原発賠償を考えぬく

− 被災地の不動産評価を中心として −  不動産鑑定士 高橋 雄三 のコラム


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・第1回 現状と問題点
(2013/2/25)

・第2回 2年間の経過と浮上した課題
(2013/2/25)

・第3回「公共用地補償基準」とは
(2013/3/11)

・第4回 環境省・国交省は「公共用地損失補償基準」を採用
(2013/3/11)

・第5回 ADRは機能しているか?
(2013/3/25)

・第6回 地政学から原発問題を考える
(2013/4/8)

・第7回 東京電力の本音と建前(1)
(2013/4/16)

・第8回 東京電力の本音と建前(2)
(2013/4/30)

・第9回 東電はなぜ「補償」という言葉にこだわるのか
(2013/5/20)

・第10回 除染は本当に可能なのか?(1)
(2013/6/14)

・第11回 除染は本当に可能なのか?(2)
(2013/6/17)

・第12回 メディアの取材から学ぶもの
(2013/7/1)

・第13回 「公共補償基準」の考え方(1)
(2013/7/1)

・第14回 「公共補償基準」の考え方(2)
(2013/7/16)

・第15回 法政大学 社会学部 長谷部俊治教授との交換メール
(2013/7/30)

・第16回 「公共補償基準」の考え方(3)
(2013/10/3)

・第17回 幻の「被災地復興計画」
(2013/10/10)

・第18回 「三つの原子力ムラ」
(2013/10/15)

・第19回 「今も終わらない福島原発事故の真実」
(2013/10/29)

・第20回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(1)
(2013/12/24)

・第21回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(2)
(2014/1/28)

・第22回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(3)
(2014/3/27)

・第23回 地政学・国防論からみた原発再稼働
(2014/5/26)

・第24回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(4)
(2014/9/8)

・第25回 財物賠償の現状と問題点
(2015/2/27)

・第26回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(1)
(2015/12/24)

・第27回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(2)
(2016/1/12)

・第28回 果樹園(梨畑)における営業補償(賠償)と伐採補償(賠償)の違い及び資産としてみた果樹の特殊性について(1)
(2016/1/25)

・第29回 果樹園(梨畑)における営業補償(賠償)と伐採補償(賠償)の違い及び資産としてみた果樹の特殊性について(2)
(2016/2/29)

・第30回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(3)
(2016/3/30)

・第31回 除染土の公共事業利用は放射能拡散・東電免責につながる愚策
(2016/6/27)

・第32回 自主避難者への賠償の現状と課題
(2017/9/26)

・第33回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(4)
(2018/1/15)

・第34回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(5)
(2018/3/1)


第19回 「今も終わらない福島原発事故の真実」

2013/10/29

京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は10月19日、千葉県鴨川で「今も終わらない福島原発事故の真実/子どもたちの未来のために私たちに何ができるのか?」と題して講演を行いました。

原子力発電所のメカニズムや福島第一原発の現状、なお残る危険性、放射線被害の深刻さについて、図解や写真入りで分かりやすく解説しているので、かなり長文ですがご紹介します。

この記事は、「THE JOURNAL」の有料購読者に10月21日号として配信されたものですが、発行者の承諾を得て転載するものです。

「THE JOURNAL」については以下をご参照下さい。

(http://www.mag2.com/m/0001353170.html)


みなさんこんにちは。今日はたくさんの方がお集まり頂きありがとうございました。残念ながら福島の原子力発電所の事故は起きてしまったし、ますます悪くなっているのではないかと思うほどに、今現在も進行中です。今日はその話をしたい。

●原発はお湯を沸かしているだけ

多くのみなさんは、これまで原子力発電というものにほとんど注意を払ってこなかったと思う。国も電力会社も安全だと言っている、マスコミも毎日毎日、安全だという宣伝しか流さなかったわけだから、何となくそんなものだろうと思って過ごされてきたのだろう。とくに原子力というと面倒くさいことをやっているんだろうなぐらいに思っていたのではないか。しかし原子力発電というのは難しいことは何もしていない。原子力発電も火力発電所も蒸気機関だ。200年前にジェームズ・ワットらが蒸気機関を発明した。水を沸騰させて湯気を噴き出させることができれば、その湯気の力で機械を動かすことができることを見つけたわけだが、原子力発電も火力発電もその蒸気機関だ。みなさんが家庭でお湯を沸かすのと同じことをやっているだけだ。 (図1

左下が火力発電所で、配管の中に水を流し、配管の外側から石油、石炭、天然ガスを燃やして配管の中の水を温めると、水が蒸気になって噴き出してきてタービンの羽根車を回す。羽根車に発電機が繋がっていて発電する。これだけだ。要するにお湯を沸かしている。左上の原子力発電も同じで、真ん中の繭のような構造物が「原子炉圧力容器」で、皆さんも家庭で使う圧力釜である。ただし、分厚い鋼鉄でできていて、厚さは16センチもある。その中にウランが入れてあり、釜の中に水が張ってある。そしてウランを核分裂させる、つまり燃やすと、水が沸騰して蒸気になって噴き出してきて、タービンを回し発電する。要するに、何てことない、ただお湯を沸かしているだけなのだ。

