ミルクティーを飲んで、ひとときの休息をとる。 つきぬけるような青空につつまれる、今朝の空気はいつもより冷たい。 はじまりはいつも静けさとともにある。 どこへ行くのだろう? どこへたどり着くのだろう? 答えが見つかるまで、どのくらいの時を必要とするのだろう? そんなことを考えていた。 風景の中に綴り込まれていく、僕の旅は続いていく。 いつまでも、そしてどこまでも続いていく。 追記 : ミルクティーは甘く切なくすぐに過ぎ去ってしまうもののたとえ ●2001/1/17(水) 太平洋「もの・モノ・物」☆☆☆ 日本に置いてきたもの。 わかちあえる面々。 なつかしい顔ぶれ。 とりみだしあうこともあった同士。 ちっち。 日本に忘れてきたもの。 いままで覚えてきたもの。 いままでの自分。 はたして再び身にまとうのか? 見つけたいもの。 物であふれかえっている機材室。 体で表現していきたいのに・・・ でも何が起こるかわからない。 無限の手数が待っている。 僕の知らないものは、手当りしだいモノにしていきたい。 靴底がすりへっていく日々を送っても、 見つけられたものの量は積み重ねていこう。 ●2001/1/23(火) ダナン(ベトナム)出港「Danang through the sky」☆☆☆ 砂でおおわれた空を見た。 ここの空もきっと東京とつながっている。 見たことのない風景。 道路をかけぬける人々の情熱や、気性の激しいシクロのフットワーク、 スラムのこどもたちの笑顔の奥にあるリアルなあたたかさ。 ここで働いている人たちの見てきたものを、僕のフレームの中に取り込んでいきたい。 船に戻って気がついた。 街の中で拾ってきたカラダの汚れは簡単に落とせるのに、 僕のシステムの中では拾いきれないほどの感情があふれている。 これは序の口。 きっとこれからも訪れる新鮮なパワー。 これだけそろった環境を、どうしたらうまく活かしていけるのか? 僕を含めたみんなの力量にかかっている。 最高の才能が結集された6人ならば、乗り越えていけることでしょう。 空にちりばめられた、たくさんの明日をみすえて、 まだまだ届かない、その向こう側にある夢を、今宵も僕は見ている。 Cam on ●2001/1/29(月) インド洋「行間の色」☆ 目が黙っている 耳が語りかける たくさんの想い 不安 とまどい かなぐり捨てた過去 かたくなな感情 見えなかった垢だらけの自分 よごれた感覚 だましあい いいたくてもいえない ホントの気持ち じかに触れて確認する こころ ひとのこころ たましい あいじょう 壊れやすい ちがい わからない おんど やさしさ おもいやり 見えなかった かみさまにきいた 一番下にいて待つこと 大切なこと 必要なこと 僕のファインダー通して映る こうなりたい すき きらい くやしい かっこよくなりたい これから起こる わくわく むなさわぎ 七色のきらめき うそ うまれたての鼓動 ちっぽけな自分 まだ見たことのない憧れ たくさんの気持ち いっぱいいっぱいのせて ゆっくりゆっくりすすむ 肌をかける雨 澄んだ波の形 月を見れば青 まにあわせよう 沈黙がみえるうちに まにあわせよう ささやいているうちに ●2001/2/4(日) インド洋「監督失格」☆ セイシェルでは雨にふられた 僕は撮影に向かい 他の5人は船に残った 彼らはここまで何をしにきたことになるのだろう ここまできてこの国を感じないということは・・・・ 僕には信じられない いい映画を撮りたい みんなに感動してほしい 気持ちよくなってもらいたい クオリティを優先させるのなら簡単なことだろうけれど 忙しくしていると やるべきことがたくさんあり 忘れてしまうことが多くなる それなら映画なんか撮るな それなら映画なんか観るな 映画なんかやっているから 見失っているものの方が多い気がする セイシェルにいるこどもたちの笑顔に救われたこと もっともっと ほんとうにたいせつなもの 見えないもの 豊かさ いたわる ひとのやさしさ 愛情 きずな いのち いのち ひとのいのち ほんとに表現できるものがなければ 監督なんか落第だ リアルなものを感じることの方が インスピレーションが湧いてくるはず 船に戻ってきて一人、雨にぬれた足の強烈な臭いをただよわせていた でも僕にとっては他のクルーの心の飢えに 次の寄港地の幻をみた 何かが狂っている! 人を感じることのできる、そんな場であってほしい ごめんなさい なにもできないけれど でもなんとかしたい たすけてください ちからをください みんなにささえられている かんしゃしています ありがとう ●2001/2/10(土) モンバサ(ケニア)「take a note」☆ 忙しさの中に埋もれてきたこの一ヶ月 どうなるか先行き不明のここ一週間 ひさびさロケがあった今日という日 僕の被写界深度は浅くなるばかり 時は過ぎ 船はためらい 次第に君が遠ざかっていく ああ、どこへいくのだろう あれはいったいいつのこと 振り返ってみても片隅にもいない ようやくみつけた ノートの中で 涙の向こうに見えた 言葉にならない尊いもの 思い出させてくれた ノートの中で 指の間からこぼれ落ちてしまいそうな たくさんの風景 いつまでも残る ノートの中に フィルムには焼きつけられない リアルな人間模様 語れることができる ノートの中では 世界中どこに行ってもあるもの まっさらな子供のエネルギー アカをつけず刻み込める ノートの中に 簡単便利なら take a bought 限りない可能性を求めて ムダなことでも 自由に世界を創り込める それなら take a boat 他では出会えなかった チャップリンのような愛 ようやくたどりついた アフリカの大地で ●2001/2/16(金) モンバサ(ケニア)「イケピーだよ!」☆☆ あなたは受け取ったことがあるだろうか? こんなメールを。 そう、差出人の欄にはこう書かれてある。 語りかけから始まるのは、意味深な言葉の予兆。 きっと怒濤のインスピレーションの嵐に驚かされることでしょう。 なんとこの送信者、海外は初である。 どんな体験をしているのだろうか? 日本では感じられないもの。 嗅覚・触覚だ。 すでに数カ国巡り、それぞれに違いのあることに気がつく。 激しく砂が舞い上がる。 天候も違うし、肌もそう。 自分の肌も日がたつにつれ、変わっていく。 夜空を見あげれば、スターライトエキスプレス。 みんなそうであろう。 だんだん日本にいた自分を忘れつつある。 環境に左右されてしまう人間。 自然に囲まれた、本来あるべき姿に戻されると、それがあたりまえになる。 きっとそれが求めていたものなのでは? そんなふうにも思い始めている。 でもハチャメチャなエアーコンディショニングに支配された船内では、当然のように風邪をひき、下痢になる。 文明に破壊されてしまったイケピーの身体。 今日のリハもだるかった。 だから日本に置いてきたものを取り戻したら、もう一度だけ奪われることのない、愛ある土地へと帰りたい。 追記 : 冒頭の詩の評判がよかったので、リクエストに応えてずっと詩を書いていた。 が、あまりにも内向的になりすぎていたので、エッセー形式に変えることにした。 ●2001/2/22(木) モンバサ(ケニア)「スーパーカメラマン」☆☆ 最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
日本に置いてきたもの。 わかちあえる面々。 なつかしい顔ぶれ。 とりみだしあうこともあった同士。 ちっち。 日本に忘れてきたもの。 いままで覚えてきたもの。 いままでの自分。 はたして再び身にまとうのか? 見つけたいもの。 物であふれかえっている機材室。 体で表現していきたいのに・・・ でも何が起こるかわからない。 無限の手数が待っている。 僕の知らないものは、手当りしだいモノにしていきたい。 靴底がすりへっていく日々を送っても、 見つけられたものの量は積み重ねていこう。 ●2001/1/23(火) ダナン(ベトナム)出港「Danang through the sky」☆☆☆ 砂でおおわれた空を見た。 ここの空もきっと東京とつながっている。 見たことのない風景。 道路をかけぬける人々の情熱や、気性の激しいシクロのフットワーク、 スラムのこどもたちの笑顔の奥にあるリアルなあたたかさ。 ここで働いている人たちの見てきたものを、僕のフレームの中に取り込んでいきたい。 船に戻って気がついた。 街の中で拾ってきたカラダの汚れは簡単に落とせるのに、 僕のシステムの中では拾いきれないほどの感情があふれている。 これは序の口。 きっとこれからも訪れる新鮮なパワー。 これだけそろった環境を、どうしたらうまく活かしていけるのか? 僕を含めたみんなの力量にかかっている。 最高の才能が結集された6人ならば、乗り越えていけることでしょう。 空にちりばめられた、たくさんの明日をみすえて、 まだまだ届かない、その向こう側にある夢を、今宵も僕は見ている。 