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南太平洋編
イースター島出港後、人が一人死んだため、入港が大幅に遅れ、夜になってしまった。ここタヒチでは映画のオープニングを飾る大切なシーンのロケを予定していた。ロケハンもまともにできないとなると、かなり厳しいものがある。それにもかかわらず、初日はみんなリラックスしていた。僕は到着後、現地の人のダンスフェスティバルの撮りをした。といっても僕はカメラはまわさず、カメラの隣でダンスを見ていた。
川Gはアンナと「BROTHER」フランス語吹き替え版を見ていたらしい。フランス語でも理解したといっていた。僕は「BROTHER」はいまだに見ていない。楽しみである。
タヒチは恐ろしいほど物価が高い。華僑の中華料理屋もそうだった。でもとんでもなくボリュームがあった。
こいつらにはまいってしまった。こういう国では、とにかく金を騙しとろうという魂胆が見え見えだった。
フィジーでは半日もインタビューしていなかったのに、相棒の彼女(アンナ)が2人の日本人の噂をしていたそうだ。
スケジュールをよくつかんでいなかった。毎朝8:30の朝ミーティングがあったのすら知らない。一人、部屋にいると呼び出された。劇中劇「フラミンゴ」の打ち上げパーティシーンが翌日にひかえている。そのための装飾の植物刈りに行くのだ。
地面はホントにグレーでおおわれている。それはアスファルトではなく、人々の悲しみでおおわれているようだった。港のゲート近辺にいる現地人の物売りはどこか恥ずかしそうに、それでいて元気に挨拶をしてくる。世界一周に慣れ切ってしまった僕は当然のように手をあげて応える。「Hello!」これが日本にはない、ありのままの人の生きる姿だ。
港近辺には人が多すぎる。ここで南国の雰囲気をかもし出す木々を切るには反感を買って当然だ。車を拾って、山奥で木を刈って、船に運んでくる段取りを組んだ。僕は木刈り用具スタンバイ部隊で、準備をしてオモテヘ出ていった。荷台のある二人乗りの車。映画チームはみんな荷台のほうに乗った。このときドキュメントの人たちはいなかったが、まるで電波少年のような気分だった。
自分のスチールカメラのシャッターをバシバシきっていると、やがて雨が降ってきた。と思ったら次第に火山灰の混じった雨になっていた。火山に近づいていたのだ。カメラがヤバいと思う間もなく、みんな灰まみれになっていた。
新聞配達をやっていた高校生のころ、配達途中で雨が降ってくると、どうでもよくなっていた。全身濡れてしまうことに無頓着になるのだ。それと同じ状態。
のこぎりで椰子の木を切りはじめた。僕はおぼつかない様子で椰子を切っていた。すると現地人(ジョン)が僕の手元を見て、のこぎりをとりあげて切りはじめた。ジョンはのこぎりを斧のように使いはじめ、刃を飛ばしてしまった。「あっ!!」「Saw Saw」と言うと理解したようだが、彼はそのあと二度とのこぎりを手にしなかった。
切り取った灰まみれの木々を車の荷台に乗せていったら、いつの間にか木であふれていた。これでは全員乗ることができない。ということで3人が選ばれた。同室トリオである。僕たちは木を港でおろして、みんなをつれて戻ってきて、木を洗う手はずをとった。
港についた3人は木をおろした。が、再び木を車に乗せ、別の場所でおろした。とんでもない仕事量である。3人で分担して、海水で木をすべて洗い、再び車に乗せ、船の近くのブルーシートに保存しておいた。灰まみれ、汗まみれ、海水まみれである。
