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現在は大部分が東北大学川内キャンパスが占める川内は,北と東の広瀬川,南の青葉山,西の亀岡山に囲まれた閑静な地域で, 青葉山に仙台城が置かれる以前から多くの寺院があり開けたところであった。築城に際して南の多くは城内に取り込まれ,寺院は城下に移されたが, 城の北側に侍町,更に足軽町,亀岡八幡の門前町が配された場所である。
仙台三十三観音札所の第1番。本尊の聖観音は国分能登守盛氏護持仏。 別当であった修験寺の法楽院は今はなく,観音堂だけが残る。現在は新坂通の昌繁寺が管理している。 三十三観音崇拝は法華経で観世音が33身に変化し衆生を救うと説かれているところからきている。 これに基づき長谷寺の徳道上人が8世紀初頭に近畿地方33ヶ寺に霊場を設けて巡拝したのが始まりで, 仙台三十三観音は4代綱村が選定したと伝えられている。
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不動堂裏手にある滝は「お滝」と呼ばれ,流水と背面の崖が織り成す陰影が時に不動明王の姿に見えるという。 干ばつ・洪水・疫病などの悩みに対して霊験あらたかであったので、人々は崇拝し石碑を建立し,滝前にお堂が建てられた。 境内にある最古の石碑は寛永11年(1634)のものである。
(右)確かに不動明王が見えるような「お滝」
(下)本堂に向かって左手の水子地蔵。
隣に日本初の水力発電所を記念する電気博物館や子供たちのための遊び場「交通公園」があり家族連れが多い中で,ここだけひっそりとしています。
修験の場に相応しい雰囲気です。
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文治5年(1189)一世朝宗は源頼朝より伊達郡を賜り,伊達氏を名乗って高子(現在の保原町)に築城した折,城内に鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮を勧請した。 その際,霊亀が現れたので亀岡八幡宮と号した。以後,伊達氏とともに福島,桑折,梁川と移り,そこで当地の若宮八幡と合祀され梁川八幡となる。 その後,桑折西山に遷座したが,伊達氏が米沢に移った後,元亀2年(1571)再び梁川の旧地に遷宮された。 慶長6年(1600)岩手山の宮太夫清重が御神体を一時伊具群丸森に移し, 慶長7年(1601)伊達政宗が仙台築城に際して仙台同心町の滝沢神社の地に 仮宮を造り安鎮した。寛永17年(1640)2代忠宗が社殿を造営,天和3年(1683)4代綱村により現在地に移され,再び亀岡八幡と称した。 元禄2年(1689)奥の細道の旅にあった松尾芭蕉と曽良が参詣。昭和20年戦災で石鳥居以外を焼失。 現在の本殿は昭和40年,市内一本杉にあった伊達家の氏神の社殿を移したもので,その際,幣殿、拝殿等が新たに造営された。 境内社の高良玉垂神社も天和3年4代綱村が勧請。
(上)拝殿扁額
(左)入口。ここはまだ住宅地の中。ここから山登り。
それにしても長~い参道の石段。いい運動になります。365段あるそうです。崩れも多く,天和の当時からのものでしょうか?
本当に山の中の神社という感じです。
(上)境内社の高良玉垂神社
(左)本殿。
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真言宗。昭和57年(1982)千葉県の大本山成田山新勝寺の分霊を勧請し仙台分院として開山。伊達氏以前に仙台地方を統治していた国分氏の菩提を弔う。
(上)ガマ大使。
ガマは霊力・吸引力が強く害も与えない。
ガマ口・商売繁盛に通じるそうです。
(左)山門を入って左側にある小さな稲荷堂は
「出世稲荷」といいます。
明るい雰囲気の境内。本堂右の会館屋上には高さ日本一の不動明王像(高さ16.5m重さ25t)があります。こちらはさすがにちょっと怖い。
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