「うずのしゅげ通信」

 2018年12月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2018.12.1
中村敦夫「反骨」

先日NHKのETV「こころの時代」で「反骨」〜中村敦夫の福島〜が放映されていました。
中村敦夫が、自作の朗読劇「線量計が鳴る 元・原発技師のモノローグ」を持って全国の小劇場を 回っている様子が、彼のインタビューの前後に流され、朗読劇の一端を垣間見ることができました。
朗読劇「線量計が鳴る」は、3.11の東日本大震災後の原発による 放射線被曝をテーマにしたものです。
中村さんは、小・中学校時代に磐城市に疎開しておられたこともあり、福島に対する思い入れがあったため、 震災の一ヶ月後に磐城市に入られて、津波被害と放射能被害を目の当たりにしておられます。 それ以後も福島に通われ、その取材をもとに、様々の情報を参考にして、原発技師を主人公にした脚本を書き上げられたのです。
舞台にマイクと映写幕が用意されていて、その舞台に向けて客席の階段を老人に扮した中村さんが降りてきます。「ピーピー」という 電子音が鳴り続ける中、中村さんは、舞台に上り、脚本が置かれたマイクの前に立ちます。
「挙動不審?」と客席を振り返り、「ああ、これ」と音に気がついた様子。
中村さんは、おもむろに何かを取り出して、電子音を止めます。
「線量計っつんだ。ここらの放射線量を測ってんだ。……オレ、罪深い亡霊みたいなもんだね。悪意は なかったんだけんど、結果的に大勢の人を不幸にすることに加担してしまったわけだからね。 何しろ三十五年間も福島の原発で技術者として働いてきたんだから……原発は安全だ、安全だって自分も他人 もだまくらかして飯を喰ってきたんだからな。……挙句の果てに取り返しのつかない 原発事故を起こしてしまった。……」
そんなふうな自己紹介から朗読劇がはじまります。
戦争のさなか、小学一年から十年間も磐城市に疎開していた中村さんの福島弁による朗読は、当然のことながら不自然さを感じさせません。
中村さんはこの脚本を三年がかりで書き上げられたそうです。被災地を歩きまわり、取材を重ねてゆかれたのです。
推敲の書き込みが随所に見られる脚本の表紙には執筆者として「おこりんぼう」とあります。
インタビューでも言われていますが、中村さんにこの劇を書かせた動機は、この原発事故に対して誰も責任を取ろうとしない社会の不健全さに対する怒りにあったのです。その怒りが「おこりんぼう」というペンネームに込められています。
そして、こんなこともおっしゃっています。
この劇を観た観客は、「ただ観て帰ってしまうのでは、責任を放棄したことになる」と。 観たからには、怒りの炎を引き継げということでしょうか。
最後に主人公は再び線量計を「ピーピー」鳴らしながら、客席の階段を退場してゆき、劇が終わります。

朗読劇なので、脚本をマイクの前に据える形で演じられるのですが、 これもそんなに不自然さを感じさせません。
主人公は架空の人物ではありますが、その内容はすべて見聞したことをもとにしていることもあって、 作り話めいたところはなく、そういう意味で、原発事故をテーマにした劇としては、一つの可能性を示したものだと思います。
「怒り」というものについては、インタビューの中でも、繰り返し語っておられています。
その「怒り」は、先程も触れたように、原発事故に対して誰も責任を取ろうとしない、主人公のかつての職場である東京電力に対する怒りであり、またそれを許容している日本社会の不健全さに対する怒りです。また、その他、原発事故によってあらわになった世の中のもろもろの理不尽に対する怒りです。
中村さんは、インタビューの中で、 自分はこの原発技師の「怒り」を演じることで元気をもらっているとも仰っています。 だから、みなさんもこの怒りを共にしようと呼びかけておられるのです。共に怒ることで、 社会の健全さを蘇らせようと誘っておられるのです。 この劇の上演を通して、観客に社会の理不尽に対して怒ることの大切さを 思い出させようとしているのではないでしょうか。
十分な紹介ができたとは思いませんが、これはおもしろい考え方ですね。演劇にはたしかにそのような力が秘められているからです。