ただ、この原子力発電所だけは都会には建てられなかった。東京電力は、原子力発電所を3カ所に持っていた。1つは今日聞いて頂く福島第一原子力発電所、もう1つは福島第二原子力発電所で、福島県、東北地方だ。東京電力とは関係のない遠いところに原子力発電所を建てて、長い送電線を敷いて、東京に電気を送ってきた。もう1カ所、東京電力が持っているのは柏崎刈羽原子力発電所で、これは新潟県。そして事故が起きる前に東京電力はもう1カ所作ろうとしていて、それは青森県の東通村、下北半島の最北端にある。そういうところに建てて、東北地方を縦断して送電線を敷いて東京に電力を送ろうとしていた。この原子力発電所だけはどうしても東京には作れない。どうしてかと言えば、ここで燃やしているのがウランだからだ。

ウランを燃やして核分裂させると、核分裂生成物という放射性物質が生み出される。どうしようもない。そしてそのどうしようもなく生み出される核分裂生成物の量が、はんぱではない。(図2)左下の小さな青い四角が、広島の原爆が炸裂したときに核分裂したウランの重量で800グラムだ。このペットボトルの水がたぶん500グラムで、ポンポンと投げられるくらい軽い。これとほとんど変わらないくらいのウランが核分裂したとたんに広島の街が壊滅してしまった。それほどのエネルギーを出した。私はそのことを知って、原爆は大変悲惨だと。しかしこんなに大量のエネルギーを生む力があるのなら、それを平和的に使えば人類のためになると信じ込み、原子力発電をやろうと思って、大学に入るときに工学部原子核工学科をわざわざ選んで、そこに進んだ。では私が夢を賭けた原子力発電をやろうとすると、どれだけのウランを核分裂させなければならないかというと、この赤い四角になる。今日では100万キロワットが標準だが、その原子力発電所1基を1年運転させようとすると1トンのウランを核分裂させなければならない。広島原爆のゆうに1000倍を超えるようなウランを燃やさなければ発電所が動かない。

●死の灰が原子炉に溜まる

まず1つ重要なことは、原子力発電所をやろうとすると大量のウランが必要になる。地球上のウランはそんなに多くないので、ウランがすぐになくなってしまうことに気付いた。みなさんはたぶん、化石燃料が枯渇してしまうから次は原子力だと思っているかもしれないが、そんなことはまったくない。ウランという資源は石油に比べても、エネルギーの量に換算して3分の1くらいしかない。石炭に比べれば数十分の1しかないという大変貧弱な資源だった。そんなものに人間の未来を賭けるのは初めから間違いだったということだ。私も間違えて原子力に行ってしまった。

そしてこの図はもう1つ重要なことを示している。800グラムのウランが燃えたら、800グラムの核分裂生成物、死の灰が生まれるということだし、1トンのウランを燃やすということは1トンの死の灰を作るということだ。つまり1基の原子力発電所が1年動くごとに広島原発の1000発分を超えるような死の灰を原子炉の中にドンドン溜め込んでいく、そういう機械だった。こんなものが万一外へ出て来れば大変なことになることは誰にも分かる。私も分かった。これはダメだと思った。機械は必ず壊れる。人間がどんなに壊れないでほしいと願ったところで、壊れることはある。それならば、こんな膨大な危険を抱える機械は使ってはいけないと思うようになり、1970年から原子力を止めさせようとして生きてきた。

でもほとんどの日本の政治や経済を動かしている人たちは、そうは思わなかった。確かに危険はあるけれども何とかなるだろうと思い続けて、今日まで来てしまった。ただし彼らも万一でも何かあったら困るから、原子力発電所だけは都会に作らないで田舎に押し付けてきたのである。

●3分の2のエネルギーは海に捨てる

100万キロワットというのは、電気になっているのがそれだけだという意味だ。しかし蒸気機関はエネルギーの一部しか有効に使えない。原子力発電所は大変効率の悪い蒸気機関で、100万キロワットの電気を作ろうと思うと、そのほかに200万キロワット分のエネルギーを使えないまま捨てるしかない(図3)。ではどうやって捨てるかというと、これだ(図4)。100万キロワットが電気になる。しかしその2倍の200万キロワット分は、実は海に捨てて海を温めている。敷地の中に海水を引き込んできて、復水器の部分で熱を海水に移して海に捨てる。つまり海を温めてその水をまた海に戻している。

一体どのくらいの量の水をどのくらいの温度に温めているかというと、1秒間に70トンの水を温度7℃上げる。1秒間に70トンの流量とは、東京には荒川とか多摩川とか結構大きい川があるが、あの川は1秒間にせいぜい30〜40トン程度。それなのに原子力発電所では1秒間に70トンという巨大な川が出来て、その水の温度が7℃上がる。7℃の温度上昇というものを想像できるだろうか。例えば皆さん今日お宅に帰ってお風呂に入る。まずご自分が好きな温度の風呂に入って、それから温度を7℃上げてもう一度入ってみてほしい。私は42、43℃の熱めの風呂が好きで、それを7℃上げれば50℃で、たぶん入れない。