Cam on ●2001/1/29(月) インド洋「行間の色」☆ 目が黙っている 耳が語りかける たくさんの想い 不安 とまどい かなぐり捨てた過去 かたくなな感情 見えなかった垢だらけの自分 よごれた感覚 だましあい いいたくてもいえない ホントの気持ち じかに触れて確認する こころ ひとのこころ たましい あいじょう 壊れやすい ちがい わからない おんど やさしさ おもいやり 見えなかった かみさまにきいた 一番下にいて待つこと 大切なこと 必要なこと 僕のファインダー通して映る こうなりたい すき きらい くやしい かっこよくなりたい これから起こる わくわく むなさわぎ 七色のきらめき うそ うまれたての鼓動 ちっぽけな自分 まだ見たことのない憧れ たくさんの気持ち いっぱいいっぱいのせて ゆっくりゆっくりすすむ 肌をかける雨 澄んだ波の形 月を見れば青 まにあわせよう 沈黙がみえるうちに まにあわせよう ささやいているうちに ●2001/2/4(日) インド洋「監督失格」☆ セイシェルでは雨にふられた 僕は撮影に向かい 他の5人は船に残った 彼らはここまで何をしにきたことになるのだろう ここまできてこの国を感じないということは・・・・ 僕には信じられない いい映画を撮りたい みんなに感動してほしい 気持ちよくなってもらいたい クオリティを優先させるのなら簡単なことだろうけれど 忙しくしていると やるべきことがたくさんあり 忘れてしまうことが多くなる それなら映画なんか撮るな それなら映画なんか観るな 映画なんかやっているから 見失っているものの方が多い気がする セイシェルにいるこどもたちの笑顔に救われたこと もっともっと ほんとうにたいせつなもの 見えないもの 豊かさ いたわる ひとのやさしさ 愛情 きずな いのち いのち ひとのいのち ほんとに表現できるものがなければ 監督なんか落第だ リアルなものを感じることの方が インスピレーションが湧いてくるはず 船に戻ってきて一人、雨にぬれた足の強烈な臭いをただよわせていた でも僕にとっては他のクルーの心の飢えに 次の寄港地の幻をみた 何かが狂っている! 人を感じることのできる、そんな場であってほしい ごめんなさい なにもできないけれど でもなんとかしたい たすけてください ちからをください みんなにささえられている かんしゃしています ありがとう ●2001/2/10(土) モンバサ(ケニア)「take a note」☆ 忙しさの中に埋もれてきたこの一ヶ月 どうなるか先行き不明のここ一週間 ひさびさロケがあった今日という日 僕の被写界深度は浅くなるばかり 時は過ぎ 船はためらい 次第に君が遠ざかっていく ああ、どこへいくのだろう あれはいったいいつのこと 振り返ってみても片隅にもいない ようやくみつけた ノートの中で 涙の向こうに見えた 言葉にならない尊いもの 思い出させてくれた ノートの中で 指の間からこぼれ落ちてしまいそうな たくさんの風景 いつまでも残る ノートの中に フィルムには焼きつけられない リアルな人間模様 語れることができる ノートの中では 世界中どこに行ってもあるもの まっさらな子供のエネルギー アカをつけず刻み込める ノートの中に 簡単便利なら take a bought 限りない可能性を求めて ムダなことでも 自由に世界を創り込める それなら take a boat 他では出会えなかった チャップリンのような愛 ようやくたどりついた アフリカの大地で ●2001/2/16(金) モンバサ(ケニア)「イケピーだよ!」☆☆ あなたは受け取ったことがあるだろうか? こんなメールを。 そう、差出人の欄にはこう書かれてある。 語りかけから始まるのは、意味深な言葉の予兆。 きっと怒濤のインスピレーションの嵐に驚かされることでしょう。 なんとこの送信者、海外は初である。 どんな体験をしているのだろうか? 日本では感じられないもの。 嗅覚・触覚だ。 すでに数カ国巡り、それぞれに違いのあることに気がつく。 激しく砂が舞い上がる。 天候も違うし、肌もそう。 自分の肌も日がたつにつれ、変わっていく。 夜空を見あげれば、スターライトエキスプレス。 みんなそうであろう。 だんだん日本にいた自分を忘れつつある。 環境に左右されてしまう人間。 自然に囲まれた、本来あるべき姿に戻されると、それがあたりまえになる。 きっとそれが求めていたものなのでは? そんなふうにも思い始めている。 でもハチャメチャなエアーコンディショニングに支配された船内では、当然のように風邪をひき、下痢になる。 文明に破壊されてしまったイケピーの身体。 今日のリハもだるかった。 だから日本に置いてきたものを取り戻したら、もう一度だけ奪われることのない、愛ある土地へと帰りたい。 追記 : 冒頭の詩の評判がよかったので、リクエストに応えてずっと詩を書いていた。 が、あまりにも内向的になりすぎていたので、エッセー形式に変えることにした。 ●2001/2/22(木) モンバサ(ケニア)「スーパーカメラマン」☆☆ 最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
砂でおおわれた空を見た。 ここの空もきっと東京とつながっている。 見たことのない風景。 道路をかけぬける人々の情熱や、気性の激しいシクロのフットワーク、 スラムのこどもたちの笑顔の奥にあるリアルなあたたかさ。 ここで働いている人たちの見てきたものを、僕のフレームの中に取り込んでいきたい。 船に戻って気がついた。 街の中で拾ってきたカラダの汚れは簡単に落とせるのに、 僕のシステムの中では拾いきれないほどの感情があふれている。 これは序の口。 きっとこれからも訪れる新鮮なパワー。 これだけそろった環境を、どうしたらうまく活かしていけるのか? 僕を含めたみんなの力量にかかっている。 最高の才能が結集された6人ならば、乗り越えていけることでしょう。 空にちりばめられた、たくさんの明日をみすえて、 まだまだ届かない、その向こう側にある夢を、今宵も僕は見ている。 Cam on ●2001/1/29(月) インド洋「行間の色」☆ 目が黙っている 耳が語りかける たくさんの想い 不安 とまどい かなぐり捨てた過去 かたくなな感情 見えなかった垢だらけの自分 よごれた感覚 だましあい いいたくてもいえない ホントの気持ち じかに触れて確認する こころ ひとのこころ たましい あいじょう 壊れやすい ちがい わからない おんど やさしさ おもいやり 見えなかった かみさまにきいた 一番下にいて待つこと 大切なこと 必要なこと 僕のファインダー通して映る こうなりたい すき きらい くやしい かっこよくなりたい これから起こる わくわく むなさわぎ 七色のきらめき うそ うまれたての鼓動 ちっぽけな自分 まだ見たことのない憧れ たくさんの気持ち いっぱいいっぱいのせて ゆっくりゆっくりすすむ 肌をかける雨 澄んだ波の形 月を見れば青 まにあわせよう 沈黙がみえるうちに まにあわせよう ささやいているうちに ●2001/2/4(日) インド洋「監督失格」☆ セイシェルでは雨にふられた 僕は撮影に向かい 他の5人は船に残った 彼らはここまで何をしにきたことになるのだろう ここまできてこの国を感じないということは・・・・ 僕には信じられない いい映画を撮りたい みんなに感動してほしい 気持ちよくなってもらいたい クオリティを優先させるのなら簡単なことだろうけれど 忙しくしていると やるべきことがたくさんあり 忘れてしまうことが多くなる それなら映画なんか撮るな それなら映画なんか観るな 映画なんかやっているから 見失っているものの方が多い気がする セイシェルにいるこどもたちの笑顔に救われたこと もっともっと ほんとうにたいせつなもの 見えないもの 豊かさ いたわる ひとのやさしさ 愛情 きずな いのち いのち ひとのいのち ほんとに表現できるものがなければ 監督なんか落第だ リアルなものを感じることの方が インスピレーションが湧いてくるはず 船に戻ってきて一人、雨にぬれた足の強烈な臭いをただよわせていた でも僕にとっては他のクルーの心の飢えに 次の寄港地の幻をみた 何かが狂っている! 人を感じることのできる、そんな場であってほしい ごめんなさい なにもできないけれど でもなんとかしたい たすけてください ちからをください みんなにささえられている かんしゃしています ありがとう ●2001/2/10(土) モンバサ(ケニア)「take a note」☆ 忙しさの中に埋もれてきたこの一ヶ月 どうなるか先行き不明のここ一週間 ひさびさロケがあった今日という日 僕の被写界深度は浅くなるばかり 時は過ぎ 船はためらい 次第に君が遠ざかっていく ああ、どこへいくのだろう あれはいったいいつのこと 振り返ってみても片隅にもいない ようやくみつけた ノートの中で 涙の向こうに見えた 言葉にならない尊いもの 思い出させてくれた ノートの中で 指の間からこぼれ落ちてしまいそうな たくさんの風景 いつまでも残る ノートの中に フィルムには焼きつけられない リアルな人間模様 語れることができる ノートの中では 世界中どこに行ってもあるもの まっさらな子供のエネルギー アカをつけず刻み込める ノートの中に 簡単便利なら take a bought 限りない可能性を求めて ムダなことでも 自由に世界を創り込める それなら take a boat 他では出会えなかった チャップリンのような愛 ようやくたどりついた アフリカの大地で ●2001/2/16(金) モンバサ(ケニア)「イケピーだよ!」☆☆ あなたは受け取ったことがあるだろうか? こんなメールを。 そう、差出人の欄にはこう書かれてある。 語りかけから始まるのは、意味深な言葉の予兆。 