2008年〜2009年

夢、、現、、幻、、

「ただ一つの夢、幻物語」を、
求め続ける私は旅人。

ただ過ぎに過ぐるもの
 帆かけたる船。人の齢。春、夏、秋、冬。
枕草子




[狩猟日記] [伊能ウォーク] [言葉の十字路] 「風よ、雲よ、人よ」

「食いしん坊」 「猟場2006」 「2007〜」 「2009〜」





落日

『ここに地果て、海始まる』
ルイス・デ・カモンイス

ポルトガルの「ロカ岬」に立つ詩碑

私は「人生最果ての岬」に立っている。

日は落ちぬ つめたき炎 わだつみの はてなる雲に くすぼりて燃ゆ
牧水、



微かに「春」

狩猟という、ともすれば殺伐な心になりがちな世界にいる私に、
ある佳人が、春の予感「蕗の薹」を送って下さった。
猟場にもかなりの積雪だが日溜まりでは、
やはり春を告げるように可愛らしい小さな頭をのぞかせている。
いつも少しだけ摘んできては「蕗の薹味噌」を作ったり、
朝の味噌汁の薬味にしたりして、ほろ苦い早春の味を楽しんでいる。
壊れつつある地球でも四季は巡ってきて、まもなく春。
私の人生の「春夏秋冬」は春と夏は終わり、晩秋と冬の季節だけになったが、
「彼の人」の、いつまでも暖かくて優しい「春」の人生に乾杯。

蕗の薹 の舌を逃げゆく にがさかな
虚子




吉川さん奮闘記

土曜日の狩り(三名)
1ラウンド目、吉川さんの二発の銃声で十五貫程度の牡猪を獲る。
2ラウンド目は舛中さんが仕事で早退して二名で狩り。
やはり勢子の吉川さんがベテランらしく愛犬「チコ」の、
追ってくる三頭の牝鹿のコースを的確に読み取り、
待ち伏せしてネックショットで倒した。

猪と鹿の二頭の解体処理はさすがに疲れて熟睡の夜。
それにしても、あと一台冷凍庫を注文しているのに、なかなか届かない。
知人に押し売りに忙しくなりそうである。

そして日曜日
今日は三名揃っての巻き狩り。
最初の猟場で二頭の牝鹿に吉川さんが三発撃ったが巧みに逃げられた。

午後から今年初めての猟場に場所を移しての狩り。
誰も入らない場所だけに辺り一面、鹿の足跡。
心高ぶらせながら 開始すると直ぐに八頭の鹿群が舛中さんの待ち場へ。
残念なことにショットガンのため装填弾数は三発のみ。
うち一頭が半矢になり、あとはすごい物音と共に疾風の如く消えて行った。
跡を追ったチコとクロだが、そのクロが険しい岩場に入り込み、
降りて来られなくなってしまった。
天気は急変し霙交じりの突風が吹き荒れてくるし、
一刻も早く救出をと胃が痛くなるほどの焦燥感の中で、
意を決して高所恐怖症も忘れ、岩場へよじ登った。
積雪にすべり落ちる恐怖に身が竦む思いがしたが、
なんとか狭いテラスで動けなくなっていたクロを発見し助け出した。
犬達は私たちのかけがいのない大切な「相棒」である。
猟に連れて出る限り、どんなことがあっても
必ず一緒に連れて帰らなければならない決意と覚悟を持っている。

重装備の衣服に下着まで汗でずぶ濡れになり、
山から携帯で家人に直ぐ風呂を沸かしておくように依頼して 帰宅し、
熱めのお湯のに身をひたしたときの心地よさとビールの味は
これ以上はない「いい時間」が流れるひととき。
でも、クロよ。本当によかったなー。



二連敗

昨日、そして今日と小雪の舞う中で吉川さんと二人で狩り。
土曜日には大鹿が私の待ち場に掛かった。
10メートルほどの距離で完全に照準に捉えて撃つ瞬間、
鹿が私に気づき急ブレーキを掛けて止まったが、
その反動からか、まるで漫画のようにその鹿が躓いてひっくり返った。
撃ってもいないのに倒れた鹿に驚いて思わず引き金を引いてしまった。
次の瞬間、目にも留まらぬ早さで飛び起きた「彼」は、
脱兎(脱鹿.笑い)のごとく走り去ってしまった。

そして今日、日曜日。
完全に私たちの作戦勝ちで狙い通り、また私の待ち場へ来た。
数頭の牝鹿が目の前の獣道へ走ってきたが、
腰掛けていた三脚椅子が倒れて、それを起こしているほんの一瞬に、
背尾道へと消えて行ってしまった
集中力が持続できない精神力の衰えに、
地団駄を踏むくらいの口惜しさに呵まれるとともに、
雪の中を物ともせずに勢子をしてくれた猟友に申し訳なく、
ただただ、平謝り。
解禁日以来、上昇気流に乗ってきた私の猟運も下降時期に入る。
さあー、もう一度、銃を丁寧に手入れして、気分も新たに明日へ。