そしてこれは海であり、生き物が生きている。風呂に入りたくてそこにいるわけではない。そこの温度が7℃上がってしまえば、生きられなくなる。そのため、私の恩師の1人である東京大学で教鞭をとっていた水戸巖さんという人がある日に「みなさんが原子力発電所と呼んでいるものはそういう名前で呼んではいけない、あれは“海温め装置”と呼び なさい」と。ああそうだったんだと、私は目から鱗が落ちる思いだった。それほど馬鹿げたものだ。

合計で300万キロワットの熱が原子炉の中で出ているわけだが、それが全部ウランの核分裂によって出たものかというと、実はそうではない(図4)。300万キロワットのうち279万キロワットはウランが核分裂して出しているが、残りは「崩壊熱」。先ほど言ったように、原子炉の中にはどんどん死の灰が溜まってきて、それが放射線を出している。放射線はエネルギーの塊で、エネルギーは最後に熱になる。そこに死の灰がある限りどんどん熱を出すことになる。それが21万キロワット分ある。原子力発電所で何か事故が起きた時に、ウランの核分裂を止めることは比較的容易にできるが、すでに溜まってしまった死の灰がそこにある限りは、それは止められない。

21万キロワットとは、みなさんが家庭で使う電熱器とか小さな電気ストーブとかはだいたい1キロワットで、そういうものが21万個、発熱を続けてどうにも止められないということだ。これは崩壊熱がどのように減っていくかを示したもので (図5)、原子炉の核分裂が止まって3日後でも、家庭用の風呂桶1杯分に当たる140リットルの水が1分間ごとに蒸発してなくなっていくほどの発熱をしている。この熱を冷やせない限り原子炉そのものが溶けてしまう。そして実際にそうなった。

●1〜4号機で何が起きたのか

これが福島第一原子力発電所の写真だ(図6)。真ん中に上から下にまっすぐ伸びているのが「タービン建屋」で、この中にタービンと発電機が並んでいる。その左側が「原子炉建屋」でここに原子炉があった。一番上が1号機で、爆発で最上階が吹き飛んで、骨組みだけになっている。1つ手前が2号機で、まだ形があるように見えるが、この2号機こそが内部で最大の破壊を受けていて、環境に放射能を撒き散らした主犯人だと、国と東京電力が言っている。もう1つ手前が3号機で、やはり爆発が起きて最上階が吹き飛んで骨組みだけになり、さらにその骨組みすらも崩れて落ちる程の猛烈な爆発が起きた。そのもう1つ手前が4号機だ。

2011年3月11日、4号機は定期検査中で止まっていたのに、この4号機でも爆発が起きて原子炉建屋の最上階が吹き飛んでしまった。4号機の場合は、特殊な壊れ方をしていて、最上階が吹き飛んでいるほかに、さらにその下の階の壁も爆発で穴が開いている。この穴が開いた壁のすぐ隣に「使用済み燃料プール」がある。剥き出しで外から見えるほどだ。そのプールの中に、広島原発が撒き散らした死の灰の1万4000発分の死の灰が入ったままでここにある。

原子炉建屋を縦に割るとこんな姿になる(図7)。真ん中の繭型の構造物が「原子炉圧力容器」で、その中にウランを詰めた「炉心」がある。ウランは、直径1センチ、長さ1センチの小指の先くらいの瀬戸物に焼き固めてあり、それが燃料棒というチューブの中にたくさん詰めてあって、そのチューブをたくさん立てて並べてあるのが炉心。ここにどんどん死の灰が溜まってくる。それを冷やせない限りは溶けてしまう。ところがあの日、地震と津波に襲われて福島原子力発電所は全所停電になり、一切の電気が使えなくなった。ここを冷やそうとするなら、水を回さなければならず、そのためには電気でポンプを動かさなければならないが、その電気がなかった。それで溶け落ちてしまった。

瀬戸物は2800℃にしないと溶けない。炉心には100トンもの瀬戸物が入っていてそれが溶けて下に落ちた。この圧力容器は厚さ16センチの分厚い鋼鉄だが、鋼鉄は1400〜1500℃で溶けてしまう。そこに2800℃を超えた100トンもの塊が落ちれば簡単に底が抜けてしまう。その外側は理科のフラスコのような形をした「原子炉格納容器」で、放射能を閉じ込める最後の防壁として設計された。核燃料の塊はその床に落ちて、いま床を壊しながら、ひょっとしたらもう格納容器の下に落ちてしまっているかもしれないという状態だ。

そしてこれが溶け落ちるときに、さきほどウランの瀬戸物がパイプの中に詰めてあると言ったが、そのパイプはジルコニウムという金属でできていて、この金属は温度が上がると周りの水と反応して水素を出すという性質があり、そして水素がなぜか原子炉建屋の中に漏れてきた。格納容器は放射能を閉じ込める最後の防壁で、水も空気も漏らさないはず なのに、なぜかここから大量の水素が漏れて、建屋の最上階に溜まって爆発して、先ほどの写真のように建屋を吹き飛ばした。つまり格納容器が破れている。どこで破れたかは分からないがもう破れてしまって、水素も放射能も噴き出してきた。それが1〜3号機だ。