きっと怒濤のインスピレーションの嵐に驚かされることでしょう。 なんとこの送信者、海外は初である。 どんな体験をしているのだろうか? 日本では感じられないもの。 嗅覚・触覚だ。 すでに数カ国巡り、それぞれに違いのあることに気がつく。 激しく砂が舞い上がる。 天候も違うし、肌もそう。 自分の肌も日がたつにつれ、変わっていく。 夜空を見あげれば、スターライトエキスプレス。 みんなそうであろう。 だんだん日本にいた自分を忘れつつある。 環境に左右されてしまう人間。 自然に囲まれた、本来あるべき姿に戻されると、それがあたりまえになる。 きっとそれが求めていたものなのでは? そんなふうにも思い始めている。 でもハチャメチャなエアーコンディショニングに支配された船内では、当然のように風邪をひき、下痢になる。 文明に破壊されてしまったイケピーの身体。 今日のリハもだるかった。 だから日本に置いてきたものを取り戻したら、もう一度だけ奪われることのない、愛ある土地へと帰りたい。 追記 : 冒頭の詩の評判がよかったので、リクエストに応えてずっと詩を書いていた。 が、あまりにも内向的になりすぎていたので、エッセー形式に変えることにした。 ●2001/2/22(木) モンバサ(ケニア)「スーパーカメラマン」☆☆ 最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
目が黙っている 耳が語りかける たくさんの想い 不安 とまどい かなぐり捨てた過去 かたくなな感情 見えなかった垢だらけの自分 よごれた感覚 だましあい いいたくてもいえない ホントの気持ち じかに触れて確認する こころ ひとのこころ たましい あいじょう 壊れやすい ちがい わからない おんど やさしさ おもいやり 見えなかった かみさまにきいた 一番下にいて待つこと 大切なこと 必要なこと 僕のファインダー通して映る こうなりたい すき きらい くやしい かっこよくなりたい これから起こる わくわく むなさわぎ 七色のきらめき うそ うまれたての鼓動 ちっぽけな自分 まだ見たことのない憧れ たくさんの気持ち いっぱいいっぱいのせて ゆっくりゆっくりすすむ 肌をかける雨 澄んだ波の形 月を見れば青 まにあわせよう 沈黙がみえるうちに まにあわせよう ささやいているうちに ●2001/2/4(日) インド洋「監督失格」☆ セイシェルでは雨にふられた 僕は撮影に向かい 他の5人は船に残った 彼らはここまで何をしにきたことになるのだろう ここまできてこの国を感じないということは・・・・ 僕には信じられない いい映画を撮りたい みんなに感動してほしい 気持ちよくなってもらいたい クオリティを優先させるのなら簡単なことだろうけれど 忙しくしていると やるべきことがたくさんあり 忘れてしまうことが多くなる それなら映画なんか撮るな それなら映画なんか観るな 映画なんかやっているから 見失っているものの方が多い気がする セイシェルにいるこどもたちの笑顔に救われたこと もっともっと ほんとうにたいせつなもの 見えないもの 豊かさ いたわる ひとのやさしさ 愛情 きずな いのち いのち ひとのいのち ほんとに表現できるものがなければ 監督なんか落第だ リアルなものを感じることの方が インスピレーションが湧いてくるはず 船に戻ってきて一人、雨にぬれた足の強烈な臭いをただよわせていた でも僕にとっては他のクルーの心の飢えに 次の寄港地の幻をみた 何かが狂っている! 人を感じることのできる、そんな場であってほしい ごめんなさい なにもできないけれど でもなんとかしたい たすけてください ちからをください みんなにささえられている かんしゃしています ありがとう ●2001/2/10(土) モンバサ(ケニア)「take a note」☆ 忙しさの中に埋もれてきたこの一ヶ月 どうなるか先行き不明のここ一週間 ひさびさロケがあった今日という日 僕の被写界深度は浅くなるばかり 時は過ぎ 船はためらい 次第に君が遠ざかっていく ああ、どこへいくのだろう あれはいったいいつのこと 振り返ってみても片隅にもいない ようやくみつけた ノートの中で 涙の向こうに見えた 言葉にならない尊いもの 思い出させてくれた ノートの中で 指の間からこぼれ落ちてしまいそうな たくさんの風景 いつまでも残る ノートの中に フィルムには焼きつけられない リアルな人間模様 語れることができる ノートの中では 世界中どこに行ってもあるもの まっさらな子供のエネルギー アカをつけず刻み込める ノートの中に 簡単便利なら take a bought 限りない可能性を求めて ムダなことでも 自由に世界を創り込める それなら take a boat 他では出会えなかった チャップリンのような愛 ようやくたどりついた アフリカの大地で ●2001/2/16(金) モンバサ(ケニア)「イケピーだよ!」☆☆ あなたは受け取ったことがあるだろうか? こんなメールを。 そう、差出人の欄にはこう書かれてある。 語りかけから始まるのは、意味深な言葉の予兆。 きっと怒濤のインスピレーションの嵐に驚かされることでしょう。 なんとこの送信者、海外は初である。 どんな体験をしているのだろうか? 日本では感じられないもの。 嗅覚・触覚だ。 すでに数カ国巡り、それぞれに違いのあることに気がつく。 激しく砂が舞い上がる。 天候も違うし、肌もそう。 自分の肌も日がたつにつれ、変わっていく。 夜空を見あげれば、スターライトエキスプレス。 みんなそうであろう。 だんだん日本にいた自分を忘れつつある。 環境に左右されてしまう人間。 自然に囲まれた、本来あるべき姿に戻されると、それがあたりまえになる。 きっとそれが求めていたものなのでは? そんなふうにも思い始めている。 でもハチャメチャなエアーコンディショニングに支配された船内では、当然のように風邪をひき、下痢になる。 文明に破壊されてしまったイケピーの身体。 今日のリハもだるかった。 だから日本に置いてきたものを取り戻したら、もう一度だけ奪われることのない、愛ある土地へと帰りたい。 追記 : 冒頭の詩の評判がよかったので、リクエストに応えてずっと詩を書いていた。 が、あまりにも内向的になりすぎていたので、エッセー形式に変えることにした。 ●2001/2/22(木) モンバサ(ケニア)「スーパーカメラマン」☆☆ 最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
セイシェルでは雨にふられた 僕は撮影に向かい 他の5人は船に残った 彼らはここまで何をしにきたことになるのだろう ここまできてこの国を感じないということは・・・・ 僕には信じられない いい映画を撮りたい みんなに感動してほしい 気持ちよくなってもらいたい クオリティを優先させるのなら簡単なことだろうけれど 忙しくしていると やるべきことがたくさんあり 忘れてしまうことが多くなる それなら映画なんか撮るな それなら映画なんか観るな 映画なんかやっているから 見失っているものの方が多い気がする セイシェルにいるこどもたちの笑顔に救われたこと もっともっと ほんとうにたいせつなもの 見えないもの 豊かさ いたわる ひとのやさしさ 愛情 きずな いのち いのち ひとのいのち ほんとに表現できるものがなければ 監督なんか落第だ リアルなものを感じることの方が インスピレーションが湧いてくるはず 船に戻ってきて一人、雨にぬれた足の強烈な臭いをただよわせていた でも僕にとっては他のクルーの心の飢えに 次の寄港地の幻をみた 何かが狂っている! 人を感じることのできる、そんな場であってほしい ごめんなさい なにもできないけれど でもなんとかしたい たすけてください ちからをください みんなにささえられている かんしゃしています ありがとう ●2001/2/10(土) モンバサ(ケニア)「take a note」☆ 忙しさの中に埋もれてきたこの一ヶ月 どうなるか先行き不明のここ一週間 ひさびさロケがあった今日という日 僕の被写界深度は浅くなるばかり 時は過ぎ 船はためらい 次第に君が遠ざかっていく ああ、どこへいくのだろう あれはいったいいつのこと 振り返ってみても片隅にもいない ようやくみつけた ノートの中で 涙の向こうに見えた 言葉にならない尊いもの 思い出させてくれた ノートの中で 指の間からこぼれ落ちてしまいそうな たくさんの風景 いつまでも残る ノートの中に フィルムには焼きつけられない リアルな人間模様 語れることができる ノートの中では 世界中どこに行ってもあるもの まっさらな子供のエネルギー アカをつけず刻み込める ノートの中に 簡単便利なら take a bought 限りない可能性を求めて ムダなことでも 自由に世界を創り込める それなら take a boat 他では出会えなかった チャップリンのような愛 ようやくたどりついた アフリカの大地で ●2001/2/16(金) モンバサ(ケニア)「イケピーだよ!」☆☆ あなたは受け取ったことがあるだろうか? こんなメールを。 そう、差出人の欄にはこう書かれてある。 語りかけから始まるのは、意味深な言葉の予兆。 きっと怒濤のインスピレーションの嵐に驚かされることでしょう。 なんとこの送信者、海外は初である。 どんな体験をしているのだろうか? 日本では感じられないもの。 嗅覚・触覚だ。 すでに数カ国巡り、それぞれに違いのあることに気がつく。 激しく砂が舞い上がる。 天候も違うし、肌もそう。 自分の肌も日がたつにつれ、変わっていく。 夜空を見あげれば、スターライトエキスプレス。 みんなそうであろう。 だんだん日本にいた自分を忘れつつある。 環境に左右されてしまう人間。 自然に囲まれた、本来あるべき姿に戻されると、それがあたりまえになる。 きっとそれが求めていたものなのでは? そんなふうにも思い始めている。 でもハチャメチャなエアーコンディショニングに支配された船内では、当然のように風邪をひき、下痢になる。 文明に破壊されてしまったイケピーの身体。 今日のリハもだるかった。 だから日本に置いてきたものを取り戻したら、もう一度だけ奪われることのない、愛ある土地へと帰りたい。 追記 : 冒頭の詩の評判がよかったので、リクエストに応えてずっと詩を書いていた。 が、あまりにも内向的になりすぎていたので、エッセー形式に変えることにした。 ●2001/2/22(木) モンバサ(ケニア)「スーパーカメラマン」☆☆ 最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
