「うずのしゅげ通信」
2016年9月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集
ショートSF「救世主」他
全身麻酔後の酸素吸入
俳句
「うずのしゅげ通信」バックナンバー
「うずのしゅげテーマ別拾い読み」
私家版句集「風の蝶」(pdf)、
私俳句「ブラジルの月」(pdf)
東日本大震災について
(宮沢賢治にインタビュー)
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2016.9.1
ショートSF「救世主」他
【その一】
相模原市の障がい者施設でむごたらしい事件が起こりました。
自分としての考え方を書こうと考えたのですが、それよりも、以前に書いたショートショートを
読んでもらう方が、より分かっていただけるのではないかと思い当たりました。
「救世主」という短編です。
発表したのは2009.12.1のうずのしゅげ通信なので、7年前になります。
興味のある方は読んでみてください。短編ですので、十分くらいで読めると思います。
ショートSF「救世主」
−健人くんと賢治先生の時間を駆ける二人旅−
【その二】
先日(8/29)の朝日新聞の俳壇「俳句時評」で恩田侑布子さんが、オウム事件の中川智正さんのつぎの
句を紹介されていました。
かのピカは七十光年往けり夏 智正
今も原爆のピカは、宇宙空間を広がり続けている。あの罪は消えることがない、ということでしょうか。
恩田さんは、「元医師でもあった自らの罪業を原爆に重ねて慄き、独房の夏にひたと向き合う。」と
解釈しておられます。
私は、十数年前に書いた脚本「地球でクラムボンが二度ひかったよ」のことを思い浮かべました。
地球で爆発した原爆のピカを、六十年後(脚本を書いたのが十年くらい前なので)、宮沢賢治が
銀河鉄道の駅の望遠鏡で目にしたところから劇がはじまります。光を発しない惑星である地球が
発したあの閃光は何だったのか? 宮沢賢治に疑念が生じます。
そこから、物語は、大変な方向にまで発展してゆきます。
興味をお持ちの方は、一度覗いてみてください。
(この脚本は、最初は二人芝居だったのですが、負担が大き過ぎると考えて、「改訂版」では普通の形に
書き直しました。最初の二人芝居も公開しています。)
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)
−宮沢賢治が原爆のピカを見た−
また、この発想は、他の脚本でもいろいろと遣い回されています。
たとえば、
短篇戯曲「人の目、鳥の目、宇宙の目」
−原爆三景−
2016.9.1
全身麻酔後の酸素吸入
私ごとですが、七月末に手術を受けました。全身麻酔の腹腔鏡手術です。
そのときの感想というか、改善してほしいと感じたことを書かせていただこうと思います。
私は、現在68歳で、もう三十年以前、私が41歳の時、これも全身麻酔の手術を受けていますので、部位は異なりますが、全身麻酔は二回目ということになります。
以前の手術のときもそうでしたが、今回の手術も術後一日はしんどかったのです。
全身麻酔から覚めて病室に戻されたとき、酸素吸入器が着けられましたが、それが不快でした。
肌触りといい、自分の呼気の生暖かさといい、言いようもなく不快でした。喉は乾いているのに、
水は飲めないし、酸素吸入器の不快感は、しんどさを増しました。
これは以前の手術のときも同様でした。
術後数日して、人心地ついたころ若い麻酔科のドクターが様子を聞きに来てくださったので、この際と、全身麻酔について聞いてみました。
覚醒したときのしんどさは、全身麻酔のためと体が受けたダメージによるものが重なっているので、どうしようもないと説明を聞いて、それはまあ、しかたないのかもしれない、
耐えるしかないのかと観念しました。
では、酸素吸入器はどうなのでしょうか。病室に戻ってからの酸素マスクの不快感について、訴える人はないのかと聞いてみました。
ドクターは、神経質な人で苦しいと言われるかたもある、認められはしました。それでは、あれしか方法がないのかとお聞きすると、細い管を鼻に通したり、鼻の穴のところに小さい吐き出し口を着けたりということも可能なようです。では、それを最初からお願いしておくことはできるのかと問うと、
できなくはない、というふうな返事。
「古い看護士さんでは反対されるかたもいるかもしれない」というふうなこともちらっと
漏らされました。
そこで、私の感想です。患者がしんどくてぎりぎりの状態にいるとき、少しでも苦しさが軽減されるのなら、どういうふうに酸素吸入をするかを選択できるようにする方がいいのではないでしょうか。
「術後の酸素吸入は、(病室に備わっている)マスクと鼻の入口に貼り付けるのと、どちらを選ばれますか?」という問いかけが、手術前の問いの項目にあってもいいのではないでしょうか。大半の患者はそんなことは気にしないとおっしゃっても、
たとえば一割の人が不快感を持ち、その人の不快感が数%でも軽減するのなら、なにしろぎりぎりのしんどさにいるわけですから、導入してもらう価値はあるように思うのですが、いかがでしょうか。
全身麻酔で手術を受けられた方で、おなじようなことを感じられたかたがおられましたら、ご意見をお聞かせください。
2016.9.1
俳句
8月にフェイスブックに投稿した句です。
自堕落に麻の作務衣を術前夜
術の朝夕立予報耳底に
夏の雲術後二日の微熱にゐ
病室に妻の気配の団扇風
しんどいのことばよろしも夏病
(PLの花火が見え)
待たるるに放屁もありて遠花火
ながらへてふぬけの響き遠花火
(血を抜くドレインが鯨の骨に見えて)
遠花火鯨の骨を抱いて寝る
ががんぼが病棟の音聴きてをり
腸(はらわた)を抜かれて西瓜提灯や
妻は見て吾(あ)は見ぬ臓器からすうり
病とは夏無為にゐてなほ主(おも)な
風船蔓ふと点滴に纏(まつ)はるる
人生のやや窮まりて炎天下
水風船をぶつけし少女原爆忌
左腎成仏したる今朝の秋
剥き桃を成仏掴むごとくゐる
かなかなのいのちおさめて逝くごとし
いのち細るやけふ新涼のくきやかに
白粥に術後の初秋養へり
新涼や耳に馴染まぬ老いの声
師も病みぬわれも病みをり熱帯夜
露思はぬに遺影となりし笑み哀れ
水風船を抱へ少女よ原爆忌
交響曲HIROSHIMA騙るサングラス
「キミョウナリズム」が俺には見えぬ広島忌
(原民喜の詩に「死体ノキミョウナリズム」という一節)
父の銃創わが腹腔鏡蝉の穴
つくづくをしと外つ国に逝き十年(ととせ)の忌
七十一の素数の蝉や敗戦忌
(南京事件の年の古写真に南瓜の神輿が)
南京の神輿や銃後の母もゐて
(病気療養中の師の話)
玉音を境に書類燃やす日々
傷口のいまだ痛むも敗戦忌
父母もゐて病後養ふ夏座敷
癒なんと自堕落にゐる秋暑かな
臓ひとつ失ひてゆく花野かな
二上山(ふたかみ)を背に妻の指す昼の月
虹柱上(かみ)つ下(しも)つと立ちにけり
撮りてけふ有明の月小さきこと
不機嫌は昭和の名残鵙日和
(大浦さんの訃に寄せて)
落蝉や母の悲しみ負ひ逝けり
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