機動戦士ガンダムSEED感想


2002年 10月 11月 12月
2003年 01月 02月 03月 04月 05月 06月
07月 08月 09月 終了後
考察 34話の作中メッセージ/フリーダムなキラ
追感想 虚空の戦場
追感想 星のはざまで/LINK〜この時代の中で〜
追感想 鳴動の宇宙


SEED/終わりに/2003.10.08


■長かった…
 SEED感想もとりあえず本日で最後の予定。一年間読み続けてくれた方はありがとうございました。続編、あるいは次のガンダムでまたお会いしましょう(^^;)

■最後は
 私的ベストエピソード5を書いてみようと思います。というわけで以下…

第5位 第36話「正義の名のもとに」

 「ザフトのアスラン・ザラ!」


 アスランの立ち位置(ザフトのために)が明確に崩れ始める一話、ぶっ壊すきっかけを与えたのはラクス。挿入歌「水の証」、劇場というシチェーションがそれぞれ雰囲気を盛り上げる中、銃を突きつけるアスランに相対するラクスというシーンが最高。アスランが気づく立ち位置への疑念は1,2クールを通して彼の内側に蓄積されていたもので、それが鏡のようなラクスの言葉、論理展開に跳ね返されて顕在化し始めるシーンとでも言えようか。あり得ないラクスの衣装にも注目。

第4位 第49話「終末の光」

 「あなたはここで死すべき人だ 私とともに」


 「軍人だから…」と「…だから」と括りの中で生きてきたナタルの個人的反乱が戦争の元凶を撃つ。自分をも死すべきと断じて覚悟を決めた彼女が送り出すフレイに向ける視線には愛が……サイドストーリーであったマリュー、フラガ、ナタルストーリーも終幕。フラガはマリューの命だけでなくナタルの心も救って散っていったのだと解釈。

第3位 第34話「まなざしの先」

 「わたしはラクス・クラインです」


 ラクスの天然ボケのオブラートが作り上げる雰囲気の中、全てがコノテーション(含意)だけで進む対話なれど、この一話のラクスとキラの対話が作中の全てとも言えそうな密度。「想いだけでも…力だけでも…」のフレーズと同時にBGM「SRTIKE出撃」がスタートし心もFreedomになったキラと共に発進する新機体フリーダムガンダムというシーンはあり得ない燃え度。

第2位 第40話「暁の宇宙へ」

 「そなたの父で本当に幸せであったよ……」


 挿入歌「暁の車」フルコーラスの中、写真を裏返すとKiraの文字が→そして上記の台詞…の所がマジ泣けた。そしてお互いに手を伸ばし合うキラとアスラン(フリーダムとジャスティス)。がっちりと繋がれる手。そしてアイコンタクト。この二人のすれ違い、離別から始まった物語が明確に収斂したワンシーン。事実上の最終回とは言えまいか。

第1位 第35話「舞い降りる剣」

 「僕がそうしたかったからです」


 文句ない最エンターテイメントがこの回だと思う。挿入歌「Meteor」がスタートし、アークエンジェルの前にフリーダムに仁王立って排熱するフリーダムガンダムの絵はカッコ良すぎた。そして連合、ザフトの両軍に退避勧告を出しながら不殺で撃ちまくるフリーダムなキラ。連合だからとかザフトだからとか「〜だから」じゃなく、僕がそうしたかったからそうしたのです。