忙しさの中に埋もれてきたこの一ヶ月 どうなるか先行き不明のここ一週間 ひさびさロケがあった今日という日 僕の被写界深度は浅くなるばかり 時は過ぎ 船はためらい 次第に君が遠ざかっていく ああ、どこへいくのだろう あれはいったいいつのこと 振り返ってみても片隅にもいない ようやくみつけた ノートの中で 涙の向こうに見えた 言葉にならない尊いもの 思い出させてくれた ノートの中で 指の間からこぼれ落ちてしまいそうな たくさんの風景 いつまでも残る ノートの中に フィルムには焼きつけられない リアルな人間模様 語れることができる ノートの中では 世界中どこに行ってもあるもの まっさらな子供のエネルギー アカをつけず刻み込める ノートの中に 簡単便利なら take a bought 限りない可能性を求めて ムダなことでも 自由に世界を創り込める それなら take a boat 他では出会えなかった チャップリンのような愛 ようやくたどりついた アフリカの大地で ●2001/2/16(金) モンバサ(ケニア)「イケピーだよ!」☆☆ あなたは受け取ったことがあるだろうか? こんなメールを。 そう、差出人の欄にはこう書かれてある。 語りかけから始まるのは、意味深な言葉の予兆。 きっと怒濤のインスピレーションの嵐に驚かされることでしょう。 なんとこの送信者、海外は初である。 どんな体験をしているのだろうか? 日本では感じられないもの。 嗅覚・触覚だ。 すでに数カ国巡り、それぞれに違いのあることに気がつく。 激しく砂が舞い上がる。 天候も違うし、肌もそう。 自分の肌も日がたつにつれ、変わっていく。 夜空を見あげれば、スターライトエキスプレス。 みんなそうであろう。 だんだん日本にいた自分を忘れつつある。 環境に左右されてしまう人間。 自然に囲まれた、本来あるべき姿に戻されると、それがあたりまえになる。 きっとそれが求めていたものなのでは? そんなふうにも思い始めている。 でもハチャメチャなエアーコンディショニングに支配された船内では、当然のように風邪をひき、下痢になる。 文明に破壊されてしまったイケピーの身体。 今日のリハもだるかった。 だから日本に置いてきたものを取り戻したら、もう一度だけ奪われることのない、愛ある土地へと帰りたい。 追記 : 冒頭の詩の評判がよかったので、リクエストに応えてずっと詩を書いていた。 が、あまりにも内向的になりすぎていたので、エッセー形式に変えることにした。 ●2001/2/22(木) モンバサ(ケニア)「スーパーカメラマン」☆☆ 最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
あなたは受け取ったことがあるだろうか? こんなメールを。 そう、差出人の欄にはこう書かれてある。 語りかけから始まるのは、意味深な言葉の予兆。 きっと怒濤のインスピレーションの嵐に驚かされることでしょう。 なんとこの送信者、海外は初である。 どんな体験をしているのだろうか? 日本では感じられないもの。 嗅覚・触覚だ。 すでに数カ国巡り、それぞれに違いのあることに気がつく。 激しく砂が舞い上がる。 天候も違うし、肌もそう。 自分の肌も日がたつにつれ、変わっていく。 夜空を見あげれば、スターライトエキスプレス。 みんなそうであろう。 だんだん日本にいた自分を忘れつつある。 環境に左右されてしまう人間。 自然に囲まれた、本来あるべき姿に戻されると、それがあたりまえになる。 きっとそれが求めていたものなのでは? そんなふうにも思い始めている。 でもハチャメチャなエアーコンディショニングに支配された船内では、当然のように風邪をひき、下痢になる。 文明に破壊されてしまったイケピーの身体。 今日のリハもだるかった。 だから日本に置いてきたものを取り戻したら、もう一度だけ奪われることのない、愛ある土地へと帰りたい。 追記 : 冒頭の詩の評判がよかったので、リクエストに応えてずっと詩を書いていた。 が、あまりにも内向的になりすぎていたので、エッセー形式に変えることにした。 ●2001/2/22(木) モンバサ(ケニア)「スーパーカメラマン」☆☆ 最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
最近つくづく思うこと。 カメアシというのはカメラマンよりも能力が高くないとこなしていけない。 この企画では6人がそれぞれ役割分担して、スタッフワークをしている。 僕は主にカメアシをやっているのだけれども、カメラをやることもある。 たいていは現場でいろんなフォローをしている。 スタンドインすれば、ボールドも出すし、照明の補助をやれば、人止めもする。 何でも屋さんだ。 なにかといえば、ガバチョガバチョといわれ、みんな僕の腰からひっぱってもっていってしまう。 そんな中、カメラをまわさなくてはならなくなることがある。 2台でねらうときもそうだし、エキストラカットや実景撮りのときもある。 普通、カメラマンは演出と打ち合わせて、カット割りの通りに撮影をすすめていく。 演出意図もふまえた上で撮っているだろう。 ちゃんとした画をおさえなくてはいけないから、時間をかけることもできる。 僕が演出のときは、簡単だよー。 一番長いシーンだけどね。 カンでいくから、カンで。 やっぱり世の中の大半はそれで成り立っていると、そう思う。 僕は色補正や露出に関しては、面倒なので今までは遠ざけていた部分だ。 自分の感性を信じているので、その場その場で思いついたフレームでどんどん切っていくことをしていた。 いまはカメラマンの後ろにいると、そのわけのわからないことにほんろうされてしまいそうだ。 演出意図なんて、ろくすっぽ伝わってなくても、いろんなことをやりつつ、カメラをまわさなくてはならない。 逆に考えていたら、ガタガタになるだけ。 やるしかない。 いままでずっと日本という国で生活してきて、そこでしか撮れなかった。 船に乗ることで、やっぱりムービーだけでなく、スチールもいっぱい撮りたい。 もちろん一眼レフで。 イタリアで映画を撮りたい。 それはまだ変わらないのも、まだ行ったことがないからだと思う。 実景撮りは自由に撮らせてもらえることもあるから、僕にとっては唯一のオアシスだ。 だから人々のオアシスにもなるような、美しい画をバシバシ切っていけそうな気もする。 違う国、文化に触れて、日本の風景の美しさを感じることもある。 でももっと感じるのは、想像もできなかった新鮮な美を目の前に突きつけられて、ただただそれに静かに驚嘆している僕がいること。 それから、カメラを抱えていると必ず声をかけられる。 それだけで心の距離は縮まる。日本では関係がこじれたりするだけだったのに・・・ 今日は船内での撮影。長いシーンだったので、粗がでないようにと、つなぎのカットをどんどん撮っていった。 キャストはたくさん出てくるし、カットはたくさん。 エキストラも入ってくる。 助監は、撮影の進行の段取りで手一杯。 スナックだから、照明が大変なのに、担当は1人だけ。 ワーオ! でもこんなときこそ、スーパーカメラマンの本領発揮。 とにかく撮影のスキを狙って、バシバシ撮っていく。 本編よりこっちの方がいい画を取れる率が高いようにも思える。 だいだい役者が素のときを狙ったりするから、その方が自然で使いやすいものになる。 でも僕も1or8で撮っているから、凄くいいものがあれば、まったくダメなものもある。 ただやっぱりカメラマンよりもカメラをまわす機会が少ないのに、 同等かそれ以上の画を求められる僕のカメラワークはきっとスーパーなんだろう!? ガンバレ「ON THE BOAT」エキストラカットに乞う御期待! ●2001/2/28(水) インド洋「ルール」☆☆☆ コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
