「うずのしゅげ通信」

 2019年2月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集

短い劇「戦争とかぼちゃ」

フェイスブック

俳句

「うずのしゅげ通信」バックナンバー
「うずのしゅげテーマ別拾い読み」
私俳句「ブラジルの月」(pdf)私家版句集「風の蝶」(pdf)
東日本大震災について (宮沢賢治にインタビュー)
「劇」「性教育」「障害児教育」「詩歌」「手話」
ご意見、ご感想は 掲示板に、あるいは メールで。

「賢治先生がやってきた」には、 こちらからどうぞ

2019.2.1
短い劇「戦争とかぼちゃ」

今年の目標にしていた短い劇の原案ができました。小学6年生や中学生を対象にした20分ぐらいの劇です。
脚本のまえがきとして、つぎのような文章を添えました。

最近、学校行事がますます削られているようです。劇をする機会も少なくなっています。 発表の機会が設けられていても、時間が制限されていて、なかなか充実した劇を演じることが できないという声も聞きます。
舞台で劇を演じる経験がないままに学校を卒業してゆく生徒も多いのではないでしょうか。
劇を演じる貴重な体験は、座学では決して得られないものです。
時間の制約があるなかで、どのような劇が成り立つのかを考えて、この脚本を書き上げました。
上演時間は20分程度です。
この劇の舞台は小学校です。学校の倉庫を掃除していると戦争中の国民学校の古い写真のアルバムが見つかりました。そのアルバムの中にあった三枚のカボチャの写真、劇は、そのそれぞれにまつわる話を年代順に並べたオムニバス形式になっています。 最初は、南京陥落のときに学校で行われたナンキンみこしの話、二つ目は、B29が学校の運動場に落していったどでカボチャの話、三つ目は、戦争が終わって最初の運動会でどでカボチャを腹いっぱい食べた話。 登場人物は、一人に一つのセリフを与えれば三十数人、セリフを適当にまとめれば十数人となり、クラスの全員で演じることができるようになっています。

この劇は三つの写真にまつわる話から構成されています。
最初の写真は、南京陥落を祝って学校でナンキンみこしを作り練り歩いたときのものです。そのときの写真、実は母のアルバムにあったのです。当時、父は徴兵されて、中国の戦場にいました。南京が陥落してしばらくしてから入城したと聞いています。私の母は女学校に勤めていました。その学校の運動場でしょうか、ナンキンみこしを囲んで先生方が写っている写真があったのです。 南京を取ったというので、「なんきんとった、なんきんとった」とでも囃しながら神輿を担いだのだと思われます。学校劇で戦争をテーマとする時、銃後の市民の被害についてはまだしも劇化しやすいのですが、加害責任を考えさせることはなかなかむずかしいように思います。何しろ短時間のオムニバス形式なので、そんなに突っ込んだ内容ではありませんが、日本国内で神輿を繰り出してそんなふうに浮かれている時、南京ではたくさんの人達が犠牲になっていたのです。この劇、すくなくともそのことを考えさせる端緒になるのではないかと考えています。
二つ目のエピソードは、模擬原爆であるパンプキン爆弾の話です。これは日本国民が甚大な被害を受けた 原子爆弾につながる話ですから、理解はしやすいと思われます。
そんなふうに戦争の被害と、加害というより戦争への加担について考えてもらうオムニバス形式の劇という狙いをもって書きました。
興味のある方は覗いてみてください。
入口です。

短い劇「戦争とかぼちゃ」
      −クラスみんなで演じる20分の劇 〈25名〜〉 [20分]−
ひと月くらいの間は、内容の推敲をしますので、まだまだ改稿するかもしれません。ご了承ください。