■終わりに
 所属背景の差異、認識の齟齬、そういったものからくる争い……それらを乗り越えて人は分かり合うことができるのか?この現代的かつ根元的な命題がガンダムSEEDの出発点でした。そしてその命題を色濃く担っていたのはやはり主人公のキラとアスランと言えるでしょう。物語の冒頭に正に所属背景の差異、認識の齟齬から争わざるを得なくなった旧友である二人は、一度はお互いを本気で殺し合うという決定的な決裂まで行き着いてしまいます。情だ愛だと言っても敵同士なら殺し合わなきゃならない、戦争ってのは嫌なものだ、悲しいものだ…そんな悲劇のカタルシス。この辺りは過去幾多の戦争物が描いてきたことで、アスランが自爆した所で悲壮なエンディングテーマが流れて終劇。それで一つは物語として完結したのかもしれません。しかしガンダムSEEDはそこでは終わらない作品なんですね。この絶望的な決裂から、絶望的に難しそうな和解へのプロセスが描かれます。ここが、ただ「戦争は悲しい」で終わるのではなく、「分かり合うことはできるのか?」という一歩進んだ命題を掲げたこの作品の主眼であり、最クライマックスだったと思います。31話のアスランとカガリの本音の対話(憎しみの連鎖への懐疑が描かれました)、鏡のようなラクスに導かれてカテゴリーの呪縛から個人へと解き放たれるキラ、同じく36話の劇場でのラクスとアスランの対話、そして最終的には39話のキラ−アスランの直接対話……それらを経て成される二人の和解。コレがガンダムSEEDのストーリー上の全てではないでしょうか。一度は決定的に決裂したキラとアスランが手を伸ばし合いがっちりと繋ぎ合うオーブ脱出シーン……この40話が映像的にも事実上の最終回だったのではないかという気がします。ここで終わっても良かったのですが、ガンダムSEEDはもう少し続くんですね。ラスト10話、最後は和解した主人公達が何と闘うかが描かれます。ラクスの「何と闘わねばならないのか……」の何の部分は表面的にはカテゴリ依存型他者全否定を意図的に浸透させてる局所悪(アズラエル、ザラ議長、クルーゼ)でしょうが、もう少し抽象的には戦争の原因となっている「差別感情」「憎しみの連鎖」といった根元的なものでしょう(47話のラクスの「でもどうか今、この果てなき争いの連鎖を断ち切る力を……」等を参照)。これと集結した主人公達は闘うのですが、その闘いの結末は先日の最終回を見る限りは、終わらなかった……というか勝てなかったラストだったような気がします。最終回のアスラン・カガリのヤキン・ドゥーエ突入シーンで「先にやったのはそっちだ!」「ボアズには弟もいた!」みたいな憎しみの連鎖が未だ根強く人々を捉えている描写が挿入されるんですね、さらにはクルーゼの争いによる滅亡が人類の必然という理屈を結局は誰も覆すことがない……最終回でこれですから、主人公達は「差別感情」や「憎しみの連鎖」を打ち壊し、世界を変えることはできなかった…それが妥当な解釈のように思います。個人に立ち返った主人公達が世界をも変える…そんなカタルシスを感じたかったとも思いますが、現実でも解答は闇の中である問題を一個人が解決してしまうというのは確かにおかしいのかもしれません。かなりアニメ的エンターテイメントを推してきた作品だったと思いますが、着地点はある意味リアルであったという印象です。争いの根元との闘い、それはたやすく終わるものではない。そしてその闘いは「終わらない明日へ」そんな感じの結末でしょうか。しかし一筋の希望として、幾人かには主人公達の闘いは届いたんですね(イザークとか)。その辺りに余韻を残して……次の物語に想いを馳せたいと思います。