追伸
実は私も朗読劇を一つ書いています。朗読劇(一人芝居)「竃猫にも被爆手帳を」 〜原爆をあびた猫〜という変な題名を掲げた脚本です。題名が変だからというわけではありませんが、 まだ上演されたことがありません。
この脚本、中村敦夫が「反骨」を演じたような簡素な演出でも、十分に 上演可能だと思います。
「竈猫にも被爆手帳を」の主人公は、題名から推察されるように竈猫です。それも ただの竈猫ではなく、広島で被爆した詩人原民喜の家の竈猫なのです。
この竈猫が自分の経験した被爆の惨状を語るという想定です。だから、マイクの前に脚本を置き、ちょっとした猫の扮装をするだけで、簡単な一人芝居、あるいは朗読劇の舞台ができあがるはずです。
興味のある方は一度脚本を覗いてみてください。


脚本への入口はこちらです。
朗読劇(一人芝居)「竃猫にも被爆手帳を」
〜原爆をあびた猫〜


もう一つありました。 この脚本は、東日本大震災があってすぐに、宮沢賢治にインタビューするという文章を「うずのしゅげ通信」に書き、その後、朗読劇の脚本にしてものです。
脚本への入口はこちらです。


朗読劇「3・11 宮沢賢治インタビュー」
〜地震、津波、原発について〜


2018.12.1
フェイスブック

〈11月3日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

一蔵一腑なき身ほとりの花野かな

うそ寒や深手抱へてそぞろの歩

末枯れて漆紅葉になほの色

われの一生(ひとよ)に漆紅葉のごとき人

たとふれば尾で数ふる代の花芒

姉に凭りおとんぼ殊勝七五三

侘助と妻に教へて父逝けり

手術跡の鈍痛のようなものがあり、毎日少しだけ風土記の丘を散歩しています。入院前は桜と漆の一部だけだった紅葉も、かなり進んできました。ツツジの返り花も見られます。芒も穂を出して興を添えています。
今日は楽器の音などいつになく賑わっているので、掲示板を見ると、午後から「古墳の森コンサート」が開催されるというポスターが貼られています。近つ飛鳥博物館の回廊を歩いてゆくと、屋上階段に高校生たちが屯して、バンドの音合せをしていました。
五句までは、散歩の風景を詠んだものです。
六句目、おとんぼは末っ子のこと。
ということで、今日は花野の句。

花野ゆき行きて老いにしわらべかな  森澄雄

読みようによっては、幻想的にもまた人生を比喩的に詠んだ句とも言えますが、私は森澄雄さんの詩心の秘密を吐露したような句ではないかと思います。」


〈11月25日にフェイスブックに投稿したものです。〉

「今日の拙句です。

歎異抄に言葉灯れり石蕗の花

今生の悲喜置き去りに竜の玉

狐火や母もおんなじ夢見しか

うちつけの放送原稿十二月

返り花麻酔が醒めてよりの齟齬

これまで歎異抄を何度読んできたことか。その一節はお経のように言葉の流れとして私の中に染み込んでいるほどです。
歎異抄の魅力は、なんと言っても唯円の言葉を透かせて親鸞の言葉の息遣いを感じとることができる、そのあたりにあるのではないでしょうか。最後の最後まで残る書物のような気がしています。
ということで、今日は石蕗の花の句。

づかと還暦ひたひたと古希石蕗の花  西田もとつぐ

還暦はづかづかと、古希はひたひたと迫ってくるというのですが、今年古希を迎えた私としては、そこまではわかるような気がします。ではそれ以後はどうなのでしょうか。何歳まで生きることができるかわかりませんが、喜寿、傘寿、米寿……は、一体どんなふうなオノマトペで表される近づき方をして来るのでしょうか。」


2018.12.1
俳句

〈11月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉


一蔵一腑なき身ほとりの花野かな

うそ寒や深手抱へてそぞろの歩

末枯れて漆紅葉になほの色

われの一生(ひとよ)に漆紅葉のごとき人

たとふれば尾で数ふる代の花芒

姉に凭りおとんぼ殊勝七五三

侘助と妻に教へて父逝けり

小春日や後ろ姿の並びたる

古書三冊の匂ひ書棚に冬を置く

冬うらら老いて恙も淡淡し

表札に指押し当てて嗚咽冱つ

自転車で追ひ来る影や冬夕焼

聖夜悲し子供心の聡ければ

紅テント番ひ梟夢うつつ

昼の梟番ひて雌雄不分明

二語文を鳴いて見せてよ青葉木菟

王陵の谷はかざみち芋煮会

下読みできぬ放送原稿十一月

歎異抄に言葉灯れり石蕗の花

今生の悲喜置き去りに竜の玉

狐火や母もおんなじ夢見しか

うちつけの放送原稿十二月

返り花麻酔が醒めてよりの齟齬


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