でも、小さな声で、、、
見事に逃げおおせた「彼」と「彼女」、よかったね。
また、「いつか」そして「何処かで」逢おう。



三の叉大鹿

昨年の猟期が終わってから一年間、毎日、身体を鍛えていた。
以前は、とりわけ何もしなくても体調や身体能力は維持できたが、
やはり自然の摂理で、老いとともに心身の衰えから逃れる事はできない。
そこで雨の日も風の日も休むことなく毎朝歩き続け、
屈伸運動、そして動体視力、周辺視野、瞬間視力のトレーニングも欠かさなかった。
特に目の訓練には昔の海軍戦闘機操縦士が行っていたと言われる方法を
取り入れて、疾走する車のナンバーを瞬時に読み取ったり、
林立する看板の色彩や文字をとっさに記憶したり、
絶えず周辺の風景に視野を巡らせ、視界の瞬間移動を鍛えたり、
夜空の星を熟視したり、ありとあらゆる方法を試みていた。
勿論、暗い木立の中で撃つことが多いので、鶏の肝、ブルーべーリーなど、
目に効くビタミンの含有量の多いものを、
日常的に摂取する事を心がけて過ごしていた。
長い射撃歴もあり腕にはいささかの自信もあるが、
その努力が実ったのか、今年は全て一発で射止めることが出来ている。
それも、殆どが無用の苦しみを与えることのないネックショットであった。

月曜日
久々に全員三名が揃い積雪の森で狩り。
かなりの距離のある尾根道を「チコ」に追われて
全速で駆けている大鹿を、 一発のネックショットで倒せた。
大きな鹿だけに肉の量も普通の鹿の倍近くあり、
三名とも冷凍庫はすでに満杯のため、処理に悩み多し。



牝鹿

土曜日
猟場には四輪駆動のジープでも少しコワイほどの積雪。
いつもの狩り場は粉雪と濃いガスで視界不良のため中止し、
麓へと移動して二ラウンド目を開始。
待つのは私一人だが手慣れた場所だけに
この待ち場に来るという自信があった。

程なくチコの追い鳴きの声と同時に鹿が全速で
勢子の吉川さんの側へ駆けてきたが、雪山用の厚手の手袋のため、
安全装置の解除に手間取り逃げられたとの連絡。
しばらく息をひそめながら待っていると
下の方をその鹿が横切ろうとしているのが視界に入った。
かなりの距離に少し動揺しながら発砲、、瞬間、千鳥足になるのが見えた。
幸い、追ってきた「チコ」がすぐその半矢になった鹿を咬み止めてくれた。
今年初めての「牝鹿」。

「彼女」には申し訳ないが、「牝」はすこぶる美味。
早速、得意の味噌漬けを沢山つくって知人にお配りしよう。



小さな夕陽色

しばらく中断していた干し柿作りを再開
数年前までは猟場自生の柿で毎年作っていたが
人通りが増えるにしたがってやめていた。
しかし、干し柿には多くの健康への効用が含まれており、
身体のことも考えて、再び作ることにした。

(ポリフェノール.ビタミン.カロテン.食物繊維.ミネラル等)
柿の学名.ディオスピュロスカキ、、神の食べ物を意味する。

朝夕、霧吹き器で焼酎を吹きかけるのが楽しい日課。
通りすがりの人々から不思議そうによく尋ねられる。

「それ、、、なにをしているのですか」と。
「カビ防止、、、甘みの熟成、、そして自己満足、、」
それが私の答え。

「柿干して けふの ひとり居 雲もなし」
      水原秋桜子



石火の煌めき

土曜日
いつもの猟場の待ち合わせ場所に急いでいた。
山道に差しかかれば絶えず視線を周囲に走らせている。
ふと前方の小高い丘の上に二三頭の鹿が居た。
次の瞬間、遊底を操作し薬室に弾を送り、安全装置を解除、同時に据銃、、
照準器をのぞき込み、引き鉄を静かに絞る。
長い間の訓練の賜物で意識せずに身体が流れるように動作している。
その間、わずか二三秒。早朝の森に響く一発の銃声。
「彼」は崩れ落ちるようにその場に倒れた。

早速、猟友に携帯で連絡し、全員集合して回収する。



幻想の世界.灯りのお家

光りと、、陰影と、、クリス.マス、、そして幼い日々への郷愁

三軒向こうのお隣、カフェテラスのクリス.マス飾り。

「胡桃など割って ひとりゐ クリスマス 」
      山口青邨



若き日々よ、いずこへ

日曜日
午前中時雨れ、、午後晴れの中、、三名で巻き狩り。
一ラウンドはすぐに待ちにかかったが、三発の弾をかいくぐって、
「彼」はあざ笑うが如く、悠々と立ち去っていった。

仕切直しの二ラウンドで、勢子が牡鹿を倒した。
待ち場で倒すのと違って勢子が撃つ場合、搬出が難しいことが多い。
急勾配の斜面を電動ウインチを使い、二時間かけて林道へ運び出す。
谷川での内蔵処理、そして工場での解体と六時間の作業に、体中が悲鳴を上げた。
久しぶりにきれいな湖上の月を眺めながらの深夜の帰宅となる。

今日は身体の至る所に貼り薬、ベタベタとまだら模様のオブジェ。
斜面で幾度も転んだ。
ああー、「老いという名の黄昏どき」はカナシイ。笑い

「大寒や転びて諸手つく悲しさ」     
西東三鬼



豊潤.美味

狩猟の世界には古い「またぎ言葉」や「尺貫法」が残っている。
例えば撃つことを「矢を射かける」手負いになったことを「半矢」などである。
それと同じように重さはキログラムではなく貫目で現す。
その伝でいえばこの豊満な牝猪は18貫の立派な猪。
初霜も初雪も未だのこの時期、全身にバターを塗った様な脂に覆われた、
味にこだわりのある人たちの間では珍重される肉質を持つ素晴らしい猪だった。