SEED/一歩身を引いた話/2003.10.04


 パラパラとサイトを回っていたら、SEED総括みたいなものを気合い入れて書いてる人を結構見かけたんで、触発されて僕も少しだけ書いてみようと思う。中身については一年間書いてきたんで、一歩身を引いた視点からどういう人達の心を掴んだ作品だったのかなんて辺りを少しだけ考えて書いてみようと思う。
 SEEDなんだけど、DVDとかプラモとかスーパー売れたらしいんで、商業的にはかなり成功した作品らしい。そういう話を聞くと自然と湧き出てくる疑問は、いったいどういった層の人達の心を掴んだ作品だったんだろうという辺り。そんなことを考えて、パラパラとWEBを見ていたら、子供層、同人層は支持で、昔からの大人ガンダムFAN層は不支持なんて分析をしている人を見かけて、なるほどそんな感じかと思った。
 この辺り厳密にデータとかは取ってられないんだけど、直感的にもそんな傾向はあったんじゃないかと思う。子供層は僕が子供だったら100パフリーダムガンダムを欲しがっただろうことを想像してみてると、ロボでがっちり子供のハートを握ったんじゃないかと思うし(というかがっちり握られてフリーダムプラモ買った大人な僕もいるし)、同人層の方はその方面の情報はあんまり知らないけど、ビジュアル的にキャラクターが受けただろうことは想像がつく。逆にそういったものを軽薄とみなして受け入れ難いと言う従来の大人FANの言述はコレまで何回もWEBで見かけたんで、何となく支持層の分類化には納得がいく。
 ただ興味深いのは、そのような分類には当てはまらない、大人だけど好きだった層も確かにいるという辺り。どれ位いるのか分からないけど、とりあえず僕なんかはこの層だと思う。そんなわけで、自分を省みつつ、好きになる大人ファクターをピコ考えてみようと思う。
 自分ごとなんであんまし他の人一般まで一般化する気はないけど、まあ何というか楽しさ探そうという姿勢の人は観ていて楽しかったんだと思う。大人で不支持の人が繰り返す台詞がさっきも言った「軽薄だ」だったとしたら、僕なんかは何か軽薄っぽいけど楽しもうと思ってみたらやっぱり楽しかったみたいな感じ。
 軽薄だとか高尚だとか言い出すと、結局巨乳アイドル写真集は軽薄だけどサリンジャー文学は高尚なのか?みたいな問いに行き着くような気がする。受信するために必要な能力というのは明かにサリンジャー文学>巨乳アイドル写真集なんだけど、世の中サリンジャー文学ばっかでいいのかというとそうでもないように思う。その辺り僕は巨乳アイドル写真集だって好き…ゲホゲホ。となるとやっぱ善し悪しを考えるときは媒体ごとにかなり柔軟に考えないと損だと思う。抽象的な文学しか享受できず巨乳アイドルにときめけない人は何か損してるような気がするし、逆に巨乳オンリーで文学の深みが分からない人も損してるように思う。そんな感じでじゃあアニメって…と考えてみると、前にこの辺りで書いたことだけど、僕の見方は特に変わってなくて、軽薄な中にピコっと深みが入ってるくらいがイイと思う。そう考えるとSEEDは軽薄とも取れるような受信しやすさと、文芸的なピコ深みの両方があって、だから僕は好きだった。
 SEEDはなんというかサリンジャー文学の挿絵が巨乳アイドルだったみたいな印象というか…もっと上手く例えれば、サリンジャーなんだけど、シーモアが同人受けしそうなビジュアルで、フラニーが萌え萌え巨乳娘だったみたいな印象。ここまで聞いた所で、「そんなサリンジャーは見たく無い」という人と、「うお!そんなサリンジャー超見てえ」と思う人とでSEED評価は分かれるんじゃないかと思う。無論僕は超見たい人。前者の人は「こんなのガンダムじゃない」と言っちゃうんだろうけど、さっきの話の流れでそういう人はどうも損してるような気がするんだけどどうなんでしょう。
 そんな感じで僕なんかは萌えサリンジャーを楽しもうという勢いで観始めたんだけど、嬉しいことに楽しさ見つかったというのが率直な心境。萌えどもされどもサリンジャーみたいな感じ。テキトーにサリンジャーとか言ってみたんだけど、そう言われてみるとどことなく投げっぱなしな辺りもSEEDはサリンジャーっぽいかもしれない。いろいろと説明し切ってない辺りに不満を感じもするんだけど、サリンジャーの『フラニーとゾーイー』何かもなんでフラニーの心は立ち戻ったのか作中では別に説明してくれない。ただその変わりラストの「太っちょのオバサン」を読み手がどう解釈するかで、人によっては完結もするし、しなかったりもするのだ。その辺り、SEEDに「太っちょのオバサン」が無かったかというと、ちゃんとあったと思うのね。どの辺りがそういった深みだったかは僕の昔の感想何かを読んでくれい(思うに感想、最初は笑いネタメインでやってたのに後半真面目になったなー)。
 というわけでどう落とそうか何も考えないで書き始めたんで非常に困っているんだけど、究極的に作品の好き嫌いは人それぞれなれど、ならばいつも楽しさ探そうという勢いを持つのもイイんじゃないか、そういう大人はSEEDが楽しかったんじゃないか…という辺りに一つはまとめられそう。不満が心によぎった時、送り手の不備と取るか受け手の未熟と取るかで双方見えてくる視界も変わってくるだろうからね……というわけで巨乳アイドルグラビアでも立ち読んでこようと思います。巨乳だとか貧乳だとか、普通が好きですゴメンなさい。


