2012年3月号
【近つ飛鳥博物館、風土記の丘百景】
今月の特集

3.11が巡りきて

E.M.フォースター「老年について」

文庫本「賢治先生がやってきた」

「うずのしゅげ通信」バックナンバー

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2012.3.1
3.11が巡りきて

3.11から1年を迎えます。
この1年、どこか漂うように過ごしてきた感じがあります。自分がどこかにペンディングされた状態で 生きている、といった感覚の中で、この一年をやり過ごしてきたようなのです。 こんな不安定な生活は、これまでの私の経験にはありません。 これからは、こういった感覚が常態化するのではないか、という予感があります。 安定して、未来まで見通せた三丁目の時代は過ぎ去ったのかもしれません。
東北から遠く離れているわれわれでもそうなのですから、 被災されて、生活の基盤を浚われた方々の不安な思いはどんなだったのだろうと、思いを馳せるだけで心が痛みます。
この一年、私は、心では寄り添いつつも、たいしたお手伝いもできなかったという悔いが残っています。
私が、心血を注いだのは、この「うずのしゅげ通信」からことばを発信することでした。
大切な家族を喪われた方々とは、共感できるのではないかという思いこみのようなものがあったからです。 どれほどの方々に、そのメッセージが届いたのかは分かりませんが、自分なりには精一杯の発信で あったことはたしかです。
それで、1周年を迎えるにあたって「うずのしゅげ通信」からの発信をまとめておきます。
興味のある方は、覗いてみてください。

「うずのしゅげ通信」の震災関連記事

2011年4月号 東日本大震災(賢治インタビュー)

2011年5月号 詩「原発がうずくまる」

2011年6月号 宮沢賢治からの手紙

2011年7月号 ふしぎな絆

2011年8月号 津波の礎

2011年10月号 いつしか

2011年11月号 高木仁三郎「宮澤賢治をめぐる冒険」

2012年1月号 詩を読むたのしみ

2012年2月号 (私の魂)は記憶する

東日本大震災をテーマにした脚本

2011.8.29 一人芝居「雨ニモマケズ手帳」
   −−宮沢賢治、原発を怒る−−

2011.11.29 狂言「豆腐小僧は怖い?怖くない?」
   −−放射能で給食は大丈夫?−−

2011.11.29 二人の朗読劇「被災写真」
   −−被災の手記・朗読と一人芝居・ボランティア聞き語り−−



2012.3.1
E.M.フォースター「老年について」

E.M.フォースターの評論集「フォースター 老年について」(みすず書房)を最近手に入れました。 彼を読むのは久しぶりです。「E.M.フォースター」、懐かしい響きです。
最初に、フォースターを知ったのは、大学に入学して間もなくの頃でした。
私は、高校時代から、英語はあまり得意ではありませんでした。 辞書を引きながら読み進むという作業が退屈で耐えられなかったのです。 苦痛を忍んでたいへんな努力をした結果が、どうってことのないつまらない文章の意味が分かる、 それだけです。
しかし、英語がもたらす苦痛、それがじつにテキストのせいだったということが、 大学に入ってはじめての授業で判明したのです。 教養課程の英語の授業に出たときのことです。 テキストは、E.M.フォースターという著者の薄っぺらな冊子でした。 高校を卒業したばかりの私には、E.M.フォースターが何ものだか、そんなことはわかりっこありません。 しかし、授業がはじまると、英文を透かして見え隠れするフォースターの文章に惹きつけられていきました。 たどたどしい日本語訳から浮き上がってくる寛容についての論述がやたら面白いのです。

「社会の基盤に力があることは分かっている。だが、偉大な創造的行為やまっとうな人間関係はすべて、 力が正面に出てこられない休止期間中に生まれるので ある。この休止期間が大事なのだ。私はこういう休止期間がなるべく頻繁に訪れてしかも長くつづくのを 願いつつ、それを「文明」と呼ぶ。……(中略)……大事なのは、それが箱から出てこないようにすることでは ないだろうか。いずれは出てきて、そうなれば、人間ばかりか人間がこれまでに創ってきた美しいもの をすべて破壊してしまうのだから。だが、しじゅう出ているわけではないのだ。さいわい、力のある者は じつに愚かだからである。」(「寛容の精神」より)

