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僕がこの企画を知ったのは、2000.10.16、早稲田松竹にチラシがきたからである。受付の人間が僕にぴったりの企画だというので、直接そのチラシをもってきたのだ。グリーンピースが募集しているんだと思った。あまりいいイメージがないので興味を示さないでいた。何の気なしにチラシを読み込んでいると、グリーンピースではなくピースボートといういままでは知らなかったNGOの団体だった。次第に面白そうになり「僕にぴったりじゃないか!」そう思いはじめると、すでに合格したような気になり、わくわくしてきた。ただ、合格してやろうだなんてことは、少しも考えていなかった。もし行くことになったら・・・僕の人生は確実に変わる。とんでもことないことになるぞ!でもいま海外だなんて・・・・ちょっと躊躇してしまう部分もあった。
提出書類。履歴書と自己PRビデオ。あまり説明は書かれていなかった。あからさまに自分のことを語ってしまうのも面白くない。かといって、なんか目あたらしいアイデアが出てきているかというと・・・大したものはない。何となく日が過ぎて行くのだった。でもなんとなくパスしてしまう気がずっとしていたのでそんなに焦りもなかった。
当時、僕が代表で視覚障碍者向けにチャップリンの「街の灯」の上映会を企画していた。隔週水曜日に、企画ミーティングをしていた。10.25、ミーティングの日、メンバーは僕とC氏しか来なかった。もしかしたら日本を離れるようになるかもしれないということで、世界一周の話をした。するとC氏は、私ならこうすると助言してくれた。それは僕に大いなるインスピレーションを与えた。その日早めに帰宅して、その案をふくらませていった。ちなみに締め切りは10.31。すでに一週間をきってしまっていた。
その日のうちに、ビデオの構成を練った。ある程度完成させて、翌日からすぐに撮りはじめた。