2019.2.1
フェイスブック

〈2019年1月16日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

  (阪神淡路大震災から二十四年)
祈る身ほとり五時四十六分の霜柱

風花やことばは死者をぬらさざる

いなくなるそれだけのこと冬の蝶

春隣なき人どこもゆかざりき

明日は阪神淡路大震災の日ということで詠んでみました。
早朝激しい揺れに起こされた記憶とともに、日本列島には実に危うい断層がたくさん走っていて、いつ直下型に襲われてもふしぎではないということを思い知らされた地震でした。親しい人を亡くされた方も多いと思います。自分の経験に引きつけて考えてみても、その悲しみは俳句ではなかなか詠みきれるものではありません。一定の年月を置いてようやくその断片を句にできるような、そういった深い喪失感だったような気がします。
私は、大切な人を十数年前に亡くしました。そのときの思いの一部を最近詠んだのが上の三、四句です。
三句目、(先日の句の詠みなおしですが)「いない」という単純な事実がどれほど厳粛なものか、またそのことがどれだけ人を苦しめるものなのか、身にしみました。
そして四句目、折々のことばで取り上げられていた詩人長田弘さんの死についてのことばを思い出して。 これらの句、一句目は破調、三、四句も俳句としてはできのいい句ではありません。また、その句だけでは意味のわかりにくいところもあります。しかし、私にとっては、こういった形でしか詠めないという点で大切な句なのです。」


〈2019年1月26日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

  (中国はすでに、やがてわが国も)
顔認証のカメラ地獄や寒の入

  (得生寺)
左右(さう)の柱に脇侍は名のみの寒さかな

性根ぬく経はやまわす寒さかな

  (賢治劇の思い出)
コートと帽子そでで引き継ぐ賢治役

  (ブラジルに逝きし人)
冬銀河カムパネルラは帰らざる

大寒ということで、「寒し」の句を詠んでみました。
文学の師であり、また人生の師とも言うべき歌人がよく戒めておられたこと、人の模倣は論外ですが、人はともすると自己模倣をしてしまう、ということです。これはしつこいほどに戒めておられました。俳句を初めて十年足らずですが、それでも時々自己模倣の気配を感じるときがあります。もともと俳句は季節ごとの季語を発想のてがかりにして句を詠むわけですから、自己模倣におちいりやすいのは当然です。まして身ほとりの景や経験を切り取って詠むとなると、似たような発想の句になりがちです。詠み直してより深い句になっていれば、問題はないのですが、安易に流れていないかなど、つねに自己点検が必要なように思います。今回の句でも、二句目、三句目など、以前に同様の景を詠んだことがあり、季語が異なるとは言え、自己模倣に近いかもしれません。反省しなければならないと思います。
ということで、今日は「寒し」の句。

三鬼亡し湯殿寒くて湯は煮えて  鈴木六林男

この句、三鬼の句の一面をみごとに象徴しているように思うのですが。」


2019.2.1
俳句

〈2019年1月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


元朝の鵯(ひよ)踏みかふる霧びさし

はらわたに虚栗ある初明り

アール・ブリュットの色・線溢るる初暦

ほことたてのおとしどころや寝正月

抽斗に古日時計の独楽がじゃま

人日やいくどのみくじ京に来て

  (賢治の童話に『水仙月の四日』)
母の忌のことなら水仙月二十日

息を止めてとCTの言ふ七日かな

褞袍に火ぃついてと仕方咄かな

いなくなるそれだけのこと日脚伸ぶ

吹き抜けの老いもてあます冬の椅子

風花の無重力より落ちてくる

坊主より女流の多き歌留多かな

初声や鵯踏みかふる霧庇

  (初詣、古市で乗り換えて奈良へ)
乗初や二上山(ふたかみ)の女男(めを)入れかわる

幼子は足音高し寒の雨

人日のみくじが回りさうな風

よそゆきのなりさせられて寝正月

  (阪神淡路大震災から二十四年)
祈る身ほとり五時四十六分の霜柱

風花やことばは死者をぬらさざる

いなくなるそれだけのこと冬の蝶

春隣なき人どこもゆかざりき

  (中国はすでに、やがてわが国も)
顔認証のカメラ地獄や寒の入

  (得生寺)
左右(さう)の柱に脇侍は名のみの寒さかな

性根ぬく経はやまわす寒さかな

  (賢治劇の思い出)
コートと帽子そでで引き継ぐ賢治役

  (ブラジルに逝きし人)
冬銀河カムパネルラは帰らざる


「うずのしゅげ通信」バックナンバー

メニュー画面に