「なるほど僕のこれまでの人生、平和な時代を謳歌してきたようだが、 それはたんに暴力の休止期間であったのか。…… そうすると、いずれはその力が箱から顔を出して、今の生活を攪乱することだってあるのだ」
それは足下をすくわれるような新鮮な衝撃でした。
英語を読むことで、こんなすばらしい文章を自分のものにできる、そんなふうに気づくと、 英語の授業がじつに楽しくなったのです。 テキストとして使われたのは、フォースターの代表的なエッセーである「寛容の精神」とか 「私の信条」といった文章でしたが、高校を卒業したばかりの、発達途上の、乾いたスポンジのような脳が、 イギリス保守派の論客であり作家でもあるフォースターの文章を心地よく吸収していったのです。 もちろん今から考えると、どれだけほんとうの意味を理解していたかは、心もとないかぎりですが、 二十歳の私は私なりにフォースターの神髄を感じ取っていたように思います。

それ以来、彼のファンになりました。ファンというより、民主主義や寛容といった 彼のキーワードを、ひそかに、私が世の中に漕ぎ出してゆこうとしている船の底荷に据えようとしたのです。 ただ、他の作家の場合とはことなり、以後積極的に彼の作品を収集しなかったのは、 たんに本が手にはいりにくかったからという単純な理由によります。 人生の底荷に据えるといったふうなおおげさな表現を使いながら、 中途半端なフォースター・ファンでしかなかった私が、 四十年ぶりにまた彼を読んでみようという気になったのは、インターネットで たまたま彼に「老年について」という 文章があるということを知ったからです。 私もまた、老年と言われてもおかしくない年齢に近づきつつあり、彼の考えを知りたいと思ったのです。 「寛容の精神」や「私の信条」のような確かな手触りをもった老年についての道案内を期待してのことです。 本が届くと、この評論と短編小説のアンソロジーともいうべき著作の冒頭を飾る 「老年について」をさっそく読んでみました。しかし、どうもそんなに感激が湧いてきません。 フォースターの持ち味はあるものの、 全体としてどこか焦点の定まらない散漫な印象でした。 これまで読んだフォースターからは考えられないことです。じゅうぶんに読み取れていないのではないかと、 何度か読み直してもみたのですが、印象は変わりません。やはり現在の私には、まだ 老年についての考察は早すぎるのでしょうか。まだ、老年というものについて そんなに身につまされていないからかもしれません。
それでも、フォースターらしい考え方が随所に散見され、 それらの中から心にのこった章句をいくつか抜き出して紹介しようと思います。

「さいしょに老年とこれに近いものすなわち死」についての考察からはじまります。 ここでいう死は、自分の死であり、また第三者の死でもあります。 フォースターがこれを書いた(1957年)頃は、二つの世界大戦が終了して間もない時期でしたから、 まだ死というものにたいして「無関心かつ 無愛想」が蔓延していたようです。「仕事をちゃんとやれ。お前が死んだあとはだれかが引きつぐから」、 死がそんなふうに不当に軽い扱いをうけている社会だと嘆いています。 それにたいして、フォースターは、つぎのようにあらがいの叫びをあげます。

「私は自分の死に脅える権利も、自分が愛した人はおろか知らない相手のばあいでも、その死を悲しむ 権利を棄てるつもりはない。人の死を悲しむのを(中略)拒否したり、墓地からさっさと仕事に帰ってしまった のでは情けない。」

これはいかにもフォースターらしい言葉です。 彼らしい立ち位置とも言えます。その立ち位置が侵害されたとき、抵抗の叫びをあげなければならないという 宣言です。なるほどこれは権利なのか、というのが私の最初の印象でした。たしかに権利として捉えれば、 すっきりするところがあります。 たとえば戦時下の日本では、「死に脅える権利」も、「死を悲しむ権利」も侵害されていました。 一方二十一世紀に入ったいま、死にたいする「無関心かつ無愛想」な傾向は、 ますます強くなっているように思われます。 どちらも、フォースターなら権利を守らなければならないと主張するにちがいありません。
そして、つぎのように結論づけます。

