− 被災地の不動産評価を中心として − 不動産鑑定士 高橋 雄三 のコラム
テーマ 一覧 ・第1回 現状と問題点 ・第2回 2年間の経過と浮上した課題 ・第3回「公共用地補償基準」とは ・第4回 環境省・国交省は「公共用地損失補償基準」を採用 ・第5回 ADRは機能しているか? ・第6回 地政学から原発問題を考える ・第7回 東京電力の本音と建前(1) ・第8回 東京電力の本音と建前(2) ・第9回 東電はなぜ「補償」という言葉にこだわるのか ・第10回 除染は本当に可能なのか?(1) ・第11回 除染は本当に可能なのか?(2) ・第12回 メディアの取材から学ぶもの ・第13回 「公共補償基準」の考え方(1) ・第14回 「公共補償基準」の考え方(2) ・第15回 法政大学 社会学部 長谷部俊治教授との交換メール ・第16回 「公共補償基準」の考え方(3) ・第17回 幻の「被災地復興計画」 ・第18回 「三つの原子力ムラ」 ・第19回 「今も終わらない福島原発事故の真実」 ・第20回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(1) ・第21回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(2) ・第22回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(3) ・第23回 地政学・国防論からみた原発再稼働 ・第24回 原発ゼロの国民運動・統一戦線への展望(4) ・第25回 財物賠償の現状と問題点 ・第26回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(1) ・第27回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(2) ・第28回 果樹園(梨畑)における営業補償(賠償)と伐採補償(賠償)の違い及び資産としてみた果樹の特殊性について(1) ・第29回 果樹園(梨畑)における営業補償(賠償)と伐採補償(賠償)の違い及び資産としてみた果樹の特殊性について(2) ・第30回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(3) ・第31回 除染土の公共事業利用は放射能拡散・東電免責につながる愚策 ・第32回 自主避難者への賠償の現状と課題 ・第33回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(4) ・第34回 電力小売自由化は原発ゼロへの一里塚(5) |
第4回 環境省・国交省は「公共用地損失補償基準」を採用2013/3/11 環境省は平成24年5月2日に「除染等の措置等に必要な土地等の使用等に伴う損失補償基準」を公表しました。 除染特別地域において、本格的な除染作業を実施するにあたって、やむを得ず宅地内の庭木等を除染行為の一環として伐採等する場合や、仮置場の設置のために土地等を使用する場合についての「損失補償基準」を策定したものです。 この「損失補償基準」の考え方や規定のしかたは、「公共用地の取得に伴う損失補償基準」と同じものです。 これに先だち、国土交通省は平成24年3月に「被災地における一般損失補償に係る調査手法等用地取得事務に関する調査業務」報告書をまとめました。 これによりますと、『今後の被災地における復興事業の用地取得に伴う建物移転料の調査算定にあたり、現行の損失補償制度上、このような自然災害による被害を受けた毀損建物の補償の取り扱いに関する明文規定は特に設けられていないが、国土交通省が直轄事業を行うに当たっては、原則どおり「公共用地の取得に伴う損失補償基準要綱」(昭和37年6月29日閣議決定)及びこれを受けて国土交通省直轄事業に適用される「国土交通省の公共用地の取得に伴う損失補償基準」(平成13年1月6日国土交通省訓令第76号)等を指針として、これらの補償の要否等に関する具体的な判断、補償額の算定等を行うこととなる。』と定めています。 国土交通省は、明確に「公共用地損失補償基準」を指針とすると規定したわけです。 東京電力は、2012年7月24日に避難指示区域および周辺地域の不動産や家財についての「損害賠償基準」を発表しましたが、「公共用地補償基準」の考え方を取り入れるとも、取り入れないとも明言はしていません。 東京電力は、この「損害賠償基準」を策定するに際して、経済産業省と綿密な協議を行ったと報じられていますから、環境省や国交省が「公共用地補償基準」を全面的に採用し公表していることについても、十二分に知っている立場にあったわけです。 なのに、あえて「公共用地補償基準」にふれずに、不動産の賠償基準の(3)として「不動産鑑定士等による個別評価」といったあいまいな表現したことについて、誠実さ、真剣さに欠けるとの思いを強く持ちます。 今は、インターネットによりほとんどの情報は即刻入手できる時代です。原発賠償・不動産評価等のキーワードを入力すれば、関連する記事や主張・論点はすぐに検索され、浮かび上がってきます。 ネット活用のシンポジウム・公開討論会・国際会議が連日開催されているともいえるわけです。 東京電力も肝をくくって、正々堂々と議論に参加し、批判に対しては、正面から受けとめて、歴史の審判を受け入れる対応が求められていると、強く感じるのは私だけでしょうか。 |