コンコン。 ノックする音が聞こえる。なんだろう? 音の方に向かう。 コンコン。 まだ音がする。 きっと日本はまだ寒いのだろう。 環境の変化がある時期。 アフリカにいるとそんなことすらわからない。 満員電車に揺られながら、仕事場まで行っていたことを思い返す。 そんな生活に戻れるのだろうか。 日本にいたとき、平日に街を歩いていると、仕事をしていない自分に不安を覚えていた。 ここにいると同じ状況でも、妙な感覚がある。 道ばたで売れているのかどうかわからないものを広げている商人。 一人の客と時間をかけて値段交渉する。 大した額でもないのに、必死だ。 学校に行かない子供達もいる。 仕事をしてるかさえわからない大人もたくさんいる。 ハッ!と気付かされる。 夢見心地の僕がしていること。 僕が創りたい映画。考えてみる。 いつからだろう。 やろうと思ったのは。 映画を創りはじめたきっかけ。 胸につかえていたものがたくさんあった。 それを吐き出せているのか? それがやりたいことではない。 人が面白いと思うこと。 僕には面白くない。 誰もが面白いと思うもの。 みんなが楽しめるもの。 僕が創る必要はない。 じゃあなに? 答えはあってもまだ見えてこない。 自分の中でいいと思うもの。 自分の中で面白いと思うもの。 それをやっても世間の評価は冷たい。 自主映画。 監督がすべて制作費を拠出する。 だからといって一人では出来ない。 キャスト・スタッフはみなボランティア。 思い通りにすべてができるのか? いろいろ考えても見えてこないもの。 たくさんある。 忙しさの中で見失ってしまう。 ちっぽけな枠組みの中でもがいている。 そんな僕はかっこ悪い。 自分から出ようとしないと出られない。 でもこわい。 びびる。 何をそんなに恐れることなどあるのだろう。 いろんな人たちと出会ってきた。 監督やりたい、役者やりたい。 そういう人は面白くなかった。 どうしてか? いつも気になっているのは、話のポイントがずれていて、話題がかみあっていなかった。 面白かった人。 なんだかよくわからなかったけれど、何かを見せてくれた。 不器用なのに、伝えてくれた。 「ヴィゴ」という映画を観たことがある。 確か僕と同い年で結核で亡くなった、フランスの伝説の映画監督の物語。 フィルムが川に落ちたとき、死を覚悟で川に飛び込み、フィルムをすくいあげていた。 彼には命がけで守るものがあり、それが自分の愛するものだった。 愛とか情熱を傾けていく生き方。 目を向けたらいいのは? 人を変えること? まてよ。 コンコン。 目がさめると、ひよこが僕の額を突いていた。 それは大切な人からのプレゼント。 追記 : プレゼントでもらったひよこの人形に、ボケている僕がつつかれて気が付かされたという象徴的な表現。 と同時にプロデューサーからのこの企画への参加というプレゼントのおかげで、 僕の心の扉をノックされて更に前進するように促されたという象徴でもある。 気付きを与えてくれるのはいつでも自分にとって大切な人から。 ●2001/3/6(火) ケープタウン(南ア)入港「Cape Mountains」☆☆ 朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
朝5時起床。 日本時間正午。 眠い目をこすりながら、船の最上階である、オブザベーションデッキにスタンバイする。 入港シーン。 とてつもなく雄大な景色が目の前に広がるという。 それなのに、なのに・・・ それを背にして、感動しているパッセンジャーの表情をカメラでとらえる。 ただひとつの特権は、ふだん行くことのできない船首部分で撮影できるのだ。 そこへ移動してきて、背を向けるものの、やはり心も身体も寄港地に向いている。 そう。 それはテーブルマウンテン。 頂上が水平に左右に広がっている。 いってみれば、横に長いプリンの様。 標高は1000mというが、3,4個の山が連なっていると、この美しさの前にひれふしてしまいそうな勢いでみとれてしまう。 周りを見渡せば雲ひとつない一面の青空がパノラマになっていた。 でもその山の上にだけは雲がのっていた。 のっている。 富士山とは確実に違う。 どっしりとして、山の削れたあとや、筋のようなものまでくっきりと眺められる。 僕は44マグナムをもったドライバーのタクシーにのって、黒人の居住区らしきところにいった。 ボブ・マーリーのポスターが貼ってある、22才の奥様のいらっしゃる家庭を訪問。 暮らしぶりを聞いた。僕がイメージしていた南アフリカ。 発展途上国・・・。 そんな感覚感じさせない。 黒人も白人も入り交じって、差別なんかあるように思えなかった。 それでも人種・階層・給料とか、貧富の差はありそうな気配が感じられた。 日本の家よりも立派な家が建て並んでいたり、近代的なビルがそびえ建っていれば、古めかしいボロがその間にあったり。 治安の悪そうな雰囲気もまったく感じられなかった。 そういえばここはマイク・ベルナルドがいる国? 極真空手の道場を見つけてしまった。 大きな山々の手前には、まるで多国籍国アメリカのような街並みが広がっていた。 都会、桜木町のような雰囲気かな? 桜木町も山はあるけれど、ここはその数十倍の対比が見られる。 街と山のコントラスト。 街のはずれにもきれいに整備された公園がある。 驚いたことにリスが何匹も走り回っていた。 イメージしてもらえるだろうか? 都会の街並の向こうにとてつもない大きさの自然が横たわっているのだ。 言葉じゃ伝えられない。 だから映画をやっているのだが、でもそれでもきっと伝えきれない。 また港からケープタウンの全貌が眺めるのは、船旅だからこそなんだろう。 世界一周のだいご味だ。 治安が悪い街ということで、夜でなくても外出は危険なのに、フェスティバルがあるというので、参加した。 ここは夜になるとかなり冷え込み、半袖だと風邪をひいてしまいそう。 だからフェスティバルどころじゃなかった。 古い城のようなところだったから「フラミンゴ」の撮影にはいいのかもしれない。 城の中に入って風から逃れようとしていると、南アの雰囲気ではない音色が奏でられていた。 バグパイプ? らしい。 かなりレベルの高い楽団の練習が、駐車場で行われていた。 こんなのタダで見られていいの? しかもこれ、ビデオにおさめてきた。 使える素材とは思えないけれど、演奏事態はすばらしかった。 もっとこんな感じで視点を変えていったら、いいもの撮れるのかな? フェスティバルという場を与えられて、その中で何とかしようとするより、 発想を変えて、別のアングルから狙ってみるといいものが見える? そんな意味では視点を変えられまくりのこの世界旅。 みんないつまで観ていてもあきないというマウンテンとともに、この先さらにどんな変化が僕たちにあらわれるのか? ●2001/3/12(月) 太西洋「予感」☆☆☆☆ 撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
撮影中止。 もしかしたらそうなるかもしれない。 ナミビアを出港し、いよいよ南米大陸へ向けて大西洋横断が始まった。 連日クルーズ最長8日続く。 正直、海を渡っていることの実感はあまりわいてくるものではないが、ここ数日はそうでもないようだ。 船内にいるパッセンジャーの中にも、しばらく船酔いが止まらない人も何人かいる。 ルーシに乗り換えたときは、僕も久々のクルーズで慣れなかったが、すぐになんともなくなった。 もう慣れっこだ。 ここ大西洋上の航海は、何が作用しているのか、いままでで一番船が揺れる。 しばらくはこの揺れが続くようだ。 なのに運動会をやるという。 出身地域別で、僕は東京千葉地区でダンスをやることになった。 でも今日の撮影はやるのかわからない。 というのも、ロケ場所が船の最後方のデッキで危険だからだ。 床をメンテしているのもあるだろう。 船の前方からでもいい。 海の方を眺めていると、水平線が右に左に上下に斜っているのがわかる。 廊下を歩くのもままならない。 まるで遊園地の乗り物にのったような気分なのだ。 カメラをやることになった。 大切なのは自分の感性を信じてやることだろう。 他の監督たちも僕のところにきて、カメラの打ち合わせをしていく。 いままで見えてなかったことも、今日一日だけでもいろいろ見えてきた。 フレームのきりかた。 全体の構成。 現場のテンポ。 シーン18。 撮影現場に池田が初登場するシーン。 キャスト7人。 初めてカメラをまわすには、大がかりなところ。 僕は朝から・・・というより夕べからカメラ割りを確認していた。 リハの画を確認しまくって、イメージイメージイメージの連続で、自主練も繰り返した。 監督は高山。 彼は緻密に計算高くやるタイプ。 大雑把にズバッ、ズバッとフレームを切っていく僕とは対極にある。 だからこそより面白い画づくりもできそうだ。 日本にいたころに出会った映画仲間には、映画は闘いだ! という熱いやつが多かった。 なぜだかよく知らんけど、映画好きには格闘技好きが多い。 映画レスラーと呼ぶらしい。 でもなぜだかよく知らんけど、この映画チームでは格闘技ネタは出てこない。 じゃあ熱くないのか? そうではない。 共感というか、連帯感? というか、うーん、要は横のつながり。 言葉で伝えあわなくても、ツーといえばカーみたいな、あうんの呼吸みたいなものが生じてくれば、もっとうまくいくのだが・・・ 6人の関係。 うまくいっているのか、いないのか。 みんな知りたいだろうけど、僕自身よく知らない。 ただ事実は、多少なりとも危機感を感じている僕たちにお互い競争心もあるけれど、 いいものをつくっていこうと、チームワークを大切にし始めている。 これは僕たちのバイオリズムをよくするだけでなく、登場人物たちのバイオリズムも計算に入れて、撮っていくことができる。 作品が更に面白くなっていっているような感覚が各々芽生えてきている。 そこに僕の登場だ! 結局今日の撮影は延期。 船が揺れると、撮影中止のうわさも広まるほどのスモールビレッジ・ルーシ。 それにもめげずに明日からの撮影に備えて、6crewのリハは一日中行われた。 くたくたになったカメラマンも、次から次へとやってくる闘いに挑み、撮影がテンポアップしていく予感がしてきた。 そして予感はいつしか実感へと変わり、感動につつまれていく。 まだまだ突っ走るぞ! ご唱和ください。 1.2.3ダァー! 追記 : 企画に関して雑談をしていた時に、たまたまプロレスネタが顔を出した。 それを利用させてもらった。 この頃はホントにチームワークがよくなっていっていた。 ●2001/3/18(日) 太西洋「とさか」☆☆ 「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
