・桶買いについて

   「生一本」という言葉をご存知であろうか?清酒製造業界で規定されている呼称のひとつであるが、 単一醸造元で製造された清酒だけが入っているとき、その表記ができる。他の醸造元の酒が 混ぜられていないことを示す表記は誇らしく、よろこばしいようにも思えるが、これは逆に言うと、 たくさんの醸造元の酒を混ぜているものが跋扈している、ということである。
   これは古くから、特に大手酒造会社において行われているもので、地方の弱小 酒造会社から酒を買いたたくわけである。そしてそれらを混ぜ、さも自分のところでつくったかのように売るのである。 これが「桶買い」である。酒を桶ごと買うわけである。 違った工程で造られた酒故、たくさん集めて混ぜても品質の維持ができない(ほとんどの場合劣った 品質となるであろう)ので、大量の活性炭などで雑味成分を取り除き、 出来たものは味もそっけもない、よもやすると炭素臭い体に悪い酒のできあがりである。混ぜているのが 三増酒ならなおさらである。
   「日本酒は肝臓によくない、焼酎の方がいい。」とかいう人がいるが、 基本的にそんなものは飲むアルコールの絶対量で決まるはずである。しかし、ほとんどの日本酒(1998年 消費の実に約7割)が三増酒であり、その大部分が大手企業であろうことを考えると、この意見に積極的に 反対できないのは事実である。何とも悲しいことだ。(とは言え、焼酎だって甲類焼酎飲んでるなら あまり変わらないとは思うが・・・)

   「純米酒」という表記がおかしいのと同様、何というか「生一本」という表記、これは少し妙な気がする。というか、 「生一本」という表記だけが存在するのが妙なのだ。別に混ぜるのが いけないとか言っているのではなく、ワインやらウイスキーやらブレンドしたりするものは多い。 しかしだ。普通、混ぜているという表記こそすべきではないのか?これに異を唱えられる 方がいらっしゃるか?(そりゃ利害がからむ大手酒造会社はいやがるでしょうが)どう考えても 表記はしないと公正ではないであろう??どうもこの辺りもお役人、政治家と 大税収先であり大献金先である大手酒造会社、酒造組合のなにがなにやらどうしてやら・・・・・・ まあ憶測でものを言わないとしても、その辺りの法規定の曖昧さは目にあまるものがある。(もう他の 項目でも言い飽きた。どうしてこう日本の食品関係の行政はいいかげんなんだろう?)

   どうして桶買いなどするのか。それはおそらく大量生産のためなのだろうが、 この大量生産、ということについて考えてみる。
   酒は何からつくるのか、米である。米は言わずと知れた農業生産物である。 いい意味での技術の進歩によって生産効率があがり、収穫量はある程度安定しているであろう。しかし、 農業生産物である。天候などで凶作になったり、質が悪くなったりする。何が言いたいかというと、 農業生産物である限り、その時点で収穫できる量、質に限度があるのである。つまり機械のスピードを いかに上げても大量生産などできない。というよりしてはいけない、と言った方がよいか。農業生産物を ベースにしている以上、酒は明らかに農業生産物なのである。特に日本酒に適した米は世界中で 造られているわけでなく、(ご存知でない方も多いかもしれないが、日本の米を喜ぶのは日本人だけ である。)大量生産、大量販売などそもそも出発からして間違っているのは自明である。ちょっと 考えれば食べ物に関して、質と量を両立するのは無理なことは簡単にわかることである。 日本酒は嗜好品であることを考えると、最終的に優先されるのは「質」であり、量を増やして 質を落とす、すなわち三増酒、桶買いで質の悪い大量生産を行なうのは即刻止める、もしくは そういうものを他の酒からはっきり区別する厳しい基準、表記がなされなければならないと 思う。(でなければ日本酒は消費者から見向きもされなくなる。他に“うまくて”安い酒が いくらでもあるのだから。) しかし、行政は意図しているのか、いないのか、そういったことには全く無関心である。言ってみれば まがい物でも何でもたくさん売って酒税が入ればどうでもいいのである。そうすることがどんどん 問題を深刻化させ、気づいた時には税収どころか日本の酒造会社は一つも残っていなくなっていた などというのも冗談ではなく、充分起こり得る気がする。

   人が口にするものであり、そしてそれが伝統的な質の高いものであること(日本に 明治時代に来た醸造学者は日本酒のの製法と品質のレベルの高さに驚異を感じたという。これも大多数の 日本人が知らなさそうなことである。)を考えれば、税金が効率よくとろうとか、経済効率のみで製造を とか行なうといったことはあてはめるべきではない。大手の偽清酒(嘆かわしくも紙パックに入って いたりするのもある)などのせいで、「日本酒はおやじ臭い安いもの」といったイメージが浸透している。 こともあろうに“日本人に”日本酒の真の姿が伝わっていないせいで、まともな日本酒は「高い」と 言われてしまう。偽清酒と比較することに意味がないことを知らされる機会もない。それだから 大事に冷蔵庫にしまわれた2万円のワインを買う人が多くても、ワインより痛みやすいのに野ざらしに されている質的には同等以上の5千円の日本酒を買う人は全くいない、というような「ここはホントに 日本なの??」という状況が生まれてしまうわけである。また、大資本が腕によりをかけてまずくした コマーシャルによる大量販売2千円のの日本酒より、地方の小さな酒造会社がまじめにつくって、 (高いと売れないので、)薄利の2千円で売っている酒のほうが(個人の好みとかそういった範囲では 説明できないほど)圧倒的に質的に優れているといったおかしな状況も想定される。厳密に基準があって、 広くそれが浸透してさえいれば後者は3千円でも4千円でも売れるというのに。
   「安い方が消費者にとってありがたいじゃないか!」と反論する向きもあるであろう。 しかし、“不当に”安いものとして扱われるのはその産業を殺しかねない。価値に見合った価格をつける 権利まで奪う権利は消費者にはないはずだ。本当にその商品を欲しているのなら、その商品について よく知る必要があるであろう。「日本酒にそんなにお金は出せない」というのは全く日本酒について 無知すぎると思う。(もしくは無関心であるのか?)安くてまずいものを飲み続けている限り、こういった 考え方は変わらないであろうし、何とも歯がゆい限りである。
   つまり、この状況を打開する根本的な手だては大資本がまず率先してまともなものを 造るしかないのである。それに加え、ソフト面明確な基準・法制度、高品質なものは何故高いかなどと いった知識、それぞれの提供法などを充実していって、“「日本酒」は大量生産、大量販売できるような ものではない”“非常に高品質なものである”といった「価値なりの価値」をアピールしていかないと 未来はないと思う。

   日本酒のイメージをおとしめ、未来を危うくしている原因のひとつとしてやみくもな 桶買いの野放しが挙げられるのはご理解いただけるであろう。できればやめてほしいが、理にかなった Brend というのは考えられなくもない。ここでも他の問題と言いたいことは同じである。きちんとしたルール を!基準を!法制化を!そんなにむちゃくちゃなことは言ってないはずだ。 

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