いつものように三名で獲ったのだが、
今回、射止めた人は、、、「ミステリアスな人」、、笑い。




鴨ロース

「鴨すき」や「鴨燻製」はよく作るが「鴨ロース」は久しぶり。
私の住まいのすぐ近くに鴨料理の有名な老舗があり、
昔、亡くなられた先代のご主人に作り方は教えて頂いたことがあった。
その事を思いだしながら料理をしてみた。
作り方の手順は比較的簡単なのだが、全ての料理に言える通り、
それぞれのコツが手の内のものになるのはなかなかである。
それでも、なんとかそれらしきものが出来上がった。
味だけは猟友が獲ってきた天然の「カルガモ」であり、
漬け汁の調味液は厳選したものを使ったから、すこぶる美味。

とっておきの「ワイン」で「男の野性料理」に乾杯!




日の出と共に

平日なので自営と言えども時間が制約されるので、
前日に見切っておいた猟場で早朝より狩り。
そして再びレザー.ビーム照準で射止めた。

解禁日より二週間で、すでにそれぞれの冷凍庫が満杯。
最近は鹿肉料理がテレビ.雑誌.新聞などで取り上げられて
一種のブームになり、欲しい方が増えたのでお裾分けで大忙し。
鹿肉は脂肪分が少なくて、それでいて栄養価が高い高級食材である。
そして大変美味でもある。
ヨーロッパでは牛肉よりもはるかに高い値段だと、
オランダに駐在されていた知人からよく聞かされていた。
わが国でもホテルのレストラン、ジビエ料理レストランなどで需要が急増とか。
鹿君の受難の傾向に拍車がかかりそうだ。



2008年冬、、われ未だ老いず

土曜日、
勢子の吉川さんと二人で狩り。
いつもの頂上の狩り場から麓の里山へ降りる
待ち場が一人なので過去のデーターを検討し待機した。
開始早々、チコの追い鳴きの声が聞こえると同時に
無線機から吉川さんの「そちらへ行くぞ」との連絡が入る。
間髪を入れず斜面から牡鹿が狭い林道へ飛び出してきた。
二メートルほどの狭い幅の道で、撃つチャンスは一発しかない。
条件反射で身体が反応し引き金を引き、
これ以上はないというネックショットで、 その場で倒すことが出来た。
猪と違って鹿は肉質に当たりはずれが多いが、
とても良質の肉でいろんな料理でご馳走になれる。

そして日曜日、
三名の全員が揃い早朝から狩り。
舛中さんが五連射でやはり牡鹿を射止めた。
連日の猟果で解体作業で疲れ、今日は久しぶりに休養日。




アサド風に

ほの暗さが残る林の中でレザー照準器の威力だと思うが、
舛中さんが見事に二頭の猪を射止めた。
本当はゴルゴ13並の実力射手だから
レザー光線のお陰ではないとの声あり。

温暖な気候のためエサが豊富なのか、脂も乗りメタボ猪。
アルゼンチンのアサド料理風に塩のみで味付けし
カンカンに熾した炭で焼いてご馳走になることに衆議一決。
勿論、肉の塊から切り分けるのは包丁ではダメ。
それぞれ腰に帯びた自慢のハンター.ナイフでなければならない。
塩はこのような日に備えてペルー.マチュピチュ土産に頂いて
大切にしまっておいた岩塩。
味の見事さを書くと妬まれそうなので、
食べたい方はどうぞお越し下さい。三名様まで。笑い。

とりあえず谷川の手が痛くなるほどの冷たい流れで
丁寧に処理をした内臓で「モツ鍋」
これこそ、ホンモノのモツ鍋の味で
この味を知ると市販のものは食べたくなくなるほど。
猟師冥利に尽きる味を堪能する。

男たち、人生の美酒に酔う!



帰り花

季節的にはいま咲く花だと思う。
しかし私にとっては「帰り花」。
流れていって多くの時間とともに、
消えていった「あの日」のことはかすかな思い出なのに
戴いたこの花が咲き乱れると、あざやかな記憶として又甦る。

通り過ぎてきた人生の折々のまわり角に咲いていた恋の花が、
思いもかけず再び咲いたような気がする。
落日の私は「狂い花」、、「忘れ花」。(笑い)

凩(こがらし)に 匂ひやつけし 帰り花 
 芭蕉



少年たちの心も高揚(紅葉)

猟場の自生の「柚子」をたくさん入れてのボタン鍋、
良質のバターのような脂身をゲランド塩で炭焼き肉、
菊姫の吟醸酒で「男のロマンの世界」へ乾杯。

杯を傾け底の見えるまで飲み明かそう。
君知るや、この悦楽を、、、、!。

心も身体も、そして、もみじ葉までも酩酊中

狩猟解禁日まであと一週間。
仲間三名と猟場を歩き、
あと、いつものお店で初日の打合の飲み会。
それぞれ四十年近いベテランハンターだが、
初心に返り事故のないように心を引き締めることを、
確認し合い、豪快にグラスを傾け合った。
すっかり少年モードに突入。