「ON THE BOAT」のメインイベントが夕べ無事終了した。 ガチガチに力が入ったが、なんとかうまくいった。 力が入っているのがわかるのに、力を抜くとブレてしまうのがこわくて何もできない。 ちょっとのスキも見せられない、撮りなおしのきかない、バリカンのシーン。 そうです。 マリリンがモヒカンになるシーンです!!! そんな緊張感がただようその直後の今日、まだまだ手は抜けない。 今度は「フラミンゴ」初の芝居のシーン。 明日、リオに着くというのに、ルーシ号の操舵室を借り、 異様な雰囲気につつまれる中、僕たちは撮影に臨んだ。 最初のコンテとくらべると、かなりシンプルになったカット割り。 それはそれは検討しました。 夕べも重いまぶたをスクワットさせながら、監督・助監督との話し合いは続いていく。 前のシーンとの雰囲気の対比・変化・インパクト、カメラワーク、重要ポイントなどなど、 つめの作業がいつまでも続いていく。 そして今日。 ただでさえ時間が足りない。 そういうときに限って、スタートが遅れてしまう。 そして芝居をつめて、テイクを重ねる。 マリンちゃん。 子役も入るので、リハと言いながらカメラをまわす。 1カット10テイク。 アホみたいに撮りまくる。 結局3時から6時までの間に撮ったのは3カット。 残り4カットとエキストラカット。 そして休憩が入る。 ここはモヒカン後、初のモヒカン頭登場シーン。 だからチョッパーの頭をフレームにおさめたい。 でも小さな空間なのに加え、役者の背が凸凹。 実際モヒカンを見せるのは難しかった。 監督は諏訪。 彼はカメラに関しては、僕のセンスに任せている。 ただこのシーン全体の意味、各々のカットの意味を必ず伝えてくる。 それに忠実なカット割りを求めてくるし、ひとつひとつ細かく注文してくる。 僕が気をきかせて、ちょいと工夫してみると、すぐさま反応してくる。 そしてそれをうまく利用する。 僕にとってはやりやすいタイプ。 でも失敗したら厳しいでしょう。 しばしの休みの間、残りのカットをどうするか? 2人で考えた。 このままでは撮りきれそうにもない。 妥協するのは簡単だけど、表現を浅くはできない。 話し合って出た結論。 残り1時間で2カット。 芝居は大変だけれど、カットを減らし、いままでで最良のカット割りに変更できた。 これならうまくいくはず。 僕たちはこれに賭けた。 撮影後半。 参謀室。 時間には微妙にズレが出たものの、なんとか撮りきった。 あとはラッシュを見て落ち込まないことを祈るのみ。 僕は操舵室にひろげた美術をかたしていった。 大西洋横断中に撮った7シーン。 かなりヘビーな日々が続いてぐったり。 だけど明日は寄港地。 身も心も休まる日はいつまでもない。 チョッパーのとさかのような緊張感の中、撮影は毎日止まらない。 追記 : 僕にしては珍しくほぼ事実だけを書いている。 それだけネタがなくて頭がまわらなったということだ。 ●2001/3/24(土) ブエノスアイレス(アルゼンチン)入港「迷い」☆☆☆☆☆ とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
とうとうやってきた。 アルゼンチンはブエノスアイレスだ。 日本の裏側にある国。 だからカメラを上下逆さまにして撮ってみた。 何ヵ国も巡っている(9ヵ国目)と、その国の良さを感じることを忘れてしまうようで、 どこも同じに見えてくるようになるが、ここはちょっと違った。 ケニアで長期滞在したことで、今日3/24の訪問になった。 なんと25年前のこの日、アルゼンチンではクーデターが起こったという。 世界史にうとい僕にとって、そんなこと気にもしていなかったのに、だんだんこの国に興味がわいてきていた。 ブエノスアイレスといえば、マラドーナ、タンゴ、マルコ。 映画『ブエノスアイレス』にもでてきたあの白い塔に行った。 マラドーナが生まれたというボカというところにも行った。 そこはパステル調の色使いの家が建ち並んだ、タンゴの発祥地でもあるようだ。 マルコといえば『母を訪ねて三千里』 コルドバという街も見かけた。そして記念のパレードが始まった。 ここでは僕の予想に反して、独りで過ごせる時間をわずかながら持てた。 パレードを脇に芝生に座り込み、街並を眺めながら独り、もの思いにふけっていた。 旅のはじめ 「どこへ行くのだろう?」 自分自身にそんな問いかけをした。 旅も半分以上が過ぎ、次の寄港地で古澤さんもやってくるといういま、その答えは見つかっていない。 街中で当然のようにキスをしている恋人たち、 スペイン語がわからない僕に声をかけてくるおばさん、 撮ってもいないのに怒ってくる野郎に、出たがりの酔っ払い。 もちろん顔はみんな東洋系ではない。 日本とは違う現実がここにはもっとあるはずだ。 サッカー観戦することはできなかったが、パレードがまるでサッカーの応援をしているかのようだった。 土曜日なので昼くらいまでは人通りが閑散としていた街も、夕方を過ぎたあたりから徐々に活気をおびてきた。 暴動でも起きるのかと思わせるようなパーンという音、 太鼓を奏でるバンド、火を吹く男女、デモのような旗たちの行進。 こんなの日本で見かけたとしてもジャイアンツの優勝パレードくらい?? あの規模の情熱や気持ちのぶつかり合いがあるこの国では、平和ボケした日本なんて想像もできないのだろう。 モラルに縛られるよりも、思うがままに動く生き方。 日本の常識などかけらもない。 イタリアやニューヨークにとどまって生活していきたいと思っていた。 と同時に、もしかしたらこの航海で気持ちが変わるのではとも思っていた。 どうやら先入観も打ち壊されて、わからなくなっている。 でも日本ではない方がいい。 一人、誰からも隔離されながら、人々と交差せざるを得ない、けれど言葉という距離がある。 そんな日々を送ってみたい。 何が僕を魅了させているのか? 夜はタンゴを観た。 10人のダンサーと10人のバンドネオン奏者によるコラボレーション。 完成された動きに、ぴったりとあった呼吸。 次から次へと決めのポーズがくり出されていく。 僕もダンスはやったことはあるだけに、そのすごさは格別だ。 素人のものを観ていると、息づかいが感じられる。 しかし彼らの踊りには息づかいなどみじんも感じさせられない。 これだけのコラボレーションを僕たちの映画にも生かせることができたら・・・。 なんとこれ、タダで観てしまった。 こんな経験をしてきたのだから、それをフレームの中に反映させていきたい。 人は影の部分を濃くすればするほど、厚みが増してくる。 その影を撮るのが映画だ。 だからフレームの外にあるものを自分のものにしたとき、ようやく人々に伝わるものを描けるのだろう。 『ブエノスアイレス』のフレームを外れたところにいる人々と直に話すこともできた。 「会いたいと思えば、いつでもどこでも会うことができる」 トニー・レオンは確かそんな台詞をいっていた。 これだけゆったりとした旅だから、終着地へもまだまだ時間はかかる。 そして僕たちもウシュアイアへと向かう。 追記 : 実際、ウシュアイアには行っていない ●2001/3/31(土) パタゴニア・フィヨルド「寒いっ!」☆☆ 野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
