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2007年04月18日(水) 自由なフィールド
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ヴェローナ郊外でもポルチェリーナと呼ばれる
陶器の伝統工芸の「工場」があり興味を引くが、
イタリア的なスタイルではない。
何をさておいても一人の人が手がけるものに美を見ているわけで、
大量生産の時代でもそれをやり通す信念に美学がある。
日常生活で感じることのできるもの。
例えばいつも行く床屋の職人技。
日本でも変わらない技術であろう。
カットモデルをしていたことがある。
刈られている側からしてもプロかアマかの違いは歴然としている。
一番の違いは自信を持ってハサミを入れているかどうか。
こだわりと言えば聞こえはいいが、
イタリア人は各々の要望、わがままの多い人々である。
カプチーノ一つとっても泡なし、泡少し、泡多め、ミルク多め、少なめ等、
「つゆだくネギ抜き」のような注文をあらゆるシーンで見られる。
自分でいられる
「イタリア人ならではのこだわり」
があるからこそ成り立つということは個性が認められている社会。
それがまた職人を必要とさせている。
本来の姿。
多くの同じものを生み出していく。
それは個に合わせるのではなく、個を合わせていく。
僕が見ているのは、小さなコミュニティーの中で、
それぞれをわかりあって、それぞれに合わせていく。
多少、時間がかかっても、費用がかさんでも、
わかりあっている人との関係の中で、
望みを叶えていける環境。
ここはまだそれが普通である。
供給にあふれる
ヴェローナはジュリエットの家や、
夏場オペラを開催しているアレーナで有名な観光名所。
もちろんそんな観光客目当ての店もある。
エプロンなどにその人の名前をミシンで刺繍する店。
イタリア各地でよく見かける。
ヴェローナにもあるけれど、やっているのは単一作業。
その場ですぐに渡すものだから、
時間と技術を要する刺繍などしない。
これはあくまで製作サイドの土俵のなかでの製作。
そんな街の中心の喧噪から離れた川の向こうの工房。
静かな中で針と糸を駆使する男。
戸を手にすると「ギギギッ」
来訪を知らせる鈴とともに、
過ぎ去った時と人間模様を感じさせる。
積み重ねた強さ
「これは300年前に作られたイスだ」
そんなこと平然と語る。
300年前のイス、
どれだけの歴史を垣間みてきたんだろう。
命を吹き込まれた瞬間から、
もう一度新たにエネルギーを注入されるとき。
時が重ねたイスのズレをビクともしないように、
手を入れていく。
シンプルなデザインの中に伝統的な修復方法で、
キッチリと強固な作りに変えていく。
およそ300年も経ったとは思えないくらいの土台の強さ。
「ソファを叩いてみろ」と言われたが、
それも自信の表れなんだろう。
恐ろしく頑丈だった。
わずかな需要
鈴の音が響く。
マリアーノがイスを取り出してくる。
そのイスはオフィスチェアーのような、
一般市場で出回っているプラスチック製のようなものだった。
どうすればここまでひどくはげるんだろう?
と思うくらい損傷が激しかった。
マリアーノはクライアントにいろいろと説明し、
かかる代金についても話していた。
クライアントが帰ってからも僕に理由を伝えようとしていた。
アンティークタイプのまっすぐな背もたれならまだしも、
曲線形のタイプの背もたれの修復は難しい、と。
おまけにこのイスの材料が不足しているから、
それに合う材料を仕入れるのにも費用がかかる、と。
使いまわし
こういうイスならモノがモノだけにわざわざ修復に出すよりも、
新たに買い替えた方がいいのでは、と思わされる。
しかし何か理由があるのだろう。
クライアントの要望に答えるのも職人である。
それなりに料金もかさむ。
決して利益が大きいわけでもなく、
そんなに依頼が多いわけでもない。
それでも人はイスを置いていく。
そして修復する人がいる。
職人は客の土俵の中で自分の技術を生かす。
人間を相手にしているのだから当たり前のことだけれど、
これに日常的に応えていけるのが、
イタリア的な個々人で対していくスタイルなのだろう。
それが職人文化にもつながっている。
この日、撮影した映像の一部を公開しています。どうぞご覧下さい。
向き合わせ - Verona 5
コントルノ - Verona 6
当然理由がある - Verona 7
究極を超えた現実 - Verona 8
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