「うずのしゅげ通信」

 2017年2月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

短い劇「どんぐりいじめと山猫」

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俳句

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2017.2.1
短い劇「どんぐりいじめと山猫」

短い劇「どんぐりいじめと山猫」をラインナップに加えました。
最近、学校行事がますます削られているようです。劇をする機会も少なくなっています。 発表の機会が設けられていても、時間が制限されていて、なかなか充実した劇を演じることが できないという声も聞きます。
舞台で劇を演じる経験がないままに学校を卒業してゆく生徒も多いのではないでしょうか。
劇を演じる貴重な体験は、座学では決して得られないものです。
時間の制約があるなかで、どのような劇が成り立つのかを考えて、この脚本を書き上げました。
上演時間は15分から20分程度です。
劇の内容は、ほとんど宮沢賢治の童話『どんぐりと山猫』そのままです
賢治がこの童話に込めた思いを踏まえて、そこにいじめの問題を重ねてみました。
そもそも賢治のメッセージは、人と比べることの愚かさといったところにあると思われます。
いじめもまたそこに源を発するものではないでしょうか。
一郎はクラスのみんなからいじめを受けて、登校拒否になっています。みんなが彼を無視している 中で二郎だけが、一郎に寄り添っています。
その一郎に山猫からてがみが来るというのが物語の発端です。
それからどんなふうに舞台が進行してゆくかは、見てのお楽しみ。

脚本への入口はこちらです。
短い劇「どんぐりいじめと山猫」
      −クラスみんなで演じる15分の劇 〈21名〜〉 [15分]−



2017.2.1
フェイスブック

1月8日にフェイスブックに投稿した文章です。

「今日は句会でした。
以下拙句です。

人日の手うちわゆかし大香炉
上之太子に二層の塔の初御空
身ほとりは詠めぬAI夢始
読初やあとがきに見る師の気魄
老いかこつ祖母の聞き役福寿草


新年会も兼ねての句会ということで、席題はありませんでした。
一句目、人日は一月七日。
二句目、上之太子は、聖徳太子のお墓のある叡福寺(太子町)のこと。
三句目、AIは人工知能のこと。この句、採ってもらえなくてもしようがない。せめて歓談の話題にと投句したのですが、これが意外に好評でした。
五句目、祖母が老いをかこつのを聞く、その役目を私は嫌だとは思っていませんでした。むしろ当然だという気もあったのです。そんな微妙な気持を福寿草を季語とすることで表現したかったのですが。」

以上がフェイスブックに投稿した文章です。

老いかこつ祖母の聞き役福寿草

投稿にも書きましたが、老いをかこつ祖母のぐちを私はそんなに嫌だとは思っていませんでした。
少しは嘉してもいたのです。その気持をを福寿草という季語であらわしています。
少しは退いていたとしても、むしろ歳をとればそういうこともあるだろうという気持がほとんどでした。
そんな老いのぐちを聞きながら、人は自分の死というものに慣れてゆくのかもしれないと考えています。

森澄雄の晩年に次の句があります。
「芭蕉に『うき我をさびしがらせよかんこどり』の句あり」、と添え書きがあり、

憂さもなし喜びもなし閑古鳥  森澄雄

この句もまた、私に死というものの近づく様を教えてくれる句です。
若い頃は恐れるだけだった死というものに、 このようにして、われわれはなじんでゆくのでしょうか。
生死のことも所詮は順番だと諦めてゆくものなのでしょうか。


2017.2.1
俳句

〈1月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉

一輪の千鳥紅梅初御空

若者の不逞も賑はひ初詣

頭を寄せて嬰(やや)のぞく顔初詣

 (叡福寺に初詣して)
一遍ものぼりし石階(いしばし)去年今年

老いかこつ祖母の聞き役福寿草

 (AIも俳句を詠む時代)
身ほとりは詠めぬAI夢始

読初や抜きては埃払ひをり

老農の姿の見えぬ三ケ日

泣く嬰(やや)に香煙なする初詣

古暦俳画の阿修羅化(ふ)けにけり

龍の玉葉陰に色を損なはず

人日の手うちわゆかし大香炉

上之太子に二層の塔の初御空

身ほとりは詠めぬAI夢始

読初やあとがきに見る師の気魄

老いかこつ祖母の聞き役福寿草

  (道明寺にて)
十一面観音の厨子春隣

昼の月消ゆ冬のかわせみ撮る背(せな)に

人日の賀状に若年性の文字

一樹にも夕茜あり山眠る

裸木に風音(かざおと)の妙人とゐる

冬のかわせみ撮りて昼月見うしなふ

凍蝶の手にもろければ忘れえず

雪催空蝉ひとつ持て余す

風花に縺(もつ)るるもののなかりけり

 (昔の舞台を思い出して)
風花を舞台に零す笊の底

賀状遣さぬ友の電話や小正月

二上山の女男(めを)入れかはる凍て峠

そろりそろりと参ろうものを雪明り

引用が百に水仙月二十日

ひとつ夢われも夢の記黄水仙

左手を吊り水仙月の月忌(がっき)僧

初冠雪に金剛山(こごせ)寝釈迦の背とも見ゆ

しぐるるやわれのながむるときのまを

待春の観音菩薩に如(し)くは無し

うつしみやくぬぎ落葉に茜射し

 (ワシントンの反トランプデモ)
デモる日の猫耳マドンナニット帽

 (道明寺の十一面観音を拝して、三句)
待春の観音千歳(ちとせ)の黒光り

観音のあぎとほのかに冷えたまふ

榧一木の観音風花零しけり

甘塩の目刺は無きか骨正月

煮凝に不安顔なるややこかな

  (鑑真和上像を想ひ)
鑑真和上もけふ前かがみ春隣

  (道明寺にて、二句)
腹背に仏在(ゐま)すや廊下冴ゆ

風花に砂紋を踏みて叱らるる



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