野球も始まるというのに、とにかく寒い。 ブエノスアイレスをすぎ、最果てにやってきた。 真夏の日射しから、あっという間に気温は下がり、日本の冬よりはるかに寒い。 海は穏やかなのに、風が強く、何枚も厚着をし、はおったコートも袖をのばして手袋代わり。 あたりの景色は、人っ子一人いない山々が連なる。 パタゴニアのフィヨルド遊覧。 僕はかろうじてテンダボートに乗り込むことができた。 明日ラストシーンの撮影がある。 イメージとは違う、屋根付きのテンダー。 氷など触ることはおろか、近くに感じることさえない。 ただ、その氷のおおよその大きさはわかった。 そんな気がした。 ときどきデッキで思いつくこと。 飛び込んでみたい。 VX2000と一緒に。 このカメラを大海に放り込んだらどうなるんだろう。 よく妄想にふける。 人間、限界を超えると何をしでかすかわかったもんじゃない。 氷がガシガシ突き合わせている中にも入ってみたくなる。 プールに飛び込んで腹打って真っ赤になったときのことを思い出した。 きっとここでは即死だろう。 そんな下らないことを思い浮かべる。 撮影のときには、デッキのエッジの部分に三脚をすえることがある。 そしてティルトダウンしてバランスを崩すと、たちまち危うい。 この寒さの中でフィルターやワイコンを交換したりしたら、指先の感覚が鈍くなっているのでさらに危ない。 でももうすでにカメラ一台はいかれた。 ヘッドが故障したのか、ノイズが走りまくり。 昨日はたまたまチェックを入れ、すぐに撮り直したから良かったものの、つかえないカットが出てしまった。 ノイズが走らないこともあるが、不安定な気分屋になってしまったので、二軍落ち。 そういえばここはチリ。 遠い国のように感じるが、チリ味の食べ物はよくある。 でも実際まだ口にしてはいない。 縦長の国だけに、北と南では日本よりも寒暖の差が激しい。 チリといえば・・・どんな特徴があるんでしょうね。 とにかくしばらく寒さが続く。 冬生まれだからといって、僕は寒さに強いわけでもない。 結露を起こしてしまうカメラ君も寒暖の激しさには弱い。 ということは僕が守っていかねば! 明日はエイプリルフール。 年度の節目。 牛丼も安くなり、気分も朗らか、ぽっかぽか。 追記 : 日本にいないのに日本のネタを出すことで、違和感なしに親近感を出せるか? と勝手に思った。 ●2001/4/7(月) 太平洋「感触」☆☆☆☆ 海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
海外へ出ると、日本がよく見えてくるという。 そう聞いていた。 『イル・ポスティーノ』に出てくるパブロ・ネルーダ邸ラ・セバスティアーナを昨日訪れた。 丘で囲まれたバルパライソの街の坂の中腹にあり、景観は抜群だった。 果物や船の絵画が飾られ、来客用の小さなバーから、中国のものらしき掛け軸も見かけた。 パイプやタイプ・きれいな模様の皿など、それぞれに趣があった。 こういう心の休まる環境から、良作は生み出されるのだろう。 日本にいたころ、かつての文豪の集う街、鎌倉に行ったことがある。 僕は鎌倉という街の雰囲気がとても好きで、バルパライソにも似たような感触を得ることができた。 静かにときが流れていく。 経済的な心配などよそに、内にこもり自分の世界を築き上げる。 おだやかな空間で、なすがままに過ぎていく。 それぞれがもつ葛藤に違いはあろうが、作家は自ら命を絶つ人が多い。 今日の撮影の予定は変更になった。 天候のゆくえには左右されても仕方がないのが無力な人間の性。 撮影に限らず、予定は水もの。 今回の企画ほどこういう事態に直面する機会が多いこともないのではないだろうか。 自然を相手にしているジャック・マイヨールはこう言っていた。 「人生には嵐も必要だろ?」 明日はいい日と信じて、受け止めるしかない。 そういえば映画監督をやることは「マサユメ」だと彼から言われたことを思い出した。 昼食をとりながら思った。 日本にいたころの自分がよく見えてきた気がした。 世界一周しながらも、船の上だけは日本そのもの。 でもここには外人が当然のようにいる。 仕事中でも平気で抱き合っていたりする。 せこせこした目先の利益にとらわれていたけど、そんな細かいことなどどうでもよく思えてくる。 どうでもいいことはどうでもいい。 ここの人たちはもっと気ままに、自分の思うように自分を出しているし、家族を大切にし、無邪気に過ごしている。 忙しさにかまけて、大切な人を傷つけたりしていた。 誤解されもした。 わかってもらえる人ならまだしも、二度と会えない人もいる。 失ったものを取り戻すには、得たときの倍の労力がいるだろう。 取り戻す無駄をすることは必要だろうか? 二者択一。 人生はいつでも二分の一の選択だ。 どっちをとるかは自由。 僕に必要なものは、人の目を気にしないでいられる場、間違っても、そのままでいられる場。 言葉が違うと、お互いがわかりあえないというところが出発点だから、違うことを気にしないというより、わかりあおうとする。 暗黙の了解や以心伝心など、通じやしない。 そんなつまらん常識などない。 映画に熱くならざるを得ないいま、どうでもいいことに熱くなっていた自分を思い出す。 自由、自由、ありのままでいてもいい、それを許される場である気がした。 何かに追われるのでなく、自分の中から湧き出てきたときに表現する。 甘えといわれればそれまで。 でもそれが等身大の僕なのです。 いろんな国を旅するこの船なら、自分にあった空気が見つけられるような気がする。 この旅も残り一ヶ月。 あとどれだけ自分が分岐していくのか。 まだまだ楽しみはつきない。 ときどき六人部屋にもなるこの部屋で、一人こもって日記を綴っている。 ●2001/4/14(土) 太平洋「ポジ」☆☆☆☆☆ 旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
旅が始まって今日で89日目。 残すところあと3週間ちょい。 僕たちの撮影もクライマックスを迎えている。 映画づけの日々も3ヶ月を過ぎようとしている。 こんな葛藤続きの時期も人生の中で一部分にすぎないんだろう。 僕は舞台をやっていたことがある。 本読みから始まって、立ち稽古をたっぷりとやり、本番を迎える。 3ヶ月間、ほぼ毎日のように夕方18時から21時くらいまで稽古を繰り返す。 ぎゅうぎゅうにつめて100人くらいのキャパの小屋と呼ばれる小さな劇場で上演される。 最初の舞台は音響を担当した。 演出助手や制作進行など、下っぱの仕事をするようになったかと思えば、気付けば役者までやっていた。 何本ぐらいこなしたのだろう。 舞台を完成させるのと同じ時間を費やしているいま、この映画とどんな違いがあるんだろうかと考えていた。 今日の撮影はシーン8。 物語が次第に展開していくきっかけの大切なシーンだ。 ハナがフラミンゴの無気味な海賊役で登場した。 監督は高山。 昨日も高山。 カメラマンの僕は後押ししていかなくてはならない。 入念な打ち合わせでテンポよい本番を迎える。 ハリキッテ高山。 今日のようなピーカンの日は、太陽の光が強ければ強いほど、影も濃くなる。 役者さんが太陽を背に立つと、顔が黒くなってしまう。 光をレフ版で反射させて演技を引き立たせる。 僕はそれを撮り、ベストなものを編集する。 カメラをパンしたりするのに、三脚の雲台と呼ばれる台をパン棒で操作する。 何年もビデオカメラをまわしている僕のカメラワークはそんなに悪くはないはず。 しかしいかんせん自分の三脚ではない。 相性が悪いのか、カクカクした動きになってしまう。 何度かカメラNGを出してしまう。 監督から、ああしろこうしろ、といろんな注文を受ける。 わかっていてもそう簡単にできるものでもない。 最終的に使える素材は僕の撮ったものになっているものの、そのうち見切りをつけられ、監督にカメラを奪われてしまう。 今日は三脚を借りてきた。 この三脚は動きがとても滑らかで、今日の撮影ではお誉めの言葉をもらってしまうほどだった。 わかっていてもそう簡単にできるものではない。 僕は4人の監督とコンビを組んでいるが、それぞれに対して「こうしたらいいのに」と思う。 彼らも僕に対して同じ感情を抱くこともあるだろう。 しかし残念なことに、その監督の立場になって考えることができない。 例えばそれは「何でそこで元木を代打で送るんだよ」みたいに、観客の立場だと創り手の想いなどおしはかりきれないようなもの。 それは監督が役者に対して感じることにもつながることだろう。 僕が舞台をやっていたときに思ったこと。 スタッフのとき役者に対して、もっと大げさに芝居したらいいのにと思っていたのに、いざ役者をやると、同じようなことを演出家から言われる。 稽古を欠席した役者の代役をする。 他人の役だとなぜかのびのびとできる。 変な責任感がなく、制限もなく、自由にこうした方がいいと思っていたことができるからだ。 人間なんて得てしてそんなものだ。 僕たちがやっているのはフィクション。 それだけに制約というものはかなり多くある。 そして僕自身、いまは自由度を欠いてしまっているように感じる。 なんとかできないだろうか。 今回の映画でも、監督が見えていない細かい芝居、段取りになっている演出、スタンドインをするといろんなことが見えてくる。 人の悪いところはよく見える。 でも自分のはなかなか見えない。 協力してくれているスタッフたちが僕ら6人に対して感じることでもあるだろうし、逆もまたそうだろう。 欠点を指摘して「こうしてください」とは簡単に言えるものだ。 時間をかけてあれこれ仕掛けていって、初めて人は変わるのだろう。 だからまず自分の態度を変えていくことから始まるように思う。 相手の気持ちになって物事を考えたとき、もっとその人の事を思いやってやれることができそうに感じる。 だから僕はいろんなポジションを経験してみたい。 そうすればスタッフワークなんかももっとスムーズにいくのではないだろうか。 人々の本当の気持ち、裏の感情、なかなか見えてこない優しさ、痛み、葛藤。 決して表だって出てこない、そういうところが芸術であり、美しいところなんだと思う。 底辺の部分というか、そんな人々の影を撮っていける撮影をしていきたい。 追記 : この回から船内でも撮影日誌が公開されるようになった。 だから少し気合いが入っていた。 おかげでわざわざ僕を探して「面白かった」といってくれたお客さんがいた。 タイトルの「ポジ」はポジティブとポジションをかけている。 ●2001/4/21(土) 太平洋「Movie in the dark」☆☆☆ 先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