たかだか狩猟、、、されど狩猟。



日本の知性、逝く

背骨の太い最後の「日本男児」筑紫哲也氏が逝去された。
この国が再び戦前の危険な道へと右傾している今、
かけがえのない良心派の知識人を失うことの大きさに、
慄然とする思いがする。
時流や権力に阿ることなく、報道人として毅然とした姿勢を貫き通した生涯に、
心から尊敬と哀悼の意を捧げる。

テレビは殆ど見ることのない私は「ニュース23」での氏は存じ上げないが、
朝日ジャーナル、創刊以来愛読している「週刊金曜日」などで、
謦咳に接する思いで筑紫氏の文章を読ませていただいていた。
久野収氏、そして筑紫哲也氏が亡くなられたが、
「週刊金曜日」のますますのご活躍を願って。



十一月の詩. 谷川俊太郎

分からない

ココロは自分が分からない
悲しい嬉しい腹が立つ
そんな言葉で割り切れるなら
なんの苦労もないのだが

ココロはひそかに思っている
コトバにできないグャグチャに
コトバが追いつけないハチャメチャに
ほんとのおれがかくれている

おれは黒でも白でもない
光りと影が動きやまない灰の諧調
凪と嵐を繰り返す大波小波だ
決まり文句に殺されたくない!

だがコトバの檻から逃げ出して
心静かに瞑想していると
ココロはいつか迷走している(笑い)

私も自分のココロでありながら
自分自身でもどうすることも出来ない部分がある
捉えようのない焦燥感
とりとめのない不安感
そして今日も過ぎていく



街の灯りが消えていくように

ポール.ニューマン、チャールトン.ヘストン、
緒形拳、峰岸徹、に続いてフランク永井の訃報。(敬称略)
我が青春の舞台の一つ一つに幕が下りて行く。

小高い丘の上に車を停め、更けて行く街の灯りを眺めていた昔のあの日々、
夜が過ぎて街の灯りがポツリポツリと消えて行くのを
息苦しい程の切なさで見ていたあの寂寥感が再び甦ってくる。
遠い日に友人のバンドで歌っていたことのある私は、
フランク永井氏の「恋人よ我に帰れ」と「有楽町で逢いましょう」が十八番だった。
当時の有楽町界隈には特に思い入れがある。
あの懐かしガード下の夜のざわめき、、そして夜の匂い、、。
今日は店のBGMに「有楽町で逢いましょう」をリピートを掛けて流している。
今夜だけはお気に入りの酒場で飲み明かす。

有楽町で逢いましょう

作詞 佐伯孝夫 作曲 吉田 正 唄 フランク永井

  あなたを待てば 雨が降る
濡れて来ぬかと 気にかかる
ああビルのほとりの ティー・ルーム
雨も愛しや 唄ってる
甘いブルース あなたと私の合言葉
「有楽町で逢いましょう」

  心に沁みる 雨の唄
駅のホームも 濡れたろう
ああ小窓にけむる デパートよ
今日の映画(シネマ)は ロードショウ
かわす囁き あなたと私の合言葉
「有楽町で逢いましょう」

  悲しい宵は 悲しいよに
燃えるやさしさ 街灯り
ああ命をかけた 恋の花
咲いておくれよ いつまでも
いついつ迄も あなたと私の合言葉
「有楽町で逢いましょう」

知り合った。
 愛し合った。
 別れた。
そんな恋をくり返していた時代の私たちの合い言葉は、
「またいつの日か、、そしてまた何処かで」

二度と逢うことのない予感に胸ふたぎながら
悲しくて空しい合い言葉だった。



夢よ醒むるな

黄昏刻の逢魔ヶ辻で一瞬みた幻影。
それは間違いなく長い旅路に求め続けてきた偶像の筈だった。
でも、やはり仮想世界での幻覚だった。

夢芝居の幕が下りると同時に、
心の中に大切に秘めていたものがさらさらと砕けて行き、
あっけないほどの儚さで引き潮に流され去っていった。
なにかが吹っ切れたような気がして北の国へ小さな旅。
まもなく始まる狩りの猟場も彩とりどりに染まり、
能登路の峰々も大火のような紅葉が始まっている。
それとともに犀川の畔の「おでん」が恋しい。
頃合いに冷えた吟醸酒が、
私の心を「あの日々」と「あのお店」に誘う。

心酔わすため猟期前のつかの間の、
再びの感傷旅行へ。

淋しさの果てなむ国ぞ 今日も旅行く
牧水



落魄

「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」

軽薄で幼稚な自己陶酔型の「男」が居場所を失い、
退場を余儀なくされようとしている。
彼が権勢を思うがままに振るい、得意の絶頂にあるときから、
この「HP」で厳しく批判してきた私にとっては当然の帰結。
政治家と言うより劇場型物語の主人公を演じることに、
彼自身のすべての目的があったと思う。
彼の功罪についてはこれからも喧しい程、メディアが論じるだろうが、
万死に値する「罪」はあっても「功」はない。
売国奴的な彼はすみやかにすべての舞台から消えていくのみ。



思い惑う心

図書館にいたら猟友から急な呼び出しがあり、
愛用のナイフを取り出してきて出向いた。
有害駆除の檻にかかった猪の処理である。
長い年月、狩猟をしているのにいつまで経っても、
親子連れの猪や鹿は心が痛み耐え難い。
「物の哀れ」が切々と胸に迫ってくる歳になったいまは、
そろそろ潮時なのかな、としきりに考えさされる一日だった。

帰途、梅花藻の咲く所の湧水を汲みに立ち寄っての一枚。
仮想世界での古い知人から届いた玉露を入れて喫する。



秋刀魚の歌.

あわれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝えてよ
男ありて
夕げに ひとり
さんまを食らひて
思ひにふける と。

さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひを あやしみなつかしみて 女は
いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕げにむかいけむ。
あわれ、人に棄てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかえば
、 愛うすき父をもちし女の児は
小さき箸をあやしみなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむと言うにあらずや。

あわれ
秋かぜよ
汝(なれ)こそは見つらめ
世のつねならぬかのまどいを。 いかに
秋かぜよ
いとせめて証(あかし)せよ、
かのひとときのまどいゆめにあらず と。

あわれ
秋かぜよ
情(こころ)あらば伝えてよ
、 夫に去られざりし妻と
父を失はざりし幼児(おさなご)とに
伝えてよ
男ありて
夕げに ひとり
さんまを食らひて
涙をながす と。

さんま、さんま、
さんま苦(にが)いかしょっぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいずこの里のならひぞや。
あわれ
げにそは問はまほしくをかし。

{佐藤春夫}

沸き立つような夏雲がいつの間にか消えて、
雲が薄く流れていく秋の空になった。
猛暑と言うより熱風との戦いの日々がやっと終わった。

秋風が立ち始めると、いつものように私の儀式。
銀色に輝く大ぶりの秋刀魚、珪藻土の七輪、備長炭が、その三種の神器。
駐車場でしたたり落ちる脂煙を渋団扇で扇ぎながら「秋刀魚の歌」を口ずさむ。
焼き上がった秋刀魚にスダチを搾り、ジューと音を立てているの頬張る。
これが数十年続けている私の秋の始まりへの「ささやかな儀式」。

さあー、「風立ちぬ.秋」。

仰天の余白編

いい匂いと立ち上る煙に物珍しいのか、
数名の花も恥じらう大和撫子美女群が立ち止まり話しかけてきた。
魚を炭で焼く美味しさを縷々説明しながら、ついでに訊ねてみた。
「あなた達、、佐藤春夫の「秋刀魚の歌」って、知っていますか。」
一瞬、きょとんとした表情でお互いに顔を見合わせながら、彼女たち宣うた。
「あのー、「さんま」なんて、歌のCD出しているのですか。」
今度は、私がきょとんとする番。
素早く思考回路を巡らせて、その意味を理解した。
電子箱紙芝居(テレビ)の世界でバカバカしいダジャレがお金に替わる笑売人の名と
取り違えの勘違いのようだ。

もうあとは心の中で苦笑しながら返事もせずに、無言のまま渋団扇をバタバタ!。 (笑い)



狩猟の「ひと言集」

★狩猟のルール、それは自然のおきて以外にはない。
「ヘミングウェイ」

★すべてのスポーツには勝敗がある。
狩猟も例外ではない。
貴方の銃口から獲物が逃げ去ったとき、
貴方は敗れたのだ。
「チャールス.ランカスター」

★よいハンターとは、いつも自分の弾丸ではなく、
猟友の弾丸が当たったのだと思う人である。
「ジャック.オコーナー」

★一足二犬三鉄砲
「日本の諺」

★狩猟は少年の日の夢の続き

さまざまの事件の影響を受けて、
非常に厳しくなった銃の所持許可だが、
今回の更新審査も無事に終わり、
感慨を込めて銃の手入れをしている。



七月の詩

彼女を代弁すると

「花屋の前を通ると吐き気がする
どの花も色とりどりにエゴイスト
青空なんて分厚い雲にかくれてほしい
星なんてみんな落ちてくればいい
みなんなんで平気で生きてるんですか
ちゃらちゃら光るもので自分をかざって
ひっきりなしにメールチェックして
私  人間やめたい
石ころになって誰かにぶん投げてもらいたい
でなきゃ泥水になって海に溶けたい」

無表情に梅割りをすすっている彼女の
Tシャツの下の二つのふくらみは
コトバをもっていないからココロを裏切って
堂々といのちを主張している

谷川俊太郎.「こころ」から引用



ラベンダーの香り

毎朝、花の匂いに包まれながら歩いている。
今はラベンダーが盛り。
花言葉
『あなたを待っています・期待・承認・優美・豊香・不信・疑惑・沈黙・』

その言葉を反芻しながら、
十代の恋、、二十代の恋、、三十代の恋、、大人の恋、、黄昏の恋、、
さまざまな出逢い、愛憎、別離の日々を思い出している。

『恋のなかには、つねにいくぶんかの狂気がある。
しかし狂気のなかにはつねにまた、いくぶんかの理性がある。』
ニーチェ

だから、私は狂死することなく、今日まで生きてこられたのかも知れない。



文月

誕生月、、、偶然に生まれ、必然に老い、いつしか数十年。
誕生日が一つの区切りになっているために
車の免許、銃の免許などの更新が重なり、
必要書類の取りそろえなどで慌ただしい文月の始まり。

いろんな講習.適性検査があるが、邪馬台国人の遺伝子を、
濃厚に受け継いでの短足胴長の二分割体型ながら、
両親が健康な身体として生んでくれたので、
身体能力にも恵まれおり、すべて難なくクリアー。
これで男としての浪漫、「車、銃」については、
あと暫くは夢を見続けることができる。