「十九世紀が死を大袈裟に扱いすぎたとすれば、今世紀は逆にそっけなさすぎるのではないだろうか。 どちらの姿勢も、人間としての基準をあやうくするものだ。では正しい悲しみ方をした者がいるかと言えば、 ギリシャ人がそうだった。ギリシャ人は泣き、立ちなおり、追想した。」

「人間としての基準をあやうくする」というのは、 いかにもフォースターらしいバランス感覚の利いたことばだと思います。
彼は、そこからギリシャ人のやり方を推奨するのです。
私は最近、老人の死にたいしてすこし冷淡になっているかもしれないという自覚があるのですが、 そのためか、彼が持ち出してきたギリシャ人の知恵におおいに納得する ところがあるのです。それが保守派であるフォースターの精神の健全性というものなのでしょうか。
しかし、私の脳裏を一瞬不安が過ぎります。死者を心ゆくまで悲しみ、 時期がくればなっとくして立ちなおり、追想する、 その自然のなりゆきが許されない場合もあるのです。 先ほど触れたように戦時下では、悲しむことが憚られました。また、悲しみから立ちなおることが 許されない時代もあったのです。たとえば、夫を亡くしたとき妻が出家させられる慣習がそうです。 そして、もっとも人間的な行為ともいえる死者を追想すること、それが禁止されるといったことが 将来にわたって絶対ありえないとは言えないのです。一つ例をあげれば、 クローン人間が現れたとき、死者を追想することが意味をもたなくなるのではか、といった予感があります。 やはりこういったことはフォースターの言うように権利として守らなければならないことなのかもしれません。

つぎに、老年の自覚と年齢の問題がちょっと挟まれています。
この二つのことが無関係というのは、別に目新しい指摘ではありません。 しかし、年齢にかかわりなく人生のある時期ふいに衰えの兆候を感じることがあると、自身の体験を語った後、 つぎのようにこの節を結論づけているのですが、これがなかなかの名言です。

(不意に年を取ったといった意識に囚われるのは)「われわれが時間の世界だけでは安住できず、 心のどこかで別の世界をもとめている証拠なのだ。 だが、その場所は老年ではない。」

つぎに、この短篇の主なテーマである老年の英知といった問題に踏み込んでいきます。
フォースターが「高貴な達成」という老年の英知というのは、いったいどのようなものなのでしょうか。
彼は、「英知という高貴な達成は体力の衰えと結びついている」と言います。 体力の衰えが精神を集中させ、雑念を断つ、といった効用もあるからです。 また、「英知は、長いあいだ正しく維持された人間関係から生まれるのだ」そうです。 英知を産み出す人間関係とは、たとえば、友人との長きにわたる付き合いの場合もあるでしょうし、 また本文の最後のあたりで言及しているように夫婦の関係がそうである場合もあるようです。 「あまり喧嘩をしないで子供をつくり、その子供たちも離反させずに、 さいごは孫たちを味方にするという 報酬を得た夫婦」が、英知の源の一つになるというのです。
頭の片隅に秘めておきたい考え方です。
そして、これに関連して、フォースターらしい結句が並びます。

(この『金婚式』の人間関係は)「社会にとって非常に重要なもので、これを産み出せない文明はすべて 失敗なのだ。」
「人類の真の歴史は人類の愛情の歴史なのだ。これに比べれば他の歴史などは −経済史をふくめ− すべて 偽りである。」
「人類が形をなして以来、世代から世代へとひきつがれてきたもので、『金婚式』クラスはその最高の 表現なのだ。」