先日、古澤さんから一冊の本が届いた。 『映画が街にやってきた』=映画『白痴』がいかにして創られていったか? どちらかというと制作サイドからの視点の内容だった。 なにかしら古澤さんからのメッセージを含んでいるのかな? なーんてことは考えないで読んでみた。 この企画に参加する前、プロデュースに興味があった僕は、 自分で映画を創ったとき、どうやって上映活動をしていこうかを考えていた。 自主映画の上映会を個人でやるのは限界がある。 かといって、独立プロの映画でも利益を出すまでいくのは難しい。 僕はいろんな映画関係者からいろんな話を聞いていた。 きっと日本が作り上げた経済優先の社会が、なかなか文化活動を受け入れないためでもあるんだろう。 国の映画への関心度の日本と海外の違いを古澤さんも痛感しているように感じた。 なかには映画とは別に事業を行い、それを収入源にして、無給で監督をしようという人もいた。 制作費はあっても無給の僕たちと同じだ。 最近はJリーグとか映画『地球交響曲』のように、お金のかかるものは、 たくさんの人々を巻き込んでいくやりかたが、主流になってくるような感じだ。 だから僕も規模は小さくても、市民ネットワークのようなものを築いて、いい意味で利用していこうと考えていた。 いってみればいま僕たちが創っている映画も、それに似た形になるのだろう。 ピースボートのネットワークから、この映画が口コミで広がっていったらどんなことになるんだろう。 僕よりもすごいんだろうけど、似たようなことを考えている古澤さんは、僕と妙な縁があるのだろうか? そういえば『白痴』の原作者・坂口安吾と僕は母校が一緒だ。 徒弟制度のようなシステムが映画界への門戸を狭めているのも事実だと思う。 それを知っているからこそ、新人を実践を通して育てる、古澤さんのやりかたは、革命的というか大切なことだと思う。 だからよけいに僕たちが育たなくてはという責任がのしかかってくる。 うおっ! しかし映画は創るだけで金がかかる。 映画は一秒間24コマのフィルムをまわす。 スチール写真のフィルム一本分だ。 ということは一分間で60本。 90分の映画なら、5400本。 僕たちの撮影はビデオで行われている。 それを後々フィルムに焼けつけるという。 そのためふつうよりコストダウンになる。 ビデオは一秒間30コマのフレーム送りをし、電気を見ているようなものだが、映画は暗くないと見ることができない。 映画はコマ送りをするとき、シャッターで光を遮る。 シャッターが開いて画が見えているのが5/9秒、閉じて暗闇になっているのが4/9秒、つまり上映時間の半分は暗闇にいることになる。 暗闇? 「行間を読む」という言葉がある。 詩なんかと同じで、脚本も行間を読むことを必要とされる。 だから僕たちはかなりのイメージ力を要される。 そのイマジネーションが発想を膨らませ、面白い作品を創りだしていく。 僕は目に見えないものを表現したいと思っていた。 言葉ではあらわしきれない、胸につかえているものを。 見えないものを形にして人々に観てもらう。 せっかく創ったのだから多くの人々に楽しんでもらいたい。 でもそこから遠ざけるように、映画という媒体に触れることができない人たちもいる。 視覚障碍者だ。 僕はそういう人たちに向けて映画を創っていた。 しかもセリフが極端に少ないものを。 見えないから楽しめないというのは間違い。 想いが本物であれば、伝わるはず。 僕が思うに彼らは暗闇という行間を読む天才だと思う。 というのも映画は暗闇の中の残像を心の眼で補って観る、見えないものを読むものなのだ。 だから実は行間を読むイマジネーションは、観る側にも要求されるものだ。 そういう意味では、創り手と観客の感性の闘いが映画だ。 視覚障碍者向けの上映会も企画したけど、企画も半ばで船に乗らざるを得なかった。 ただ幸いなことに、僕の意志を読んで、日本で企画をすすめていてくれる仲間たちがいる。 『白痴』のように、マイノリティが新しい文化を作り上げていっている今日、 僕たちが映画の流れを変えていくことのできる可能性は充分ある。 『白痴』は新潟にこだわっていた。 僕は視覚障碍者にこだわってみたい。 イメージ力の才能に優れた人たちに僕の映画を送り届けたい。 「dancer in the dark」の監督ラース・フォン・トリアーの「The idiots」という映画は、白痴をとりあげた映画。 ●2001/4/29(日) 太平洋「GW」☆☆☆ ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
ようやくやってきたゴールデンウィーク。 そして僕たち船上の映画チームは怒濤のラストスパート。 映画とはまったく関係なく、僕はインドに行ってみたいと思っている。 いままではお金がないからとか、部屋を出るのが面倒だからとか、収入が減ってしまうからとか、 そういうどうでもいいような小さな理由で日本を離れることがなかった。 なのにここにいるのも不思議なものだ。 映画をやりたいというだけでここにきた。 好きな映画を自由に見ることができない。 でも意外と、テレビも電話もインターネットも、どれがなくてもすごせることがわかった。 「誰が何をした」なんて情報がない。 総理大臣が変わっても、いまの旅には何の影響もない。 映画のエンドに流れるインタビューを世界中の人々にしてきた。 地域によって、人の答え方も異なってくる。 相手の言葉がわからないのに、一方的に話してくる人たちもいた。 大抵は興味を示してくる。 恥ずかしがる人もいれば、断る人もいたり、金を請求してくるのもいる。 訴えようとするのもいれば、ラリってぶちこわしにしてくれるのもいた。 僕はその度、水のようになれたらと思った。 水は岩をも突き通すほどの強さと、姿形を変えてどこへでもいけるしなやかさをもっている。 そんな相反する要素をもった水。 意志があるのかないのかわからないように、どこへでも自由に行くことができる。 人の意志に任せてそれにのってしまうと、自分のやりたいことなどどこかへいってしまう。 人を飲み込んでしまう恐ろしさも兼ね備えている。 だからこうしたいという強い意志ももて。 水は黙ってそうさとしてくれているかのようだ。 自分がそうだからというのもあるが、僕は水に関した名前の人は一目おいている。 古澤さんも水の名前だ。 年を重ねてくるとわかってくるのが、世の中思い通りに行くもんじゃないということ。 それが受け止められるようになったら面白くなってくる気がする。 インタビューも相手の人によって、僕たちの態度も変えていくことで、いい答えを引き出すこともできる。 沈黙が続きながらも、ゆっくりゆっくり相手のペースに合わせて話したり、 ときには喧嘩になりそうな勢いで、言葉の攻撃を仕掛けていくとか。 海は国や地域によってもかなり色を変えている。 胸を打つような言葉を引き出すには、その国その人によって、 僕らがカメレオンのような七変化をして、演出していくようにするといいようだ。 どうでもいいものはどうでもいい。 あまり変なこだわりはもたないようにしたい。 そうしないと変な質問ばかりしてしまうし、くだらない答えしか帰ってこない。 僕らがいいあたり方をすれば、いい返しが期待できるんだろう。 水は量の大小をとわず、その性質を変えない。 そんな水の流れのように、流れにそっていけば映画もうまく行くのではなかろうか。 いまさらながらそう思う。 というのも映画のクライマックスのシーンに七転八倒している僕たちがいるからだ。 みんな苦しんでいます。 だからGOOD WILL!! ●2001/5/6(日) 太平洋「まんなか」☆☆☆ 強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
強風の中、乗客全員の集合写真の撮影が行われた。 船の中で一番高いところからカメラで狙う。 なぜか僕もそこへ行くことができた。 先日のパーティーシーンの撮影でも、カメラ位置をかなり高くしたが、高さがまったく違う。 まともにそこで立つことができなければ、三脚をたてることさえできない。 被写体がみんなちっこく見えた。 ズームでよってもブレブレだ。 たまねぎの皮をむく。 どんどんどんどんむいていく。 つるんとした実が出てくる。 涙が止まらない。 つーんとした。 気圧配置によると、この船の位置はまるで台風の目にあるかのようだ。 小さな人間。 大きな世界。 海原の広がる地球。 夢見ゴコチの四ヶ月。 僕にとって映画は地球サイズの芸術だ。 ●2001/5/8(火) 東京晴海港帰港「ばく」☆☆☆☆ みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。
みんなぶくぶく肥えていった。 きっと各々のキャンバスに描いたものは しぶきをあげて空を遊覧しているのだろう。 まだまだこれからも追い続けるのでしょうか。 ふりかえると でも決してあとには戻らない。 はじまりも終わりも、いつも甘く切ないミルクティーのように、 答えはなかなか見えてこない。 やはりいつまでも、そしてどこまでも僕の旅は続いていく。