まえて詠んだものです。
その人を亡くしてから、自分が今いるこの世界に対する違和感に悩まされてきました。 何か居心地が悪く、馴染めないのです。ふと自分のいるべき世界がここではないような 気がすることがあります。
家族が一人いなくなってしまったとき、違う世界に紛れ込んだような気がして、それ以来、彼のいない今のこの世界が納得できないのだろうと、自分なりに分析しています。しかし、分析は分析として、 違和感は拭いようがないのです。
この違和感を共有しているという思いが、東日本大震災で家族や友人を亡くされた方々への 私の共感の元になっています。
上の句は、そこから生まれたものです。私も思い悩んできたその違和感を表現するのに「ふしぎのくに」という言葉を遣ってみました。

追記
私の経験については、下の私俳句『ブラジルの月』に詠んでいます。


2016.4.1
私家版句集「風の蝶」


私家版句集「風の蝶」を編んでみました。
これまで作った全俳句の中から、私俳句「ブラジルの月」の句を除いたものの集成です。
前回同様、html版とpdf版のどちらでも読むことができます。
興味をお持ちの方は覗いてみてください。


私家版句集「風の蝶」(pdf版)
      2009〜2016.2



html版はこちらで読むことができます。

私家版句集「風の蝶」
      2009〜2016.2



追記

先月号で紹介させていただいた 私俳句「ブラジルの月」は、下で読むことができます。


私俳句「ブラジルの月」(pdf版)
      −俳句によるレクイエム−



html版はこちらで読むことができます。

私俳句「ブラジルの月」
      −俳句によるレクイエム−



2016.4.1
俳句

三月にフェイスブックに投稿した句です。

孫娘生れて雛の家となり

雛も坐に曾祖母もゐて初坐り

かながきで孫にしたたむ雛の句

片肺の古紅梅も老いの花

彼我の差は喪ひしもの四温光

をのこなる遺影のまへのめをとびな

種袋息吹き込めば種跳ぬる

お水取り白木蓮のほぐれそむ

お水取り溝より鼬のひょんと出て

お水取り母晩年に焦がれけり

おほかたは腑に落ちてをり四温光

きのふけふ四温に闌けし蕗の薹

蕗の薹雨の窓辺に水涸れて

心的外傷くそっ喰らえや涅槃西風

   (3.11震災忌に寄せて)

四温光ふしぎのくにの春障子

六回忌ふしぎのくにの春障子

年々に白木蓮の白まさる

春耕の農の託つも今日の朝

来る日の日向水木も地震(なゐ)に揺れ

なほ明るくて蝕のある日の春障子

われもまた魂呼びしこと春の凪

とんぼりに浴衣も寒し春の場所

少年の悲しみごとや桜貝

なほ明るくて日蝕の日の春障子

種袋息吹き込めば種跳ねる

句坐に聞く訃報はさびし落椿

残り鴨潜りし波を置き去りに

ぼうたんの葉芽と思ふもこの赤芽

良寛の朱墨の筆や牡丹の芽

残り鴨ゆき暮れ池の杭の先

白梅に蘂も混じりて紅をさす

芍薬のすでにしてこのたをやか芽

水皺のとどまる浅瀬春眠し

春眠や自爆テロなきバスの背に

良寛の筆みづみづし牡丹の芽

千年の塚となりたる巌温し

悲しみのまま懐かしく四温光

西行の老いの背広し春一番 (弘川寺)

入り彼岸日向水木の暮れ残り

初蝶や風を纏はぬ老いわれに

はくれんや花の昇天とふうつつ

初花を目聡く指せり病抜け

春の歯科余命数へて待つ温さ

自足するもののかたはら樟落葉

死者生(あ)るる王陵の谷山桜

余命得て友の目聡し初桜

春昼を仏間をぐらき蓮如の書

朧影二上も女男(めを)寄り添ひて

長閑さやわが身に余る長き影

ひと亡くてふしぎのくにの花明り

不登校子の眼けぶたし花蘇枋

春事の父の句があり農せぬに

長閑しやわが身に余る影の丈

たんぽぽの絮の全(また)きを奇跡とも

たんぽぽの絮たましひを吹くごとく

けふあすの犬の一期や花三分

筋かへてますぐに去年(こぞ)の桃の花




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