「うずのしゅげ通信」

 2019年5月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2019.5.1
『イマジン』

囀りやイマジンの訳いく種類  浅田洋

現役のとき、文化祭の劇のしめくくりに『イマジン』を歌ったことがあります。
『ぼくたちに赤紙が来た』という劇でした。
私が勤務していた高等養護学校がちょうど創立三十周年を迎える年だったので、記念行事もあり、 それにからめての上演ということで、脚本もそれなりの内容になっています。
【あらすじ】は、こうです。
たけしたちが座敷でバンドの練習をしています。で、そこに住んでいるざしきぼっこは たまったものではありません。ついに家出を決意して、60年前の世界にいる ざしきジィジィに手紙を書いて、むかしの世界に行きたいと訴えます。 しばらくして、ざしきジィジィから返事の赤紙がきます。 タイムトンネルでカメと蛇バスを送るので、 「それに乗ってむかしの世界においでんなさい」というのです。 そこで、カメ探しがはじまります。そのカメがどこから現れたと思われますか?  何と、学校の古時計。ということは、そこがいまタイムトンネルの入口ということになります。 ざしきぼっこや生徒たち、心配した校長先生が、そこから蛇バスに乗って 60年前の世界に向けて出発します。……
続きは見てのお楽しみ。
では、トザイトーザーイ
ちょっ、ちょっと待ってください。もう一言……。ざしきぼっこがむかしに行くのに、 なぜたけしたちがついていくかって?  おかしいですよね。じつはたけしには悩みがあるのです。この学校に入学してよかったのかどうか、 それを決めかねているのです。それで、タイムトンネルでむかしにいって 学校が創立されたころの先輩に、 この学校に入学したことを後悔していませんかと聞いてみたいのです。
ところが、最初に到着したのが60年前で、戦争の真っ最中、 ざしきジィジィには会えたのですが、 兵隊が現れて一緒に未来に連れて行ってくれと頼まれます。
さて、どうなることやら……
では、では、こんどは本当に、続きは見てのお楽しみ。
トザイトーザーイ
【はじまりはじまり】・・・・・・・・・・

ということで、タイムトンネルを移動してゆく蛇バスをどうするか。 蛇踊りの蛇(じゃ)を手作りするしかありません。蛇踊りをしながら、タイムトンネルで時間を旅してゆく蛇バス。すてきじゃないですか。
ということで、学年会議で脚本を披露して、蛇踊りの蛇を作って欲しい、という希望も出しました。 劇の準備が始まってしばらくすると、学年の先生の一人から、本物の蛇で古くなったものを、 (練習に使っているらしいのですが)、貸し出してもいいという話がもたらされたのです。少し古く なってはいるものの本物です。これこそ渡りに船、お願いするしかありません。実物が届けられれみると、 これが想像以上に立派なのです。これで劇の成功が保証されたようなものです。その蛇バスを中心に生徒たちの動きが決められました。それにしても、その本物の蛇(じゃ)、いささか持て余すほどの長さと重さなのです。予行をしてみると、蛇バスの登場、退場で劇の流れが損なわれるほどの存在感です。でも、その本物感が劇を重厚にしてくれたこともあって、世界に一つだけの時間を旅する蛇バスは強烈な印象を残したのでした。
それは、とにかく、この劇には劇中歌が三曲挟まれていて、なんだかミュージカルのような出来上がりでした。
興味のある方は、下の題名をクリックして覗いてみてください。

ぼくたちに赤紙が来た

もう、十数年たっているので、その頃の風俗に関係するエピソードなどは古くなっているところもありますが、 筋自体は、今でも読むに耐えるものだと思います。
その劇の最後で『イマジン』をみんなで合唱したのです。歌詞は、劇のストーリーに添うように私が意訳したものです。

想いみてごらん
  いくさもなく
  国のために
  死ぬこともない
  誰もがいきいきと今を生きてる
  夢ではなく
  ぼくらの道に
  あなたが寄り添うなら
  世界がひとつに

想いみてごらん
  いじめもなく
  したいことを
  あきらめないで
  誰もがいきいきと今を生きてる
  夢ではなく
  ぼくらの道に
  あなたが寄り添うなら
  世界がひとつに

私の歌詞は、生徒に歌いやすいように、むづかしい言葉を遣わないということで、訳(?)したものでしたが、具体的な言葉がこんなふうだったというのは忘れていました。
今、あらためて読み返してみると、一番は意訳といえば意訳、 二番はレノンの歌詞をそこのけに劇の内容に添ったものになっています。
それはそれで仕方なかったと思いますが、そこで考えたのです。この『イマジン』、いろんな国で歌われていますが、ということは英語圏以外ではその国の言葉に訳されているに違いありません。そうなると訳詩は おどろくほど多種多様になるはずです。
その訳の中には、私のように原詩などはそっちのけといった感じのものもあるかもしれません。ですが、敢えて言わせてもらえば、それでもそれらの大胆な意訳には、『イマジン』のすばらしさの一つのピースはたしかに受け継がれているように思うのです。それがまた『イマジン』のすばらしさの証ではないかと、 そんなふうに考えたのですが、いかがでしょうか。