SEED/最終話「終わらない明日へ」その2/2003.10.01


■そしてフレイ
 死なずにいてくれれば…というのは素直なFAN心なれど、キラの「まだ死ねない」や「もう銃を取ってしまった僕だから」、前話のラクスの「守るために銃を…」の語りの後のナタルの「あなたはここで死すべき人だ、私とともに…」等、贖罪も一つのキーとなっていたこの作品。やはし心変化前のフレイは相当悪いことやってるんで、ここで命散ったのは僕的にはそれほど違和感なかった感じ。散り際のシチェーションはシャトルを守れなかったキラにつけ込んだこと何かが回りに回ってきたという印象。そんなことも考えると「でも今、やっと自由だわ、とても素直にあなたが見える」という精神世界のフレイの台詞は結構深くてやはし泣ける。そして「私の想いがあなたを守るから」が13話のリフレインになってるのはこの前書いた通り。その想いを受けて爆煙の中から現れるフリーダム→キラの眼は最後のSEEDモードになっている→最後の闘いへと飛び立つフリーダム……の流れはもう一度観たけどやはりグッとくる。誰が何と言おうとこのキラ−フレイの結末は最終話でやってくれて良かったと思う。前に最後の出撃はフレイ関係なんて書いてたけど、まさにそれをやってくれた感じで、燃え泣き。

■そしてラクス
 そしてフレイに出番全部持ってかれちゃった感があるのがラクス。ラクスだけ最終話でどこにも着地点が無かったような印象。仮面の「君の歌は好きだったがね、だが世界は君の歌のように優しくはない!」の所で「アレは…」とプロヴィデンスを見上げるラクス。ここが事実上最後の出番。ここ、「何と闘わねばならないのか…」と問い続けてきたラクスが遂に「闘うべき相手」を認知する場面なのに、やけにアッサリしてた印象。初めて「何と闘わねばならないのか…」の台詞が出たのが実にクルーゼの前だったりと、いろいろ仕込みはあったと思ったのに。このあと仮面の人間はダメだ演説が始まるんだけど、それをラクスに論駁して欲しかったというのが一ラクスFANの切ない想い。そのやりとりがヤキン・ドゥーエ内に響き渡って反アスランパパ、穏健派の決起を誘引という感じの戦争の帰結だったら、正に「個人」と「言葉」の力って感じで最高だったと思うんだけどなぁ。結局仮面演説をぶっ壊した台詞はキラの「それでも守りたい世界があるんだ!」で、ようするに「理屈じゃ無い!」みたいな決め技。ここはここでおお、やっぱそういうのは理屈じゃないよなーとも思ったんだけど、やはしラクスが理詰めで倒す展開も観たかったというのが一ラクスFANかつロジック好きな僕の感想。「言葉は信じられませんか?ならば自分はどうですか?」みたいな36話のような惚れ惚れとするような論理展開をもう一度観たかった。
 というわけで朋友(ポンヨウ)冷や飯の生活さんより頂いたラクス絵↓



 当然のようにラクスをチョイスしてくれたその心意気に感動。冷や飯さん多謝!
 冷や飯さんから送られてきたファイル名は「ピンクのお姫様」。そのまんまだ!



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