「うずのしゅげ通信」

 2024年6月号
【近つ飛鳥博物館にて】
今月の特集

いじめについて

フェイスブック

俳句

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

ご意見、ご感想は メールで。

私俳句「ブラジルの月」(pdf)
私家版句集「雛の前」(pdf)
2024.6.1
いじめについて

〈2024年5月16日ににフェイスブックに投稿したものです〉

今日は俳句ではなく、最近読んだ本のことです。
ちょっと長い投稿になりました。
中井久夫著『いじめのある世界に生きる君たちへ――いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉』
という本を図書館で借りて読みました。
中井久夫さんの本はこれまでに何冊か読んでいますが、2016年出版のこの本は知りませんでした。
中井さん自身の経験を踏まえていじめの本質をわかりやすく分析されていて、とても感銘を受けました。
この本は、中井さんの論文『いじめの政治学』を、ふじもりたけしさんが、 小学校高学年の生徒にも読めるように、「子ども向け訳」をされたものなのです。
「(いじめが)『孤立化』『無力化』『透明化』といった段階をへて完成していく」というふうな分析がなされています。
それが、中井さん自身の体験や精神科医としての経験に裏打ちされていて、すばらしく真に迫った深い分析となっています。
私は、高等養護学校に勤めていたとき、何年にもわたって『教育相談』というのをやっていたことがあります。
『教育相談』というのは、学校への入学条件とともに、 この学校に入学するのがその生徒本人にとって一番いい進路かどうかを、本人、親、担任の先生を交えて相談する場です。
(試験もあり)最終的には精神科の医者の意見も参考にして結論付けるのですが、 そこで私が一番気になったのはいじめの問題でした。小学校や中学校でいじめを受けた経験のある生徒が多かったのです。
いま顧みると、この本はきっと参考になっただろうと思います。 ふじもりさんがあとがきに書いておられるように、この本を「読むか読まないかでは、 いじめへの対応がぜんぜん違ってくる」と確信させるほどの本だからです。
話は変わりますが、高等養護学校の同僚だった友人のB先生は、腹話術の人形を手作りされていました。 口を動かさない発声などもひそかに練習されたのだと思います。生徒集会のときなど、その人形と二人連れで登場されて、 いろんな問題を楽しい雰囲気の中で指導しておられました。
彼のように人形を作ったり操ったりはできませんでしたが、私は、いじめをテーマに腹話術の脚本を書きあげました。
つぎの脚本がそれです。興味のある方は覗いてみてください。

腹話術台本「星にならなかったよだかと賢治先生」

どこかで、上演してくれないかと思っていたら、2018年の秋、 この腹話術の脚本を二人芝居としてPTA教育フォーラムで上演したいという申し入れが 弘前市立第一中学演劇部の先生から寄せられました。腹話術ではなかったのですが、それでも嬉しい申し入れでした。
中井先生の本を読んだ今、改めて振り返ってみると、この脚本はそれなりに完結してはいるのですが、 もう少しどうにかできるかもしれないという気がしてきます。とくに『透明化』の段階など、全体の流れを崩すことなく、 すこし手を加えることで、より広い視野からいじめをながめられるような劇にできないだろうかと、 脚本を読み返したりしています。そんなすばらしい本との出会いでした。



2024.6.1
フェイスブック


〈2024年5月8日ににフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

妻に吾に緑夜匂ふ一処

  (街路樹にも)
声矯めて低き街場の夏鶯

戦術核の準備をさをさ夏は来ぬ

今住んでいるのは街場の住宅街なのですが、散歩途中、鶯の声が聞けるのです。 住む前には予想もしていなかったことで毎日楽しみにしています。
遊歩道の花々は色鮮やかに咲き誇り、若葉は日差しをろ過した柔らかな萠黄の光を降らせています。 そんな遊歩道を歩いているとき、ふと花の匂いに不意打ちされて立ち止まることがあります。 それが葉桜の道のいつも同じ場所なのです。何が匂っているのか、おそらく木の花だと思うのですが、 見回してもそれらしい木をみつけることができません。ふしぎです。でもだからこそその匂いが新鮮なのかもしれませんね。
(追伸)
三句目、「夏は来(こ)ぬ」と読む人がいたら、その方がいいかもしれませんね。というか、むしろ、 「夏は来(き)ぬ」と「夏は来(こ)ぬ」が表裏一体重なっているような・・・。

〈2024年5月25日にフェイスブックに投稿したものです〉

「今日の拙句です。

  (いんげんの新芽を切られて、二句)
愉快犯か確信犯かよたうむし

よたうむしみつけるまでをいくさめく

病抜けなどまだまだ禁句茅花抜く

やっとこのかたつむりなり夏日影

十日ほど前、ミニトマトの苗を二本買ってきて植えました。それは無事ついたようです。
ところがついでに蒔いたいんげん、芽が出てはきたのですが、毎夜、数本夜盗虫に根元をかじられて、 すでに半分ほど倒されてしまいました。切られた芽の周りを掘って探すと、 ほぼ確実に丸まっている虫を見つけることができます。しかたなく殺生することになります。
腹立たしいことですが、俳句を詠むなりして、憂さ晴らしです。


2024.6.1
俳句


〈2024年5月にフェイスブックへ投稿した拙句です。〉

  (一遍聖絵に叡福寺)
痩躯一遍参籠の寺燕子花

  (花あやめをいただいたらしく)
花粉症のわれゐぬ部屋の花あやめ

帰ろふのことばせつなしかきつばた

妻に吾に緑夜匂ふ一処

  (街路樹にも)
声矯めて低き街場の夏鶯

戦術核の準備をさをさ夏は来ぬ

天金の昭和枕に夏座敷

  (勤めていた頃)
忿怒像机上に敷く日々未草

  (母、最期の入院の頃)
妻問ひの父の見舞ひや卯の花くだし

  (叡福寺に「右たゑま」の標)
聖絵の寺に標(しるべ)や夏日影

  (近つ飛鳥博物館の修羅)
修羅曳くもだんじりの子の決まりやう

卯の花くたし躙(にじ)る巌(いはほ)を騙りしは

ホスピスを淡淡(あはあは)と聞く薄暑かな

  (いんげんの新芽を切られて、二句)
愉快犯か確信犯かよたうむし

よたうむしみつけるまでをいくさめく

病抜けなどまだまだ禁句茅花抜く

やっとこのかたつむりなり夏日影

  (いまはの父は指で何かを指して、二句)
指で追ふいまはの父のほうたるか

指で追ふいまはのうつつほうたるか

  (健啖の子規さんにも)
そら豆の十四五本も焼きぬべし

老人にもなりきりがたしえごの花



「うずのしゅげ通信」バックナンバー

メニュー画面に