2019.5.1
フェイスブック

〈2019年4月6日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

たましひの位置どり俯瞰するさくら

玻璃うちの人影さくら映りをり

人疲れ死者も混じりし花疲れ

老いの死にいつしか淡し花菜道

こころ癒えし嫗が椿掃き寄する

糸電話のいともつるるや落椿

なつみかん嬰(やや)ためらはずおもさ捨つ

亀鳴くや無言電話の向こう側

一昨日あたりからようやく春らしい暖かさになり、近つ飛鳥古墳公園の桜も満開になり、そろそろ散り始めています。いろんな施設の人たちや子供連れ、夫婦連れ、どこかの会の宴会など、花見客でいつになくにぎやかです。
先日NHKの「こころの時代」で、歌人の馬場あき子さんが、毎年桜を詠むことの意味について、こうおっしゃっていました。
「毎年毎年さくらを詠む。毎年毎年ゆりを詠む。庭に咲いていればね。そのゆりの花の詠み方によって、自分の人生の変化とかが出てくるわけで、それもなかなかおもしろいですね。昔の人は春になるとかならずさくらを詠んだでしょ。五十年間さくらを詠んだら、さくらの歌だけを見ても、その人の人生の思いの変化というものが出てくるわけですね。やはり生きるものの喜びであり悲しみでありすることが、ある共感を得て、何かの力になっていくとすればとってもいいでしょうけどね。」
馬場さんのおっしゃること、たしかにそうですね。私もこれから毎年さくらを詠んで、人生の終焉にむけての自分の変わりようを見るのもおもしろいだろうと、そんな思いに誘われたのです。
ということで、桜の句を詠んでみました。
一句目、臨終に、たましいが体から遊離して、上からその様子を見ているという、臨死体験者の報告もあります。昨年、病院の七階よりの眺め。
桜の名句はいっぱいありますが、中でももっとも惹きつけられた句。

さくらさくらわが不知火はひかり凪  石牟礼道子

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(ここからは、この句の私なりの解釈です。あまりに長くなってしまいました。興味のない方はスキップしてください。)
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この不知火は不知火海のことです。凪の時刻、桜が咲くころの春のひかりが不知火海を一面に光らせています。この句には、さくらと不知火の海が詠まれていますが、私はさくらを見ての句だと思います。なぜなら「さくらさくら」と呼びかけているのですから、昔どおりにきれいに咲き誇るさくらが目の前にあることは確かです。ひかり凪はどうなのでしょうか。さくらとひかり凪の二つが目の前にあったとしても、それら二つのことがらに齟齬がなければ、この句はただの風景を詠んだ句になってしまいます。そこで見落としてはいけないのが、「わが不知火」の「わが」です。単なる風景の不知火ではなく「わが不知火」となっていることです。
同じ頃に次の句もあります。

祈るべき天とおもえど天の病む  石牟礼道子

上の句とこの句にはおなじ発想が根本にあります。
そのことを明らかにするために、一つの仕掛けを施します。
句自体は、字数の関係からか、無季の句になっています。
欠けている季語を、補ってみます。たとえば、白蓮を。するとつぎのようになります。

(白蓮や)祈るべき天とおもえど天の病む
  
目の前にあるのは、白木蓮、そして白木蓮が花を捧げている空は病んだような天、です。作者は心の中に白木蓮に相応しい祈るべき天を思い描くしかありません。
さくらの句では、天を仰ぐかわりに、海を眺めています。天が病むように、海もまた病んでいます。だから、作者は現在の不知火海にくらぶべくもない自分のこころの不知火海、かつて見たそのひかり凪を思い浮かべるしかなかったのです。
そんなふうに想像、あるいは妄想するのですが、どうなのでしょうか。」


2019.5.1
俳句

〈2019年4月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


たましひの位置どり俯瞰するさくら

玻璃うちの人影さくら映りをり

人疲れ死者も混じりし花疲れ

老いの死にいつしか淡し花菜道

こころ癒えし嫗が椿掃き寄する

糸電話のいともつるるや落椿

なつみかん嬰(やや)ためらはずおもさ捨つ

亀鳴くや無言電話の向こう側

カミングアウトたまさかに聞く弥生かな 二上山(ふたかみ)に瀬戸見ゆる日や風ひかる

地下千尺の永代供養万愚節

逃げ水を追ひ原発のシャトルバス

花疲れさかしまに着く最寄駅

  (道明寺の試みの観音)
試し彫の菅公観世音ぼうたん

地にそひて風ねじるるや花吹雪

  (大伯皇女の挽歌に詠まれた二上山)
山桜透けて弟(いろせ)と呼びし山

  (ブラックホールの撮影など何になる、と言う人に)
ブラックホールは滅びのすがた暈(うん)おぼろ

柵越しの半身(はんみ)切なき薊かな

国境あればたんぽぽ家族別たるる

囀りやイマジンの訳いく種類

白木蓮Oeの賞でしニルスの旅

ででむしや明恵もござれ木の股に

春暁のラヂオにイエス在せしこと

読みきれぬ残念本や目借時

折つて剥く蚕豆がんを二つ経て

  (「下ノ畑ニ居リマス 賢治」)
うららかや下根子桜の下ノ畑

  (近つ飛鳥博物館では、遠足の小学生が修羅を曳くことも)
惜春や声変わりしも修羅を曳く

しゃぼんだまハグせんとしておぼつかな

優生保護の時代生ききて弥生尽

鳥雲にノート遺りて子の雑字


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