腱鞘炎と医者
ここはあくまでも個人の経験と所感です。今より過去のことであり、医療関係者の方々を総評するものではなく、そして一般論でもありません。念のため。
このページはお医者さまについて悩んでおられる方のためのものです。(長いです)
時々主治医の先生を紹介して下さいという書き込みをいただきます。注意していただきたいのは、
「日本中で腱鞘炎患者のことをわかってくれる先生が彼一人ってことは無い」ということと逆に「必ず治るというものでもない。こういうのはお医者さんと患者の方針が一致することが望ましく、十羽一絡ではない」ということです。桜にとって相性のいい主治医が皆さんにとってもよいとは、限らないのです。
なので主治医を紹介するより、お医者さんとどんな風に向き合ってきたのか、というこれまでの経験をお話しようと思います。腱鞘炎で満足のいく診療を受けられないという意見をよく聞くのですが、原因がこちらの考え違いや情報不足から来てることもあるので。
教訓1◆訪れる病院を選ぶ…その病院が誰を相手に何の目的で存在しているか。最先端医療を提供する施設なのか、検査データを取り医者を育てる大学病院なのか、経営責任のある個人病院なのか、地域に根差した基幹病院なのか、救急なのか。芸能人にも病院にも役回りってものがあるようです^^。
教訓2◆訪れる時期を選ぶ…症状が顕著に出ているときがよい。お医者さんは、あなたの体を初めて診る、というよりあなたという人を初めて見るのです。
ココだけの話ですが、腱鞘炎の診察ってごっつーアナログなんです。
西洋医学といえば大がかりな器械を使って検査ばっかりってイメージありますよね?健康診断で並んでる意味のわかんないローマ字と数値、レントゲン、MRI、CTスキャンetc…。所見を数値や映像で実証して初めて病気が確定し、治療に至るという。
でも腱鞘炎の診断の主役は今でも問診、視診、触診です。外見や検査に現れにくいんです。21世紀になっても皮膚の下を診る方法がないのか?最初はレントゲン撮るけどそれで他の病気が疑われなければ、後は医師の経験と裁量と個性次第なのです。
この「表に現われない」という特性のために、診断がつかないだけでなく家族や周囲に理解されがたいとか、長引いて絶望する、精神安定剤に頼るなど、症状自体の苦痛に加えてメンタルな負担が大きいのがこの病気です。医師にさえ理解されない、時には手の外科の専門医にさえ興味を持ってもらえない場合もあります。そう思うと4〜5軒目で今の主治医に出会えた私はラッキーだったのかもしれません。
(※桜の病院遍歴をお読みになりたい方は→こちら)。
「腱鞘炎ですね。湿布出しときます」
ここで少しネガティブな話を。アナログな診察に辿り着けないケースです。
適当に整形外科の看板があるところへ行っても視診、触診までをしてくれるお医者さんは実はあまり多くない、のでした…。
前にもちょっと触れましたが、レントゲンで異常なければお医者さんが安心してしまって話が進まないことがあります。「良かったね腱鞘炎だよ^^」
それで診療は終わりです。腱鞘炎だと分かったからって痛みと不便から解放されるわけじゃないんですが。
「安静にしてれば治るよ」「安静にできないんです」「知らんがな、それはあんたの問題」
感染やリウマチで関節が腫れたり、バネ症状が出たりするので、“それがなくてただの使い痛みでよかったね”と彼らは本気で思うのです。
整形外科で扱う病気のうち、腱鞘炎は正直言って虐げられています(>_<)
病気のうちに入らないのではないかと真剣に思うことすらありました。
こんなに不便で辛いのに…って患者は思いますが、お医者さん側の気持ちになって考えてみるとそうなるのかなあとも思ったりもします。その理由
・腱鞘炎には謎がない…原因もはっきりしてるし仕組みも単純。
・腱鞘炎では死なない…誰も助けてくれなければ働けなくて死ぬんですが、それは福祉の領域で医療の領域ではない。
・研究、解明すべき対象ではない
・整形外科医はカウンセラーではない
・概して、医師はもっと深刻な状態の患者を沢山見ている。
・慢性的に混雑している。待合室に患者が溢れ、待ち時間が長いと苦情を言われ現場はパニックになっている。実はけっこうこの問題は大きくて、医療者の心理は追い詰められている。
