「うずのしゅげ通信」

 2017年3月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

「どんぐりいじめと山猫」(続)

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2017.3.1
短い劇「どんぐりいじめと山猫」(続)

1月29日の朝日新聞「ひと」欄に次のような記事がありました。
取り上げられていたのは、落語家の露の新治さん(66)。
表題に「重い差別の問題を笑いで語る『人権高座』30年の落語家」とあります。
「地域や性別、本人がどうしようもない『不当な分け隔て』が差別やと思います。」
これが露の新治さんの考え方の基本です。
「司会するラジオ番組を聞いた自治体職員に人権講演を頼まれたのがきっかけだった。最初は 『重苦しい話では』と聴衆に距離を置かれた。建前、縦皺、他人事の『た』で始まる三つを 取り除こうと、『ウケるネタ』を数年かけて練った。落語家になって10年ほとの1987年、 『お笑い人権高座』と銘打った。 多いときは年に300回、各地で開催した。」
(中略)
「『人権とは笑顔で生きる権利。笑顔をくもらせるのが差別と戦争です』
昨年度の文化庁芸術祭優秀賞と奈良人権文化選奨を受賞した。
『人権高座で噺が磨かれたと思います』。 差別は他人と比べ優位に立とうとする心にすむ、と考える。人権高座では 『差別を無くする側にいるのか、自らに問うています』。」(文 平出義明)

露の新治さんの考え方には、私も大変共鳴するところがあります。
特に、「差別は他人と比べ優位に立とうとする心にすむ、と考える」といったところです。
こういった考え方は、宮沢賢治の童話「どんぐりと山猫」のテーマでもあります。
そのテーマに添う形で脚本化したのが、先月ラインナップに付け加えた 短い劇「どんぐりいじめと山猫」です。
その紹介の文章につぎのように書きました。
「最近、学校行事がますます削られているようです。劇をする機会も少なくなっています。
発表の機会が設けられていても、時間が制限されていて、なかなか充実した劇を演じることが できないという声も聞きます。
舞台で劇を演じる経験がないままに学校を卒業してゆく生徒も多いのではないでしょうか。
劇を演じる貴重な体験は、座学では決して得られないものです。
時間の制約があるなかで、どのような劇が成り立つのかを考えて、この脚本を書き上げました。
上演時間は15分から20分程度です。」
ここにあるように劇の内容は、ほとんど宮沢賢治の童話『どんぐりと山猫』そのままです
賢治がこの童話に込めた思いを踏まえて、そこにいじめの問題を重ねてみました。
そもそも賢治のメッセージは、人と比べることの愚かさといったところにあると思われます。
いじめもまたそこに源を発するものではないでしょうか。
一郎はクラスのみんなからいじめを受けて、登校拒否になっています。みんなが彼を無視している 中で二郎だけが、一郎に寄り添っています。
その一郎に山猫からてがみが来るというのが物語の発端です。
賢治がいじめをどんなふうに捉えていたかを私なりに推察して脚本化したものです。 興味がおありのかたは一度覗いてみてください。
脚本への入口はこちらです。
短い劇「どんぐりいじめと山猫」
      −クラスみんなで演じる15分の劇 〈21名〜〉 [15分]−



2017.3.1
フェイスブック

2月5日のフェイスブックへの投稿です。

「今日の拙句です。

    (得生寺、三句)
丈六の脇侍は名のみ春立ちぬ

春立つや法然上人厨子の中

堂の響くや経をつぶやく春隣

春蚊出づ福は争奪するものか


昨日、家の近くの得生寺に行きました。本尊は丈六の木造阿弥陀如来坐像で、国の重要文化財。 脇侍(わきじ)はなくて、左の柱に広目天と書いた紙、右の柱に多聞天と書いた紙が貼られています。 また、堂内には、法然上人立像も。
四句目、昨日台所に春蚊。
  ということで、今日は「春立つ」の句。

春立ちて本復の顔現はるる  小田ひろ

自分もこうありたいものです。」


2月9日のフェイスブックへの投稿です。

「今日の拙句です。

紅一点の孫に女系の雛かな

観音を千年燻(いぶ)して春灯

患へば今年は諦む蕗の薹


毎年作っている蕗の薹味噌、体調のこともあり今年は諦めようと思っています。
ということで、今日は雛の句。

人を恋い雛おき去りし娘かな  中村伸郎

俳優、中村伸郎の句。演技もしぶかったが、俳句もしぶい。」


2月18日のフェイスブックへの投稿です。

「今日の拙句です。

莟食む鷽(うそ)見たと云ふ雨水かな

青臭さで浄むる厨蕗の薹

恙(つつが)あることしは蕗の薹摘まず

      (道明寺)
十一面がおぼろに菅公観世音

バレンタインチョコの御降り夫婦して


今日は雨水。雨がぱらついたりしていましたが、梅が見ごろで人出の多い古墳公園を散歩していると、 鳥の写真を撮っている人が梅の莟を食べている鷽を見かけたというのです。 私はお目にかかれませんでしたが。
帰宅して、もうそろそろかと庭を探してみると、ありました、蕗の薹。 この季節毎年蕗の薹味噌を作っていますが、今年は体に不調を抱える身 、蕗の薹はちょっときつ過ぎる気がして食べないことに決めています。
二句目は、昨年の蕗味噌作りを思い出して。
四句目、道明寺の十一面観音立像は伝菅原道真作。
ということで、今日は雨水の句。

書道部が墨擦つてゐる雨水かな  大串章

書道部の生徒が墨をすっている匂い、雰囲気に雨水がしっくりと寄り添って。」


2017.3.1
俳句

〈2月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉

 (ワシントンの反トランプデモ) デモる日の猫耳マドンナニット帽

    (劇団四季のキャッツのメンバー)
猫耳が通天閣から豆をまく

陶板の絵雛すがしき音のする

甲斐犬の主も走る春隣

バレンタインデー遺影の前に妻のチョコ

    (得生寺、三句)
丈六の脇侍は名のみ春立ちぬ

春立つや法然上人厨子の中

堂の響くや経をつぶやく春隣

春蚊出づ福は争奪するものか

紅一点の孫に女系の雛かな

観音を千年燻(いぶ)して春灯

患へば今年は諦む蕗の薹

蹲る一人はおしめ犬ふぐり

藁の輪の抜けし白菜納税期

どう転がしても角(かど)の立つ豆鬼やらひ

     (道明寺)
腹背に仏像七体冴返る

    (近つ飛鳥古墳公園)
浅春や金の耳輪の出でし塚

    (道明寺天満宮)
鷽まつり見にゆくと言ふ梅の道

花鋏見あたらぬ夕春の雪

莟食む鷽(うそ)見たと云ふ雨水かな

青臭さで浄むる厨蕗の薹

恙(つつが)あることしは蕗の薹摘まず

      (道明寺)
十一面がおぼろに菅公観世音

バレンタインチョコの御降り夫婦して

人見知りの孫が泣き出す雛の前

自閉症の君が先頭梅の道

    (若草山の山焼き)
山焼きに持ち重りする全集本

陽炎の窓幸せと云ふ手話が見ゆ

塔ならば仏舎利苦きふきのたう

          (近つ飛鳥博物館玄関前)
枝垂れ紅梅どしゃぶりの玻璃くだりけり

家族アルバム開けぬ十年(ととせ)四温光



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