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鎌倉時代,臨済宗に帰依した伊達家4世政依は,京都五山・鎌倉五山に倣い,先祖と自身の菩提寺として伊達郡に東昌寺・満勝寺・光明寺・観音寺・光福寺を創建し「伊達五山」とした。仙台開府に当たって伊達政宗は城下北端の丘陵地・北山に北の守りとして伊達五山の流れを汲む臨済宗四ヶ寺(東昌寺・満勝寺・光明寺・資福寺)と臨済宗覚範寺,曹洞宗輪王寺を置き,臨済宗五ヶ寺を「北山五山」と呼んだ。現在は満勝寺が移転したため輪王寺を含めて北山五山という。 |
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(右上)赤松の参道。参道右手南斜面は墓地だが, 立派な桜が何本も墓地に被さるように咲いていたのが目を 引いた。参道下,北山通りに駐車場があり,オーソドックス な参道からの参詣に便利。 (右下)山門は質素な薬医門。表札が微笑ましい。 (下)樹齢500年の巨木。見上げてもなお最頂部が遠い。国指定 天然記念物。写真では大きさがいまいちわかりませんね。
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山門は薬医門。立派。 でも中央には柵があり脇戸から入る。なんで?→ |
臨済宗。伊達氏始祖朝宗の夫人光明寺殿の菩提寺。弘安6年(1283)伊達政依が伊達郡光明寺村に創建。その後慶長9年(1604)にこの地に移った。一門格寺院。慶長遣欧使節としてヨーロッパに渡航した支倉常長の墓と,使節団の案内人であった宣教師ソテロの記念碑が建っている。 ![]() |
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←参道は丸くカットされた低木が庭園風で小奇麗です。 ↓支倉常長の墓とソテロの記念碑。常長の墓といわれる ものは他に大郷町と川崎町支倉にもあるそうですが, 明治の学術研究でここの墓が本物と考証されたそうです。
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臨済宗。天正13年(1585)非業の死を遂げた政宗の父輝宗の菩提寺。遠山は「えんざん」と読む。天正14年(1586)に伊達政宗が米沢遠山村に創建。政宗の師,虎哉和尚が開山一世。その後,伊達家に従い文禄元年(1592)岩出山,慶長5年(1600)仙台愛宕山(現誓願寺跡)に移ったが焼失し,慶長7年(1602)この地に再建した。一門格寺院。政宗の正母・保春院の墓と政宗の三男・宗清の供養塔がある。 参道は広い。ここにも手摺。時代でしょうか。山門は仁王が守る3間1戸の八脚門で豪勢。でも本堂はコンクリート。この辺りの寺社は皆北山の大火後の再建だが,ここだけコンクリートで復興したのはなぜ?本堂前ボラードの上の小さな石達磨はお茶目でした。
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![]() ![]() 奥左が保春院の墓,右が宗清の供養塔 |
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3間1戸の八脚仁王門 ↓愛姫(めごひめ)と竹松丸,政宗に殉じた藩士たちの墓
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↓庭園内で一番新しそうな小堂,蘭庭堂。 菩提を弔う蘭庭明玉禅尼に関係あるのでしょうね。
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| 久しぶりの輪王寺の庭園見物。入園料300円。仙台ではここと経ヶ峰の瑞鳳殿だけでしょうか。規模は小さいが仙台一の庭園だと思います。以前よりも遊歩道などの整備が進んだよう。桜も終わり,ツツジや菖蒲には早い時期でしたが,最後の桜吹雪が舞っていました。ホントは参道も仙台一いい感じなのですが,今は都市計画道路工事の真最中で杉は全て伐採され,オープンカットの掘割が参道を横断中。参道は鉄の仮橋となっておりました。1日も早い完成と後の復旧が待たれます。 | |
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武振彦命(たけふるひこのみこと・伊達政宗)を祀る。元々仙台城内にあったが,明治7年(1874)東昌寺の敷地西半分に造営・移転した。大正11年(1922)改築に着手し,昭和2年(1927)に現在の社が完成した。春の例大祭は政宗の命日の5月24日・25日。今では山鉾(やまぼこ)巡行と雀踊りコンテストがメインの仙台市民をあげての祭りになっている(青葉まつり・毎年5月の第三日曜日とその前日)。本殿内に政宗夫人を祀る愛姫神社,境内東側に政宗の家臣を祀る祖霊社がある。 青葉神社の「青葉まつり」が始まったのは明治8年。それ以前は仙台東照宮の祭礼を「仙台まつり」といい,各町内ごとの山鉾が巡行した。電線のために巡行が困難になり明治32年の仙台開府300年祭が最後となったが,昭和60年,政宗350年祭で「青葉まつり」として復活。63年からは「青葉まつり」に山鉾が登場した。 |