この病気で何年も大学病院に通ってる私が言うのも矛盾しますが、整形外科では診断することはあっても治療するところではない、という扱いをされることがあります。ひどいのだけ可哀相だから注射とか手術とか、医療行為を施してくれると…。
どっちかっていうとスポーツ傷害に似ているのかなぁ。診断はするけど日々のケアやテーピングはスポーツトレーナーの仕事で、もっと酷くなって手術となると整形外科に帰ってきて、その後はリハビリに回す…。
例えば、使いすぎで腕全体が痛いという時は指や手首、肘の腱鞘炎だったりするかもしれないけど、繋がってる筋肉もヘタっててもう何処が痛いかわからへん状態に(←著者実話)。
この時「腕が痛いんです」と言って病院に行っても埒があかないのです。
筋肉の凝りと腱の炎症の区別が付きますか?筋肉の凝りもけっこう痛いけど、整形外科は骨や腱、筋肉の“損傷”を診るところなのでした。凝りや疲労のケアは傷害の有効な予防になると思うんだけど、病院では面倒見ません。これらは整骨院やリハビリ、鍼灸の領域になります。
でも炎症は病院の守備範囲。ここで整形に背を向けると私のように長引くのです。。。
運動機能を扱うんだから全部一緒のように感じるんですが、実際はいろいろな領域が微妙に重なりあいながら、それぞれが他の分野を侵すことなく、結果的に私たちはたらい回しです。役割りというか住み分けがあるのです。保険医療というくくりでも厚労省絡みの住み分けがあるのよ…^^;
ただ整骨院は、よその整骨院で実地訓練をして若いうちから開業して経験不足というケースもあるし、開業医の整形外科については手の外科のページでお話ししたように、経営的側面が絡んで来ます。結論は、必要に応じて自分に有効な医療機関を利用するというスタンスが良いと思います。
私は3軒の整形外科を受診しています。1つは大学病院、1つは電気とレーザー、1つは保険で鍼を受けられる開業医です。大学病院がメインで、先生から受ける筋肉と動作の講義で対策と予防、状態を客観的に見てもらって実際のケアを開業医で、という感じです。主治医の知識と人柄が近所の開業医の先生と合体すれば1度ですむんですけどね。(ここ笑うトコ)
06年5月からは大学病院と1軒の鍼灸整骨院にまとめ、他の2軒の開業医はやめました。
というわけで、腱鞘炎でよい診療結果を得られない要因の1つはこの病気が、混ざり合ういろいろな専門分野の交差点のような所にあるからなのです。受診された医療機関の先生がつれない態度をとったら、残念ながら外科的措置(注射、手術)を取る以外にそこですることはないでしょう。
もう1つ診療が満足できない理由として、お医者さんが腱鞘炎をよく知らないこともあります。手はとても複雑な構造をしているので整形外科医でもよくわかってない先生もいるのです。(だから手の先生をおすすめするのですが)注射1つ打つにしても薬を正しく炎症部に届けるためには、正しく構造が分かっていなければ不可能なのです。自分の主治医は視診と触診で本人の自覚症状以上に正確に私の病態を言い当てますが、彼がそうなったのはたかが腱鞘炎と言わずにこの地味な病気を真面目に診て来たからだと思います。ず〜っと「たかが腱鞘炎」と言ってろくに診ないで来た人なら、何年経っても解るようにはなりません。(彼の場合はそれプラス私の手を長く診てるのでちょっとの変化もわかってしまうみたいです)
目の前のお医者さんがどんな心理でいるか、推しながら受診してみましょう。解らなくても解らないといわず適当に処置をしているお医者さんが居ないとは言えないのです。もちろん、このページの最後にあるように殆どのお医者さんは善良で熱心な職業人であると、私は思っていますが…。
受診のテクニック
さて、ちょっと進んだ医者の生態です。幸いその先まで診てくれるお医者さんに出会った時のために。でも最初の受診は全くの初対面、あんまりコミュニケーションがとれません。これから人間関係を作る場面です。
患者は癒しと救いと同情を求めて病院に行くわけですが、どっこい!向こう(医者)はそんなつもりは全然ありませんから。彼らは粛々とお仕事しているだけです。しかも貴方で朝から30人目の患者だったりして。