もう一つの夢は、黄昏風景の中でゆっくりと想い出のページを、
読み返すだけになってしまった。

帰らざる、あの熱い日々のことは、
儚い一朝の幻。

蛍も、甘い恋の水に誘われて、ひと夜限りの光りの乱舞

『恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす』
山家鳥虫歌



よき友

『よき友、三つあり。一つは、物くるヽ友。二つには、医師(くすし)。三つには、知恵ある友』
徒然草

兼好法師も言っているように物をくれる友は嬉しい。
高価な物ではなくて、それが、「おにぎり」一つでもいい。
暖かい優しさがギュッと詰まった贈り物が一番。

知人が無農薬、有機栽培で手塩に掛けて育てた野菜が、
海峡を越え数百キロの道のりをやってきた。
どんな豪華な頂き物より心を豊かにしてくれる。

医師(くすし)の友も、知恵のある友も欲しいとは思わないが、
このような「友」は終生の交わりでありたい。

レモンの花咲く南の国の「君」、、ご馳走様。




相合い傘

梅雨、、、相合い傘の季節

『半分(はんぶ)ずつさすと傘(からかさ)恋になり』

それとも、、、

「月さま、、雨が、、」
「春雨じゃ、濡れていこう」

あの柳並木を蛇の目傘で歩いているのは、何処の何方やら。




平成砂漠

東京に新しい地下鉄が開通したらしい。
例によって無機質な記号にすぎないような名前(副都心線)
取り上げた報道には、それによって地理的条件の差異により生じた、
かく「有名デパート」の来客数と売上高の増減の数字が殆どだった。
都民の利便性や車の排気ガスの減少についての記事は見あたらない。
相も変わらず、「金」「金」「金」「金」、、、経済効率とやら、のみ。

この国は急速に、
「もののあわれ」「はじらい」「つつしみ」「ゆかしさ」「おもいやり」などが、
失われて行くが、
それどころか「浪漫」さえなくした人々の集団になりつつある。
由緒ある「地名」を捨てて、
「記号」としか思えない無味乾燥な地名に変えてしまったり、
人生の先輩を「後期高齢者」などとは、その行きついた果てだろうか。
昭和も激動の時代だったと思うが、それでも人々には「夢」も「情緒」もあった。
地下鉄のこと一つを取り上げてみても、
機知、浪漫、ユーモアー、人情に満ちた地下鉄を舞台の小説もあり、
とてもいい詩を詠んだ歌人もいた。

その、大正昭和浪漫の残影を懐かしんで。

詩.『昼でも暗い中を 走らなければならない
お前不幸な都会の旅人よ』
地下鉄の詩

小説.『地下鉄サム』
著.ジョンストン・マッカレー



多情多恨

散歩の道すがらに桔梗撫子が咲いていた。
いつの間にかマンションが建ち並び、
四季折々の花が植えられている。
それぞれの花言葉を考えながら、
過ぎた日に思いを巡らせながら歩くのが好きだ。

桔梗撫子は「多情」、、、とか。
そう言えば私も「多情多恨」。

「人間は誰でもみんな、灰色の魂を持っている、、、 だから、ちょっと紅をさしたがる、、、」
『ゴーリキイ.どん底』

その、ほんのささやかな「紅」の夢を見続けている。
私には、それは狩猟であり、、、旅であり、、、めぐり逢いであり、、、
「狩猟」と「旅」の夢はこれからも見続けるだろうが、
あとの「ひとつ」は難しいものだ。

「共通の過去を持ち、何でも話し合い、何でもすることができて、
しかも、いつまでも他人でいられる男と女って、
まれにしかあるものでない。」
『伊藤整.変容』



雨に似合う花

雨の日を選んで、水辺の「あじさいの花」を見に出かけた。
数々の数奇な物語に彩られた湖を一周しながら、
伝説や歴史の世界に思いを馳せての「私だけの時間」

こころをば なににたとへん
こころはあじさいの花
ももいろに咲く日はあれど
うすむらさきの思い出ばかりは せんなくて

「萩原朔太郎.こころ」



雨に歩けば(Just Walkin' In The Rain)

梅雨入りした。
雨の朝も樹雨に濡れながら歩いている。
あのミュージカル映画「雨に唄えば.(Singin' in the Rain)」の、
ジーン.ケリーの様に、 雨傘をクルクル回しながら
懐かしいジョニー.レイの、 「雨に歩けば」を口ずさみつつ、
少年気取りである。
でも、残念ながら、あの日々のような軽やかさとは、ほど遠い。
いつしか旅路に老いた。

故をもて旅に老い
故をもて家もなし
故をもて歌はあり
歌ふりて悔いもなし
三好達治



初夏の味覚、桜桃

お客様が丹誠込めて栽培されている「さくらんぼ」と「いちご」を戴いた。
露地栽培で太陽の恵みをいっぱい受けて育った「畑の命」は、
言葉にならないほど美味しい。

その上、健康にもすぐれた効用が多く含まれているとの事
早速、毎日の夕食の果物として食膳にのぼっている。

主な効能
高血圧予防、動脈硬化予防、心筋梗塞予防、脳梗塞予防、
貧血予防、眼精疲労(輸入物)、便秘改善
カリウムの含有量が比較的多く、高血圧や動脈硬化の予防に期待でき、
また、葉酸が比較的多く貧血予防にも効果的。

