「うずのしゅげ通信」
2016年7月号
【近つ飛鳥博物館、河南町、太子町百景】
今月の特集
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斎藤空華の句
俳句
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(宮沢賢治にインタビュー)
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2016.7.1
原発の劇
先月号の「うずのしゅげ通信」に、このホームページで公開されている原爆をテーマにした脚本に
ついて書きました。
今回は、東日本大震災の原発事故をテーマにした脚本を紹介しようと考えていたところ、
その一つが先日上演されました。次の脚本です。
☆一人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」
(高・大)
宮沢賢治、原発を怒る [30分]
上演してくださったのは、滋賀県立彦根東高校の演劇部さんです。
この脚本は、以前にも一度上演されていて、今回で二回目ということになります。
上演をきっかけに一度読み直してみたのですが、タイムマシーンで時間を遡る構図が、
舞台の流れの中でどうもはっきり
しません。また、台詞も膨大で、一人芝居の演者にあまりに負担が大きいように思われます。
舞台で演じられた彦根東高校の生徒さんは、全部覚えてくださったということですが、大変な努力がいったろうと想像されます。
それで、、タームマシーンの時間の飛躍が、舞台の筋ですっきり飲み込めるようにするためと、
台詞の負担が一人に集中するのを避けるためという、二つの理由で、二人芝居に変更することにしました。
粗筋はこうです。
銀河鉄道はタイムマシーンでもあるのですが、その車掌をしている宮沢賢治が、
銀河鉄道のお座敷列車で昭和8(1933)年に戻ります。そのお座敷で、
昔の賢治が昭和三陸大地震に対する見舞状の返事を書いています。車掌の賢治は、黒子として、舞台に控えています。賢治に働きかけることができないからです。
昔の賢治は葉書を書き終わると、「雨ニモマケズ手帳」を引っ張り出してきて、
そこに記された詩を読みながら、自分の一生を振り返っていきます。そのうちに昼飯時になり、
粥を火にかけてうとうととしている間に、お座敷のタイムマシーンは行き過ぎて
現在に至ります。
そこに、百姓が訪ねてきて、作付計画書を作ってほしいと頼むところから、
賢治の混乱がはじまります。賢治は肥料設計を頼みに来たと勘違いしていたのですが、
実際は放射能の除染計画書を依頼されていたのです。
そこで、賢治の原発に対する考え方が、農民芸術概論綱要を踏まえて
語られます。
黒子の助けを借りて、どうにか除染計画書を書き上げて、それを農民に渡した後、賢治は、放射能について調べると言って退場してゆきます。
黒子として舞台に控えていた銀河鉄道の車掌の宮沢賢治が、そこで正体をあらわします。
折りしも、風野又三郎が、東日本大震災の日に、東北の海で見た恐ろしい体験を報告したくて
やってきます。
あとは、読んでもらうしかありません。
こういった筋にすることで、観客にもタイムマシーンによる時間設定がすっきりと理解していただけるようになったのではないかと思います。
また、二人芝居になったことで、台詞の負担がすこしは軽減されたのではないでしょうか。
☆二人芝居(朗読劇)「雨ニモマケズ手帳」
(高・大)
宮沢賢治、原発を怒る [30分]
(一人芝居「雨ニモマケズ手帳」を改訂したもの)
次の脚本は、東日本大震災から、一月ばかりの頃に、この「うずのしゅげ通信」に掲載した
「宮沢賢治インタビュー」を元に朗読劇に仕立て上げたものです。
☆朗読劇「3・11 宮沢賢治インタビュー」
(高)
地震、津波、原発について 〈1〜3名〉[30分]
東日本大震災が起こったとき、繰り返し映像を見ながら、私は宮沢賢治なら、どう考えるだろうか、と
