当HPは移転しました。
当面こちらもご覧になれますが,更新等は新サイトのみになります。
是非とも新サイトにおいで下さい。こちらをクリックして下さい。
藩内岩沼以北の奥大道(東街道)を直線化して仙台城下に導く奥州街道新ルートの建設により, 慶長17年(1612)の長町宿に続き,慶長18年(1613)1月2番目の宿駅として中田宿が開かれた。 中田は江戸時代は名取郡前田村に属し,長町・中田間は、およそ一里と近かったが,名取川増水などによる川止めに備えたものとも云われる。 当時の中田宿は、長さ4町29間(約500m)の小さな宿場だった。 明治22年4月の町村制発布により地区4ケ村,前田村・柳生村・四郎丸村・袋原村が合併し中田村となり, 大正13年(1924)には東北本線に陸前中田駅(現南仙台駅)が設置された。国道筋には今でも宿場家屋の造りが幾つか残り往時の面影が僅かに感じられるが, 周辺は多くの住宅が建ち並ぶ仙台市の郊外住宅地となっている。
由緒等わかりません。前田公会堂隣の公園内にあります。覆屋には平成9年1月改築の札がありました。
▲ページのトップへ戻る |
曹洞宗。天正15年(1587)開山。柳生和紙の改良に尽くした小西利兵衛の頌徳碑がある。
(左)柳生寺本堂
「柳生」の地名はこのお寺が由来でしょうか?
▲ページのトップへ戻る |
承安元年(1171)陸奥守藤原秀衡が五穀豊穣を祈願して山城国加茂大神の分霊を名取川上流清水峠に勧請し,雷(いかづち)神社と称した。 文治4年(1188)大洪水で柳生に流れ着き,その地で再興。その後,明治5年(1872)柳生村の村社となるが, 明治22年(1889)前田村・柳生村・四郎丸村・袋原村が合併し中田村となったのに伴い,明治42年(1909)雷神社に各村社を合祀し中田村神社と称号した。 明治43年(1910)現在地に遷座。平成9年社号を中田神社と変更した。
(左)
南側入口。境内を囲う柵と鳥居の赤が風景にマッチしています。
(右)
広い境内を社殿に向かって真っ直ぐ伸びる参道。威厳があります。
(上)本殿。杜の中です。
(右)拝殿
▲ページのトップへ戻る |
伊豆野権現古墳の上に祀られている。詳細不明だが,寛和2年(986)建立とも云われる。
中田神社の東に接した直径10m程の小さな円墳の上にあります。古墳の名称から見るとこの権現さまの名は伊豆野権現社かもしれませんが,
鳥居扁額から伊豆権現と記します。小社が3つ並んでいます。
▲ページのトップへ戻る |
真言宗。創建は不明だが,天正19年(1591)再興と伝わる。 江戸末期に仙台藩で最初にさつま芋(甘藷)栽培に成功した川村幸八を讃え明治30年(1897)に建立された甘藷翁頌徳碑が山門前にある。
山門を潜ると左手に幼稚園だけが…。本堂などは新築中でした。
(右)甘藷翁頌徳碑
川村幸八の家に逗留した下総(千葉県)の旅人が「中田の土質は下総と似ている」と甘藷の栽培を勧め,その栽培方法を教えた。
幸八は文化8年(1811)下総から求めた種芋を中田に植え,苦心の末に栽培に成功したという。
この功で川村は文久元年(1861)藩主から賞詞を与えられた。明治2年(1869)82歳で没。
(上)左が観音堂,右が「おすて地蔵伝説」がある延命地蔵堂。
寺の北裏,市道を挟んで西に並んで建っています。地蔵堂は昭和54年(1979)新幹線工事でこの地に移されたそうです。
★おすて地蔵伝説
かつてここから西に蓮の花がいっぱい咲く沼があったが,この蓮の花を取ると悪いことが起こるといわれていた。
しかし,長者の娘のおすてが,止めるのも聞かずに蓮の花を取ろうと手をのばして一本の蓮を折り取り,そのとたん,沼が波立ちおすては中に引きこまれてしまった。
その晩から青白い炎の玉が沼の上を飛ぶようになり,村人たちは哀れんで沼のほとりにお地蔵さまを建て,後にお堂も建てたという。
▲ページのトップへ戻る |
寛永年中(1624~1644)建立とされる。
柳生寺の西裏。南側から入ります。由緒等わかりません。
▲ページのトップへ戻る |
これも由緒等全くわかりません。m(_ _)m
柳生寺の南側の市道を少し西,マンション裏手にありました。
▲ページのトップへ戻る |
天明6年(1786)創建。かつて名取高舘の熊野神社で毎年春の神事として行われていた北釜までの神興渡御の際,途中の休み所に祀られたという。
ダイシン柳生店の敷地内で,大通りに面しています。
▲ページのトップへ戻る |
樹齢1300年と云われるカヤの木の傍らに建つ。 昔,このカヤの根元から薬師如来が発見され,江戸時代からの旧家である阿部家を中心とした隣組「関根組」がお堂を建てて祀った。 文治5年(1185)平泉征伐の源頼朝が一時名取川の手前ここ柳生に陣地を構えた際,馬をこの木につないだとも伝えられている。
ものすごく立派なカヤは,仙台地方で最古のカヤといわれるそうです。このカヤと対照的に小さなお堂は,境内ともに綺麗に管理されています。 薬師堂ですが地図では薬師神社となっています。現地には何の表示もないので,そのまま記しました。立派な鳥居のせいでしょうか。
▲ページのトップへ戻る | 次のエリアページに進む⇒ |