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北山は城下の北辺にあたり小高い丘陵地が続くところである。鬼門除けや城下防備のために北山五山をはじめ多くの寺社が置かれた。 今の北仙台付近から輪王寺あたり,更に西の伊勢堂山あたりまでが古来からの「北山」である。西部北山は今は住宅密集地になっており 昭和59年にはJR北山駅もできるなど便利にはなったが,狭い道をたどって行くと家々に囲まれながらも昔からの地所に由緒ある寺社が点在する。
慶長7年(1602)伊達政宗により建立。福島県信夫郡(現在の福島市)にあったものを,仙台築城の際に北山付近の鎮守として現在地に分祀した。 羽黒神社因縁記(享保元年1716)によれば,保春院殿が嗣子なきを憂え,長海上人を湯殿山に参籠させた所,夢枕に立った偉僧の梵天を宿して生まれたのが 政宗だとされる。仙台分祀の当時は別当として寂光寺(明治元年廃寺)もあった。境内に昭和45年に社殿を新築した際に境内社として残された かつての神社の社殿がある。火災を受けて寛文10年(1670)4代綱村が再建したものと思われる。
(左)拝殿正面
(上)右奥が本殿
(左)かつての社殿。
現在は月山神社・湯殿山神社の額が。
本殿の他に狭い社地内に愛宕神社,帝釈天,神楽殿,神輿堂。すぐ東隣には竹駒稲荷。これでもかと社殿が並ぶ。
出羽三山=修験と思いきや,住宅地の真ん中らしくここは庶民の神社でした。
昭和45年に新築したと言う現社殿に比べて拝殿手前左にあるかつての社殿はさすがに趣きあり。やはりこちらが本物でしょう。
(上)境内東側に竹駒稲荷神社。これって境内社?
(左)境内北側の愛宕神社。すぐ東に帝釈天。
その後ろに妙法寺が見える。
平成25年(2013)5月6日再訪
(左)拝殿扁額
(上)
境内社の愛宕神社。以前より見通しが良くなったなぁと思ったら,なんと!右隣にあった帝釈天が…ありません。
それに,後ろに見えていた妙法寺も無くなり,マンションになっています。大変化にびっくりです。
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天台宗。慶長年間(1600~14)開基で,当時は元寺小路(現在の花京院,東北電力本社ビル敷地)にあった。城下の鬼門鎮護の祈祷を勤め, 仙台城本丸築造の際には地祭を行ったという。本尊は政宗の母,保春院の護持佛であった不動尊像・二童子像で政宗から寄進を受けたもの。 寛永2年(1625)政宗により当時の寺地に不動堂が建立され,後に通された境内の道は不動前丁と呼ばれた。 不動堂は昭和20年の仙台空襲にて全焼し,阿弥陀如来1躯と本尊胎内佛のみが残った。戦災復興区画整理で昭和27年に北山霊園内に 光圓寺管理墓地が移転,昭和60年(1985)に光圓寺も現地に移った。
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日蓮宗。昭和16年(1941)創建。
以前,羽黒神社に来た時には見落としてしまいした。神社の境内から入るなんてわかりにくいですね。
山号が寂光山ですが,宗派が違うのでかつての寂光寺とは直接の関係はないと思います。配慮したとすれば歴史を繋ぐ縁として嬉しいですね。
2007.9に移転したようです。ここには今はマンションが建っています。どこに移転したかは分かりません。(2013.5記)
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昭和45年(1970)御嶽大神と太平山三吉神社を合斎して建立。御嶽神社は木曽の御嶽山を発祥とし,太平山三吉神社の秋田総本山は 白鳳2年(646)役の行者小角の創建と伝えられるなど,ともに山岳修験信仰である。合斎以前から太平山三吉神社の石碑がこの地にあったという。
(左)入口の鳥居。
ここから住宅地の中を狭い登りが続く。鳥居の前の市道を向かって右に行くとJR仙山線通称「御嶽ガード」。
(右)
本殿。伊勢堂山または天狗山とも言われる小高い山頂に立つ。
(上)
鳥居の参道階段を登った本殿下に大山祇神社の古い社殿が。もと市内鷺ヶ森にあったものを移転したという。
(左)境内に仙台三山神社。出羽三山神社の分社。
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宮城郡荒巻村(現荒巻神明町)にあった神明社(伊勢神宮の分社)を伊達政宗が元和7年(1621)この地に移し, あらためて伊勢神宮の御分霊を勧請合祀して神明宮と称し,この地を伊勢堂山と名付けた。 天和2年(1682)4代綱村が社殿拡張,以来,藩主継承時に参詣することを常とした。 明治2年(1869)荒巻神明社と改称。明治5年(1872)に市内元柳町(現西公園)に遷し, 桜岡大神宮と改称したが,当地には小社が残った。
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藩政時代以前から神明社(伊勢神宮の分社)として旧荒巻村に鎮座。伊達政宗が元和7年(1621)伊勢堂山に遷祀。 更に明治5年(1872)元柳町に遷され桜岡大神宮となった。現在もここ旧地に小社が残っている。
周囲は住宅街で,ここだけ緑に包まれた小山。残された聖地という感じです。新町名もこの神明社に因んで名付けられたものでしょう。
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