4号機は先に述べたように定期検査中で、圧力容器の中にあった燃料は「使用済み燃料プール」の底に移されていた。このプールは、格納容器の外側にある。そこに広島原発1万4000発分の死の灰が眠ったままになっている。それを何とか冷やさない限りは溶けてしまうことになる。

●事故は収束していない

残念ながら事故は収束していない。運転中だった1〜3号機の炉心はすべて溶け落ちた。それがどこにどんな状態であるかは、見に行くことができないから、分からない。しようがないからひたすら水を入れて冷やそうとしてきた。それが汚染水となって出て来るのは当たり前で、水を入れても圧力容器は底が抜けているから、格納容器に落ちるが、格納容器もたぶんあちこちで壊れていて、水は全然溜まらずに全部表に出て来てしまう。そして今、敷地中が放射能汚染水で溢れかえっている状況に追い込められている。

なんとかそれを封じ込めなければいけないということで、いまこの瞬間も福島原発ではたくさんの作業員が格闘している。ほんどは9次、10次にまで及ぶと言われる下請け、孫請けの労働者たちで、被曝をしながら苦闘を続けている。これから何十年、何百年と被曝をしなければいけない。そして4号機は宙ぶらりんのプールには死の灰が溜まったままである。

これは(図8)今まで述べたような1〜3号機の様子を示している。次は(図9)8月3日の朝日新聞だが、「汚染水封じ込め、窮地」とある。ここに絵があり(図10)、原子力建屋の地下もタービン建屋の地下も水浸しで、そしてタービン建屋から港に向かってさまざまなトレンチとかピットとか呼ばれるトンネルが走っていて、それも水浸し。このトンネルの一部は港まで達しているが、事故の直後、2011年の4月か5月に、それが割れて岸壁のところからこのように(図11)ジャージャーと海に向かって水が流れ落ちているのが見つかった。東京電力はここにコンクリートを流し込んで何とかしてこの部分の汚染水漏れを防いだ(図12)。するとマスコミはこれで汚染水問題は終わったと思ったかのように一切の報道をしなくなった。

しかし考えて見てほしい、コンクリートは必ず割れている。割れのないコンクリートはない。だからコンクリートの中に水を溜めるということは基本的にできない。おまけに巨大な地震で原子炉建屋やタービン建屋の地下もトレンチもそこら中で割れていた。たまたま見えた所でジャージャー水が落ちていたから、そこは止めたと言うのだが、冗談ではない、もうそこら中でみんな割れて漏れていたけれども地下だから見えないというだけであって、2011年3月11日から汚染水はもうズーッと漏れ続けていた。それが最近になってようやく「大変だ」とマスコミが言い出したわけだが、そんなことはなくて、どうにもならないまま2年半以上にわたって汚染水は海に流れてしまってきた。

●4号機プール崩壊の恐怖

次に、これが3号機と4号機で(図13)、3号機は最上階で爆発が起きて骨組みがさらに下に崩れ落ちている。私が最上階と呼んだ所、2階建てのように見えるがこれは実は1階だ。4号機も、やはり最上階の2階建てに見える所は吹き飛んで、さらにその下の壁も全部抜けてしまっている。そしてこの壁の向こう側に、実は使用済み燃料プールが宙づりのような形で存在している

これが一番初めに見て頂いた穴の開いた壁の写真で(図14)、プールはこの横にある。他の壁も全部抜けて、さっき見たのは海側から見た写真だがその壁も全部抜けていた。この赤く伸びている変なものは「キリン」で、プールにとにかく水を供給して燃料が溶けないようにしようということで連れてきた.その前には、自衛隊のヘリコプターで上空から水を撒いたが散らばって入らなかったり、次に東京消防庁が遥か離れた所から放水車で水を掛けようとしたが巧くかからない。最後にこのキリンが出て来て、ようやくプールに水を供給することができて、辛うじて使用済み燃料が溶けずに済んでいる。

しかし、先述のように、このプールはボロボロになった原子炉建屋の中に宙づりのような形になっていて、そこには燃え尽きた燃料が1331体がある。そのことに気が付いた東京電力は、事故直後に耐震補強工事をやったと言っている。
これは(図15)、毎日新聞が東京電力の主張に沿って描いた絵で、プールの下に鉄骨を立ててコンクリートを流し込んだというのだが、しかし実際には絵の左側半分は工事できなかった。この床すらが既に損傷しているからいくら鉄骨を立てても支えにならない。これは(図16)東京電力が描いた図だが、格納容器の左横に使用済み燃料プールがあり、補強できたのはこの赤い部分だけで、左側の半分はできなかった。

あの地震の後も毎日のように福島では余震が続いている。もし次に大きな余震が来て、ボロボロになっている建屋がもう一度崩れるようなことになれば、プールの燃料が冷却できなくなって、大量の放射性物質が噴き出してくるという危険が今でも続いている。