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政宗の有功の臣を祀っている。明治12年(1879)建立。 東昌寺を脇にどけてまで造った経緯には疑問を感じますが,廃仏毀釈の明治時代のせいでしょうか。歴史ある北山五山の一角に割り込んで政宗公が本当に喜んだろうか。とは言え,ロケーションは最高。政宗公を祀るに相応しい場所でもある。広い境内は静かでいい。 |
↑青葉神社通り突き当りを真っ直ぐに参道が伸びる。 いきさつから見て,昔は東昌寺の参道だったのでは? ←入口を入ってすぐに白い石鳥居。昭和初期,現在社の完成と 同時期の建立。参道に覆いかぶさる緑。森林の匂いがする。 ↓鉤型に曲がって,更に上。拝殿を正面に参道が続く。
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臨済宗。弘安年間(1278〜87)米沢の高畑夏刈に時の領主長井時秀西規が建立したもので,関東十刹の一つとして東北の学問の中心をなした。同時期の弘安6年(1283)伊達四世政依は伊達郡桑折に三世義広の菩提寺として観音寺を,義広夫人の菩提寺として光福寺をそれぞれ創建している。その後,伊達氏の米沢移転に伴い,元亀3年(1572)伊達16世輝宗は美濃から虎哉和尚を招聘して資福寺の中興開基とし,この時,資福寺に観音寺と光福寺を吸収したという。資福寺は後の伊達氏の移転に従い,天正19年(1951)岩出山,慶長5年(1600)仙台谷地小路(東六番町),寛永15年(1638)現在地に移転した。境内には500株以上の紫陽花が植えられ,あじさい寺と呼ばれる。平成9年に本堂新築。観音堂は慈覚大師(一説に恵心)作と云われる聖観音を祀り仙台三十三観音第三番札所となっている。元は末寺の恵照山定光寺にあったが,火災に遭い明治37年(1904)廃寺になったため当寺に遷された。現観音堂は昭和59年(1984)の新築。 |
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境内東にある簡易な門。花心門との表示→ ちょうど花の季節で多くの拝観客とカメラマンが訪れていました。 境内中,紫陽花また紫陽花。花は全部,紫陽花です。 |
参道が紫陽花に覆われて通るのも大変。今,花盛り。↑ ←山門は3間1戸の棟門。 本堂前通路脇にベンチが並ぶ。お茶屋さんがあります。↓
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弘安2年(1279)伊達政依が福島県伊達郡に勧請。政宗が慶長9年(1604)光明寺と共に当地に遷祀した。 |
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| 他の五山同様に長い参道を登る。鳥居が最上段にあります。茨城の鹿島神宮と千葉の香取神宮は利根川下流両岸にあり古くから武勇・勝利の神として武士に信仰されました。 | |
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曹洞宗。もともと泉区松森にあった古寺で,寛永18年(1641)郷士丹野今内が現在地に移し開基,輪王寺十三世和尚を勧請し開山されたと言う。本堂内に大黒天像があり,仙台七福神巡りのひとつ。山門は平成5年(1993)新設の竜宮門で「三千大仙門」と呼ばれ「智慧」「慈悲」「方便」それぞれの千体仏を祀っている。 |
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(左)竜宮門とは珍しいのでは?2階に鐘楼。これも楼門形式と いうのでしょうか。両脇の仁王像もすごいですね。 (左下)秀林寺本堂 |
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日蓮宗。寛永20年(1643)開基。 ![]() |
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| 北山のはずれ,鹿島神社のある鹿島崎と梅田川を挟んだ対面の高台にあります。北山ほどの高さはありませんが,意外と高低差があって趣の感じられる参道です。このあたりの梅田川を堤で堰き止めて溜池を造っていたので堤町と言うそうです。奥州街道はこの堤の上を通じていました。 | |
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| 享保18年(1733)創建。奥州街道の城下北辺,足軽町であった堤町の通りから狭い小路を入った所にあります。周りは全て住宅地。わかりにくいですが,集会所とかにもなっているようで,地区のコミニティの中心のような場所でしょうか。 | |
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浄土真宗。慶長15年(1610)市内南鍛冶町に開山。寛文2年(1662)現在地に移転した。 ![]() |
境内全てが新しい伽藍。墓地,庭も綺麗に整備されています。 |