「うずのしゅげ通信」
2023年9月号
【近つ飛鳥博物館にて】
今月の特集
ヒロシマ サミット(続)
フェイスブック
俳句
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
2023.9.1
ヒロシマ・サミット(続)
〈2023年8月28日にフェイスブックに投稿したものです〉
「今日の拙句です。
以前(7/26)、ヒロシマ サミットが済んで、原爆死没者名簿の風通しの様子が報じられているのを見て、つぎのような句を詠みました。
(ヒロシマ サミット)
黒鞄失せ曝涼の閑さに
黒鞄というのは、バイデン大統領に随行していた軍人が持っていた核のボタンを収めた鞄のことです。
これでもまったく意味がわからないということはないと思うのですが、やはり句だけでは少ししんどいかなと。
最近、この黒鞄を核のフットボールと呼ぶことを知りました。調べていなくて、うかつなことです。
ということで、上の句を下記のように詠み直してみました。
(ヒロシマ・サミット)
核のフットボール去り曝涼の閑さに
(注、フットボールは核のボタンを収めた黒鞄)」
これでいいかと思うのですが、あまりに頭でっかち。それが見苦しいとなると、こんな案もあります。
核の鞄去り曝涼の閑さに
こちらの方が俳句らしい。それはそうなんですが、フットボールも捨てがたい。
私は、フットボールを採用したのですが、
あなたは、どれを採られますか?
2023.9.1
フェイスブック
〈2023年8月7日にフェイスブックに投稿したものです〉
「今日の拙句です。
けふ届く電文のピカ民喜の詩
昨日(8月6日)投稿した句は、つぎのようなものでした。
けふ届く電文の「いま」民喜の詩
これでは意味するところが伝わりにくいと反省しました。それで「いま」を消して、冒頭の句のように改作しました。
ピカは季語ではありませんが、ピカを入れることで少しは俳句らしくなったかと思います。
意味の方も解釈のとっかかりになるくらいはわかっていただけるかと思います。
前回の投稿で書きましたが、原民喜の原爆小景などを読むときは、
それらの詩の電報が七十数光年宇宙を巡って今日やっと私の手元に届いたといった気持ちで読むようにしています。
それがあの日と今日を繋ぐ一つのやり方だと思うからです。
原民喜は以前から好きな作家です。好きが高じて、原家の竈猫を主人公にした脚本まで書いてしまったほどです。
竈猫といえば宮沢賢治の童話『猫の事務所』に登場する猫ですが、彼を原家の猫に想定して、広島で被爆するという朗読劇です。
この脚本、一度だけ高校の演劇部で上演されたことがありますが、以後申込みがありません。
上演希望を募っています。
最近は、脚本の宣伝が多いですが、興味のある方は、下記URLから覗いてみてください。」
朗読劇(一人芝居)「竃猫にも被爆手帳を」
−原爆をあびた猫−
2023.9.1
俳句
〈2023年8月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉
(「1945.8.6」)
けふ届く電文の「いま」民喜の詩
(小学生のころ)
胡麻干して被爆夫婦といふ噂
麦藁帽伏せて父の香昼の星
線香花火火玉敢へなき下五かな
街宣車も嗄るる切岸夏鶯
けふ届く電文のピカ民喜の詩
水筒のファスナーも鳴く今朝の秋
ロシアの核はロシアの名前今朝の秋
(『平和を考える戦争展』)
戦争展や憲法官報涼新た
災害級の残暑名づくる世がそこに
早鳴きのつくつくぼうしも二日遅れ
泉の水の処理水となるまでの忘却
(伯父の軍服)
演劇部に軍服売るる秋暑かな
(父)
外地で聞きし玉音放送語らぬままに
師と呼べる人いまは亡し落し文
(古写真)
銃後と言へど二十歳の母のふくよかに
父の部屋の風鈴はづし家祓へ
(ヒロシマ・サミット)
核のフットボール去り曝涼の閑さに
(注、フットボールは核のボタンを収めた黒鞄)
術後養ふ弱冷のプラネタリウム
近つ飛鳥に私雨か滴れり
誇らかや幼ながらに藺ざぶとん
(学校の映画会)
秋風揺らす3、2、1の映写幕
落蝉や一粒の麦と言ふには
(前の村の夏祭りは天神祭の夕べ、御神燈を連ねて昔の神社跡から合祀された神社までゆき社殿に奉納する形でした。四句)
合祀の道を提灯の汗拭ふ辻辻
伊勢音頭囃せば揺らぐ御神燈
提燈立てて遥拝の碑に腰掛けて
御神燈としばらくをゐて祭り果つ
核の鞄去り曝涼の閑さに
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