今回の旅では、セイシェル以外の寄港地で天候に泣かされることはなかった。がしかしここチュークでは、朝から空模様があやしかった。最後の寄港地ということもあって、入港シーンの撮影をすることになっていた。毎度のように撮影部の僕たち、それにプラスして今回はなぜか同室トリオでオブザベーションデッキ(最上階)へ向かった。朝の弱いカメラマンは「雨だ!」という声を聞いて、眠い目をこすっていた。「ああ、おしまいだ」デッキへ向かった僕はそう思った。ここでは着岸即ロケの予定だったのに、強い雨が襲ってきた。くもの合間にわずかに見える雨上がりの地帯も、徳さん(船のナビゲーター)によれば、雨は確実にあと2.3時間は降るとのこと・・・雨のあがった曇りの空の島を僕は撮っていた。
撮影部、準備は万端。キャストスタンバイOK。僕の心によぎるのはただひとつ「できるのだろうか?」
この日の予定はThinking Time。いわゆるFreeTimeという名の奴隷の一日だ。というのも僕の監督する予定のシーンのシナリオをみんなで書こうというため。キャスト側のエチュードというかアドリブのきいた芝居を期待していた僕らは、根本的なキャスティングミスのために、型にはまった演技をさせざるを得なくなってしまったのだ。僕の書いた言葉を読むキャスト(砂山氏)。聞いていて僕のほうが恥ずかしくなってしまった。しかもそのセリフを砂山氏は絶賛するのだ。このシーンはあくまで詩的であってほしい。しゃべりすぎず余韻と間を気持ちのいいリズムで出してほしい。それなのに!何ですかあのセリフ回しは。キャスター出身のキャストには無理な注文だった。せっかくの寄港地も半分はつぶれる。
気がつくと雨があがっていた。下船許可のおりた僕たち映画チームはいち早く港へ降り、アングルを探る。すでに100日以上経過している僕たちのコンビネーションは絶妙だ。小気味よいテンポで軽々と撮影はクリアした。ちなみに砂山氏はそこでも撮影の邪魔をしてくれた・・・そして振り返れば突き抜けるような晴れ間が広がっている。「あーエンジョイプレイ?」
入港シーンと港の撮影をしていた僕は朝飯抜きだった。当然同室の二人もそうだった。昼御飯をかねて同室トリオプラス1で、ひとときの安らぎを味わいに食事をとりに出かけた。レストランかと思いきや、ホテルのレストランであった。レストランはレストランか・・
街から船へと戻る途中、ジェット機がやたらとブッ飛んでいた。クルクルまわっていたのもいた。ウ〜ン、戦争の名残りなんだろうか?
僕は部屋に戻ってシナリオを書いていた。が、アイデアが出てこない。だいたい僕の場合、アイデアなんてふりしぼって出てくるものなんかではないのだ。唯一出てきたのは、お年玉をあげてたじいさんも、老人ホームに入ると誰も寄りつかなくなる、さみしいものよ、というもの。余韻たっぷりだが、痛烈に痛みが伝わるストーリー。僕の中でもけっこういいできなのだが、何しろ使い方が難しいだろう。まぁどんなに考えてもいいものは出てこなさそう。いろいろ書いたけど、ベストなものだけ提出することにした。「ひまわり」でもそうだけど、なんべん書いても駄目なものはダメ。いろんなパターンを書いた。
何がいいものを書かせないのだろうか?「パシッ」としたものがないからだ。「パシッ」としたもの。一体それは何だろう。きっとそれは僕自身の中の思考回路から生成されたものではないからだ。僕の根本がそうだから、この企画のシナリオでは「モヤモヤ」したものがただよう。自分の中で消化しきれてないのだろう。悲しいことである。非常に悲しいことである。やはり僕は自分の感覚にたよるからだろうか?ヒトの描くストーリーに僕自身を近づけることは難しい。いろんな作品を目にし、耳にする。でもすべてがすべて「自分のもの」と言えるものがいままであっただろうか?逆に影響を受けたものはあった。でも自分の中で消化して、違う別の形でアウトプットしている。だから僕の作品はすべてオリジナルである。オリジナルであるとともに僕が出会った人々の集合体でもある。僕自身ではあるけれども、見えない何かが僕を突き動かして完成させたものなんだろう。
頭で考えていることはステキなくらいに抽象的、それを具体的にしていけるのが僕にとっては映画なのだ。
そんなことを考えながらラストの寄港地を背にした。
Fuck'n Day!