フォースターが、いかにこのような人間関係を重要視しているかが分かります。
それは、それ自身が重要であるとともに、英知を産み出すものとしても大切なものなのです。
しかし、振り返って考えてみると、現代は、老年の英知に触発を受けるといった機会が あまりないようです。 いや、そもそも英知そのものが人知れずどこかで育まれているとも思えません。経験知はあっても、 それが知恵にまで深まることはない。時代の移ろいがあまりに激しくて、英知が英知になった時点で すでに時代遅れになってしまっている。また、英知を育むべき人間関係そのものが、 時間に急かされて、心を尽くす余裕がなくなっている。 体力が衰えても、なお入ってくる雑音が多すぎて、精神の集中が妨げられている。などなど……、 今の世の中、 「金婚式」クラスの人間関係を大切にし、そこから老年の英知を育て、 こぞって聞くといった姿勢がほとんどないように見えます。
上の引用にあるように、フォースターは、このような文明は失敗だというのですが、 果たしてどうなのでしょうか。

この「老年について」を読み終えて、いくつかの切り口にフォースターらしさは見られるものの、 ぜんたいとしては焦点がはっきりしないエッセーという印象が残っています。
しかし、この論考、それだけのものだろうか、という思いもあるのです。 なぜならば、彼の文章の一節を視野の片隅に置いて、現代の世相を眺めてみると、 何か風景がいつもと違ってくるようなところがあるのです。(たとえば、上に掲げた『金婚式』クラスの 重要性など)
そういった意味で、フォースターの文章は、 ふしぎな魅力を持っていることは認めざるをえないような気がします。
フォースターといった覗き穴から世相を見ると、 何か時代の脆弱性のようなものが浮き上がってくる、そんなふうに表現してもいいのではないでしょうか。

「私の信条」とか「寛容の精神」をはじめて読んだときも、それに近い感想をもったことを覚えて います。それは、彼の文章の射程がとてつもなく長くて、半世紀以上を経過した現代の世相をも刺しつらぬく 新鮮な棘をいまだに持っている、そんなふうに表現してもいいと思います。
最近の世の中を見ていると、わが国の民主主義の脆弱性をもう一度考え直さなければならないような出来事が 噴出してきています。
そんな思いもあって、「老年について」に引き続いて、 「私の信条」と「寛容の精神」を久しぶりに読み返してみました。
そして、現代揺らいでいるかに見える民主主義というものを考えるヒントになる箇所を探してみました。
以下の引用がその結果ですが、これらの一節一節が、 現代の風潮を陰影深く浮かび上がらせる、白熱電球のような光を発しているように感じるのは 私だけでしょうか。
長くなりますが、興味のある方はご一読ください。

「私の信条」(1938)から

「私は絶対的信条を信じない。しかし現代は信念の時代であって無数の戦闘的信条が横行しているから、 自衛上誰もが自分の信条を作らざるをえない。……(中略)……寛容、善意、同情、ほんとうはこういう ものこそ大事なのであって、人類が滅亡を免れるとすれば、遠からずまたこういうものが前面に出てくる ことだろう。」

「民主主義は、個人は重要なものであって、一つの文明を形成するにはあらゆるタイプの人間が 必要だということを大前提にしている。」

「民主主義には、もう一つの長所がある。それは批判を許すことであって、もし公然と批判が できなければ、スキャンダルはかならずもみ消される。だからこそ、嘘をつくこともあれば卑俗な 面もあるにせよ、私はマスコミの価値も議会の価値も信じるのだ。」

「民主主義には二度万歳をしよう。一度目は、多様性を許すからであり、二度目は批判を許す からである。」

「残念ながら、この地上ではたしかに力が究極の現実である。しかし、それがいつでも正面に出てくる わけではないのだ。それが存在しない状態を「デカダンス」と呼ぶ人もいるが、私はそれを「文明」と 呼んで、こういう休止期間があることこそ、人間がしようとすることを許せる最大の根拠だと考える。 私は運命にたたきのめされるまで、そっぽを向いている。私のばあい、これが勇気なのか臆病なのか、その点は 分からない。だが、過去において人間がそっぽを向いていなかったら、 価値あるものは何ひとつ残らなかったろうということはまちがいない。」

「逃避場をもとめて英雄崇拝に走る危険もある。しかし、それでは解決にはならないだろう。 英雄崇拝は危険な悪であって、民主主義のささやかな美点の一つは、これを促さないこと、 あるいは「巨人」と称する手におえない型の市民を生まないことなのだ。」