なんだか、私たち黄昏世代御用達の果物のよう、、、笑い。

茎 右往左往 菓子器の さくらんぼ      高浜虚子



ピーマン

子供の頃、きらいな食べ物は「椎茸」「人参」「ピーマン」。
箸で取り除いては両親に叱られていた。
そのどれもが身体にとって、とてもいい食べ物なのに、、、

長ずるに従い「椎茸.人参」は食べるようになったが、
ピーマンだけは炒め物かジュースに入れて、ときどき食する程度。
出来るだけ黄緑野菜を摂ることを心がけての食生活に、
何とか一工夫をと、考えていたところ、
ある方が何処かで書かれていたのを思いだし、
スープの青みに使われることもあるので、
毎朝の味噌汁に、他の具と共に細かく刻んで入れみた。
味噌の風味、、、ピーマンの香り、、、渾然一体の美味。
毎朝、葱とピーマンを刻むのが私の楽しみの日課になる。

味覚とは「独断と偏見」の最たるものだが、それでも言う。

美味探求の旅人よ、、是非、一度お試しあれ。

画像は飛騨高山の「大のや醸造.糀味噌」




あの日々は夢

五月は好きな季節で、いつもは車で小さな旅をするのに、
今年は体調の加減で殆ど家の中で過ごしていた。
そんなとき、司書をされている知人が市町村合併で、
新しく増えた図書館へ赴任され、
ご案内を受け、ドライブを兼ねて車で訪れてみた。

緑の匂う風景の中に建物があり、館内は空間が広く、静謐が保たれ、
職員の方達の応対も、細やかな配慮が行き届いており、
感動を覚えるほどの、静かな時間を過ごせた。
最近、少なくなりつつある素晴らしい雰囲気のある図書館だった。

驚いたことに、
十数年前に鴨や雉の狩りに来ていた雑木林や草原が造成されて、
そこに図書館を含めていろんな施設が造られていた。
今は、旅立って逝った犬達が駆けめぐっていた往時を思いだして、
感傷に浸る五月の一日。

記憶を辿り、池のあった付近へ行ってみたら、
なんと、その池が残っていて、
あの日々と同じようにカルガモが数羽浮かんでいた。
一瞬、遠いあの日にかえった様な幻覚におそわれたが、
しかし、移ろい去っていったものはすべて夢の中。

「時」の歩みは三重。
未来はためらいつつ近づき、
現在は矢のようにはやく飛び去り、
過去は永久に静かに立っている。
シラー




秘めた多言

失われた時代の男の美意識と価値観がここにはある。
この国には二度と戻ることのない世界。




また逢う日まで

一片ひとひら、花びらが何かを語りかけながら散って行く。
また逢う日までなのか、サヨナラだけなのか、それとも、、

わが身の行く末は知る由もないが、
次の桜の季節にも花の下を歩きたい。

わがみもし 春まであらば たづねみむ 花もその世の ことな忘れそ




色は匂へど散りぬるを

「色は匂へど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて浅き夢見し酔ひもせず」

湖風(うみかぜ)に散らされずに、今しばし咲いていよう。

しかし、やがては、、、
「散る桜 残る桜も 散る桜」

わが身に重ねつつ、今朝の湖畔桜。




花灯り

遠来の知人と夕暮れの湖畔をそぞろ歩き。
春の夜風、、緑なす黒髪、、花灯りに映える横顔、、散る桜、、
幻想的な春宵

「清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」
みだれ髪

 


たんば色

『ずっと青が好きだった。何故かは分からない。
すべての思い出の背景には、
眼に沁みる青が冴え冴えとひろがっている。
出来事はその青の下地に残る朱色の滲みや
黒く不規則な曲線、波線または破線としてきれぎれに記憶されている。
想い出のなかの血の色も、青の下地を禍々しくおおいつくすのではなく、
時がくれば青にじわじわと押し戻されてしまう。
結局は、青が他の色に勝ることになるように
内面でうまく調整しているのかもしれないし、
私はそうやってつねに青を盾にして、
なるたけ狂わないように狂わないようにとつとめてきたのだろう。』
辺見庸著.「たんば色の覚書」より

私も物心がつきだした頃より「青」を好んだ。
心も時として明るいブルー、そして、また、暗いブルー。

ベビーブルー.空色.天色.たんば色.ポンパドール.
セルリアンブルー.サファイアブルー.インディゴ.ラピスラズリ、、、

藍染めのジャケットで旅へ出たい。

「ころり寝ころべば青空」
山頭火




一期一会の春

洛陽城東桃李の花
   飛び来たり飛び去って誰が家にか落つる
   洛陽の女児顔色を惜しみ
   行く行く落花に逢って長く嘆息す
   今年花落ちて顔色改まり
   明年花開くとき復た誰か在る
   己に見る松柏の摧かれて薪と為り
   更に聞く桑田の変じて海と成るを
   古人復た洛城の東に無し
   今人還た対す落花の風
   年々歳々花相似たり
   歳々年々人同じからず

   言を寄す全盛の紅顔子
   応に憐れむべし半死の白頭翁
劉廷芝 

今年も桜の季節が巡ってきた。
年々、花は同じように咲くのに、
歳々、花の下を通り過ぎて行く人は入れかわって行く。

毎朝、劉廷芝の詩を思い浮かべながら、
私は今年も花の下を歩く。

この道が十一月十五日狩猟解禁日の森に続くことを、、、。

 