◆問診: まず、何時から?何したの?と聞くでしょう。職業などの情報も出した方がいい。
お医者さんはあまり初診の患者の目を見ません。患部を見ます。そしてすぐ視診、触診に入るでしょう。元来理系の学者タイプが多いから、よほど社交的な性格でない限り初対面で余計な話はしません。こちらは触診しながらでも後でも、不安な気持ちや疑問をそれとなく聞きましょう。ちゃんと応えてくれるかどうかはその人のタイプによりますが。やはりアカの他人の初対面なのでキョリの詰め方は難しいです。一気に詰めていく人とじっくり行くタイプとありますよね。
私が今思うことは、最初にもっと医師の目をちゃんと見ればよかったということ。人間関係の基本ですから。この頃はどこへ行ってもお医者さんに臆することもなくなりましたが、主治医に会った頃は医者という人に「同じ人間同士」という意識を持ってなかったので。彼は初対面からあんまり突っ込まれると面喰うと言ってました。なので初診はすご〜く淡々としてました。
まあそれでも質問されて迷惑そうな医師や、いつまでもしゃべって患部を見ない人もいます(音声認識ソフトのことで話が弾んで、患部に触れたのは1瞬だけなんてことも;)。逆に向こうからいろいろ聞いてくれるようなら興味を持ってくれてます。
初回はムリかもしれませんが2回くらい会ったら、その人が自分(患者)から逃げたがっているか、向き合っているかわかります。向き合ってる人とのみ今後の対話が続けられます。医師が使い痛みによる腱鞘炎を正しく診るためには、患者がどのように手を使っているか知ってもらうしかありません。スポーツ分野なら筋肉の使われ方の研究も進んでいますが、我々一般生活者や売れない漫画描きが毎日何をやってこんな症状になったかなんてなかなか興味を持ってもらえるものでもないけど、一生懸命言葉で伝えるしかないのですよ。言葉は、アカの他人が意志疎通を図るために有効なツールです。以心伝心のオシドリ夫婦じゃないんで、無口でも話し辛くても会話しかない。だから相手が逃げたがっていたらその人間関係はそこまででしょうね。まーがんばりましょう〜。
◆視診: 文字通り見て判断。腫れてるとか、今日はヘンな手とか、当人以上にわかるらしい;
残りの作業を出来る状態なのか、やばい状態なのか、自分はいつも痛いのでよくわからないので、大体の値付け(?)をしてもらいますが、初診の時は「腫れてる」ぐらいわかってくれたら御の字。
ポーズじゃないかをそれとなく観察しましょう(笑) かなり経験がいると思うのでわかってるふりで発言する人に要注意ですが、素人には見抜けないよねぇ…。
◆触診: 軽く触れたり抑えたりした後人を痛い目に合わせます。痛いところを探して悪い所を特定します。
・ドケルバン…親指を中に入れてグーをつくり、医師が親指の第2関節の上辺りを抑える。痛いと○(所見あり=悪い) 手を捕まれるので逃げてしまう…(・・;)
イケメンの先生に手を握られて緊張したとか言ってた人もいたけど、これは不幸。「パンツ降ろされへん」とか言える方がいいのよ(笑)。少女漫画の設定としては美味しいけど;
・ばね指…第1関節から第2関節へと丁寧に折りたたんでいき、コキっとか音がしたり、振動があったら○ ←実生活でそんな丁寧に曲げるわけじゃないので、あまり現実的じゃないと思う。手の先生はみんなやるから教科書にあるんだろう;
・その他の場所…医師が手を掴み抵抗を作って「僕の手に向かって思いっきり押して」とか言う。
どの筋肉が関連してるかわかる。痛いところが○なんだけど、痛くなりそうだから思いっきり押せないとか、力を加える向きがよくわからない、とかやっててイマイチ正確さに欠ける気がする。急性で何やっても痛いことも。触診は受ける方が難しいのです。
あと、関節の触診というのもあります。関節の安定度を診るもので、これは痛くないです。勝手に人の関節をゴソゴソいじって「緩い」とか「グラグラやね」とか言ってくれます(笑)。
とまあ格闘してるうちにバタバタと初診が終わります。人見知りする人は初診の時は緊張します。(私もでした←マジ) これで判断されるのって困るなぁ。もうめちゃくちゃ重篤な人は別として、普段からどうやったら痛いか知っている人は触診に失敗しても少し大袈裟目に痛いと言っておきましょう。嘘じゃないんだから。あ、私は「(首を傾げて)うーん、ようわからん」とか言いますけど。ええ、ハッキリと^^
