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2003年07月16日(水)
「GLI ARTIGIANI」を創ろうとし始めたきっかけ

タイトルは「GLI ARTIGIANI」
イタリア語で「職人たち」という意味。
僕は最近になって気が付いた。
もしかしてこれは「ガイアシンフォニー」?
そんなこと少しも頭になかった。

ホントにいまの世の中に訴える力のあるものであると信じているのであれば
「ガイアシンフォニー」はもっと世界に出すべきだ。
でもそうでないということは、別のところにこだわりがあるんだろう。
僕は世界中の人々はこういう作品を欲しているのではないかと思う。

僕の作品は日本人うけするだろう。
でも何人に向けてというくくりで創る気はさらさらない。
ただ日本語でも英語でもイタリア語でも楽しめる作品にさせようと思っている。

世界に出て僕が思ったのは、もちろんその土地土地の歴史や文化によって、
考え方というものに方向性はあるけれど、人間そのものは変わらないということ。

どこの国に行っても、明るいやつがいれば暗いやつもいる。
大声を出すアホもいれば、生真面目なインテリもいる。
突然「Grazie!」と声をかけてくる奴がいたと思えば、道でぶっ倒れてたり、薬や注射しているのもいる。
多様だ。
日本人的なのもいるけれど、世界のスタンダードはもっと守備範囲が広い。

イタリアやその他の国をまわって、いろんな人に触れていくうちに、
僕に似たような人を輝かせたいと考えるようになった。
日本でわかりやすい例をいうなら、原宿のホコ店にいたストリートミュージシャンを撮って、
ミュージックビデオを撮って売り出すみたいな。
だからしばらくはミラノの街頭でパフォーマンスをやっている人を探していた。
あくまで僕の中で光って見える人に話しかけようとしていた。
でも誰一人としていなかった。

いずれにしても僕の場合は「人」が命題になる


地元ミラノで映画をやりたい人とか、
何かをやりたい人のコミュニティを見つけたり、創ったりしようとしていた。
でもやっぱり「クレイジー」みたいなのは僕にとって遠回りになる。
イタリアにいるのには絶対的な時間の制約がある。
僕は早くやらなくてはならない。
走り続けなくてはならないのだ。

というわけでいろいろと考え直したのがいまのドキュメントだ。
もともと考えていたのはロードムービーを創りたいというところからだった。
日本にいたころにはロードムービーなんて頭はなかった。
(ON THE BOAT)がきっかけだった。

日本人としてのアイデンティティは失いたくない。
イタリアにいる日本人映像作家として、何を撮れるのだろうか?
(ON THE BOAT)のインタビューの続編を撮っていたのも一つだったろう。
世界を撮りたかった。

この世にある生命や生活、生きざまみたいなのを切り取っていきたかった。
一か所に集約されたり固まったりするものではなくて、多様性を出したかった。
(ON THE BOAT)のときのように、制作費とか制限なんてモノは考えずに、
最初は純粋に自分が何をしたいのかを想い描いていった。

でもやはり制約というものはある。
当初考えていたものをそのまま形にするのであれば、それは面白いかもしれないが、大冒険である。

次に目を世界からヨーロッパに向けた。
イタリアに住むようになって、同じ大陸にたくさんの国がひしめき合っていることを実感するようになった。
バベルの塔はヨーロッパにあったんではないかと思うほど、バラバラだった。
でも深いものを創りたいと思っていた僕は、これにも無理が生じると考えた。
時間が間に合わない。

だったらイタリアにまで焦点を絞っていこう。
イタリアならまず4大都市だなということで、
最初はローマ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェで考えていた。
でも考えていくうちに色が出ないし、ステレオに成り下がると思った。
下手したらNHKスペシャルみたいなボンクラ番組になりかねない。
そしてまだ時間という要素が僕を邪魔していた。

ゆっくりじっくり撮れて、特徴を出すといったら???
しかもそれぞれに色を出しながらも一本のラインを持たせるとしたら?????

職人の育つ文化


ミラノにいる友人のイタリア人にクレモナ出身の人がいる。
クレモナといえばバイオリン。
「あぁこれでいいんじゃないか」と、これが始まりだった。
様々な土地を描くとしたら、他にはどこがあるかなと思ったとき、
パルマにも身近な知り合いがいることを思い出した。
と、このときにイタリアはマエストロの国だということに気がついた。
パルマのハム職人とクレモナのバイオリン職人。
これも結構ステレオといえばステレオだけど、これは動かさないとして、
あと1つか2つの都市を取り上げたいと思った。

あくまでもこだわりを持ち続ける職人という人間を撮る。
ミラノ近郊で何があるんだろうと調べはじめたとき、
ごく単純にジェノバの港にいけば、汚くて頑固な漁師がいるんじゃないかと思った。
それでジェノバは決まり。

まだやろうか、これで止めておくか考えた。
他には大して取り上げられそうなものもなかった。
T氏に頼んでおいたビデオセレクションで、プリモ・レーヴィのドキュメントが手元にあった。
アウシュビッツから生きて帰ってきたトリノに住んでいたイタリア人作家だが、結局は自殺してしまった。
彼を取り上げようかと考えていた。
ただこれにすると普通のドキュメントになってしまい、職人とはなりえなかった。
実際トリノにも足を運んでみたが、興味の湧く街ではなかった。

いろいろ考えている中、パソコンをいじっていると、あるテキスト書類を見つけた。
「ボローニャ」というタイトルのその書類には、
僕がイタリアに来る少し前に出会ったOさんからの情報が保存されていた。
実はボローニャには世界的に有名なサイレント期の映画を専門に修復するラボがあって、
そこを訪れてみたら面白いんじゃないかと言われていた。
チャップリンの映画も修復されているらしい。
僕は言葉を少し鍛えて、イタリアの事も少しわかって、
そしてここのラボのことも少し調べてから行こうとしていた。
今回これはいい機会だと思ったので、最後の街はボローニャにすることにした。



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