「うずのしゅげ通信」
2020年2月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
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2020.2.1
幻想二つ
今日は死というものにかかわる二つの幻想について書いてみます。
一つは、自分の生きた光景はすべて宇宙に残っているという幻想です。
今から71年前に大阪の片田舎に私は生まれました。
産婆さんに取り上げられて赤ちゃんの泣いている光景は、その瞬間光の速さで地球を飛び出してゆきます。
月の人が高精度の望遠鏡で地球を覗いていたとすると、1.3秒後には、その光景を見ることができるはずです。
そのときの光景は今どこを飛んでいるかというと、地球から71光年離れた宇宙にあるはずです。そこに星があればその
星の住人は、71年遅れの出産の光景を目にするわけです。
ということは、私のこれまでの人生は、その出産の光景から現在の自分の今の光景までの71光年の光景の連なりの中に
すべて記録されているはずです。そんなふうにして、私が死ぬまで私の光景は発せられ続けるのです。
そして、この光の連なりは、死んでお終いということではなくて、死後もまた宇宙を飛び続けてゆくはずです。
もちろん、これは私だけのことではありません。すべての人にそれは言えるわけですから、すべての人の人生は
宇宙を飛び交う光に光景として残り続けるのです。
こういったイメージに基づいて、私は二人芝居『地球でクラムボンが二度ひかったよ』という脚本を書きました。
広島に原爆が落とされたときのピカの光が、地球から75光年離れた銀河鉄道の駅で望遠鏡を覗いていた宮沢賢治に
75年遅れで届いたところから劇がはじまります。つまり賢治は、2020年の今日、はじめて原爆の投下を
知ったわけです。劇の重要なポイントは、今日知ったというところにあります。そういう形で、
もはや過去になってしまった原爆の投下という事実を現代に引きつけようとしたわけです。そういう想定のもとに、
二人芝居の会話劇という形で脚本ができあがりました。二人の人物が登場して、次々に扮装を変えて
何役もの人物をこなしてゆくドタバタ劇となりましたが、劇としてのおもしろさは
あると自己満足しています。しかし、この脚本がある高校で上演されたあと、読み直してみて、
『銀河鉄道の夜』のような童話として、観客も見逃してくれるだろうと甘い考えで放置していた矛盾が、
あちこちで目につくようになったのです。そうなると仕方ありません。渋々手を入れることにしました。
改訂版は、登場人物を増やして一人一役としました。筋もできるだけ矛盾のないように考えました。そんなふうにして、
『地球でクラムボンが二度ひかったよ』(改訂版)ができあがりました。
両方を読み比べてみるとどこを削ってどう改変したのかわかります。
作者としては、矛盾を孕んではいるものの、最初の二人芝居の方を推したい未練はありますが、
(改訂版)はそれなりの筋が通っていてすっきりした魅力があると
信じたい気もします。改訂版はその後中学校で上演され、好評だったようです。
死にかかわる二つ目の幻想、それは次のようなものです。
この1月にフェイスブックに投稿した句から。
風花や雪の知恵の輪ほぐれけり
風花や雪の知恵の輪地にほぐる
風花のほぐるるやうに命終は
風花(かざはな)というのは、「冬晴れの日に、青空から舞い降りる雪片のこと」(角川
俳句歳時記)のことです。
風花は雪の結晶のゆるい集まり、それを知恵の輪に譬えています。その風花が舞い落ちて
地に触れるとたちまちほぐれて消えてしまいます。
一、二句はそれを絡まっていた雪の知恵の輪がほぐれてゆくと詠んだのです。
三句目は、その風花のほぐれるように、自分もまた命の終るとき、すっと自我がほぐれて消えてしまいたい
と、私のひそかな願いを詠んだものです。
一つ目の幻想とかなり違ったイメージですが、どちらも私の死にかかわる大切な幻想です。
とりあえずは、書きとめておきます。
追伸
上で述べた死生観に基づいた「命の授業」を扱った「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」
という脚本も書いています。
詳しくは触れませんが、賢治と妹のトシさんが狂言回しとして登場して「命の授業」を展開する筋書きです。
おもしろい脚本だと思うのですが、残念なことにまだ上演されたことがありません。どこかでやってもらえないでしょうか。
脚本への入口を設けておきます。結構長いものですが、興味のある方は覗いてみてください。
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」
宮沢賢治が原爆のピカを見た
「地球でクラムボンが二度ひかったよ」(改訂版)
宮沢賢治が原爆のピカを見た
「「銀河鉄道の夜」のことなら美しい」
賢治先生と妹トシによる命の授業
2020.2.1
フェイスブック
〈2020年1月8日にフェイスブックに投稿したものです。〉
「今日の拙句です。
風花や雪の知恵の輪ほぐれけり
こわいものみたさ御慶の翁面
元朝の礫のごときおめでたう
手水舎のひしゃくの柄にも氷柱かな
粗相した犬捧げきて御慶かな
去年今年縫い目ほどけしごとき雹
繊細を曝して怖じぬ冬木立
初詣に道明寺天満宮にゆきました。本殿にお参りした後、
板敷きを降りたところに毎年楽しみにしている蝋梅の木があります。
今年もまた、黄色い葉をつけたまま咲きはじめていて、いい香りをはなっています。
蝋梅の実には毒があると聞いたことがありますが、梅にさきがける香りは何にも代えがたいものがあります。
神社の裏の梅園には、まだ開花の気配はありません。ただ、探してみると、二輪ばかり、
すでに咲いている白梅をみつけることができました。余程あわてものの花とみえます。」
2020.2.1
俳句
〈2020年1月のフェイスブックに投稿した拙句です。〉
(近つ飛鳥風土記の丘の千鳥紅梅)
近つ飛鳥に年あらたまる梅二輪
(河内から大和に初詣)
二上山(ふたかみ)の女男(めを)入れかはる初詣
八ミリフィルムを繋ぐ手ぎわや去年今年
眉間に雫ス夢かうつつか冬銀河
叛旗とはいかなる旗か敗荷
無声万歳チャップリン風夢はじめ
徒(かち)強(こは)き祖師の石段初詣
初読やリュックに破れしスポーツ紙
風花や雪の知恵の輪ほぐれけり
こわいものみたさ御慶の翁面
元朝の礫のごときおめでたう
手水舎のひしゃくの柄にも氷柱かな
粗相した犬捧げきて御慶かな
去年今年縫い目ほどけしごとき雹
繊細を曝して怖じぬ冬木立
葉牡丹のかしぎて雨水あふれしめ
福引の鐘にけおされ袈裟の僧
山頂の雹みやげにと初電話
(一遍聖絵の叡福寺に初詣)
聖絵の聖おはさぬ初景色
賀状ひと筆正坐のできぬ異国の師
(近つ飛鳥博物館)
安藤建築一望にして小春かな
(芸大の散歩)
原寸大の木っ端トナカイ雪催
虎落笛村出て系図はぐるるか
(のさばるの「のさ」)
寒卵意地で回らぬごときのさ
声失せてモノクロの母女正月
(賢治しかり、岡潔しかり)
天才のひょいと跳ぶ癖春一番
風花のほぐるるやうに命終は
(福井県)
義父義母は雪の雫の葬(はふ)りかな
(詩人の岡野絵里子氏)
天地揃への句は目が嫌ふ霜柱
人体模型の夜を水仙匂ひけり
少年の独楽とプリズム小抽斗
若き遺影の顔翳るまで雪明り
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