「私は「偉大な人物」というのを信用しない。彼らはそのまわりに砂漠のような画一的な世界どころか 往々にして血の海をつくりだすから、彼らが転落したばあいは、私はきまって小人の喜びを味わう。」

「寛容の精神」(1941)から

「私は講和条約の締結後にこれまで敵として戦ってきたドイツ人に会ったらどうしようということを、いつも 考えてきました。愛そうとしても無理です。とてもそんな気にはなれないでしょうから。 第一、彼らはささやかなわが家の窓ガラスを割ったではありませんか。しかし、寛大に許すように努力しようと 思います。それが常識というもので、戦後の世界ではドイツ人とも 共存していかねくてはならないのですから。彼らがユダヤ人を絶滅できなかったように、われわれにも 彼らを絶滅することなどできはしません。別に高尚な理由があってではなく、とりあえずそうするほかは ないので、彼らにたいしてもがまんするしかないのです。」

この寛容の精神は、現代の生活においても必要です。

「寛容が、永久不変の偉大で神聖な原理だなどと思っているわけではありません。……(中略)……行列 には、寛容の精神が必要です。これがないと「なぜ、みんなぐずぐずしてるんだ?」と考えてしまう。 ……(中略)……寛容の精神は、街頭でも会社でも工場でも必要ですし、階級間、人種間、国家間では、 とくに必要です。冴えない美徳ではあります。しかし、これには想像力がぜったいに必要なのです。 たえず、他人の立場に立ってみなければならないのですから、 それは精神にとって好ましい訓練になります。」

これらの断片群から、現在の風潮の陰影を深くするような強い光を感じ取っていただけたでしょうか。 それなら長い引用をした価値があるのですが……。

【補注】
「私の信条」「寛容の精神」からの引用は、小野寺健編訳「フォースター評論集」(岩波文庫)より。
「老年について」からの引用は、「フォースター 老年について」(みすず書房)の小野寺健訳による。


2012.3.1
文庫本「賢治先生がやってきた」

2006年11月、「賢治先生がやってきた」を 自費出版しました。
脚本の他に短編小説を載せています。
収録作品は次のとおりです。
養護学校を舞台に、障害の受け入れをテーマにした『受容』、 生徒たちが醸し出すふしぎな時間感覚を描いた『百年』、 恋の不可能を問いかける『綾の鼓』など、小説三編。
 宮沢賢治が養護学校の先生に、そんな想定の劇『賢治先生がやってきた』、 また生徒たちをざしきぼっこになぞらえた『ぼくたちはざしきぼっこ』宮沢賢治が、地球から五十五光年離れた銀河鉄道の駅から望遠鏡で 広島のピカを見るという、原爆を扱った劇『地球でクラムボンが二度ひかったよ』など、 三本の脚本。
『賢治先生がやってきた』と『ぼくたちはざしきぼっこ』は、これまでに、高等養護学校や小学校、中学校、あるいは、 アメリカの日本人学校等で 上演されてきました。一方 『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、内容のむずかしさもあってか なかなか光を当ててもらえなくて、 はがゆい思いでいたのですが、 ようやく08年に北海道の、10年に岡山県の、それぞれ高校の演劇部によって舞台にかけられました。
脚本にとって、舞台化されるというのはたいへん貴重なことではあるのですが、 これら三本の脚本は、 読むだけでも楽しんでいただけるのではないかと思うのです。 脚本を本にする意味は、それにつきるのではないでしょうか。
興味のある方はご購入いただけるとありがたいです。
(同じ題名の脚本でも、文庫本収録のものとホームページで公開しているものでは、 一部異なるところがあります。本に収めるにあたって書き改めたためです。 手を入れた分上演しやすくなったと思います。『地球でクラムボンが二度ひかったよ』は、 出版後さらに少し改稿しました。いまホームページで公開しているものが、それです。)

追伸1
月刊誌「演劇と教育」2007年3月号「本棚」で、この本が紹介されました。
追伸2
2008年1月に出版社が倒産してしまい、本の注文ができなくなっています。
ご購入を希望される方はメールでご連絡ください。

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