●困難きわまる使用済み燃料の取り出し

それで東京電力は何をしているかだが、先ほどの写真(図14)を撮ったあとしばらく経ってから撮ったのがこれだ(図17)。左側が穴の開いた壁で、海側の壁は全部抜けている。プールは、この水色の四角の位置に埋め込まれている。さっきの写真だとこの上に壁があったが、もう半分は取り払った。何でこんなことをしているかというと、このプールの底にある使用済み燃料を何とかして冷やさなければならないけれども、プールが崩れ落ちたらもう終わってしまうので、一刻も早くどこかもう少しでも危険の少ないところに移さなければいけない。でも、このプールの底にある使用済み燃料はそのまま水面より上に吊り上げてしまうと、周りにいる人がバタバタと死んでしまうほどの猛烈な放射能を発する。つまり出せない。

じゃあどうやって出すのかというと、まず「キャスク」という巨大な鋼鉄と鉛でできた容器を沈め、プールの底でそれに燃料を入れていく。そして蓋をして、初めてキャスクごと外に取り出せることになる。しかしそのキャスクは重さが100トンもあって、人間がロープで引っ張ったりできるものではない。そうなると巨大なクレーンがないと作業ができない。元々ここには巨大なクレーンがあったが、建屋そのものが爆発で吹き飛んで、クレーンも吹き飛んで、もう使えない。そうなれば、新たにここにクレーンを建てるしかない。そのためには壊れてしまった建屋をまず撤去しなければならないということで、今これが半分壊したところ。さらに壊していってこんなになった(図18)。
使用済み燃料プールはこの水色のシートがかけてあるところに埋まっている。横から見るとこうなっている(図19)。それにもっと巨大な建屋を上からかぶせて、その中に巨大なクレーンを設置して、何とか使用済み燃料を取り出そうとしている(図20)。これは今年5月29日の写真で、今はもうこの建屋に壁が張られて、たぶんもうクレーンの設置工事もしているのだろう。そして11月の半ばになって初めて、使用済み燃料を取り出す作業を始められると東京電力は言っている。一刻も早くやってほしいが、たぶんそのくらいかかるんだろうと私も思っている。

作業を始めて次はどうなるかというと、先述のようにプールの底には1331体の使用済み燃料があり、それを1体ずつキャスクに入れていく。1つのキャスクに20体くらい入るはずだが、たぶんもう燃料が変形したりしているので、本当に何体入るかは分からない。しかし、1体ずつ吊り上げては容器の中に入れて、蓋をして、吊り出すということをやろうとしているのだが、1331体、1回もしくじらずに本当に容器に移せるのだろうかと考えると、私は大変不安だ。途中にはさまざまなトラブルがあって、また労働者が被曝していくんだろうなと思っている。その作業を終えるのに何年かかるんだろうか。

仮に4号機のプールから使用済み燃料を取り出したとしても、1〜3号機にもやはり使用済み燃料プールがあって、4号機ほど数は多くはないが、そこにも使用済み燃料が入っていて、それも吊り出さなければならない。これから何年か、10年で済むのか、ひょっとしたらもっと長くかかるんだろうかと思うほど困難な仕事が待ち構えている。

●これまでの放射能被害の深刻さ

さて、いまお話ししたのは、これからどれだけ危険な作業をしなければならないかということだが、次に、これまでにどれだけ深刻な放射能被害が出ているかをお話しする。

ここに描いたのは(図21)、事故を起こした福島原子力発電所が大気中に放出したセシウム137の量で、日本政府がIAEAという国際的な原子力推進団体に出した報告書に書かれている値である。私は先ほどから、ウランを燃やすと核分裂生成物という死の灰ができると申し上げてきた。その核分裂生成物はおよそ200種類に及ぶ放射性物質の集合体で、寿命の長いものも短いものもある。その中で一番人間にとって危険が大きいと私が思っているのが、セシウム137だ。

左下の小さな黄色の四角は、広島原爆が炸裂したときに大気中に撒き散らしたセシウム137の量で、8.9掛ける10の13乗ベクレル。みなさん全然ピンと来ないだろうが、とにかく広島原爆はこの四角の大きさと思ってほしい。では福島の原子力発電所がどれだけバラ撒いたかというと、1号機だけで広島原爆の6〜7発分、何といっても悪いのは2号機で、 3号機もバラ撒いて、当日運転中だった1〜3号機を合わせると、広島原爆168発分の放射能を大気中にバラ撒いた、と日本国政府は言っている。しかし私はこの値は過小評価だと思っている。日本国政府は、福島第一原子力発電所の安全性を確認して、「この原子炉は事故を起こさない」とお墨付きを与えた張本人だ。でも事故が起きてしまった。大変重大な責任があるわけだし、私は責任などという言葉では甘すぎるので「犯罪」だと言っている。犯罪者が自分の罪を重く申告する道理はなく、なるべく軽く見せたいと思って示したのがこの値だから、たぶんこの2倍か3倍だろうと思う。つまり広島原爆が撒き散らした死の灰の400発、500発分をもうすでに吐き出してしまったということだ。