そればかり考えていました。
それで、「うずのしゅげ通信」の特派員としての私が、銀河鉄道地球駅に宮沢賢治を訪ねて、今回の
震災についてインタビューを試みるという記事を書いたのです。
これはかなりの方々に読んでいただいたのですが、しばらくして、このインタビューをこのまま
埋もれさせるのはもったいないと思い、少し手を加えて朗読劇の脚本に仕上げました。
昨年、千葉県立野田中央高等学校演劇部によって上演されました。
つぎの脚本は、まったく上演を想定していなくて、ただ自分だけのために書いた脚本です。
☆二人の朗読劇「被災写真」
(一般)
被災の手記・朗読と一人芝居・ボランティア聞き語り 〈2名〉[45分]
この脚本は、震災の経験者の作文と、被災写真を修復するボランティア活動をしている主人公の
一人芝居の独白を交互に組み合わせた劇になっています。
設定があまりに個人的に偏していて、上演はむずかしいと思います。
つぎは落語劇で、もともとは落語の台本から来ています。
といっても、そんなに簡単な劇ではありません。
原発ゴミの最終処分場をどこにするか、というテーマの劇です。
現実問題として、地震の多い島国である日本では、どこにももってゆきようがありません。
そこで、政府の知恵者が、それならいっそのこと地獄にもっていったらどうか、
というアイデアを思いつきます。現役世代が亡くなったとき、その責任として、六文銭の
代わりにサイコロ大の高レベル放射性物質を持っていってもらおうというのです。
そういった発想から、「地獄借景」という落語を書き上げたのですが、何しろ膨大な落語なので、
どこからも上演してやろうと言う申し入れがありません。
しかたなく、この長大な落語を場面ごとに区切って、二人の漫才師の掛け合いとしてやったらどうかと
考えたのです。次の場面では、また違うコンビが話を引き継ぐのです。そんな形で、落語を、
五組の漫才師の連携による落語劇に仕立てあげたものです。
☆落語劇 「地獄借景」(脚色版)
(高校、大学、ボランティア劇団)
−原発のゴミ処分場を地獄に?− 〈12,3人〉[50分]
この脚本も長く、むずかしいということもあって、まだ上演されていません。
以上の四本の脚本は、その内容が高校生レベルのもので、演じる場合でもかなりの力技を要するものに
なっています。それで、小学校の高学年から中学生をを対象として、原発や放射能について
考える脚本があってもいいのではないかと思い、二つの劇を書きました。
二つともに狂言の形式を踏まえているのは、単なる偶然です。
このあたりの年齢の生徒に狂言というものの面白さを知ってもらうとともに、原発や放射能について
考えさせる教材としてつかってもらえたらと考えています。
それで、まずは放射能に汚染された食べ物についてどう考えればいいのかと思いを廻らしていて、
たまたま目にした豆腐小僧というのが面白くて、登場してもらうことにしました。
☆プチ狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」
(小・中)
原発の放射能で給食は大丈夫? 〈7〜10名〉[15分]
この脚本は、まだ上演されたことがありません。
もう一つの劇は、原発とか放射能というものをどのように教えればいいのかと考えていて、
こんなアイデアにたどりつきました。放射能というものを目に見えない手裏剣ということにするのです。
痛くないけれども、体を素通りして傷つける、透明な手裏剣。そうなると放射性の物質は忍者ということになります。
この発想は、プチ落語台本 「原発は忍者屋敷!」でもすでにつかったものです。
☆狂言風 「猪突」
(中学、高校)
−おのれ、憎(にっく)き原発屋敷− 〈4人〉[30分]
このように東日本大震災や原発をテーマにした脚本は五本ばかり書いているのですが、上演された
ものは、最初の二本だけです。興味のある方は読んでみてください。
その他にも、落語のまくらや脚本の中で、原発を風刺したものがいくつかあります。
