「うずのしゅげ通信」

 2019年12月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2019.12.1
短い劇

2014年5月にうずのしゅげ通信に掲載したものです。
興味のある方はお読みいただけたらを思います。

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学校劇の上演時間を短く切り詰めていって、どのくらいまで学校劇の体を保つことが可能だろうか、 という疑問がありました。
短くても学校劇と言うからには、それだけの品格と、それに何らかのメッセージを持っていなくては 意味がありません。どたばたコントの独りよがりで終わった、というのでは 学校劇とは言えないのではないでしょうか。
どうしてそんな疑問が浮かんだかというと、最近学校では、教科の時間確保のために行事が削減されたりしている、ということを耳にしたからです。 私のところに来る上演依頼にも、15分とか20分という時間制限があるので、 短くすることを了解してほしいと書き添えられていたりするのです。 そういうこともあって、「賢治先生がやってきた」や「ぼくたちはざしきぼっこ」は 短縮版も公開しています。
もともとこれらの脚本は、私が高等養護学校にいたときに、文化祭で上演するために 書き下ろしたものなのです。そのころは、一学年(生徒50人程度)に50分ほどの時間が与えられて いたので、かなりの内容を盛り込むことができました。いまから振り返れば、めぐまれた時代だったと 思います。それだけの時間と規模があってはじめて与えられる感動というものもあるのではないでしょうか。 それを15分に削れば、感動もまた中途半端なものにならざるをえません。
それならいっそ最初から極端に短い脚本を書いたらどうか、と考えたのです。 切り貼りして感興が殺がれるくらいなら、はじめから短い脚本にすれば削られることもないわけです。
私が想定したのは、小学校の高学年で、生徒数は40人以内、全員に最低一言の台詞があり、 10分程度の劇という大枠です。しかし、これはなかなか厳しい枠組みです。
これらの条件を満たして、観客に何らかのメッセージを伝えたい、感動を与えたいというのは、 いささか欲張りすぎのような気もします。
そんな思いを込めて書き上げたのが、次の脚本です。
やりようによっては、10分から15分ぐらいで上演することができるはずです。
生徒の台詞は、一部を除いて、生徒たち自身に考えさせるというやりかたもあります。
大道具、小道具の準備もそんなにかからないはずです。
無責任な言い方になるかもしれませんが、作者としては、 この短い劇が、ほんとうに何らかのメッセージを伝ええるか、少しでも感動を与えられるかは 演出しだいだろうと考えています。
多少なりとも興味をそそられた先生、あるいは生徒さん、一度上演に挑戦してみてください。 観客の中に少しでも感動の雰囲気が醸成されるよう ならそれは演出の力、作者としてはひそかに拍手を贈りたいと思います。
脚本への入口はこちら。

短い劇「賢治花壇」
クラスみんなで演じる10分の劇

2016年、須賀川市立稲田小学校で上演されたときの、名古谷敦先生による福島弁の朗読劇台本「賢治花壇」 をpdf形式で読むことができます。
   福島弁による「賢治花壇」(pdf形式)