その結果、東北地方、関東地方の広大な地域が放射能で汚れた。これも日本国政府が示している汚染地図だ(図22)。福島第一原子力発電所を中心に点線の円が2つ描いてあり、内側が半径20キロ、外側が30キロ。半径20キロ以内の住民に対して日本国政府は、事故が起きたので避難のバスを差し向けるからそれに乗って避難所に行きなさいと指示を出した。30キロのほうは、事故が起きたので家の中に閉じこもっているか、あるいは自主的に逃げなさいと指示を出した。しかし、当日は地震で道路は寸断され、電気も全部止まっている。医者も閉まっているし、ガソリンスタンドも閉まっているわけで、逃げろと言われてもほとんど逃げることはできない状況だったので、30キロ圏内で逃げた人は多くなかったろう。

しかし、事故が起きて放射能が噴き出してきてしまえば、その放射能は同心円的に等しくあちこちに流れるわけではない。風に乗って流れる。初めは北風が吹いていたので、放射能は南へ向かって流れ、福島県の浜通りと呼ばれる一帯を放射能汚染に巻き込んで、茨城県の北部まで汚した。一時期、放射能の雲が太平洋に抜けてまた茨城県の南部で戻ってきて、霞ヶ浦一帯、千葉県の北部、そして東京の下町の一部をも汚染することになった。

ある時は、南西の風が吹いていて、放射能の雲が北西の方向に流れて、赤、黄、緑の色が着いているところは猛烈な汚染地帯となった。放射能の雲が流れてきたときに、ここで雨と雪が降り、雲の中から放射能が洗い流されて地面を汚したからだ。その猛烈な汚染地帯は、20キロでも30キロでも収まらず、40キロ、50キロも離れていて何の警告も受けていなかった住民が巻き込まれた。そこは福島県の飯舘村があったところで、原子力発電所からは何の恩恵も受けないで、自分たちの村は自分たちで作ると言って長いあいだ苦闘を続けてきて、「日本一美しい山村」と呼ばれるまでに作り上げてきた。そこが事故で猛烈な汚染に巻き込まれて、ただし何の警告も受けなかったから住民はそこに留まって、何ヶ月も経ってから猛烈に汚染していると政府から教えられて、全村離村になってしまった。

汚染はそれだけでは止まらない。風が変わって北から吹いてくれば、放射能の雲は南に流れていく。福島県の中央に青い帯が見えるが、ここは東側に阿武隈高地、西側に奥羽山脈と、両側を山地に挟まれた平坦地で、大変住みやすいということで福島県の人口密集地帯はほとんどここに並んでいる。北から伊達市、福島市、二本松市、郡山市、須賀川市、白河市と、たくさんの人びとが住んでいるところを放射能の雲が舐めるように汚染を広げていった。そして栃木県の北部、群馬県の北部を汚した。さらに風に乗っていくと長野県に入るはずだったのだが、その県境には高い山並みがあり、放射能の雲は山を越えるのではなく山腹を捲くよう南に流れ、群馬県の西半分、埼玉県の西部、東京都の奥多摩に汚染を広げた。

●色のついた所は「放射線管理区域」に

私はいま単に「汚染」という言葉を使ってきたが、少し数字で見てみたい。赤、黄、緑は1平方メートル当たりのセシウムが60万ベクレルを超えてセシウムが土壌に降り積もっている。薄い青は10万〜30万ベクレル、濃い青は6万〜10万ベクレル、そしてくすんだ緑は、会津とか群馬県西部、宮城県北部、茨城県南部、千葉県北部、東京都の一部にもあるが、これらは3万〜6万ベクレルである。

ではこの数字にどういう意味があるかと言えば、私は京都大学原子炉実験所という職場で放射能を取り扱う仕事をしている。私の職場には放射能を扱う特別な場所があって「放射線管理区域」と呼ばれている。普通のみなさんは放射能を取り扱うことすら許されないけれども、私は仕事のために取り扱う。しかしどこで取り扱ってもいいのではなくて、放射線管理区域の中でなければならない。そこは入ったら最後、水を飲むこともものを食べることも許されない。そこで私は仕事を終えたらサッサと出たいわけだが、放射線管理区域はドアが閉まっていて、簡単には出られない。そのドアを開けるには1つの手続きをしなければならない。

私の手も衣服も汚れているかもしれず、そのまま外へ出れば普通のみなさんを被曝させてしまう。そこで手や実験着を測定して、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えていればドアが開いてくれないシステムになっている。もし実験着が4万ベクレルを超えて放射能で汚れていれば、私はそれをそこで脱いで、放射能のゴミとして管理区域の中で捨てるしかない。私の手が汚れていれば、もう一度ゴシゴシ洗う。水で洗って落ちなければお湯で洗う。それでも落ちなければ、皮膚が少しくらい溶けてもいいから薬品で落とせということになっている。そうしなければ外へ出られないというのが日本の法律だった。

しかし、この地図のくすんだ緑の所ですら、1平方メートル当たり3万ベクレルを超えている。濃い青の所は6万ベクレルを超えている。それも、私の手や衣服が汚れているというのではなくて、大地全部が汚れている。みなさん、見て下さい、窓の外を。ここがもし福島市だったとすれば、この建物全部が汚れている。そこの道路が汚れている。校庭が汚れている。向こうの山の森が汚れている。もう全部が汚れてしまったということだ。