しかーし、ここまで来ても↑に戻ることは多々あります。「腱鞘炎ですね。湿布出しときます♪」…。
すいません、頼りにならなくて。でもお医者さんの数だけ結果があるんです。一言では言えないです。医者も人間ですから〜。
医者も人間
いっぱい病院を巡って思うことは、この当たり前のことを普通に思えるかどうか、な気がします。
最初はお医者さんがなんとかしてくれる、いや何とかしてくれ、と思ってました。
でも最近は「自分で使って自分で痛めて治してくれ〜なんて、考えてみればずいぶん勝手だなあ、自分」と思うようになりました。お医者さんにとっては他人事なのに。
それでもその他人のために体や仕事や、人生までを親身になって心配してくれるんだから世のお医者さんってエライなあ。なんにも悪い事してないのに病魔に襲われたとか、ウィルスの襲撃にあったとか、一瞬の判断を誤って突っ込んだとかじゃなくて、わざわざ自分で時間をかけて作り上げていった病気。自損です。
それを治すために医師が力を貸してくれて、相談に乗ってくれて、アドバイスをくれる。その経験が「最終的には治すのは自分(の体)なんだ」という思いにさせられました。
医学は人間が作ったものだし“医者も人間”です。逆に言えば親身になってくれない、つれない医師がいてもある程度しょうがない。だってお医者さんは別に超能力者でも聖人でもないわけで。
もちろん頭のいいエリ−トさん達なので緊張したり遠慮したり最初はしてたけど(私だけ?)、同じ人間なんだから、理解して欲しかったらこちらも相手を理解しようと思って接するのが礼儀だと今は思ってます。
いくら話しても平行線だったり噛み合わなかったり、話が続かなかったり、だんだんわかって来ることもあればどんどん離れて不信感が募ったり。出遭った人が自分の思う反応をしてくれない、なんてどんな人間関係にも有り得ることですから。
誤解なきようお願いしたいのは、世のお医者さんたちの殆どは優秀で熱意のある良心的な人であると知っていただきたいです。一人でも多くの患者を診たい、状態を知りたい、理解したいと思っているはずです。
外来が夕方まで長引き昼メシ抜き、トイレいつ行こう〜みたいな状態でやってらっしゃいますよ。そういう人は朝から晩まで他人の心配してるんだから、すごいですよね〜(@_@:)!!!
ただ、先述のように多くの患者をこなしていくしかない外来の現状下で焦ってついついぶっきらぼうになったり、心無いことを言ったり。或いは報道されるような医療過誤もあれば、うっかりミスもすれば巨大な縦社会の壁もあったり、功名に走る人もいれば金銭に目の眩む人もいるかもしれない。何事も完璧ではありません。それもまた人間のなせること。
願わくば、全てのお医者さんも思ってくれるといいですね。“患者も人間”と。
最後に主治医について。
年は近いんですが私にとっては親鳥のような存在です。受診の時実際の医療行為よりも話をする方が長いんですが、「することがなくても」もう来なくていいと言わず豊富な知識を素人に解るように細かく千切って分け与えてくれます。どこもかしこも痛いとパニクってる時に「こことここは同じ筋肉の両端の腱」だとか「この痛みはどんな動作から来ている」とか助言を受けるだけで、憂鬱さは7割減少されるのです。
とても尊敬してるのにどうも態度にそれが現われない自分の性格が憎いですが…。
たぶん彼はとても手が好きな人だと思います。ご自身外科医ですから、人間の手の可能性は人並み以上に実感している筈。
細かい仕事を正確にやってのける日本人の器用な手は、ねじ1つからイチロー選手のバットまで作ってる。器用じゃなくたってご飯を食べるのもバナナの皮を剥くのも手だし、ドアを開けるのも歯を磨くのもパンツを脱ぐのも手。手を使わずに、いきなり誰の介助もなしで人間の生活しろったって無理。
手を大切に思うことはその人の暮らしや職業に敬意を払うことで、手の外科は命を扱う医療よりも一歩進化した、文明的人間的な分野だと私は感じています。
2006年2月
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