2019.12.1
フェイスブック

〈2019年11月5日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

  (聖林寺でチェロの演奏会、七句)
十一面観音訪(と)へば秋のチェロ

  (大悲殿(観音堂)へ)
観音堂へ階(きざ)冷え冷えとチェロの楽

観音の反り指細し暮の秋

十一面の抜け面(めん)の隙冬隣

  (チェロ演奏を立ち見)
奏者逆光お堂紅葉に開け放ち

  (中休み)
遠紅葉を光背にチェロ立て置きて

聖林寺くだれば柿を採るおきな

表現はつねに不自由柘榴爆ず

文化の日、所用で天理まででかけました。帰り道、少し遠回りして、桜井市の聖林寺に立ち寄りました。体の調子も天気もよかったので、どこかに寄って帰ろうかということになって、ふと十一面観音を見たくなったのです。行き当りばったりの選択だったのですが、これが大正解、大僥倖。駐車場に車を置いて、坂を上り聖林寺の門前に立つと、どこからかチェロの音が聞こえてきます。受付で拝観料を払っていると、チェロの演奏をやっているので、立ち見でよければ聞いていってくださいとのお誘い。まず階段を登って観音像を拝してから、お堂のチェロの演奏会に。時間の関係で最後まで聞くことはできませんでしたが、聖林寺のお堂でチェロを聞くというまたとないすばらしい経験でした。
しかし、たまたまのめぐり合わせで同席できた演奏会であったため、どなたのチェロであったのか、いまだにわかりません。インターネットで調べてみたのですが、昨年も同じ頃まほろば国際音楽祭の一環としてチェロの演奏が行われたらしいとはわかったものの、今年の記事は見つからなくて、結局奏者もわからずじまいです。(どなたか教えていただければ幸いです)
それにしても、ありがたい十一面観音、またすばらしいチェロの演奏でした。」


〈2019年11月28日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

二上山(ふたかみ)の女男(めを)人知れず時雨けり

  (叡福寺)
しぐるるや香煙低き太子廟

遠火事や消防車の灯赤ともちがふ

霜月やチェロ立てて待つゴドー他

芸大生は紅茶飲まぬか檸檬たわわ

  (ブラジル行)
われの一生(ひとよ)の一泊五日冬銀河

  (片づけ)
表札なぞる息も嗚咽も白き指

朝の散歩、前夜の時雨で道が濡れていることがよくあります。やはり里山であっても平地よりは時雨れることが多いようです。そんな日は二上山の雌岳、雄岳も時雨に濡れているにちがいありません。
上の五句、句帳より十一月の句を拾い集めたものです。
六、七句は回想の追悼句。
ということで、今日は時雨の句。

時雨止まねば木耳も不機嫌か  飯田龍太

木耳はキクラゲ。なんとも魅力的な句ですね。」


2019.12.1
俳句


〈2019年11月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉

  (聖林寺でチェロの演奏会、七句)
十一面観音訪(と)へば秋のチェロ

  (大悲殿(観音堂)へ)
観音堂へ階(きざ)冷え冷えとチェロの楽

観音の反り指細し暮の秋

十一面の抜け面(めん)の隙冬隣

  (チェロ演奏を立ち見)
奏者逆光お堂紅葉に開け放ち

  (中休み)
遠紅葉を光背にチェロ立て置きて

聖林寺くだれば柿を採るおきな

表現はつねに不自由柘榴爆ず

  (11月11日正午ごろ突然の霰、二句)
霰いま天上の笊篩ひやまず

  (雨傘につい香港を思う)
雨傘に霰打つ音やさしけれ

妻の語る夢の独り居冬立ちぬ

替え歌の言葉貧しき返り花

  (聖林寺の演奏会、中休み)
ひいやりと堂の畳にチェロ立てて

千の交叉も交るはなき冬木立

百足を殺しなほ弄(まさぐ)れば龍の玉

虫愛づる姫も老いたり虫も老ゆ

冬の雲亡き子の朋の消息など

流星や紙の切り傷掌に真直ぐ

やまかがし野に消え漆紅葉かな

団栗の生りやう「あっちむいて、ほい」

蓮如名号煤けて昏し夕時雨

  (得生寺の丈六阿弥陀仏)
丈六に脇侍は名のみ日短か

戦中派の義兄(あに)は雑炊厭ひけり

二上山(ふたかみ)の女男(めを)人知れず時雨けり

  (叡福寺)
しぐるるや香煙低き太子廟

遠火事や消防車の灯赤ともちがふ

霜月やチェロ立てて待つゴドー他

芸大生は紅茶飲まぬか檸檬たわわ

  (ブラジル行)
われの一生(ひとよ)の一泊五日冬銀河

  (片づけ)
表札なぞる息も嗚咽も白き指


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