ということは、この地図でくすんだ緑以上の色が着いたところは「放射線管理区域」にしなければならない。つまり無人にしなければならない。しかし日本国政府は、こんな広範囲を今さら無人にはできないと判断した。そして、赤、黄、緑の猛烈な汚染地帯だけ人々を避難させている。面積にして約1000平方キロ。琵琶湖が1.5個入ってしまう広大な所から10万人を超える人々を故郷から引き離して流浪化させた。しかし本当なら、こういう所の人を全部追い出さなければいけない。それほどの汚染を受けている。

当時の写真がこんなで(図23)、「この先立ち入り禁止」と。人々が住んでいた町がなくなってしまうことになった。

●動物たちは取り残されて死んだ

被害を受けたのは人間だけではない。これは牛(図24)。人間たちは、政府がバスを仕立ててとにかく避難しなさいと言って避難所に連れて行った。しかし牛や馬など家畜とかペットは取り残された。この酪農家の人は、自分の牛を残して一度避難したが、それでも彼にとって牛は家族だ。一頭一頭名前が付いていて、朝起きたら名前を呼んで体をさすって、食事を与えて、一緒に住んでいた牛を、置き去りにしてきたと言って、彼は放射能の防護服を着てマスクをして、餌をやりに戻ってきた。その時の写真だ。

しかしすべての酪農家がこうではなかった。牛たちは囲われたまま、逃げることもできずに次々に死んでいった(図25、26)。牛だけではなく、馬も死んだ。この馬はもう痩せこけているが、助けに来た人に何とか助けられたのだろう(図27)。

ある酪農家は、自分の牛を繋いだまま死なせるわけにはいかないと、解き放った。こういう牛たちが、いま無人の町に何百頭。何千頭といる(図28)。日本国政府はこういう牛たちは放射能で汚れているから殺せという指示を出している。しかしそれはできないという人たちもいて(図29)、「殺処分反対」と言って、「希望の牧場」という牧場を作ってやせ衰えている牛たちを集めて、そこで何とか命を繋ごうという活動をしている。

もちろん家畜だけではない。ペットもみんな捨てられた(図30)。これは双葉町だが、こんな大きな看板が立っていて「原子力、正しい理解で豊かな暮らし」と(笑い)。原子力が危ないなんて言う奴がいるけれども、そんな奴の言うことを聞くな。国が安全だと言い、東京電力が安全だと言っているんだから、それを信じていれば豊かな暮らしができると言って多額のお金を貰ってきた町だが、ついに無人になってしまった。

これは日本地図で、この下の方の丸がいまみなさんがいる鴨川だ(図31)。福島原発はここにある。これに先ほどの汚染地図を重ねてみた。みなさんの所は幸い、大した汚染には巻き込まれずに済んだ。だから今も故郷に住んでいられるわけだが、余り安心してほしくはない。なぜなら、上の方の丸を付けた所に東海第2原子力発電所があり、ここも3月11日の地震と津波でかなり破壊されたが、ようやくにして炉心が溶けずに済んだ。だがもしここで溶けていたらどうなるかというと、福島原子力発電所を中心とした汚染地図の青く伸びている図形を東海第2から南に汚染が広がったと想定して地図を重ねると、汚染の真っ直中になってしまう。東京も何もみんなだ。

原子力発電所の事故はもし起きてしまえば、どこも安全なところはないというほど広い範囲が汚れてしまうということが分かるだろう。日本国政府は、被曝の量が多くなければ大したことはない、安全だ、と言っているが、そんなことはない。被曝はどんなに微量でも危険で、長い学問研究の結果がそれを示している(図32)。ここにICRPと書いてあるのは「国際放射線防護委員会」だが、この勧告には原子力を推進している電力会社や日本国政府も従っている。ではその勧告に何が書いてあるかと言えば、要するに「100ミリシーベルトより少ない被曝でもがんの危険の証拠がある」「被曝の量が少ないからと言って安全ということはない」と書いてある。にもかかわらず日本では「100ミリシーベルト以下なら安全だ」と言わんばかりの宣伝が行き渡っている。私は、そういうことを言う学者はます刑務所に入れるべきだと思う。それほど大切なことだ。

被曝はどんな量でもできるかぎり避けなければいけないのに、日本の国は何をしたか。法治国家である日本ではこれまで、国民が法律を破れは国家が処罰をする、悪い奴は刑務所に入れるから、この国は安全なのだと言ってきた。そうであれば、法律を作った国家が法律を守るのは最低限の義務だろう。彼らが作った放射能に関する法律はたくさんあって、例えば、普通のみなさんは1年間に1ミリシーベルト以上の被曝をしてはいけない、させてもいけないことになっていた。いま述べてきたように、放射能で汚れたものを管理区域から持ち出そうとするなら、1平方メートル当たり4万ベクレルを超えていればどんなものでも持ち出してはいけないという法律もあった。しかし、さっきの日本政府が作った地 図を見れば、全然それが守れるような状況ではなくて、政府がこの法律の一切を反故にしてしまい、そこに人々を捨ててしまうということをやっている。