お暇がありましたら、楽しんでいただけたらと思います。
2016.7.1
斎藤空華の句
空華の句あつゆきの句やえごの花
先月号では、上の句にある松尾あつゆきの句を紹介しました。
今回は、空華の句を見てみます。
空華というのは、斎藤空華のことです。
大正7(1918)年に生まれ、昭和25(1950)年に亡くなっています。
20世紀日本人名事典によると、
太平洋戦争に従軍、生きて帰ってきたが、結核のため療養生活をおくる、とあります。
徴兵される前は、日本勧業銀行に勤め、渡辺水巴に師事して作句をはじめていたようです。
亡くなった後、「空華句集」が出版されます。
その「空華句集」から引いてみます。
昭和十六年
千鳥かも昼の怒濤に来て鳴ける 空華
竹落葉風さやに朝は病癒えぬ
春蝉の死ぬべき松は花をこぼす
松落葉掌の月光は冷ゆるなく
熱出でゝ母には百合のことのみ云ふ
昭和十七年
鳰啼けばゆふぐれ水のみだれのみ
霜踏むやいのちしづかなりこしかたは
昭和十八年
蒲公英や荒磯はつねに根なし雲
菊咲いて雨は夜に降るならひかな
昭和十九年
むざ/\と七百の墓冬日影
昭和二十一年
かりそめの風に葉ごもる実梅かな
露けさやいのちの果の火は浄ら
秋刀魚喰ひ悲しみなきに似たりけり
昭和二十二年
落葉はげし孤高のこゝろさびし過ぐ
露の秋生き身のわれのなまぐさく
河豚食ひしことなど熱の低き日は
蓑虫や思へば無駄なことばかり
雪茫々生死さだめなく降れり
炎天やいくたび人の死に逢ひし
啄木忌悲しきまでに遠き雲
行く雲も帰雁の声も胸の上
胸に水湧く音す春昼闌けにけり
昭和二十三年
悴みてつひに衆愚のひとりなり
十薬の今日詠はねば悔のこす
かへりみてわれ十薬の句をもたず
豆腐佳し今宵卯月の月ありや
白粥や雨風の中蕗煮ゆる
一夏天たゞに咳ひゞかせしのみ
殺意にも似し炎天の気貴さよ
炎天のその崖見るが一大事
野分に咳き涙に似たるものこぼす
昭和二十四年
芭蕉忌の一日足のこごえをり
大榾の骨ものこさず焚かれけり
死ぬる馬鹿生きてゐる馬鹿四月馬鹿
筆投げてしまへば春昼虚脱せり
麦粥を食ふやいのちの精一杯
蟻地獄飼ふもいのちの寂寥や
わが逢ひしどの屍より夏痩せて
母のみは肉声に呼べ油照り
白桃に触れたる指を愛しみをり
秋風や抱き起されし腕の中
こほろぎに残りし生《しよう》の夜を更かす
終一章また遺語にも似たり
寝返りのかなはぬ肩に月ゆるし
あるひは思ふ天の川底砂照ると
我が喘ぎに母も息そふ秋風や
天の川一途の果に来て仰ぐ
こほろぎや身の冷え土に近き思ひ
咳き尽し生れ来るものを俟ちにけり
笹鳴を聞き得て生がありにけり
十一月寝刻まで茶湯たぎらせよ
2016.7.1
俳句
6月にフェイスブックに投稿した句です。
実梅仰ぎ一人は癌の病明け
さへづりの最中(もなか)のひばり見逃さず
蚊の姥のすがる網戸の素通しや
ほうたると呼ばふは魂を呼ばふかな
十年忌「ハロー・グッバイ」の夏埃
宵語り孫のますぐな目が涼し
越の妻の伊吹焦がるる梅雨入(ついり)かな
夢に爪たつる思ひに桃を剥く
二上を弟背(いろせ)と呼びし栗の花
ほたるぶくろや姉弟仲が良すぎるも
去年(こぞ)の殻空蝉となる青葉闇
むかで打ちその昂ぶりの夢に入る
おほせにて百足千匹ころしけり
ほたるぶくろや妻は遺灰と逝くつもり
紫陽花や老いのいのちの濃さ淡さ
死者のなき家の稀らや濃紫陽花
夏薊棘あるものの生き急ぎ
ほたるぶくろやよう納めずに子の遺灰
混信を消せば白百合匂ひけり
白雨消えくぬぎになほも雨の音
くちなしの花に名札の裏返る
蚊の姥の覗く網戸の素通しや
ほたるぶくろやよう手放さぬ子の遺灰
浜木綿や花も投地の祈りかな
葡萄山廃れてへくそかずらかな
死ににゆく日もそそくさと濃紫陽花
息を止めてと神にあらねど声涼し
やや(嬰)の風けふかをりたち合歓の花
棕櫚の花たたかいごとの花つぶて
異装賢治の一人芝居や凌霄花
腫瘍と云へど影の濃淡濃紫陽花
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