猟場、萌ゆ

狩猟が終わってからはじめて山へ登った。
雪に閉ざされていた猟場も春、、
「てつ」の眠るあたり一面に福寿草が咲いていた。
彼の好きだった鹿肉とクッキーを供えて一時間ほど話しかける。
山桜もそろそろ咲き始め、山菜も芽吹き生命萌えいずる候。

一日一生、、、ゆっくり急げ、、

「死に支度 致せいたせと 桜かな」
一茶




桜、2008年

心の中で先に旅立っていった「ボーイズ達」の名前をくり返しながら、
湖畔の桜の下を一人で歩いている。

チビ、コロ、ボチ、クマ、メリ、トラ、テツ、

彼たちと過ごした日々は、この花びらのように
優しく幸せな時間。
その幸せは黒い花びらのように静かに散っていった。
彼たちが逝き、残されたものは、
移ろいゆく人生への追憶の日々。

こつこつと 人行き過ぎて 花のちる
一茶




後宴

お寺で動物供養を行い、そのあと、いつものお店で慰労会。
たった三名で、二桁の猟果を挙げた事に満足の乾杯を重ねつつ、
思い出話に花を咲かせながらの四時間はあっという間に過ぎた。

これで、今猟期の全ての行事が終わる。
来期の再会を約束して散会。

視力を大切にしているので、四季を問わずサングラス。
その効果ありか、今年も名(迷)射手、、少年、まだまだ老いず。




爛漫への胎動

数十年来、愛犬たちと一緒だった湖畔の公園を一人で歩く日がやってきた。
何か信じられない様な、、そして、ついに、この日が、、そんな思いが交錯して、
とても複雑な心境を味わっている。
それでも季節が巡ってくると、木々は春爛漫への芽生え。
まもなく桜もほころび始める。

一人で歩く春を思うとき、、、私は。

春の雲 しづかにゆけり わがこころ 静かに泣けり 何をおもふや
牧水




男の愉しみ

散歩の途中、酒粕を買ってきた。
蔵元は古戦場で有名な賤ヶ岳の麓にあり、
かの魯山人が愛した銘酒七本槍の酒粕だ。

牝鹿の肉を丁寧に粕漬けにしたら自慢できる味になった。
函館の「カール.レイモン」のハムが好きで取り寄せているが、
来客に「牝鹿粕漬け」と「ロオル.ハム」を並べて出したら、
鹿肉のお皿が先に空になった。

男料理の冥利、、、ここに極まれり。

本格的に作って知人に押し売りの予定。

代金は「美味しかった」と言う値千金の一言です。




凛、、梅春(うめはる)

この街に移り住んでから、昨年まではボーイズ達と歩き続けてきた湖畔。
久しぶりに行くと、渡り鳥たちも北の国へ帰り茫洋とした春の湖面。
彼たちは咲き始めた「梅」も見ることなしに北帰行へ。

「てつ」も今年の梅の下を歩くことも叶わず空の彼方へ旅立つ。




牝鹿味噌風味粕漬け

牝鹿のもも肉ブロックを、酒粕に、味噌、酒、味醂、大蒜を混ぜ合わせ、
その中にガーゼに包んで漬け込んだ。
酒粕(菊姫)、味噌(金沢林農産手作り味噌)、味醂(九重味醂)大蒜(高知無農薬栽培)
薫り付けに香川「かめびし三年醸造醤油」を数滴。

勿論、鹿肉は自分で射止めたもの。

飴色になった鹿肉を炭火を熾した卓上七輪で焼きながら切り分けて食べる。
ただただ、、、『美味』!。

キリリと冷えた吟醸酒、、たおやかな佳人、、、
この「ひととき」、、
天上天下の栄華何するものぞ。




弥生三月

三ヶ月余りの杣人暮らしも終わり、また下界人。
雪焼けで真っ黒になったが、
仲間にも犬達にも事故もなく何よりだった。
尊い命、美味しい肉を呉れた森の住人達に心から鎮魂と感謝。

また、十一月の解禁日を目指し厳しい禁欲生活を課しつつ、、、
再びの「男のロマンの世界」へ。




当歳仔

かの有名な「魯山人」が書いておられたが
猪は食肉の王者であり、その中でも「当歳仔」が一番の美味とか。
生後三年未満で出産経験のない牝猪が最高とする人もいるが、
私はいずれも甲乙つけ難い美味しさだと思う。

鹿肉の味噌漬けはいつも作っているが、
同じレシピで猪肉を味噌に漬けてみた。
分量の酒粕を混ぜると滋味と言える風味が出て、
とても美味しい。

そしてとっておきの塩を使っての炭火焼きも。




雪が降る

 唄:アダモ
訳詞:安井かずみ

雪は降る あなたは来ない
 雪は降る 重い心に
  空しい夢 白い涙
   鳥は遊ぶ 夜は更ける
    あなたは来ない いくら呼んでも
     白い雪が ただ降るばかり

       この悲しみ このさびしさ
   涙の夜 ひとりの夜
    あなたは来ない いくら呼んでも
     白い雪が ただ降るばかり

    


雪の花

あと、ひと月もすれば爛漫の桜並木。
いまは雪の花並木。



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