●私はこれから何に力を注ぎたいか

私がこれからやりたいことは2つで、1つは、子どもを被曝させないこと、もう1つは、今日はこの話はできないが、農業を含めた1次産業を守ることだ。

子どもを被曝させないという理由は簡単だ。原子力を選んだことに子どもは責任がない。今日この会場に来て下さったみなさんを、ありがたく思うが、しかしこれまで原子力を日本で許して来てしまって、その結果、福島での事故を引き起こしたことについて、たぶんみなさんにも何がしかの責任がある。これまで無関心でいたことも含めて、大人には責任がある。しかし、子どもには責任がない。何としても子どもを被曝から守らなければならないと思うし、また特に子どもは被曝に敏感だ。これは放射性癌死の被曝依存性という図である(図33)。

ここで使うのは「万人・シーベルト」という単位で、これは1シーベルトの被曝をした人を1万人集めれば1万人・シーベルト、1ミリシーベルトの被曝をした人なら1000万人集めれば同じ1万人・シーベルトになるわけだが、そのうち何人が癌で死ぬかということだが、全員が30歳であれば3855人がやがて癌で死ぬ危険を負う。これは全年齢平均3731人とほぼ同じ。ところが年をとっていくと、被曝に関してはどんどん鈍感になっていって、なぜならもう生長はせずに衰えていくだけだから、55歳になれば49人で、もうグラフの高さがほとんど見えない。平均に比べて70分の1、80分の1の危険しか負わない。この会場に来ているみなさんの多くはこれに該当する(笑い)。そして、こういう鈍感になった世代こそが、日本という国で原子力を許して来てしまった張本人なのだ。そして危険は負わないで済んでいる。

しかし0歳、5歳、10歳など、毎日面白いように生長していく子どもたちは、平均の5倍というような被曝の危険を一手に負わされることになる。こういう子どもたちを被曝から守ることが、せめて私たちの責任だろうと思う。どんなことができるかと言えば、一番いいのは避難だ。私は本当であれば、先ほどの地図の広大な地域からすべての人を避難させるべきだと思っている。日本国が倒産するくらいのことになるが、それでもやるべきだ。日本が法治国家という限りは、人々を逃すのが一番いい。しかしこのデタラメな国はそれをやろうとはしない。では次に何ができるかと言えば、子どもたちを疎開させることだ。汚染地帯の子どもたちを1週間でもいい、10日でもいい、汚染地から引き離して夏の一時を過ごさせようという運動を全国のたくさんの人たちが担ってくれている。

次は、校庭とか園庭の土を剥ぎ取ることだ。もう大人はいい。今日ここへ来ているみなさんも、大人はもう被曝をしても諦めて下さい。しかし子どもたちが集中的に時を過ごす場所はきれいにしなければいけない。剥ぎ取ったところで放射能はなくならないから、またどこかにそれを押し付けなければならないのだが、これはやらなければならない。他にできることは、給食の材料を厳選することである。体内被曝を減らすためだ。いま日本の国は1キログラム当たり100ベクレルという基準を作り、それを超えるような食物は市場に出してはならないが、それ以下なら安全だからと言って市場に回している。しかし、福島の事故が起こる前、日本の食べ物、例えばお米は1キログラム当たり0.1ベクレルしか汚れていなかった。100ベクレルということは、事故前の1000倍もの汚染を許すということになる。先ほど述べたように、被曝はどんな量でも危険であり、1キログラム当たり10ベクレルだって事故前の100倍になる。もっともっと厳しい基準を作って、子どもたちにだけは、きれいな食物を与えるようにしたい。学校給食は是非ともそうしてほしい。

そのほかいくつか注意をしておきたい。ここ鴨川は福島原発の事故で非常に強い汚染は受けなかったが、汚染がないわけではない。もちろんこの旧大山小学校の校舎や校庭も汚れている。そしてこういう鴨川のようなところでも、実は猛烈な汚染が存在している場所がある。例えばこれを見ると、倉庫の入口に黒いシミのようなものがある。これは私たちが「黒い物質」と呼ぶもので、猛烈に放射能が濃縮している。例えば東京都東村山市や東京都葛飾区のような汚染が少なかったところでも、学校や公園や駅前で1キログラム当たり何十万ベクレルというセシウムが計測できる。子どもたちがこういう場所で遊んでいる。何度も言うが、みなさん大人が被曝するのは構わない。しかし子どもたちが集まる場所は何としても除染に取り組んでほしい。

残念ながら、福島の事故は、まだ現地でも収束していない。故郷を追われて流浪化している人たちにとっては、もちろん収束していない。放射線管理区域に指定しなければならない地域に捨てられてしまった人たちにとっても、何も終わっていない。そしてみなさんの所だって、こういう黒い汚染物質があって、終わっていない。それなのにこの国では、 安部首相が「なんでもない」「完全にコントロールしている」「次はオリンピックだ」というようなことを言っている。冗談ではない。オリンピックどころではない、国が破産してもおかしくないほどの事故がいま進行している。それを引き起こしたのは、日本にこれまでできた58基の原発をすべて認可した自民党政権だ。それがこんな事態を引き起こしているのに、誰も責任を取ろうとしない。大変不思議な国である。みなさんには是非、この事故が終わっていないことを忘れないで頂きたい。終わります。▲


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